資本主義の現状をどうつかみとるか(上)
グローバルな危機に立ち向かうために
くどう ひろし
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虚栄のニューエコノミー
かつてクリントン米大統領は、二〇〇〇年年頭教書で、「我々はすでにニューエコノミーを築き上げた」と宣言した。
前の年、マイクロソフトなどニューエコノミー株が株式時価総額ランキングの上位一〇社の中に四社も入る浮上ぶりであった。物価の安定、低失業率、景気の拡大は一〇七カ月目をむかえ、アメリカ経済に景気の循環はなくなったという。資本主義ではなくなったのかのようだ。
特に一九九五〜九八年、コンピューターや情報通信産業の国内生産への寄与率が二一〜三一%に達した。FRB(連邦準備委員会)前議長ボルカーは、ハイテク株のカジノ化、技術幻想だとして宣言を真に受けなかったが、情報革命の指導権を握ったアメリカ経済の高揚を感じさせる一瞬であった。
三年後はハイテクバブル崩壊となるが、間に九・一一というTV画像上の出来事と見紛う事件があっただけに、情報、コマーシャルと現実との識別が怪しくなる。情報の怪しさ、軽さに驚かされるが、それが味方になって「不動産を含めた金融センターの国内総生産が、九〇年代半ばまでに製造業を上回ったのだ。株式市場が経済社会の中心を占め、次々に生み出されたデリバティブ(金融派生商品)がバブルを加速させた。製造業セクターの一員になりたがり、拡大する株式市場の恩恵を得ようとした。
金銭的な誘惑に駆られたCEOは、強大な権限で社外取締役や報酬委員会のメンバーを動かし、株価に自らの報酬を連動させる仕組みを作った。目先の利益の増大が最大の目的になった。八〇年に高額報酬を得た上位一〇人の平均額は三四〇万ドル(約四億五〇〇万円)だったが、その後の二〇年間で四五倍の一億五四〇〇万ドルに急増した」(ケビン・フィリップス司法長官顧問)。
今も昔も「急速に発達しつつある大都市の近郊での土地投機もまた、金融資本のとくに有利な業務である。銀行の独占は、この場合、地代の独占および交通機関の独占と融合している。なぜなら、地価の騰貴、土地を有利に分譲する可能性、等々は、なによりも都心との交通の便のいかんにかかっており、しかもこれらの交通機関は、参与制度や取締役の地位の割当てによってさきの銀行と結びついている大会社の手にあるからである」(レーニン「帝国主義論」)。
百年前の指摘が、矛盾の先端では今もそっくり再現されている。そんな中、六年連続米国で最も革新的な企業に選ばれたのが、エンロンである。
エンロン危機の本質
エンロン社は、パイプライン会社、光ファイバー通信事業オンラインの電子商取引市場など、次々に展開、株式時価総額の極大化を目指した。ニューエコノミーを旗印に九〇年代世界経済で一人勝ちした米市場経済の象徴とみなされた。
一七年で全米七位にのし上がった巨大企業は、電力、ガスで国内の四分の一を取り扱い、規制業種だった電力の自由化を推進、ITによる投機の対象にし、毎年五割増の売り上げを記録、カリフォルニア州の電力価格操作、故意に過剰供給をたくらみ、その解消料をせしめる手法、関連のペーパーカンパニー二八〇〇社を駆使して、簿外取引、債務を簿外に移す、インサイダー取引、監査法人アンダーセンぐるみの価格操作、不正会計という無法ぶりである。
上下議員七五%に献金、ブッシュ大統領の就任に四一万ドル、政治の商品化と言われた。ストック・オプション、会社に貢献した個人、機関にその報酬としてあらかじめ定められた価格で認められる会社の株式購入権、会社の利益を操作してオプションを現金に換える間だけ好業績を演出、株価の急騰でけたはずれのもうけを手にできた。
逆に株価対策として確定拠出年金で、自社株への投資を勧め、エンロン株に集中投資させられて、年金資産をふいにした従業員が続出。“年金資金の一三〇万ドルを全部失った。自社株への投資が紙くずになった”――退職老人のうめくような声。
破綻直前、幹部社員五〇〇人に、五五〇〇万ドル(約七四億円)以上の賞与を支払った。一人の賞与として最高は五〇〇万ドル(六億七〇〇〇万円)、「何百人もの元社員が退職金なし、一部の幹部だけが破綻直前、多額の賞与を受けとっていたのは許せない」(AFL・CIOのナスバウムさん)。
ドイツのエネルギー大手フェーバとの合併が浮上した際、エンロンの株式資本に対する負債比率は五四・一%(公表ベース)、実際は七五%に上るとみて、フェーバ側は合併を見送った。アンダーセン、SEC(アメリカ証券取引委員会)の責任が問われる。
「エンロンの問題は固有の問題であり、システム全体の問題ではない」シティーグループのワイル会長は煙幕を張ったが、実相は想像以上である(日経、〇二年三月一九日)。
「アメリカ資本主義の問題をあぶり出した。特殊ではない。同じような問題をかかえる企業が沢山ある」前SEC委員長アーサー・レビット氏。
「貪欲と欺まんの上に築いたもろいトランプの家だった」リーバーマン上院議員。
一時的といってみたところで、アメリカ社会が生み、賞賛した事実は消えない。大型破綻を資産規模ベースでみると、ワールドコム一〇三九億ドル(〇二年七月)、次がエンロン六三三億ドル(〇一年一二月)、以下石油のテキサコ、金融、通信と続く。エンロンと同じような問題をかかえる企業が沢山ある、と指摘される通り、最大のワールドコムはアンダーセンがらみの不正も共通している。
倫理の立て直し、否、利害の問題として取り組むべき、云々はあるが、生産、流通を通して社会に寄与するはずの経済が、もはや体をなしていない。
製造業はどう対応したか
ニューエコノミーが話題になる以前、アメリカ産業の看板だったGM、GE、IBMは、社内で一貫生産する垂直統合の生産構造をもっていた。GMは全部品の七割を社内で製造、高い内製比率をほこった。
折から貿易の自由化、情報技術の進歩にともなって、海外の子会社、提携企業からの部品、完成品のOEM(相手先商標製品)輸入を増やした。ダウンサイジング、情報システムの発達によって、外部に委託するアウトソーシングが便利な経営戦略になった。外部化、分社化である。安価、良質な労働力と市場を求めてアジア、中南米、EUに進出した。
ILOレポート「マイクロ・エレクトロニクスの衝撃」は八〇年代に一般化し、多くの課題を積みかさねてきた。エレクトロニクス、コンピュータ、通信技術の三つが組みあわさって、すべての機械、生産工程が最終的につくり変えられる。IC(集積回路)は、あたかもそれらを結合する触媒のような役割を果たしてきた。
「失業を抱えた社会から、現在の労働条件のもとで必要な財やサービスを生産するのにすべての可能な労働力をもはや必要としない社会へと移行しつつあると思われる。早期退職や労働時間短縮のような手段をとっても、あるいはまた、小規模な企業を設置し新しい製品やサービスを開発したとしても、雇用の開拓に大きな影響を与えるかどうか疑わしい。とはいえ、このような移行に付随して生じる教育、文化、社会的ニーズを満たすこと、あるいは慣習的抵抗から、いくつかの分野での雇用の開拓にはつながるだろう。この種の移行は、人々が新しいライフ・スタイルに適応していくまでの間、混乱を避けることはできないだろう」。
「新しい仕事の手順、疎外感、健康を害する要因などによって、労働条件も変化するだろう。健康を害する要因としては、たとえば端末機ディスプレイのスクリーンを長く使用することがあげられる。さらに、企業構造や労働力の大きな部分を占める技能レベルに重大な変化が起こるだろう。従来までのブルーカラーとホワイトカラーという区別は少なくなっていくだろう。この変化によって、長期的に労働組合の構造や社会的可能性のパターンも修正していかねばならない。そして、もっとも重要なことは、多くの人々が長期あるいは全く雇用されない状態となった場合、その社会に与える影響と所得分配の問題であろう」(ILOレボート、同前二二六頁)。 これらの内容はすでに過去形であり、進行形である。
鉄鋼、繊維、靴など伝統的産業が衰退、サービス産業が雇用の七五%に達する中で、マイクロ・エレクトロニクスに背中を押されて製造業もアメリカ本国の人員を削減、東南アジアなどの子会社の人員を増やした。八〇年代を通じて製造業の雇用よりもサービス業、公務員の雇用が上回った。企業は低利で国内から資金を集め、海外投資に回した。国内の生産と雇用の縮小を加速させた。
アメリカの日本からの輸入は、液晶パネル、VTR、高級乗用車、工作機械、産業用ロボットなど、日本叩きをやっても、対日赤字は五分の一しか減らないといわれた(アメリカ連銀試算)。
九〇年代に入ると、流れは業種をこえ、企業、労働市場の姿を大きく変えた。開発、生産、販売を一社ですべてこなす総合企業は急速に時代遅れとなり、それぞれの機能に特化した専門企業が台頭してくる。一〇年前まで米労働者の三割を雇用していた五〇〇大企業は、一〇%余の雇用に縮小した。委託元の企業から転籍する労働者が万人単位でふくらみ、大企業の解体を促し、技能重視へと変化する。
とはいえ、原点には海外の低賃金労働を雇用するうまみがある。NAFTA(北米自由貿易協定)によって、企業の生産拠点をメキシコに移すと、賃金が米国の八分の一、雇用はメキシコに移る。UAW(全米自動車労組)のビーバー委員長は“GMにとっていいことが、米国にとっていいとは限らない”と一二万人の雇用を気づかった。ほかにも車の場合、外貨規制や保護政策がなくなる。
劣位に立たされたアメリカ製造業の労働市場再編、組合が獲得してきた既得権の解体、労働者が仕事の奪いあいほしないように三〇以上もあった職務分類を四つに合理化、生産ラインのスピード変更を組合との協議なしで実施――労働者が雇用の確保におわれて賃金の低迷に甘んじ、争議が減少、ニューエコノミー云々は、おしなべて従順な労働側に向けられた言葉にきこえる。
レーガンの帝国循環
アメリカを宇宙、軍需産業、資源エネルギー、化学、医薬品など総合力でみると、依然ぬきん出ている。レーガンにはそうみえた。
GNPの大きさ、政治、軍事の強さ、金融資本を主軸にした世界秩序の確立、威信の回復、米金利が低下し始めた八四年秋、ドル相場は予想に反してさらに上昇、人々をおどろかした。ドル高は既成の理論や概念を否定、ほとんど非合理だ、という専門家もいた。
アメリカ金融資本が主役であり、西ヨーロッパ、日本はそれによりそってのみ成りたつ。OPEC(注)の独自なふるまいはおさえ込む。その他の途上国はあてがい扶持にあまんじる他はあるまい。
アメリカは政治的な指導権を背景に対ソ交渉にのぞみ、中距離核戦力(INF)全廃条約の調印にこぎつけた。
レーガン政権の思惑がはっきりする以前に、イギリスのフィナンシャルタイムズ紙は、レーガンの経済政策をインペリアルサイクル、帝国循環と名づけていた。
財政赤字で高金利を維持、高金利が資金の流入を招く、一方、設備投資減税、個人所得減税などの財政政策が景気を回復させる。景気回復と高金利がドル相場を高くする。さらにドル高が輸入を促進し、インフレを鎮静化させる。首尾よくおさまったように見えて、大きく浮かびあがったのは製造業の停滞であった。
(つづく)
(注)OPEC・石油輸出国機構:一九六〇年バグダッド会議で結成。イラン、イラク、サウジアラビア、クウェート、ベネズエラの五カ国(七七年一三カ国)が、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスの国際石油資本と対抗する関係になる。メジャーの一方的な支配から生産、価格の決定権を取得。販売するカルテルに成長、原油生産シェア五六%、植民地にされていた地域の主権回復、ベトナム解放闘争の勝利と影響しあう。
OPECの結成に連動して、国際天然ゴム協定、国際ココア協定、国際コーヒー機関、国際砂糖協定、国際すず理事会など、資源カルテルの全盛だが、まき返しに苦しめられる。“途上国の甘えを許さない”(サッチャー)。
8.9〜10台風をついて山谷夏祭り
広がる協力、強まる連帯
外国人観光客も踊りの輪に
被曝労働者や
沖縄と結んで
八月九日、一〇日の二日間、山谷夏祭りが行われた。あいにくの台風上陸ということで、開催が危ぶまれたが、実行委員会に結集した、労働者や支援者の熱意で二日間の祭りをやりきった。
九日、午前一一時に山谷労働者福祉会館に集まった仲間たちは、夏祭りの開催について協議を行った。結果、台風の雨や風に注意しながら、盆踊りのヤグラや、照明などの設営を進めるということで、慎重論を押さえ、決行と決定。
小雨になったところをついて玉姫公園に物資を運び込み、設営を開始。時おり小雨が降るものの、なんとか設営を終え、共同炊事を開始したとたんに本降りとなってしまう、だがその後、ひとさじの会のお坊さんによる追悼のお経が始まると雨もやみ、この日はカラオケ、仙台のフォーク歌手苫米地サトロさん、ジャズサックスのMASAさん、そして最後の盆踊りまで雨が降ることはなかった。
祭りはいつものように、アルミ缶の相場よりも高い価格での買い取りと、五〇円の金券との交換も行われ、五〇円均一価格の屋台には山谷周辺で活動している団体だけではなく、沖縄・高江のオスプレイ配備の反対に連帯して東京で活動している、ゆんたく高江や、福島・被ばく労働者とつながろう有志による福島会津の郷土料理「こゆず」など、様々な団体の協力があった。
クライマックス
は豪雨の中で
翌一〇日は午後二時に玉姫公園に結集。前夜に台風が上陸している状況で、直ちに撤収を開始するか、それとも祭りを強行するかが話し合われたが、やれるところまでやろうという声が多数を占め、早速準備開始。
前夜の台風で吹き飛ばされたテントや屋台の補修を行い、共同炊事のカレーライスの野菜や肉を切る。そして開始時間の迫った頃、今回初めて参加してくれたブラスバンド、ノラ・ブリゲードが公園を出発。この団体は反原発のデモなどで音楽やパフォーマンスを行っているとのこと。この日はドヤ街を回って夏祭りを宣伝した。ドヤからは仲間が顔を出して手を振り、地域の子どもたちが後をついてくるなど好評だった。
前日と同じ様に共同炊事で祭りを開始。ステージは苫米地サトロさんから、前夜も歌ってくれたが本当の出番はこの日、宮城県で自らも被災し、その後、新曲を作るまでに三年かかったと言う。前の日からドヤに泊まって参加してくれた。
続いて夏祭りには何回も参加しているジンタラムータ、今年はボーカルのリクルマイさんがゲストで参加。だがここまで降ったり止んだりを繰り返していた雨が急に激しくなっなり、土砂降りとなる。
ステージの最後は缶カラ三線の岡大介さん。演歌などを中心にしたステージだが最後はジンタラムータやノラ・ブリゲートなども参加しての炭坑節、そのまま盆踊りに突入し、やぐらを中心に踊りの輪が出来る。ドヤに滞在している外国人観光客なども加わって、雨の中を踊りまくって今年の夏祭りのクライマックスとなった。
この日のうちに撤収作業を終え、無事、事故もなく今年の夏祭りを終えた。(板)
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