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    かけはし2014.年8月25日号

女川から未来を考えるつどい


8.10加藤登紀子さん・小出裕章さんの歌とトーク

1500人の参加で希望をつなぐ


 【宮城】「大震災から三年五カ月、女川は八二七人の死者・行方不明者を出し、町の七割が被災し現在復興中です。今日、離島や半島の浜から参加予定の住民は、台風で船が出せず参加できませんでした。被災した原発を抱え、どんな未来を考えるのか。今日、女川に来て、集会に参加して、見たこと、聞いたこと、感じたことを持ち帰って活かして頂きたい」。
八月一〇日、半年に渡り、中心になってつどいを準備してきた実行委員長の阿部美紀子女川町議は高揚した気持ちで開会のあいさつをした。

復興にとって
原発は足かせ
女川は流されたのではない
新しい女川は生まれ変わるんだ
人びとは負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために
(女川の小学生の詩)
市街地の七割を破壊された女川町。津波浸水地域は七メートルの嵩上げの工事中で、復興公営住宅は一部完成したものの、高台の復興団地造成工事も端緒についたばかりである。
遅々として進まない復旧・復興、止まったままの鉄道、原発の再稼働の動き(二〇一三年一二月女川原発2号機の適格性審査を申請)のなかで人口流出(減少率二八%)と高齢化が進み閉塞感が漂っている。しかし、その一方で、「小学生の詩」のように、女川をどのような未来に導くのか、一〇〇〇年後の未来を考える若者もいる。 
自宅を津波で失い仮設住宅から脱原発を掲げ、震災の年の二〇一一年一一月、女川町議選に立候補して初当選した阿部美紀子さんは、「町を再建するのに原発こそが足かせになる。再稼働に多くの町民が不安をもっている。震災で原発が止まっている今こそ、原発依存から脱却する絶好のチャンス」と訴え、一人で手書きのチラシを作っては仮設住宅をはじめ女川町内に配って回っていた。
その活動を支えようと近隣の市や町から有志が集まり、この閉塞した状況から抜け出す取組みを模索し、「女川の現状を知ってもらい、女川の人々を忘れないでほしい。女川に多くの人が集まる企画をしたい」と、「女川から未来を考える会」を立ち上げ、加藤登紀子さんと京都大学原子炉実験所の小出裕章さんを招いたトーク&ライブを開催しようということになった。
小出さんは学生時代(東北大)、女川住民に女川原発を受け入れないように活動してきた。闘いの原点でもある女川への思いは強い。
被災した方々が一人でも多くつどいに参加できるようにチケット代を一〇〇〇円にし、仮設住宅へのチラシ入れや全国に賛同と支援を呼びかけながら準備を進めてきた。

危険と引き換え
の選択ではなく 
当日は、台風の接近で最悪の大雨。しかし強風と大雨に打たれながらも県内をはじめ全国から一五〇〇人の参加があり、女川原発反対運動にとって歴史的かつ感動的なつどいになった。
小出さんは「原子力発電と女川の復興」と題した講演を行った。福島第一原発事故による放射能汚染の実態を解説し、事故は残念ながら収束していないこと、原発事故被害者は避難すれば生活や家庭が崩壊し、心が潰れる(去るも地獄)、汚染地に残れば被ばくにより身体に傷がつく(残るも地獄)、という苦しい選択を突き付けられていること」を指摘した。
女川の復興に関しては、「大学時代女川に住んで原発に反対するビラを浜々の一軒一軒に撒いて回ったこと。女川漁協が一〇〇億円で漁業権を放棄して原発が建てられ、膨大な補償金や裏金で町は潤ったこと。福島第一原発の立地町である大熊町や双葉町と同じであるが、それらの町は今や無人となったこと」を示し、「三・一一で女川は壊滅的な被害を受けた。大熊町や双葉町は放射能で汚れ復興できないが、女川は必ずや復興できる。危険と引き換えのカネに頼るのではなく、豊かな海とともに」と女川をはじめ被災地の復興に思いをはせた。

地元の人々の
願いをこめて 
小出さんの講演に引き続き、女川町の高校生や漁業者、近隣の農業者、母親、住民もマイクを握り、「原発に頼らない街づくりを第一に考えたい」と話していた。震災の時小学六年生だった高校生は、女川中学校時代に取り組んだ「いのちの石碑プロジェクト」について発言し、「地震が来たら石碑より上に逃げるよう呼びかけ、逃げない人がいたら引きずってもいいから逃げさせること」と一〇〇〇年後の未来の人々にも伝えていく活動を紹介、「私たちも女川の復興や未来に貢献できるように頑張りたい」と語った。
女川の漁業者は、「将来地震がきても安心、安全に生活できる町を第一にしていきたい」と語り、原発に頼らない町づくりを呼びかけた。近隣の住民の発言では、環境省が進めている「指定廃棄物最終処分場建設」の候補地になっている宮城県北西部の三市町の反対運動を紹介し、「原発から出たゴミは発生者責任として政府と東電が責任をとるべきだ」と発言し、全県の住民の運動で建設を止めていこうと呼びかけた。
加藤登紀子さんは、女川体育館の中央に設置されたステージ(登紀子さんは「リング」と呼んでいた)でトークを挟みながら、三・一一の大津波で被災した松島湾に浮かぶ「桂島」の風景や想いを歌った「わせねでや」(東北の言葉で、「忘れないでね」)をはじめ、一〇曲を超える歌を披露。戦争のこと、お連れ合いとのこと、震災や福島第一原発事故への思いなどを率直に語り、このつどいへの思いや意気込みを感じるものであった。観客と一体となったライブに参加者一同が感動に包まれた。
このつどいの成功を、女川原発の再稼働を許さない力に変えて行きたい。(M/石巻)

8.8福島原発告訴団が東京行動

検察は強制捜査・起訴を行え

東電は汚染水を海に流すな!

 八月八日、福島原発告訴団は「検察は起訴せよ!」8・8東京地検要請&東電打ち水行動を行った。この日の行動は、七月三一日の東京第五検察審査会による三人(勝俣恒久元東電会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長)への「起訴相当」、一人(小森明生元常務)への「不起訴不当」の議決を受けて、東京地検に対し「徹底した再捜査と起訴」を求め、さらに東京電力に対して「汚染水を流すな」と訴えるものだった。

東京検察審査会を
徹底的に追及
一二時に東京地検前に集まった告訴団の仲間は、地検に「厳正な再捜査と起訴」を求める集会を開催。告訴団長の武藤類子さんは「三人を起訴相当、一人を不起訴不当とした七月三一日の東京第五検察審査会の議決書は、実によく調べたものであり、徹底した議論の末に出されたものだ。起訴相当という判断は一一人の委員のうち八人以上が賛成しないと成立しない。検察審査会の委員となった方の決断に感謝するとともに、ようやく一つのヤマを越えたという思いだ」と語った。武藤さんは、午後一時に東京地検と会い、上申書を提出すると紹介した。
海渡雄一弁護士は、大飯原発運転差止め訴訟の勝利判決が今回の議決に影響を与えたことは間違いない、と指摘し、検察に提出する上申書では徹底した捜査とともにあくまで検察が起訴すべき、ということを訴えると説明した。「検察の再度の不起訴→審査会での起訴相当の再議決→強制起訴」というやり方では、それを行える弁護団の体制をつくることは事実上不可能であり、あくまで正規の裁判を東京地裁で開かせることが必要だ、と海渡弁護士は強調した。
最後に、告訴団副団長の佐藤和良いわき市議が、「東京地検がその名において起訴しなければならない」と東京地検に迫った。
なおこの日提出された東京地検宛の上申書では以下の四点を訴えている。「1 検察官は東京電力に対して直ちに捜索を含む強制捜査を実施すべきである。2 検察官は、被疑者勝俣、武黒、武藤、小森について再度取調を行うべきである。3 検察官は、十分な捜査を行うために検察審査会法四一条の2第2項に基づき、再捜査の期間について延長を必要とする期間(3カ月が適当であると思料する)とその理由を通知するよう求める。4 検察官は、検察審議会の議決に示された市民の良識に耳を傾け、不起訴の判断を見直し、被疑者勝俣、武黒、武藤、小森について起訴せよ」。
「不処罰」ですまさない運動をさらに強めよう。

東電の犯罪を
徹底的に追及
道路の渋滞に巻き込まれて東京地検前の集会に参加できなかった福島からのバスでの参加者も合流して、東京電力本社前で、午後から「打ち水」行動が行われた。「汚染水」とペットボトルに書かれた水道水を「打ち水」して、「東電は責任を取れ」「汚染水たれ流しをやめろ」と訴えるとともに、避難者から切実な要求と怒りのアピールが続いた。
なお福島原発告訴団が、東電の汚染水放出を刑事告発してから一年が経とうとしている中で、八月二七日には、海の放射能汚染を止めさせるために、福島県警に東電の犯罪への厳正な捜査・起訴を求める「福島県警激励行動」が呼びかけられている。(八月二七日12時:福島駅東口集合、12時半:デモ出発、13時:福島県警に上申書提出、隣の公園で参加者スピーチ・交流集会)
福島現地の闘いと結び、全国で東電の責任を追及する運動を強めよう。 (K)


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