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    かけはし2014.年9月1日号

治安弾圧体制強化浮き彫り


「新時代の刑事司法制度」報告案批判

盗聴の拡大、「共謀罪」創設も視野に


 七月九日、法相の諮問機関の法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」(二〇一一年六月設置)は、「新たな刑事司法制度の構築についての調査審議の結果(案)」を了承した。答申案は、取調べの全面可視化(録音・録画)の否定、盗聴法対象範囲拡大、司法取引の導入など法務省、警察官僚の治安弾圧体制強化を代弁するものとなった。九月の審議会総会で報告し、法務大臣に答申する。来年の通常国会に、刑法・刑事訴訟法等改正案と通信傍受法改正案を上程する。安倍政権は、グローバル派兵国家建設の一環として特定秘密保護法施行に次ぐ強力な「武器」として使い切ろうと狙っている。

取調「全面可視化」を否定

 特別部会は、大阪地検特捜部の押収資料改ざん・犯人隠避事件(一〇年九月)を通した検察機構の危機と社会的批判を収束するために可視化賛成・反対派の委員(裁判官、検察官、弁護士、警察、学者、民間人二六人、幹事一四人)で構成し、表面的にバランスを保ちながら審議してきた。
しかし、安倍政権成立以降、反対派(警察庁、元検事など)の攻勢が続き、事務局が全面可視化に逆行する「論点整理」(一二年三月一六日)を出してきた。容疑者の取り調べの可視化は、「裁判員裁判の対象罪名で逮捕された場合は原則的に全過程の録音・録画を義務付ける」案と、「録音・録画の範囲を取調官の一定の裁量に委ねる」案を併記した。容疑者以外の参考人については「一律に対象とする必要性は乏しい」として排除した。可視化の限定と裁量の両論併記という手法を用いながら、全面可視化の否定に踏み込んでいた。
このような反対派の抵抗に対して全面可視化派は、民間委員五人[神津里季生(連合事務局長)/周防正行(映画監督)/松木和道(北越紀州製紙株式会社取締役)/村木厚子(厚生労働事務次官)/安岡崇志(元日本経済新聞社論説委員)]が「原則としてすべての事件を録音・録画の対象とすべきである」(一三年二月)という意見書を提出せざるをえなかった。
ところが全面可視化派の必死の反撃に対して日弁連幹部は、反対派への治安弾圧体制強化である全面可視化の否定という階級的任務にもとづく恫喝に屈して、自己保身的に検察の可視化先行を取引条件にして「将来的には全事件で全面可視化」というあいまいなレベルで妥協の土俵に乗っていくのであった。
こんな「裏切り」を許せないと憤激する冤罪事件の被害者らは、日弁連に対して「全事件・全過程の可視化」を要請する事態になっていた(一四年六月一三日)。桜井昌司さん(「布川事件」冤罪被害者)は、「全事件で可視化をしなければ冤罪は防げない。日弁連が妥協すると、『全て可視化しなくてもいい』と社会から誤解されてしまう」と厳しく糾弾した。朝日新聞も「冤罪への猛省から出発した三年間の議論の結果は、妥協の産物と言わざるをえない」と批判した(七月一〇日)。
最終的に答申案は、取調べの可視化について裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査事件に限定してしまった。しかも録音・録画すれば容疑者が十分に供述できないと検察官が判断した場合など可視化の例外も認めた。このような答申案に対して日弁連は「検察・警察がともに、一定事件についてであっても全過程の録音・録画に踏み出したことは、当連合会が求める全事件の可視化実現に向けた第一歩として評価することができる」と持ち上げ、民間委員もこの流れに巻き込まれていった。
民間委員の周防正行さん(映画監督)も「対象事件は限られていても録音・録画は取り調べの全過程でなければならないんだということが法律で決まることの意味は大きいと思います」と苦々しく総括せざるをえなかった(朝日/八月二日)。
裁判員裁判の対象は、殺人・強盗致死傷・傷害致死・危険運転致死・現住建造物等放火・身代金目的誘拐などであり全事件のわずか二%程度、検察官独自捜査事件は年間一〇〇件程度でしかない。例えば、パソコン遠隔操作冤罪事件(二〇一二年)は四人がデッチアゲ逮捕(脅迫罪、威力業務妨害罪、不正指令電磁的記録作成・同供用罪などを適用)された。権力は、被害者に対して「誤認逮捕」として平謝りしただけだった。つまり、答申案が法制化されたとしても、このような事件の場合、裁判員対象外事件だから取調べを可視化しなくてもいいわけだ。だから強引な誘導尋問などが検証できず、実質的に権力の冤罪再発体質は温存されたままである。すでにデッチアゲに向けた取調べは、任意による取調べも含めてすべての事案で発生しているのであり、可視化を裁判員対象罪だけにするというのは検察・警察の冤罪再犯もやむをえないと言っているのと同じだ。取調べの全面可視化を否定する答申案を厳しく批判し、法案審議段階でも強く要求していく取り組みが必要だ。

まかり通る人権侵害


答申案の第二の問題点は、通信傍受の対象犯罪拡大だ。現行の通信傍受法は、薬物関連犯罪、銃器関連犯罪、集団密航、及び、組織的に行なわれた殺人の捜査に限られている。これに現住建造物等放火/殺人/傷害・傷害致死/逮捕監禁/誘拐・人身売買/窃盗・強盗・強盗致死傷/詐欺・恐喝/爆発物使用/高金利の貸し付け/児童ポルノの製造・提供を追加する。さらにこれまではNTTなど通信事業者施設内で立ち会いのもとに盗聴を行ってきたが、通信事業者から警察施設へのデータ伝送によってお手軽な盗聴を強行することができるのだ。
要するに対象犯罪の拡大と立会人なしの盗聴は、実質的に権力の恣意的判断でいつでもどこでも無制限に盗聴態勢を敷くことが可能なのである。公安政治警察が大喜びなのは間違いない。盗聴犯罪として有名なのが日本共産党の緒方靖夫国際部長宅盗聴事件(一九八五年)だが、この事件は警察庁警備局、いわゆる公安政治警察の裏組織の非公然司令部「サクラ」の下に行っていたことが明らかになっている。だが当時の警察庁長官山田英雄が「警察におきましては、過去においても現在においても電話盗聴ということは行っておりません」(一九八七年五月)と国会答弁し、逃げ切ってしまったが、改悪盗聴法の制定によって「公然」と盗聴しようというのだ。
法務省は、アリバイ的に二〇一三年の盗聴強行が六四件(通話の回数は計一万九三四回)だったと公表した。「傍受が実施されたのは、覚醒剤など薬物の輸入・密売や拳銃所持、組織的殺人未遂など一二事件」(朝日/一四年二月二日)と言っているが、ここには公安政治警察の非合法の盗聴などは含まれていないことは明白だ。公安の盗聴は解体だ。
答申は盗聴が「複数人が共謀する場合にだけ認められる」などと明記しているが、これまで権力がデッチアゲ罪名を被弾圧者に適用し、共謀範囲を広げて複数人を準備段階から盗聴し不当逮捕してきた「実績」を繰り返してきたことを「合法的」に行うというのだ。こんな通信の秘密、個人のプライバシーを否定した人権侵害捜査法は廃止しなければならない。

司法取引とえん罪多発

 答申案の第三の問題点は、「 捜査・公判協力型協議・合意制度の導入」(司法取引)の導入だ。捜査機関が容疑者や被告の処分を軽減することを「エサ」にして協力させる手法のことだ。すでに薬物などの組織犯罪、企業犯罪、汚職など経済事件で秘密裡に適用しているが、これを合法的に強行することをねらっている。つまり、取調官の誘導により、虚偽自白、第三者を名指しする引き込みの危険が発生することを前提にしている。また、所属組織のスパイになることを取引き条件にした処分軽減も横行することになる。
司法取引の合意には、弁護人の合意を条件にしている。取り調べの全面可視化、全面証拠開示制度が成立していない中で、弁護士はどのように事件内容を判断できるというのか。権力の誘導によって協力者となった被告人に依頼された弁護士が動員され、冤罪事件に加担する危険性があるのだ。米国の冤罪事件の一五%が司法取引によるものだったことが明らかになっている(中日新聞一四年六月二七日)。特別部会の審議では、司法取引は欧米で広く取り入れられているなどと導入根拠の一つとしているが、米国の冤罪事件発生も含めて検証し、合理的な必要性を提示した形跡がない。冤罪大量生産に導く司法取引制度に反対していかなければならない。

東京五輪を契機に


自民党の脇雅史参院幹事長は、答申案に便乗して、「共謀罪」創設と組織犯罪処罰法の改正など関連法案の提出を急ぐべきだと表明した(七月二二日)。菅義偉官房長官は「慎重な上にも慎重に検討していくべきだ」と述べ、「火消し」に回った。だが、司法改悪のうえで共謀罪を制定する魂胆を明らかにしたに等しい。
特別部会の審議段階で法務省、警察庁関係者が熱心に求めていた「会話傍受の導入」を答申案では見送った。露骨な住居侵入罪の成立、プライバシー侵害だから、とりあえず引っ込めたにすぎない。権力にとって住居や車両内への秘匿による監視機・盗聴機の設置を合法化することも絶対に必要な捜査手法の一つなのだ。盗聴法改悪の延長に共謀罪とセットで「会話傍受の導入」を狙ってくる。特別部会では「対象犯罪が犯されたことを疑うに足りる十分な理由、他の方法によっては犯人を特定し又は犯行の状況等を明らかにすることが著しく困難であることを令状発付の要件とするものとする」というフリーハンドで監視機・盗聴機を設置することができるなどという意見も出ていたほどだ。答申案は「今後の課題」で(「会話傍受の導入」が)「証拠を収集する上で必要であり、理論的にも制度化は可能であるとの意見があった一方で、……認めるべきでないとして制度化自体に反対する意見があった」と両論併記したが、時期を見計らって再浮上させるつもりだ。
東京オリンピック治安弾圧キャンペーンを煽りながら繰り返し悪法制定を狙ってくる。今後も厳しく監視し、その意図を社会的に暴露し阻止しなければならない。(遠山裕樹)

コラム

「二〇二五年問題」と介護労働

 

 昨年、二週間ほど入院するはめになった。そこで、「食べて出す」という最も基礎的な行為がままならない人がこんなにもいるのか、と驚かされた。そして今年、知人の孫娘が准看護師になった。早朝から病院で働いたあと定時制高校の看護学科に四年間通って得た資格だ。「このごろ、ウンチやオシッコを汚いと思わなくなったのよ。患者さんの一部だからね」という彼女の言葉を聞いたとき、その成長ぶりに涙がこぼれそうなほど嬉しかった。なんだかんだで、医療も介護も「人間の尊厳」を最後のところで守る仕事だと痛感させられたわけである。
 ところで、今、これまでの医療・介護体制では対応できなくなるとして、「二〇二五年問題」が浮上している。この年に団塊の世代が七五歳以上になるからだ。そこで、病院・開業医・介護施設を「切れ目」なくつなぐさまざまな準備が進められている。
 とはいえ、そもそも医療保険と介護保険という「切れ目」がある。同じ人でも、医療保険を使えば「患者様」、介護保険を使えば「利用者様」と呼ばれる。まるで別人のようだが、多くの人は、病院に入院中は非日常の従順な患者を演じるし、退院して在宅になれば、日常生活の中での介護サービス利用者となる。
 医療の世界は、看護師や臨床検査技師などありとあらゆる職種の人たちが、医師を頂点とするヒエラルキーのもとで仕事をしている。だから、医療の世界がそのまま「切れ目」なく介護の世界に持ち込まれれば、介護労働はそのヒエラルキーの最底辺に置かれかねない。
 一四年前に介護保険制度がスタートしたとき、介護労働者は五五万人だったが、六年前には一二八万人に倍増した。二〇二五年に必要になるのは、二一〇万人とも二五五万人とも言われる。かつて「介護」という新しい「産業」が雇用の場を創出すると鳴り物入りで騒がれたことがあったが、たしかに数字のうえではそういえる。
 ところが、介護福祉士の有資格者の約半数が介護労働に従事していない。ケアプランの作成業務などに携わる介護支援専門員(ケアマネジャー)は、医療職と介護(福祉)職ほぼ半々で発足したが、現在、この資格で働いている医療職は皆無に近い。医療と介護で報酬が違いすぎるからだ。その差は五対一と言う人もいるが、それ以上かもしれない。自治体ではケアマネジャーのパート雇用もしているが、その月収は手取り一七万円前後という。介護労働の現場を支えているのは訪問介護員(ホームヘルパー)だが、非常勤で働くホームヘルパーの四割は、月収五〜一〇万円程度だ。
 このように、過酷な労働環境と低賃金のため、新しく入った一〇〇人の介護労働者のうち三〇人近くが二年以内に辞めている。そのため、この「産業」では慢性的な人手不足に悩まされていて、過重労働の悪循環から抜け出せないでいる。
 苦労して資格を取得したさまざまな有資格者たちの多くは、事実上のストライキをしているのではないか。介護労働者の労働環境と低賃金を大幅に改善しない限り、「もの言わぬストライキ」は続行され、重心を病院から在宅に移すとされる「二〇二五年問題」の取り組みは、大きな空洞を抱えたままになる。  (岩)


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