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    かけはし2014.年9月15日号

「反ユダヤ」というデッチ上げ


8.31ガザの人々を殺すな実行委

デモ禁止令と闘ったガザ連帯運動

フランスの闘いを鵜飼哲さんが報告


イスラエルが
行った大虐殺
八月三一日、ガザの人々を殺すな!実行委員会は、東京・文京シビックセンターで「フランスのパレスチナ連帯運動はデモ禁止令といかに闘ったか」と題して、鵜飼哲さんの講演集会を行った。集会には、主催者の予想を越える九〇人が集まった。
一橋大大学院教授の鵜飼哲さんは、この間、パリ第3大学で研究生活を送っている。それと同時に、日本にいた時と同様に、さまざまな社会運動にも参加してきた。この日の講演会では、フランスでこの七月に、イスラエルのガザ攻撃に反対するパレスチナ連帯運動がオランド政権の「デモ禁止令」という不当な弾圧を受けた背景について鵜飼さんから説明を受けた。
鵜飼さんはまずはじめに八月二六日に停戦が成立した「五〇日間戦争」の惨禍を数字(八月二〇日現在、概数)で示した。パレスチナ人の死者二一〇〇人(うち七〇%が民間人)、負傷者一万人(うち子どもが三一〇〇人)、移住を強いられた人、四七万五〇〇〇人、居住不可能にされた家屋、五万五〇〇〇軒(うちイスラエル軍の標的となった家屋、五二六二軒。他方、イスラエル側の死者七〇人(うち六四人が兵士)、ガザから着弾したロケット弾および砲弾は四五六二発。
この数字の非対称性は、ガザへのイスラエルによるジェノサイド的攻撃の凄まじさを改めて物語っている(もちろん単に数字の問題ではないが)。

ユダヤ防衛同盟
のデモへの挑発
次にこの間のパリのデモの様子が報告された。第一回統一行動は七月一三日。集合場所はマグレブ(北アフリカ)系移民の集住地区であるパリ一八区にあるバルベス・ロシュワール。駅に群衆があふれ、イスラエルによる「境界防衛作戦」(七月八日)以後の怒り、悲しみ、不安、焦慮を抱えた人びとが初めて出会った感動が印象的だった、という。デモには数万人が集まった。
若者、女性、そしてアフリカ系の人びとが多く、ベールを着用した女性も、非着用の女性もそれぞれ集団で参加している。頬にパレスチナ国旗を描いた人びとや、アルジェリア、エジプト、さらにフランス国旗まで掲げられた。スローガンは「イスラエルは人殺し、オランドは共犯者」「われわれはみなパレスチナ人」「パリからガザへ、レジスタンス、レジスタンス」「失せろ!イスラエル、パレスチナはお前のものじゃない」「ガザの沖で、パレスチナの沖で、殺されているのは人類だ」。その中で、一部の隊列から「アッラーは偉大なり」との声も上がったという。
ところが解散地点のバスチーユで混乱が起きた。ユダヤ防衛同盟(LDJ)の一団がデモ隊を挑発し、それに対して少数の若者がロケット通りまで追いかけ、LDJがシナゴーグ(ユダヤ教会)に逃げ込んだことが「シナゴーグ襲撃事件」としてフレームアップされたのである。

シナゴーグ襲撃
の事実はない!
翌日の主催者側のユースフ・ブースーマ(PIR=共和国の原住民党)の経過説明によれば以下のようである。
「第一幕」:若者たちはこれまでもLDJと衝突してきた経過があり、警察がLDJをかばったことに反発していた。しかしデモの解散地点まではなんの問題もなく、デモのスローガンには「反ユダヤ主義」的要素は皆無だった。
「第二幕」:イスラエル国旗を掲げるLDJの新たな部隊が登場し、挑発を行う。そしてただちにロケット通りに逃げ込んだ。
「第三幕」:怒った若者たちがLDJを追いかけたが、シナゴーグまで行かず、手前で抗議した。そもそも地方から来た人びとの多くはデモ解散地点のバスチーユ広場の近くにシナゴーグがあることを知らなかった。またLDJのメンバーやユダヤ教徒に負傷者は出ていない。
ブースーマは、パレスチナ連帯デモ禁止をねらったLDJの挑発に若者たちが乗ってしまったことは誤りだと述べたが、同時に政府やマスメディアがLDJの挑発を不問に付しているのは問題だと強調し、かつとりわけ郊外の移民の若者たちを犯罪者扱いし、フランス社会内部のコミュニテイー間の対立を煽っていることを批判した。

デモ禁止令に
抗するデモ
オランド政権は七月一三日のデモでの「混乱」を理由に、デモ禁止令を出した。七月一九日にはデモ禁止令に抗するデモが行われた。しかしこのデモでは呼びかけ団体が分裂した。
第一のものは反資本主義新党(NPA)、パレスチナ全学連、パレスチナ青年運動、パレスチナ世代、平和のためのフランス・ユダヤ人連盟、共和国の原住民党、イスラエル・ボイコット運動(BDS)の呼びかけ。第二のものは「イスラエル人とパレスチナ人のあいだの正当で持続可能な平和のための全国協議会」(CGT、人権同盟、フランス共産党)、左翼党、緑の党が呼びかけたもの。
この中で第一の呼びかけ団体によるデモ隊の一部は治安部隊と衝突し、一九人が逮捕された。翌七月二〇日、パリ北方の郊外に位置するサルセルではパレスチナ支持、イスラエル支持の双方の集会が行われ、デモ隊の一部はユダヤ系の食品店を破壊し、多数の逮捕者が出た。
七月二六日にはデモ禁止令に抗する集会がレプブリュック広場で開催され反ユダヤ主義者のグループ(「ガザ・フィルム」)が介入し、参加者と激論となった。この集会はヴァルス首相から解散命令が出され、一部の若者が治安部隊と衝突して多くの逮捕者が出た。
八月二日には二回目の統一行動。ここでは反ユダヤ主義的傾向を持つグループの参加は排除された。

イスラエル支持
のオランド政権
デモを禁止するフランス政府の「論理」とはどのようなものか。それは「反ユダヤ主義は容認できない」「治安壊乱の予防措置」「中東紛争の移入阻止」という理由が混在したものだが、やはりオランド政権がイスラエル支持の立場をはっきりさせたことに根拠がある。
七月九日のオランド大統領声明はイスラエルの自衛権を一面的に擁護し、ガザの爆撃による犠牲者への言及が一切ないものだった。当初の大統領府スポークスマンの声明は「どちらの側にも立たない」ものだったためネタニヤフが抗議し、オランドが「たちまち説得されてしまった」のだという。このあたりの情報はカズナーヴ内相が明らかにしているものであり、左派出身の彼は「私もこの職についていなければデモに参加していた」と述べているとのこと。
ただし、政党としてこのデモ禁止令と全面対決しているのはNPA(反資本主義新党)のみであり、同党のデモ責任者が訴追されていることも明らかにした(本紙八月一一日号参照)。鵜飼さんは、今回のガザ攻撃に反対するパレスチナ連帯デモでのNPAが果たした役割を高く評価した。

移民系青年層の
両極分解回避へ
鵜飼さんは最後に、フランスのパレスチナ連帯運動の現在の性格について以下のようにコメントした。
イギリスやアメリカに比べるとフランスにはパレスチナ人は多くはない。マグレブ系、ムスリム系移民のフランス社会での闘いとパレスチナ連帯運動の一体化が見られる二〇〇一年九・一一を契機とした闘い、ヴェール着用禁止立法(二〇〇四年)、郊外蜂起(二〇〇五年)などを通じてである。そしてフランス政府の親米・親イスラエル化が顕著になっている。
パレスチナ連帯は移民系青年層の政治的・文化的アイデンティティーの一部になっている。今回のデモ禁止は、一九六一年一〇月、アルジェリア独立支持のデモが禁止され、参加者が多数虐殺されてセーヌ川に投げ込まれた事件以来であり、フランス内部の移民系住民の苦難はアルジェリア戦争の継続という意識が存在する。
こうした中で、移民系青年層の両極分解を阻止するための文化闘争・教育活動が重要となる。一方ではシリア、イラクでイスラム主義の側に立って戦闘に参加する人が存在し、他方では社会党政権への失望から国民戦線に投票する層もいるからである。フランス植民地史、パレスチナ解放運動史、世界の他の被抑圧民族の解放闘争史を学ぶことを通して、フランスでの自らの政治・社会的解放とパレスチナの解放を一体の課題として追求することがこの両極分解を回避する唯一の道だ。
これが鵜飼さんのとりあえずの結論だった。 (K)


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