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    かけはし2014.年8月11日号

「領土紛争」に反対する民衆連帯を


対中包囲網構築と「集団的自衛権」キャンペーン

戦争国家への「安倍外交戦略」にNO

平和へのイニシアチブを共同で作りだそう


「武器輸出市場」の開拓も


 安倍首相の「地球儀俯瞰外交」は、アジア、中東、アフリカ、欧州、オセアニア、南北アメリカと、まさに全世界をまたにかけて精力的に展開されている。それが、世界ナンバー2の経済大国にのしあがった急激な成長をバックにする中国の世界的な外交戦略に、日本が大きく後れを取っている現実への強烈な危機意識からなされていることは言うまでもない。安倍が訪問していない主要国は、隣国である中国と韓国だけだ。
 安倍の外交戦略の本質は、「積極的平和主義」の看板を掲げて「集団的自衛権」行使容認閣議決定の意義を打ち出し、アメリカの「同盟国」として「中国の軍事的脅威」に対抗するブロック形成を図ろうとするところにある。「集団的自衛権」容認の閣議決定の直接的目的は、「軍事的役割分担」を積極的に担い得る「同盟国」としての姿を米国にアピールし、「中国包囲」の陣形を作り上げることを確約し、今年末の日米ガイドライン改定にそれを反映させることにあった。
 南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)、西沙諸島(パラセル諸島)の領有権、石油資源開発をめぐる中国とベトナムの船舶激突を契機に、ベトナムで激しい反中国デモが起こった直後、五月一〇日、一一日にビルマ(ミャンマー)の首都ネピドーで開催されたASEAN外相会議、首脳会談では、名指しはされなかったものの中国の挑発的行動への「重大な懸念」が表明された。
 五月三〇日、シンガポールで開催された第一三回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で基調講演を行った安倍首相は、「南シナ海における紛争の解決」にあたってのフィリピン、ベトナムの立場を支持するとともに、「現状の変化を固定化しようとする動き」は「強い非難の対象」であるとして、中国を批判した。
 ここで注目すべきは、安倍がフィリピン、インドネシア、そしてベトナムへの新造巡視艇の供与を誇示するとともに、「日本の優れた防衛装備」の提供が、新しい「防衛装備移転原則」(すなわち武器輸出の解禁)の下で可能になったと語り、「ODA、自衛隊による能力構築、防衛装備協力など、日本がもついろいろな支援メニューを組み合わせ、ASEAN諸国が海を守る能力を、シームレスに支援してまいります」と宣伝していることである。
 すなわち「積極的平和主義」を掲げた「中国包囲網」形成のための安倍の戦略は、同時に「武器輸出市場」の開拓という意味を持っているのだ。

日米豪の軍事的連携

 「集団的自衛権」行使容認を土台にした、安倍政権の対中包囲外交が最も露骨な形で示されたのは七月七日から一一日までの日程で行われたニュージーランド、オーストラリア、パプア・ニューギニア訪問だった。とりわけオーストラリアのアボット首相との間での「日豪共同声明」は、日米豪三カ国による同盟関係の強化と、中国に対する牽制・抑止を確認するものとなった。
同共同声明では、日本とオーストラリアとの「特別な関係」を強調するとともに、アボット首相が安倍首相による「集団的自衛権の行使を含む安全保障枠組みの再構築」への支持を表明した。また安倍とアボットは、自衛隊と豪軍が互いの国で活動する場合、事故や犯罪に巻き込まれた場合の法的扱いを決める「訪問部隊地位協定(VFA)」締結を協議し「日豪の防衛装備品技術移転協定」に署名した。さらに共同声明は「米国のリバランス(アジア太平洋重視政策)」を強く支持し、「アジア太平洋における法の支配の促進の重要性を強調し、力の使用または強制による東シナ海および南シナ海の現状を変更するいかなる一方的試みにも反対した」という表現で、中国の領土拡張主義への批判を鮮明にしている。
こうして日米豪の対中国の戦略的同盟関係は、安倍内閣の「集団的自衛権」行使容認と今年一二月の日米ガイドライン改定を契機にして、さらに打ち固められていくことになる。また八月下旬に東京で行われるインドのモディ首相との首脳会談では、南シナ海、インド洋、中東を結ぶシーレーン防衛活動の一環として、海上自衛隊とインド海軍との共同演習の強化が確認されることになっており、九月に予定されている安倍首相のバングラデシュ、スリランカ訪問によって、インドへの対抗上中国との関係が深い両国との関係を築き、現状にくさびを打つことも構想されている。
こうして「集団的自衛権」行使容認の閣議決定を行った安倍政権は、そのための関連法案作成以前に、精力的な外交活動を通じて、その実体化のための布石を打っていることに注意すべきだろう。
そして、中国を「仮想敵」とした合同軍事演習が米日豪を軸にフィリピンなども組み込んで展開される場合、現在、フィリピンと米国、オーストラリアの間で締結されている基地使用協定(フィリピン軍の基地を半ば恒常的に米国、オーストラリア軍が使用する協定)がフィリピンと日本との間でも締結される可能性が出てくるだろう。そうした交渉はすでに進められている(加治康男「中国の海洋進出と日比軍事連携への道」、『世界』2014年7月号参照)。

南沙・西沙紛争と植民地主義


安倍政権による国家安全保障会議設置、新防衛計画大綱、「集団的自衛権」容認の閣議決定など、「戦争する国家」に向けた一連の攻勢は、中国の「海洋戦略」・資源戦略に基づく「拡張主義」的路線を絶好の口実にして推し進められている。
われわれはこの問題を検討する際、日本と中国との東シナ海における「領土紛争」(尖閣諸島=釣魚諸島)、そしてフィリピン、ベトナム、ブルネイと中国との南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)、西沙諸島(パラセル諸島)をめぐる「領土紛争」の歴史的性格については区別して考える必要がある。
尖閣(釣魚)諸島をめぐる領土紛争は、明治国家による琉球王国の併合とそれにつづく侵略戦争としての日清戦争の戦後処理=台湾の植民地支配に至る経過の中に歴史的起源を持っている。尖閣の領土的帰属は、最終的には日清戦争によって台湾を日本が植民地化することで確定された。もともと尖閣諸島が「歴史的にも国際法的にも日本固有の領土である」という政府の公式見解は成立しない。
他方、南沙(スプラトリー)諸島・西沙(パラセル)諸島をめぐる領有権紛争の起源は一九三〇年代である。最初にリン鉱石資源に目をつけて、南沙諸島の幾つかの環礁の領有を宣言したのは、当時インドシナを植民地支配していたフランスだった。次に同じく鉱物資源に目をつけて幾つかの島の領有を宣言し、「新南群島」と命名して台湾の高雄市に編入したのは、当時台湾を植民地支配していた日本だった。
第二次大戦後、日本帝国主義の敗北によって南沙・西沙諸島の領有権主張を引き継いだのは中華民国(蒋介石の国民政府)、独立を達成したフィリピン、そして南ベトナムだった。中華人民共和国による領有権の行使は、一九七四年当時の南ベトナム政権との戦いの中ではじめて行われたものだった。
「フランスの領有宣言には当時の中国政府も抗議した。フィリピンを植民地にしていた米国も周辺で測量活動を行っていたというから、多国間の領有権争いに発展する種は八〇年前にはまかれていた」「日本は日中戦争さなかの一九三八年一二月新南群島の領有を閣議決定し、台湾総督府の管轄とした。さらに海南島を占領し、仏領インドシナに進駐して南シナ海を支配下に置いた。戦後に南沙や西沙を接収したのが中国だった。中国が領有権を主張する背景にも日本が関係しているわけだ」(毎日新聞六月七日、坂東賢治「外事大事」欄「南シナ海の波高し」)。
同コラムは「日本もかつては力で新秩序を作ろうとした。むしろ、こうした過去の歴史に向かいあうことが国際法を盾に中国に対する上で日本のソフトパワーになるのではないか」と結んでいる。「ソフトパワー」云々は別にして、この南シナ海問題に関する日本帝国主義の責任を含めた歴史的経過の指摘は重要である。

中国の「海洋戦略」に批判を


われわれは、その上で南沙諸島、西沙諸島をめぐる中国、台湾、ベトナム、フィリピン等の紛争の激化が、中国政府のきわめて強引な力による「既成事実化」という戦略によってもたらされ、そのことが海洋での「主権」をめぐる軍事的緊張を高めていることを明確に批判する必要がある、と考える。
五月一三日にビルマ(ミャンマー)の首都ネピドーで開催されたASEAN首脳会議は、二〇〇二年に中国とASEAN諸国の間で署名された「南シナ海における関係諸国共同宣言」を全面的に、有効的に実施するための協力強化を訴え、「全当事者に自制と武力不使用、緊張をさらに高める行為を慎むよう求める」と打ちだした。
一九九〇年代後半以後、中国指導部は南シナ海の領有権・資源問題に関して、東南アジア諸国、とりわけベトナムなどとの関係で自己の支配権を拡張してきた。その後中国指導部は、「既成事実」に関しては動かさないまでも、現状を維持した上での「共同開発」路線に転換し、「融和と友好」を進めようとしてきた。二〇〇二年の「共同宣言」はそのとりあえずの集大成であった(飯田有史「南シナ海問題における中国の新動向」、『防衛研究所紀要』第一〇巻第一号 二〇〇七年九月)。
しかし、とりわけ習近平体制の下で中国の南シナ海の石油、天然ガスなどの資源開発や「拡張主義」的海洋戦略は、胡錦濤体制の時代とは異なる強硬な「国益」主張の色彩を再び強めている。そこには明らかに国内矛盾の爆発を強硬外交によって突破しようという意図が見え透いている。中国は一世紀の漢王朝の時代の文献や出土物にまでさかのぼって中国の歴史的領有権を主張しているのである。
われわれは、尖閣諸島(釣魚諸島)に対する日本の「主権」主張に反対し、「中国による日本領土への脅威」を煽りたて、「集団的自衛権」の行使容認や、中国への政治・軍事的包囲網を築こうとする意図に反対してきた。そして豊かな海洋資源を守ろうとする漁民の権利は、石油資源の開発による環境破壊とは相いれないことをも明らかにする必要がある。
われわれは、さらに南沙・西沙諸島問題に関しても、中国政府の拡張主義的「海洋戦略」をはっきりと批判し、島嶼の国ごとの「囲い込み」ではない、海洋資源の保護・環境保全を優先した共同のイニシアチブへの道を粘り強く模索していく必要がある。
沖縄での辺野古、高江の新基地建設阻止、先島への自衛隊配備反対、オスプレイ撤去、普天間基地即時返還の闘い、一一月沖縄県知事選勝利は決定的に重要である。
そのためにも安倍政権による「対中国」の軍事的・政治的包囲網づくりのための「地球儀俯瞰外交」に反対し、「集団的自衛権」行使を阻止する運動を、東アジアの、そしてグローバルな平和への展望を持って切り開いていこう。
(八月三日 平井純一)

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安倍首相の「集団的自衛権」の「おはなし」

たじまよしお(長野県)


体調を崩して
しまった人も
 五月一五日の安倍首相の集団的自衛権の説明を聞いて体調を崩した人がいるとか。
 その内容というのは「今や海外に住む日本人は一五〇万人、さらに一八〇〇万人の日本人が海外へ出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が、救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を日本の自衛隊は守ることができない、これが憲法の現在の解釈です」。
 この安倍さんのお話ですと、紛争地から逃げようとする日本人を「同盟国であり、能力を有する米国が、救助、輸送」するという設定ですが、米国務省の方針は「米国政府は全ての外国政府は自国民の避難の計画をたて、米国政府の手段に依存しないことを求めている」。そして「米国民に対してさえ民間人の輸送には関わらないと宣言している」のです。
 ニューヨークに在住の想田和弘さんは首相官邸のホームページにアップロードされていた録画映像をパソコンでみて「言葉の論理性があまりに破壊されているので、何度も読み直さないと意味がわかりにくいのです」「首相の演説としてはあまりにはしょりすぎで、精密さに欠けませんか」と月刊『世界』の中で述べています。全くその通りで不思議な気持ちにさせられます。
 「日本人が乗っているこの米国の船」とありますが、その「船」は客船・輸送船・タンカー・イージス艦か、わざとイメージしにくくされて「言葉の論理性が破壊されて」それを聞いただけで体調不良で寝込んでしまう人がいてもおかしくない話なのです。米国務省の見解を持ち出して「矛盾しているではないか」と指摘しても「軍艦とは言ってない」と言えなくもないのですがその少し後にでてくる「一緒に汗を流している他国の部隊」という言葉から「軍艦」であることは明らかです。
 もしかして、この首相の話を聞いて「難しい言葉はなく平易で分かり易かった」という感想を持った方もいたかもしれません。しかし場面は戦争状態なのです。この「日本人が乗っているこの米国の船」がどういう船かをわざとイメージさせない意図。それに気付かない人を責める気持ちはありませんが警鐘を鳴らさなくてはならないと思うのです。
 「汚染水は完全にブロックされている」というかっての暴言は非難轟々でしたがこの五月一五日の首相の発言の酷さは一分で語られるにとどまっていて、感性豊かでナイーブな人は体調を崩している状態なのです。私たちが差別の実態を把握・共有していないことからきているのだと思います。

「牙」を隠そう
とする悪意
想田和弘さんは「『同盟国であり、能力を有する米国』というのも日本語としておかしい。『能力を有する』とはいったい何の能力なのでしょうか」「安倍首相はあきらかに原稿を読み上げています。いったい誰が原稿を書いたのか……」と述べています。「はしょりすぎ」の不自然さは牙を徹底的に隠す悪意から感じとられるものだと私は思います。
「青年戦線」一八五号の「安倍政権を打倒しよう」の中で佐藤隆さんは「民衆を愚弄する稚拙な説明」として「『おじいさん、おばあさん』などと幼稚園児向けの呼称を使うことじたいがあきれ果てるが」と表現しています。私も同感ではあるけれどもこのままだと幼稚園の先生に抗議されるのではないかと心配になってきたのです。
「わざと『船』という言葉を使ってまるでおとぎ話の中へ誘い込むような口調で民衆を自衛隊員を戦火の中へ放り込もうとするこのような醜悪な人間の姿を私はこれまでに見たこともない」というのが私の感想なんですが、その「船」は「軍艦」以外ではありえない。
それに逃げようとする日本人を乗せて救助・輸送することなどあり得ない、米国政府が明言しているのです。米国務省のその見解については日本政府の官房長官代理の加藤官房副長官も「米国の方針はその通りだ」とアッサリ認めています。
想田さんは月刊『世界』の最後で次のように結んでいます。「民主主義に、観客席はありません。私たちは、全員がステージの上にいるのです」と。
(二〇一四年七月二三日)


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