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    かけはし2014.年9月1日号

転換期の世界不況


金融バブルと危機の爆発(下)

われわれは、どこに向かうのか

資本主義のグローバルな構造変革

労働者階級が直面する課題は?


対外債務残高と直接投資(注)

  対外債務のグラフ1は一千億ドル超の南アまでにしたが、数字の一覧表には一三〇数カ国あり、額は増えこそすれ、減っていない。
資本逃避と累積債務を八九年の棒グラフ(グラフ2)でみると、とびぬけて多いのがブラジル、図会(二〇一一年、グラフ1)の累積債務額は約四〇〇〇億ドル、八九年のグラフ九二〇億ドルと較べ四倍強である。
八〇年代末、累積債務のこげつきが問題になった頃、途上国一一一カ国の累積債務が一兆三二〇〇億ドル、流通市場における債権の価格は額面の三〇%といわれ、約三分の二に相当する含み損をかかえる計算になった。
債務を解決する国際会議で話しあわれたのは、金利の減免、返済期限の延長、債務そのものを削減、IMFの活用など。ところがグラフに明らかな通り多額の資本逃避(キャピタルフライト)が起こっている。
援助、貸付額が、そのままニューヨークやスイスの銀行に匿名口座で預けられ、フロリダの不動産投資などに変わる有様であった。
その手の逃避額が三〇〇〇億ドル超、八割が中南米のものといわれた。アメリカは債務国の政府、資本家と債権国の金融機関の双方をとりなし、おどしをかけ、なんとか協力させようとしたが、資本逃避を受け入れていない日本などが、逃避の呼び戻しがすべての前提と主張、ふり出しに戻った。
なりゆきをはしょると、債務を証券にし、外資の受け入れ側は直接投資に対する規制をゆるめ、国有や公有から民営に政策を転換する傾向になった。
九〇年前後をさかいに、累積債務を取りたてる会議やニュースがめっきり少なくなったのは、自民党やその取り巻きがいうように、帝国主義がなくなったのではない。現状にあわせて形を変えたのである。
その結果、急速に増えたのが対外直接投資である。〇八年の海外直接投資グラフは、九〇年代前半が少しずつ、後半から急速にふえたことがひと目でよくわかる。表はそれを数字で確認できる。
二つの表によれば、一九九一〜九六年平均が二八〇六億ドル、二〇〇〇年に一兆二〇〇八億ドル、二〇一二年に一兆三九一〇億ドル、ストックでは九〇年二兆ドル、二〇〇〇年八・九兆ドル、二〇一二年二三・五兆ドルと、世界経済の成長をはるかに上まわる増加ぶりである。いわれてきたグローバリゼーションとは、資本の多国籍化にほかならない。
次の対外直接投資受け入れ国、地域の表(グラフ4、5、6)をみると、投資に大きな変化がよみとれる。九〇年、二〇〇〇年共に投資の八割超を受け入れていた先進国が、一二年には四割に半減する。逆に二割にもみたなかった発展途上国が、一二年なんと過半の五二%を占めるにいたる。なかでもアジアが四〇六八億ドルと三割を占める。中国、インド、ブラジル、ロシアに南アを加えた、いわゆるブリックスが浮かびあがる。
IMFのラガルドが、一四年一月「GDPでみればこの五年間、世界の全成長の四分の三を占めてきたのが新興市場と途上国だった。経済回復の先頭に立ってきた新興市場の成長の勢いは一三年に削がれた。彼らの成長を左右する米国の金融政策変更への懸念からだ」と指摘、「雇用生む構造改革を一層進めよ」とつけ加えた。
リーマンショックに沈む世界経済に、中国が打ち出した四兆元景気刺激策(〇八年一一月)、海外からは毎年一千億ドル前後の投資を受け入れ、〇八年の九・六%〜一三年の八%と、アメリカ、EU、日本がマイナスに陥っても、別格の高度成長を続けている。
懸念は、FRBバーナンキ前議長以来の金融緩和策をもとに戻す動きが、アメリカの都合だけで変えるようだと、新興国、ひいては世界経済にマイナスになる、というIMFの立場を述べたものであった。
資本の出入り自由化が進んだ現在の世界では、FRBはいわば世界の中央銀行に見立てられる。それをECB、日銀が補佐する形になっている。いわゆるインペリアルサイクルである。
現にインドやトルコといった国々が、対米ドルの為替レート、株価の下落に苦しめられた。「為替相場制度のいかんにかかわらず、資本移動が自由である限り、ドルの通貨量変動が各国の金融政策に影響を与える」(エレーヌ・レイ氏)。
(注)対外直接投資、企業を設立するか、設立に資本参加する、といった投資。
子会社出資額が三〇〇〇万円以上、比率が一〇%以上、永続的な収益の取得を目的とした投資。国、国際機関で若干定義が異なる。

リーマンショック・世界不況


サブプライム・ローン証券化商品が、住宅バブルにのって売買され、海をこえヨーロッパにまで金融危機を輸出した。
福袋が禍袋に転ずるたとえで、浜矩子氏は「グローバル恐慌」をたくみに説明してくれる。産業に展望がもてない状況では、えてして金融は不動産に途方もない活路を求めてバブルに陥る。
ローンがまともな審査のない貸付や、実勢価値以上の融資は、サブプライム・ローン残高一二兆ドルの一部とみられていたが、住宅価格の上昇を前提として証券が組まれてあり、住宅市場の価格が〇六年をピークに下落へ転ずると、証券化商品全体の取引が成立しなくなった。IMF推計は九四五〇億ドル(一〇〇兆円)の損失だが、不明の部分も多い。
米国の銀行の多くは、債務超過状態にあり、機能していない。国有化して迅速に不良資産を切り離し、健全部分を再民営化する道だけである。
辛口の批判を展開する金子勝氏は、「そうすべき理由は、かつての日本の不良債権問題との違いにある。日本の不良債権は、目に見える担保不動産価値の意図的な粉飾であった。しかし今回は、不良債権化した証券化商品があまりに複雑すぎるために評価不能に陥っているのである。ところが、そもそも私たちをこのがけっぷちに追い込んだ六七〇兆ドルもの取引規模に膨らんだ金融デリバティブ市場やその他の金融商品の性格について、分析や情報が驚くほど少ない。誰もが腐った本質に触れたがらないのだ」(金子勝「脱世界同時不況」二四頁)。
グラフ7は、リーマンショックを語る際、かならず出てくる世界的な成長率の落ち込みを示している。とりわけ先進国がひどい。数値では〇九年日本はマイナス五・五%、ドイツ同五・一%、アメリカ同三・一%、ブラジル同〇・三%、視線を上に向けると、中国九・二%と唯一プラスで成長率は別世界のように高い。ブラジルはマイナスとはいえ先進国より高い。
日本経済の影響は“ハチが刺した程度”(与謝野経済財政相)。一〇〇年に一度の世界不況という一時の反応と異なり、軽い受けとめ方である。禍袋にあたる質の悪い金融商品を、日本は心配するほどつかまされていない。あるいは世界恐慌というほどの危機ではない。いずれも世論を安定的に推移させたい意図が読みとれる。
主要国が慌てふためている姿は、政策金利の尋常でない推移にうかがえる。大本のアメリカが〇八年一二年〇〜〇・二五%、いわゆるゼロ金利を実施。FRBのバーナンキ議長は、日本が九九年二月から実施したゼロ金利を見習い、採用したという。日本、イギリス、ユーロも追随した。
これは日本がゼロ金利によって九一年〜〇五年までに企業の負担を二六四兆円減らし、家計の所得を二八三兆円減らした(「かけはし」一三年七月二二日付)よくない前例にならったもの。金融資本を救うために家計、国民生活を犠牲にした。それは今も続けられ、海外にも波及したことを意味する。
ここでもインペリアルサイクル・帝国の経済循環がはたらく。先進国と途上国では経済力と機能が異なり、FRBが三度の緩和で景気を下支え(グラフ8参照)、ドルは新興国にあふれ出し、これらの市場を過熱気味にした。FRBバーナンキ議長は、ドル安を容認し、外需による景気のテコ入れを狙った。住宅バブル崩壊のツケを海外に回す手法に、当時日銀の白川総裁がいら立ち、円売り介入を認めてもらえない故中川財務相がなげいた一コマである。
一三年五月にはバーナンキFRB議長が、量的緩和の第三段(QE3)縮小の可能性を示唆、新興国からの資本引き揚げ、通貨安、株安が起こって、ドルは勝手すぎるとの批判が起こった。
通貨が安くなれば輸入物価が高くなり、インフレになる。経済力が弱く外貨への依存が大きければ大きいほど、ドルの上げ下げによって大きな変化を受けやすい。IMFに通貨制度を四つに分類、独立性の強弱を示しているが、為替相場制度のいかんにかかわらず、資本移動が自由であれば、すでに指摘した通り、ドル通貨量の変動で金融政策が影響をうける。
株価と為替レートを棒グラフで示した変化率は、どのような国が影響を受けやすいかを示している。ブラジルのマンテが財務相は、「日米欧の中央銀行があたかも通貨戦争をしかけているようだ」と批判。
世界恐慌の際、帝国主義が自国の通貨をダンピング、貿易を有利にした先例を思い起こすまでもなく、現代は貿易と金融の自由化がすすみ、あたかもFRBが世界の中央銀行のように支配できる。
急速に成長する新興国、旧植民地諸国を、金融、貿易、技術、軍事力を背景に、国内市場と同然の影響力を行使できるのだ。外資への依存が大きい国の場合、それは機械、技術、原材料、部品、市場へのアクセスなど、産業のカギになる部品を担っているのである。
ブラジルは米国の緩和縮小発言で、通貨安とインフレを抑制するため八回連続となる利上げに踏み切らざるを得なかった。一四年二月二六日政策金利を〇・二五%引き上げ、年〇・七五%とした。足元の物価上昇率は五・五九%と目標を大幅に上回った。外国からの直接投資は、前年比一九%減の四九三億ドル(一三年)、二年連続の前年割れになった。
一三年六月のデモは、〇・二レアル(約一〇円)のバス運賃の値上げに反対、三週間で三八八都市、一〇〇万人が抗議にたちあがった。病院に行ってもきちんと治療が受けられない。
デモで国民が発したメッセージは「健康や安全、教育についての対策も、競技場と同じくらい力を入れてやってくれ、ということ、FIFA、ワールドカップに政府が競技場の建設に多額の税金をつぎ込んでいることが国民の不満、国民は基本的にいまのブラジルの経済発展を喜んでいる」(カヌート氏、世銀顧問)。
ブラジルやインドがFRBの身勝手を批判するのは、それぞれの国ごとの政策で危機を排除するのは困難だからである。IMFの分類する通貨制度にみる通り、世界は等質の国民国家で成り立っているのではない。独立的な国民経済であっても、グローバル化が進んだ今日、問題に対処する視点もまたグローバルでなければならない。
〇六年七月、メルコスル(南米南部共同市場)にベネズエラが加盟、故チャベス大統領も出席して首脳会議がもたれる。招かれたカストロ議長は“帝国主義は五〇年ともたない…”の演説。
ラテンアメリカは、アメリカの経済支配を警戒、二〇一一年一二月、キューバを加えた三三カ国で「ラテンアメリカ、カリブ諸国共同体」(CELAC)を設立した。

 BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)五カ国は、当然の流れとしてアメリカ主導の国際金融に対抗するアジア、アフリカ、途上国の経済建設をはかる「新開発銀行」の設立で合意(二〇一四年七月)新しい金融秩序が期待される。

世界共通の労働問題


アメリカ製造業の衰退は歴然であるとしても、名だたる世界企業、エクソンやデュポンなどを思い浮かべると信じがたい気がする。
そこでいささか荒っぽいが、産業競争力を単純に通貨でみると変化の大きさに気づく。一ドルが三六〇円から、七二年三〇三円、八一年二二〇円、八八年一二八円、最近は一〇〇円そこそこ。感覚のギャップが多少うすめられる。メジャー、ビッグといえば石油だけでなく、自動車のGMもそうであった。
自動車の生き残りは八〇年代からささやかれ、倒産にいたる〇九年には、グラフのように世界の自動車生産能力が四割ほど余る計算であった。GMは一一工場を閉鎖、三工場を休止におい込まれる。
政府は五〇〇億ドルの公的資金をつぎ込み、一時国有化で倒産の影響を最小限におさえるのが精いっぱい。
米欧の航空機ボーイングとエアバスを巡る摩擦も激しく、エアバスがEU加盟国の支援を受けつつ、大型航空機市場の過半を奪った。ボーイングの落日は否めない。
雇用を生む改革と注文をつけたのは、IMFのラガルドだが、足もとのユーロ圏では失業率が一二%と高止まりのままである。アメリカはリーマンショックのおり、失業者一五七〇万人、失業率一〇・二%(〇九年一〇月)。
かつて失業率五%をこしたら革命騒ぎになる、といわれたが、今は常態化したままである。組合員一五三万人と元気があったUAWは、〇四年半数以下の六五万人に減った。
雇用現場はサービス産業が圧倒的な多数になり、コンティンジェント労働とよばれる不安定、非正規が三割強を占める。日本の失業率は比較的低いが、非正規が二〇四〇万人(総務省経済センサス一二年二月)と四割をこえる。流布している少な目の統計とは一〇〇万人以上の開きがある。
みてきた帝国主義のグローバルな構造変革と共通性の多い労働問題の抜本的な改革は、まったなしである。象徴的な意味で産業用ロボットの稼働台数二〇一一年、上位五カ国をひろいあげた。
なかでも労働力が最も豊かと考えられてきた中国で、二〇〇〇年九三〇台から一一年七・四万台に急増した意味は非常に大きい。ILOが示唆している。世界の転形期を貫いて考えなければならない課題である。      (おわり)

7.26 アジ連公開講座

東京五輪・パラリンピックを考える

谷口源太郎さんとの質疑応答(上)

「スポーツ振興」という
国家戦略を斬るために


 七月二六日、アジア連帯講座はスポーツジャーナリストの谷口源太郎さんを講師に「東京オリンピック・パラリンピックを考える」を行った(谷口さんの報告は本紙8月11日号、25日号に掲載)。今号から、同講座での質疑応答を掲載する。オリンピック・パラリンピック批判のためにぜひ活用してほしい。(編集部)


なぜ「スポーツ
立国」なのか?
――「スポーツ立国」と宣伝しているが、スポーツで立国した国はあるのか。

 【谷口】
スポーツ立国として力を入れていたのが、かつての東ドイツだった。憲法の中にスポーツの振興を明記し、国民を一つにしていくと位置づけていた。スポーツを強化することを国の優先課題としていた。
歴史を振り返ると、東西冷戦構造下、社会主義国、とくにソ連はスポーツが、圧倒的に強かった。国家が選手を支えていた。だからソ連の選手に対してアマチュア違反、ステートアマと世界は批判していた。スポーツ振興も国家戦略の一つだった。
日本は、カンパニー・アマと言われた。企業が選手を社員として雇っていた。企業がスポーツを支えていた。これもアマチュアリズム違反だと言われた。これほど企業が選手を抱えている国はない。欧米の場合は、スポンサーによって選手の競技生活の生計を支えられていた。
日本でスポーツ立国を言いだしたのは、自民党の文教族だ。かつて国家予算のうち文教族が獲得している予算は少なかった。スポーツに関しては二〇〇億円ぐらいだ。それで財源を確保しようとして、自民党の麻生太郎の指令で生み出したのがサッカーくじだ。体育協会にトトカルチョについてヨーロッパに行って調べてこいと言った。とくにイタリアのトトカルチョの実例をあげて、そのシステムを導入していった。
イタリアは、国家がスポーツに一切オカネを出さない。トトカルチョの売り上げがイタリアオリンピック委員会に入り、これをすべての競技団体に分配していた。このシステムを日本に導入した。
日本スポーツ振興センターは、サッカーくじで一八〇〇億円の収入があると想定していたが、最初は全然売れなかった。だがそれなりの財源を土台にして日本のスポーツを国策として位置づけ、強化していった。
一九八〇年代、中曽根首相が、「経済が世界第二位の日本がオリンピックの成績が悪く、なぜメダルを取れていないのか」と言いだした。スポーツ界などを集めて、私的諮問機関を作り、スポーツ大国、強国を作れとハッパをかけた。諮問機関は、スポーツを強化することは日本国にとっていかに国益になるかを明確にしていった。竹下首相時代にスポーツ大国をめざせという報告書をまとめている。これが現在のスポーツ立国につながっている。
それを保障するための法律を作れ、ということになり、それまではスポーツ振興法(一九六一年)だけだったが、スポーツ議員連盟が中心になって二〇一一年にスポーツ基本法を制定した。スポーツ基本法の理念にスポーツ立国のための国家戦略としてスポーツ政策を行うことを明記した。露骨に国として国益になるようなスポーツ振興をやろうということになった。
その大きな柱が@国際的な舞台での日本選手の活躍A日本での国際的なビッグイベントの開催を通して国威発揚と経済振興につなげていくことを決めている。
(つづく)


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