足を引っ張る政府と与野党
遺族はセウォル号特別法2次合意案を拒否
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奇異な変質だ。与野のセウォル号特別法第2次合意案(8月19日)を遺族らが拒否するとともに、セウォル号大惨事の被害者らが国政の足を引っ張る加害者に化けている。セウォル号の犠牲者遺族らが国会の合意も無視する超法的存在、民生・経済の再生を阻んでいる国政破綻の主犯として罵倒され、崖っぷちに追われている。遺家族らを、ないものねだりをする集団へと変質させたのは、セウォル号特別法合意の過程で残した最も悪い後遺症だ。
疲労感煽り、追及を断念させる
このような変質は現政府・与党がこれまで何度も踏襲した公式を再び踏んだ結果としての産物だ。「社会的懸案の発生→無視→葛藤の長期化→疲労感煽り→民生・経済再生のイシュー(問題)の踏みにじり」の階段を経れば、いつの間にか事態の解決を要求していた声の本質は薄められ、政府に敵対的な反対陣営の過激で興奮した主張が国政を混沌に陥れているかのごとくに帰結する。わが社会は2009年、ソウル龍山惨事当時、責任者の処罰を望む遺族の絶叫も、結局「社会を揺るがしている不純勢力」「カネでもむしりとろうとする連中」へとおとしめられた過程を見守った経験がある。
セウォル号の政局にあって特異なのは、野党が遺族を結果的に孤立させるうえで与党とペアを組んだ共犯者になった、という点だ。野党第1党の新政治民主連合がセウォル号特別法に関して遺族と充分に疎通できない内容を与党セヌリ党と合意した後、遺族に「事後受け入れ」を要求し、これに遺族が反対すると、遺族が政局をこじらせている唯一の障害物であるかのように目に映る状況が繰り返された。
野党がセウォル号特別法の合意を通じて与野葛藤の戦線から真っ先に脱け出そうとして、遺族らを犠牲にする苛酷な状況を招来したのだ。与野のセウォル号特別法1次、2次合意(注)を遺族がいずれも拒否したのは、合意内容が遺族の要求とは余りにも距離があるうえに、真相糾明の意志がまるでないような与圏と、徹底した真相糾明が可能な特別法の貫徹について切迫感がないような第1野党に対する不信が大きく作用している。
遺族の不信と失望感はパク・クネ大統領の上っ面にまず起因する。遺族らは去る5月16日、パク・クネ大統領との青瓦台面談で?特別法の制定?遺族の真相調査委員会参加?真相調査委の捜査権保障などを要求した。当時の面談の場にしばし戻ってみよう。
遺族(真相調査委で)実質的に捜査される内容を常時、私どもが見ることができ、最も重要な家族らの意見が反映され…。そうしてこそ大韓民国が暮らし、生きていきたい国になるのではありません?
大統領 はい。
遺族 「真相糾明のためには地位の上下を問わず、聖域のない捜査がなされなければならない」と言えば、すぐさま人々は「そうすると大統領が(捜査の)目標なのか? 何度もそんな話をしたら特別法もできないだろう」と言う方々もいます。このような点について、どう考えですか。
大統領 特別法は必要だ。そう思います。何よりも真相糾明において遺族のみなさんの遺恨が残らないようにすること、そこから深い傷口も治癒され始まるのではないだろうかという考えを持っているがゆえに、どうすればすっきりと皆さんの意見が反映され続け、透明性をもって公開されるのかを再び相談してまいります。
第1野党が与党に与する
遺家族らは特別法交渉の過程で「遺恨」が残り続けているのに、そして自身たちの意見がすっきりと反映されていないのに、また交渉が不透明なのにもかかわらず、パク大統領がただ後ろ手を組んで見ていることに憤りが爆発する。セヌリ党はパク大統領のこのような態度に歩調を合わせる。惨事以降に発足したセウォル号国政調査特委で真相糾明の努力を示せないまま「セウォル号は交通事故」(ホン・ムンジョン、チュ・ホヨン議員)だとか、国会で籠城中の遺族らを「野宿者」(キム・テフム議員)と言いながら遺族らを激昂させた。特別法合意の過程で遺族らの意思を反映しようとする試みも、ましてや合意文発表以後、遺族らに会って理解を求めようとする過程も省略した。
セウォル号犠牲者家族対策委員会が当初の要求よりも水位を大きく引き下げた案をキム・ムソン・セヌリ党代表との面談で提示したものの、セヌリ党はこれさえも無視した。家族対策委は、与野が真相調査委に捜査・起訴権を与えないかわりに特検(特別検事制度に基づく検察官)を任命して捜査を補助する案に流れを決めると、大統領に推薦する特検候補2人を選ぶ7人の特検推薦委員の構成においても遺族が望む人士を多く含ませることのできる案を提示した。2012年の「ネゴッ洞特検」のように野党が、大統領が任命した特検候補をすべて推薦したり、2人の与党枠の特検推薦委員の推薦でも野党に渡したり、遺家族が4人の国会枠の特検推薦委員をすべて推薦する3つの案だった。遺家族としては相当に後退した案だけれども、青瓦台の顔色うかがいをしない特検候補をキチンと推薦する機会を保障してくれ、という要求だった。けれども与野は「与党枠の特検推薦委員2人について野党と遺族の事前を受ける」というレベルで折衝した。
与党は実に大きな譲歩だと主張するけれども、遺族らは同意が困難な人事を与党が繰り返し提示し、遺族が反対する状況を反復させ、特検をは行によって率いていくことができると考える。セウォル号の国政調査特委をは行させ、遺族を非難していた与党のこの間のありようが、遺族らのこのような疑念の根拠として作用している。
遺族らが合意案を受けいれられないもう1つの理由は、新政治民主連合に対する極度の失望感だ。遺族の要求に最大限に近い案を実現するために、第1野党が徹底して闘ったという認識さえ与えられなかったからだ。「そうだ、野党もできる限りのことはやった」と納得できるだけの見方を示すことができなかったのだ。遺族らの中には「今や野党は存在しない。セヌリ党は第1与党、新政治連合は第2与党」だと語る人が少なくない。特に突然、第1次合意案を発表して「野合」だとの非難を浴びたパク・ヨンソン新政治連合院内代表は第2次合意案の際にも「遺族の同意が前提とされない限り合意はしない」との誓いを、またもや守れなかった。このような状況にあって「先に合意文発表、後に遺族説得」に乗り出したパク院内代表の行動が遺族らに受けいれられる訳はなかった。
2次合意翌日の8月20日、パク院内代表が京畿道安山で遺族で遺族らを説得するとして会ったことが状況を悪化させたという声も少なくなかった。当時、パク院内代表は交渉の過程を説明しつつ「イ・ワング・セヌリ党院内代表と私が最善を尽くしたもの」だと主張し、遺族らは「家族対策委が同意した案を持って行くべきだった」「我々は死ぬ覚悟ができていた。何が恐ろしくてそのように合意したのか」と問い返した。捜査権・起訴権を主張していたパク院内代表が、野党や遺族による特検候補を推薦する権限を実現したわけでもなく、特検の候補を推薦する推薦委員に対する遺族の「事前同意権」を持ってきてイ・ワング代表の肩をもちながら、最善を尽くしたと言うものだから、遺族らが激しく反発したのだ。
遺族はあくまで特別法要求
遺族を隅っこへと責め立てる政治圏のありようを見ながら、遺族らは8月20日の総会で真相調査委に捜査権・起訴権を付与する当初の要求案を貫徹しようとの決意を再び誓いあった。ある遺族は「捜査権・起訴権貫徹のために多くの市民らと共にここまで来たのに、今になって放棄することはできない。やれる限りを尽くして、それでもダメな時には他の方案を強く求めるべきではないのか」と語った。
問題は「再交渉はない」という与党、物の見分けができない野党、特別法貫徹の意志を再び誓った遺族など、3者か接点を見いだす出口がよく見えない、という点だ。このために市民社会では遺族が要求する通りに与・野・遺族による3者協議体、または汎市民社会が参画する仲裁協力機構を用意して突破口を模索すべきだとの意見が出てくる。このように、特別法制定まで長期化しかねない状況にあって、遺族らは今後「セウォル号の疲労感」を悪用しようとする与圏の攻勢にぶっかけ続けかねない。そこで遺族らは以下のように要請している。
「ある方々は『セウォル号の疲労感』を語りつつ、今やあれこれ言わず亡くなった魂たちをそっと慰めてやれ、と言います。けれどもどこの誰よりもくたびれ果て辛い我々は、ここでへたりこむことが亡くなった人々の魂を2度殺すことになるものであって、今後さらに起こるかも知れないまままた別の死に対して目をつぶるものであるを分かっています。ある人々は民生を考え経済を立て直すためにセウォル号を克服しなければならないと話します。しかし誰よりも民生苦、生計苦にさいなまれて苦しめられている我々は、セウォル号をキチンと解決することだけが、真に人間らしい暮らしの出発点となるほかはないということを分かっています」(8月20日「セウォル号犠牲者家族対策委員会総会での声明」より)。(「ハンギョレ21」第1026号、14年9月1日付、ソン・ホジン記者)
注 @8月7日、与野第1次特別法合意案 セウォル号家族対策委の主張(真相調査委に捜査権・起訴権の保障)。与野合意案(真相調査委への捜査権・起訴権付与反対。真相調査委は与・野推薦各5人、大法院・弁護士協会長推薦各2人、遺家族推薦3人で構成。捜査権・起訴権は特検に。特検は常設特検法に基づき任命(7人の特検推薦委が特検候補2人を推薦すれば大統領が1人を任命)。特検補は真相調査委が業務協助の際に活動。
A8月19日、与野第2次特別法合意案主要内容 ※7人の特別検事候補推薦委員会委員のうち国会が推薦する4人中、与党が推薦する2人の場合は野党と遺家族の事前同意を受けて選定するようにする。※2次合意案に伴った特検推薦の手続き。当然職3人(キム・ヒョンウン法務部次官、カン・ヒョンジュ法院行政処次長、ウィ・チョラン大韓弁協会長)。国会推薦4人(与党推薦2人、ただし遺家族と野党の事前同意を経ること。野党推薦2人)。→7人の特検推薦委員会が特検候補2人を推薦→大統領が1人を任命。
ハンスト40日目
この涙に応えよ
病院に移送されたキム・ヨンホさん
枯れ木のように生気を失った体から一筋の涙が流れた。娘を失ってから129日、娘のやりきれない死を明らかにしてくれとしてハンガーストライキを始めてから40日。生きとし生けるものが生き残るために維持しなければならないすべての生体数値が正常範囲からはずれている。8月22日朝8時、救急車に乗せられ、ソウル市立東部病院に移送されたキム・ヨンオさん(47、セウォル号犠牲者・檀園高2年10組キム・ユミンさんの父)の体に残ったのは、その一筋の涙だけのように思えた。
断食の過程で最も耐えがたい時点は断食35〜40日目だ。捜査権と起訴権が保障された「セウォル号特別法」を制定してくれ、としてキム・ヨンオさんがソウル光化門広場で断食籠城を始めてから1カ月が過ぎると、彼の健康を心配する市民たちの間には断食の中止を請う声が相次いだ。「どうか断食をやめて健康を回復され一緒に闘いましょう」「元気を出して特別法の制定を共にぜひとも実現しぬかなくては」。1万5千人がセウォル号特別法制定のための同調断食に参加するとの意志を明らかにしている。
キムさんの主治医であるイ・ボラ市立東部病院内科科長は「正常人の血糖値が80〜120mg/dlであるのに対し、8月21日夜のキム・ヨンオさんの血糖数値は67 mg/dl、病院に移送されてからは55 mg/dlレベルだった。ここまでになると深刻なめまいを誘発する。肝数値も正常の範囲を逸脱している」と説明した。
崩壊した体よりも彼を苦しめているのは、壊れてしまった期待だ。30日以上も、ただただ座ってその場を守っていたキム・ヨンホさんが光化門のテントを下りて倒れたのは、国会がセウォル号特別法の再合意案を発表した8月19日以降だ。8月20日の朝、パク・ヨンソン新政治民主連合院内代表が立ち寄って行ったけれども激昂する感情を抑えられなかった。午後には、ふらふらする体を杖に委ね青瓦台(大統領府)に向かった。もみ合いが繰り広げられ、体力が著しく消耗し尽くされた。
青瓦台から戻ってくる道すがら、キム・ヨンホさんは記者たちに語った。「私も、残された下の娘と食事をしたいです。きょう、メールが来ました。『もう、やめにして』と。(パク・クネ大統領が)会ってくれれば膝を屈して祈るでしょう、わが子らのために。大統領も1回は会ってくれるでしょうよ」。ユミン・アッパ(ヨンホさんのこと)のか細い期待は今なお実現されてはいない。(8月22日現在)
「今帰ると娘に
会わす顔がない」
この日、ユミン・アッパは長期間、断食した患者に必要なビタミンなどを補充する水液を投与された。しかし、病院が準備した200ccの重湯は拒否した。ユ・ギョングン家族対策委代弁人が彼の意思を、代わりに伝えた。「ユミン・アッパは『特別法が制定されるまでは帰ることはできない。私を心配してくれる市民たちに心から感謝している。けれども今、帰ればユミンに会わす顔がない。生きていたところで死んだも同然だ』と語っていました」。
家族らはこの日、記者会見文を発表し、パク大統領の決断を再び求めた。「パク・クネ大統領さま、我々家族を殺さないで下さい。(中略)1度、面談をしてくれ、という要求がどれほどまでに恐いのですか。(中略)このような時、大統領が何をすべきかは、まだご存知ないようです」。パク大統領は100日ばかり前に涙ながらにセウォル号の惨事について過ちを認め、国民の許しを求めた。今や死を覚悟したアボジ(父)の涙に大統領が応える時だ。(「ハンギョレ21」第1026号、14年9月1日付)
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