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    かけはし2014.年10月6日号

女性たちの闘いは全欧州の最前線


ギリシャ

緊縮政策に対決する595人の清掃労働者

斬新な行動と戦術で道を切り開く

ソニア・ミトラリア

  本紙八月二五日号では、ギリシャの政府機関が雇用していた清掃労働者による、解雇撤回闘争への支援要請アピールを掲載した。この闘いについては来日したマノスさんも、それが重要な闘いとなる可能性について触れていた。それがなぜ重要な意味を獲得しているのか、特に女性の闘いとしての意味について、ギリシャのフェミニスト活動家がその発展経過を含めて明らかにしている。伝統的労働組合のいわば慣習化した戦術行使にとらわれずに(あるいはそれを頼りにできないがゆえに)、斬新な行動形態を次々に開発して闘い続けている姿にも興味深いものがある。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

女性らは26回の
ゼネストに参加


一一カ月に及ぶ過酷で困難な闘いを経て、五九五人の公共部門清掃労働者たちは、ギリシャにおける緊縮諸政策に対決するもっとも断固とした抵抗の化身、象徴、魂、そして生気それ自身となった。これらの女性たちは、ギリシャ政府、欧州中央銀行、EU委員会またIMFといった強力な敵の正面に迫る勇気を示しつつ、その全体において「政治的主体」そして現在の抵抗運動の指導部となっている。
しかしながらこれら戦闘中の清掃労働者たちは、政権とトロイカに対決する位置に自身を置き、それらに対する主要な敵となり、緊縮諸方策の実行を中断させ、マスメディアを通して政治的光景に恒常的な存在を記しつつも、一一ヵ月の闘争の後も緊縮政策を体現する敵対者たちによって、依然あたかも政治的主体ではないかのように扱われている。とはいえ事実は、トロイカが強要した緊縮諸方策が現れたその時から、この女性たちは大挙として街頭に登場し、政治的教訓の点で豊かさのあるそれ自身の特性をもって、彼女たちの抵抗がそれ自身でその駆動力を示している、ということだ。
ギリシャを社会的、経済的そして中でも人間的大量零落に落とし込んだ緊縮政治の四年間に、われわれの中の僅かな者たちしか、この女性たちの暮らしについて、もちろんトロイカの指令に対決した彼女たちの闘争についてはさらに少なくしか語ってこなかった。したがって、世論は専ら女性によって実行されているこの模範的な闘いから衝撃を受けている、ということが予想されることにもなる。しかしこの闘いはそれほど衝撃的なことだろうか?
女性たちは二六回のゼネストに大挙して参加してきた。「怒れる者たちの運動」の中で彼女たちは、町の広場を占拠し、キャンプを設営し、デモを繰り広げた。彼女たちは占拠やERT(政府によって閉鎖が決定された公共テレビ局:訳者)の独立した運営を支持して前線で決起した。彼女たちは模範的なやり方で行動しつつ、「予備プール」政策(つまり、通常給与の七五%での八ヵ月が過ぎた後解雇される職員)に反対する大学管理職員ストライキ委員会の魂となった。女性が多数である二万五〇〇〇人の公務員は今後、公共サービス職員削減の犠牲者となる。その上、人道的危機と医療サービスの崩壊に今対処を挑んでいる自主管理連帯医療機関と連帯運動で大多数のボランティアを形成しているのも、また女性たちなのだ。
福祉国家の破壊に反対し、緊縮政治に反対する抵抗運動への女性の大量参加は驚くことではない。そしてそれが起きたことは偶然ではなかった。何よりもまずわれわれは、女性自身が緊縮台風の目の中にいるということに気づいた、ということを十分に理解している。福祉国家並びにその公共サービスの解体は、彼女たちの生活に打撃を与えている最中なのだ。つまり女性は、公務員の多数並びに公共サービスの主要利用者の多数となることで、あらゆる切り下げによって二重に打撃を受けている。それゆえ彼女たちは、一九世紀への回帰に似た、彼女たちの生活基準のこうした歴史的退行を受け容れない点で、いわば一〇〇〇の理由をもっている。

時給2ユーロの
奴隷労働を拒否


始まりにおいて女性たちは、様々な運動内部で男たちと同じ要求と同じ行動形態のまま参加することで、「女性―政治主体」として区別されることはなかった。これは本当のことだ。彼女たちは単に数として大量に参加を続けていた。しかしながら、カナダの多国籍企業であるエルドラドゴールドを相手とした、チャルキディキのスコウリエス鉱山における金抽出に反対する先進的闘争の体制の中ではすでに女性たちは、彼女たちの特殊な行動形態と急進性を通して、急速に差違を識別されつつあった。
そして、報道と民衆の通念が彼女たちが闘っているやり方におけるジェンダー的独自性の重要性を無視し続けていたという事実にもかかわらず、警察はそれを無視はしなかったのだ。実際に、それらを通して全住民を恐怖させ、不服従のあらゆる形態とあらゆる抵抗運動を根絶する目的の下に、残酷で選ばれた諸方策を使いつつ、主には女性に狙いをつけたMATs(ギリシャの暴動統制特別警察部隊)を手段として反対のことが行われた。
女性たちは捕らえられ、法的に訴追され、暴力と侮辱にさらされた。そこには、彼女たちの肉体とジェンダーに適用された「性的」退廃行為すらあった。
それに続く年月、女性たちはより多くのイニシアチブを発揮し、彼自身の行動形態を開発し続けた。
そのすべては、「貸し手」によって政権に課された条件に応じて緊縮計画のもっとも残酷な部分を実行する目的で、政権が他の誰かに先立って、経済開発省と国税・関税事務所で清掃労働者に狙いをつけた時に始まった。政府は彼女たちを昨年八月以来「予備リスト」に置いた(それが意味することは、彼女たちが月当たり五五〇ユーロという彼女たちの俸給の僅か四分の三だけを八ヵ月間受け取り、その後は解雇される、ということだ)。政府はスコウリエスにおけると同じ戦術にしたがった。
それは、大群の被雇用者、余剰とされる予定の二万五〇〇〇人の公務員が次の段階でしたがわされるものとして、もっとも弱い者たち、そして支援を得るチャンスが最も少ない人びと、つまりは清掃労働者を標的とすることで始まった。そしてそれは、情け容赦のない緊縮諸方策の後、多くの活動家たちが士気阻喪し、消耗し、彼ら自身の諸問題に個人的に挑み解決するよう強要されることで、抵抗運動がエネルギーを枯渇させつつあった時に時間を合わされた。
政府は、この労働者グループ、すなわち貧しい女性の、月に五〇〇ユーロ内外のレベルしか払っていない「下層」の、彼らの想定ではまったく知的ではない(このことは、「われわれは間抜けではなく清掃労働者だ」という彼女たちのスローガンの源を説明している)労働者グループが相手であれば、虫のように押しつぶしつつ、さっさと彼女たちを片付けることができるだろう、と確信していた。
政府の目的は、私的な清掃下請け業者への贈り物として、清掃業務を私有化することだった。脱税チャンピオンとして知られるこれらのマフィアに似た下請け業者は、次いで彼女たちを、ほとんど安定性のない、雇用保護の諸権利がまったくない、実体的には奴隷労働に当たるような条件の下に、月二〇〇ユーロ(つまり時間二ユーロ)で再雇用するものと想定されていた。
自身の職から解雇され、トロイカの人食い的性癖に対する生け贄として捧げられたこれらの女性たち、四五歳から五七歳の、離婚や夫を亡くし多くの負債を負った、また子どもや失業した夫を抱え、あるいは障がいのある扶養者の世話をしている片親家計の多くの母親であり、二〇年勤続後の「早期」年金受給をまったく利用できず、別の職を見つけるチャンスなどないこれらの女性たちは、屈服しないことを決めた。彼女たちは、彼女たちの生活の支配権を自分自身の手中に確保することを決めたのだ。

彼女らは孤立を
突破しつつある


そしてわれわれはこのようにして、伝統的な労働組合によって採用されてきた既成の行動諸形態を変えようと決めた一握りの女性たちを得ることになった。ある者たちは、彼女らの中核にある清掃労働者たちの一団と共に、イニシアチブを発揮し、彼女ら自身のために彼女ら自身を組織している。そしてこれらの女性はすでに一〇年前にいくつかの戦闘に立ち上がり、重要な勝利をいくつか勝ち取ってきていた。彼女たちは諺にあるアリのように懸命に努力を重ね、全国的な広がりを獲得したいわば蜘蛛の巣を張ってきていた。
そして経済開発省のこれらの労働者が失業手当を受ける立場に投げ入れられ、ストライキに訴える利点が一つもなくなって以後、彼女たちは、エリートにとってはもっとも象徴的な立地であるシンタグマ広場に面した省の事務所の正面入り口の前で、街頭に彼女たちの体で人間の壁を築く決定を行った。
このような想像力に富む行動形態が女性たちによって生み出されたことは、偶然ではない。
彼女たちのジェンダーと社会的階級を理由にこれらの女性たちが無視され続け、労働組合の内部で周辺化され、そして伝統的な左翼諸組織との結びつきも最低限のものだったからには、彼女たちは、注目され、聞き届けられる可能性を作り出すために、大音響を出すよう迫られたのだ。
彼女たちは、ことに対応するストライキや短期的にしか続かない効果の小さな行動日に代えて、非暴力を基礎とした直接的集団行動、ユーモアとショックを呼ぶ戦術を選択した。彼女たちは、イースター期間中には頭に茨の冠を着け、新民主党(政権党:訳者)事務所の外では首に首つり縄を巻き、音楽とダンスをもって、各自のまた全員の即時復職を要求し続けている。
これらはギリシャでは斬新な行動だ。彼女たちは省の入り口を占拠し、特にトロイカの役人に対しては彼らを追い回し、取り巻き、彼らが走ってボディーガードと共に裏口から入らざるを得ないよう、出入りを邪魔している。彼女たちは特別警察部隊との間で、今も物理的な小競り合いを続けている。彼女たちは日々新たな行動形態を工夫し続けている。そしてそれは、マスメディアを通して伝えられ、広範な住民の注意を引きつけているのだ。つまり彼女たちは、孤立を突破しつつある。

国際的連帯を
組織しよう!


こうして、普通は魂のない統計として表されるものごと、失業と貧困の記録的な水準を表現するあらゆる数値、そうした抽象的な概念すべては、人間的な基軸を獲得しつつあり、彼女らは人間の顔を獲得し、肉と血のある実体のある女性と、それ以上のものとして強力な個性と彼女ら自身の政治的意志を備えた女性となっている。彼女たちには、リツァ、デスピナ、ゲオルギア、フォテイニ、デメトラ……といった名前があるのだ。そして彼女らは、彼女たちの実例、彼女らの勇気、忍耐強さ、また勝とうとする断固とした決意をもって、緊縮政権の犠牲者すべてに希望を取り戻しつつある。
しかし……、法と秩序の諸部隊は、彼らのボスたちがこうした現象が広がるのではと心配しているがゆえに、彼女たちを見せしめにしようとほとんど毎日彼女らに虐待を続けている、ということを自覚することが重要だ。彼女らの息子であり得たかもしれない警察の「ランボー」によって毎日踏みつけられ、手荒に扱われ、負傷させられている、多くは高齢の女性たちの、この悲しい見せ物を国全体が見つめ続けている。
しかしなぜこんな抑圧が行われるのか? そこには単純な理由があり、それは、トロイカ自体が彼女らと闘うことを欲しているということだ。なぜならば彼女らは被抑圧者すべてによって採用される一つのモデルとなっているから、彼女たちは、ギリシャだけではなく欧州全体の緊縮政策に対する拒絶の前線にいるから、さらに彼女たちの戦闘精神には伝染力がある……からだ。
これら五九五人の大胆な清掃労働者の闘争は今、かつて以上にわれわれの闘争でもある。彼女らを彼女ら自身の闘いのまま留めないようにしよう。彼女らはわれわれのために闘い続けているのだ。われわれもまた彼女らのために闘おう。欧州を貫く連帯を、また国際的連帯を組織しよう。
▼筆者はギリシャのフェミニスト活動家であり、「債務と緊縮策に反対する女性イニシアチブ」のメンバーであると共に、「債務反対委員会―CADTMギリシャ」メンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年八月号)


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