連邦議会に議席を獲得
緊急政策に対する民衆の不満と合流
ラ・ゴーシュ
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スペインやギリシャの陰に隠れて日本の報道で取り上げられることはほとんどないが、ベルギーでも急進左翼が今年注目に値する躍進を果たした。以下は、この結果がどのようにして達成されたか、を伝えている革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナルベルギー支部、フランドルではSAPの名をもつ)のフランス語隔月刊誌『ラ・ゴーシュ』に掲載された記事。(「かけはし」編集部)
五月二五日以前、ベルギーでは他の欧州諸国とは異なり、「急進的」左翼と呼ばれる被選出代表は一人もいなかった。この変則は今や修正されることになった。PTB(注一)―ゴー!(注二)リストは現に、連邦下院に二人のメンバー(リエージュでラオル・ヘデボウ、エノーでマルコ・ファン・ヘス)を、ワロン(ベルギー南部のフランス語圏:訳者)議会には二人(鉄鋼労働者のフレデリック・ギロを含み)、ブリュッセル首都圏議会には四人を送り込んだ。
エコロ党(ベルギーの環境派政党:訳者)から選出され、その党を離れた後も議席を保持し続けている(一人はジャングルレベルになっている連邦議会に、もう一人はワロン議会に)ヴィンセント・デクロリーおよびベルナール・ウェスファエルを別とすれば、社会党(SP)とグリーンの左には、一九八〇年代以後ただ一人の議員もいたことがなかったのだ……。
リエージュとエノーの2地区で
PTB―ゴー!リストは、連邦議会に対しては一三・三万票、ワロン議会に対しては一一・八万票(五・七六%)、ブリュッセル議会に対しては一・五八万票(三・八六%)を得票した(注三)。最高得票は、下院に対する五万六〇〇票、八・〇八%として、リエージュで達成された。壮観な峰峰は、ヘルスタル郡(二〇・六七%、社会党に次ぐ第二党)、セレイン(一五・六六%、PSとMRに次ぐ第三党)、リエージュ(一一・四九%)などで見られた。下院の二番目の議席は、投票総数の五・一七%を意味する三万八〇〇〇の支持者によってエノ―で勝ち取られた。エノーはヘルスタルやセレインには比較できないが、結果のいくつかは無視できないものだ。すなわちシャルルロワでは八・七%、ラ・ルヴィエールでは八・六三%など、といった具合だ。
ナミュール県は、四・八六%という記録で驚きをもたらした。工業地帯の労働者階級諸郡の結果(フォッセ・ラ・ヴィレで五・〇六%)に引き上げられたこの結果は、被選出下限得票率(五%)にほとんど近いものだった。
他の地域の結果はもっとつつましいものだった。これは、ワロン・ブラーバントやルクセンブルク、しかしまたブリュッセルの事例だった。首都では、下院に対するリストの得票は一・九万票(三・八四%)だったが、サン・ギレ郡では五%の敷居を超えた(七・九六%)。
前進の政治的背景
PTB―ゴー!リストの前進は、二〇一〇年選挙におけるPTB+リスト(注四)に比較すれば鮮明であり、相当なものだ。二〇一〇年の連邦選挙では、PTB+はワロン諸選挙区で三・九万票を得た。そしてそれには、ブリュッセルにおけるPTB―PVDA+リストに投じられた九〇〇〇なにがしかが加えられなければならない。全体として得票は二七〇%以上となったのだ! その倍率はナミュール県とブリュッセルで最強であり、その二地域でPTB―ゴー!は、二〇一〇年におけるPTBの結果の三倍以上を獲得した。
この飛躍はいくつかの要因の結果だった。もっとも重要なものは疑いなく、エリオ・ディルポ政権が強いた緊縮諸政策によって巻き起こされた不満だった。運動期間中現場では活動家たちが自分自身で、PSの伝統的な社会的基盤の一定部分がPSに罰を与えたいと望んでいること、また社会的オルタナティブへの切望を表したいと望んでいること、を見た。
二番目の要因は、PTB―ゴー!キャンペーンの全般的調子であり、特にスポークスパーソンであるラオル・ヘデボウによるメディアでの発言の中でそれが表現されたやり方だ。展開された主張、強調、それらの機会に押し出された要求、大勢の民衆に話しかける方法などのそれらは、急進化の現在のレベルにまったくうまく適合していた。
三番目の要因は、「第一歩に向けた左翼」の結集(LCR、ワロン・ブリュッセル共産党つまりCPWB、さらに様々な個人)によって生み出され、FGTB(ベルギーの労組ナショナルセンター、ベルギー労働総同盟)シャルルロワの声明によって目立つものとされたイメージだった。この後者は、「われわれは、われわれの二〇一二年メーデーアピール(注五)の方向に沿うこの第一歩を歓迎する」というものだった。
「左翼の第一歩」のおかげで有権者は、以下のように感じることができた。つまり、古い仲違いは克服されつつあり、それゆえPTB―ゴー!リストへの投票が、社会的公正や課税の公正や連帯といった、全体としての(本当の)左翼の原理的で基本的な諸価値、諸スローガンに対する彼らの支持を容易に表現することを彼らに可能とするだろう、ということだ。
これらのさまざまな要素に正確な重みを与えることは明らかに不可能だ。リエージュ県で達成された得票を前提とすれば、「左翼の第一歩」に具体化された付加的な支持票がなくても、ラオル・ヘデボウがPTB+リストだけでも選出されただろう、ということはありそうなことだ。しかしその場合、彼が下院でマルコ・ファン・ヘスという仲間を得ることは確実になかっただろう。
実際エノーでの下院に対するPTB―ゴー!リストは、被選出下限をおよそ一三〇〇票の差で超えただけだった。そしてこのリストには、二人のLCR候補者が二五〇〇票を加え、CPWBがさらに一〇〇〇票近くを乗せたのだ(注六)。さらに付言すれば、労組左派が自らもっともはっきりと参加したのはこの県でのことだった。そして彼らは、PTBあるいはPTB+リストのためにそうすることはなかったと思われる。
他の左翼リストの失敗
PTB―左翼の第一歩リストの成功は、PSやエコロの左に立つオルタナティブを探している有権者の票を求めていた他の勢力にチャンスを残さなかった。
ヴィンセント・デクロリーが率いたグリーンレフトのEU議会に対するVEGAリストは、名簿首位の人物が極めて有名であったにもかかわらず、一・五万票ちょっと(〇・六八%)しか得票しなかった。ワロン議会に対するリストはリエージュ選挙区――VEGAの拠点―ーでは、三五〇〇票(一・〇二%)しか獲得せず、ブリュッセル議会に対するリストも二五〇〇票(〇・五七%)を得ただけだった。VEGAは、まったく新しい勢力を示すものとして、メディアでは重要な取扱を受けてきた。とはいえ今われわれが見ているものは、昨秋『ル・ソワレ』のインタビューでデクロリーが表した期待にはほど遠いものであり、この運動のもう一人のスポークスパーソンによって示された「三人の被選出代表」という見通しからはもっと遠い。
左翼運動(MG)にとって情勢はもっと酷い。この運動はあらゆるレベルで立候補したが、EU議会では四七〇〇票、連邦議会選では四五〇〇票、ワロン議会では四九〇〇票を得たにすぎなかった。それはつつましいという以上の結果だった……。
この構図を完成させるためにわれわれは、「共通左翼」リストという挑戦にもふれなければならない。そしてこのリストは、ブリュッセル議会に対し八三九票、首都の議会に対しては一四四五票(〇・二九%)を得た。特にブリュッセルのいくつかの選挙区における大宣伝活動にもかかわらず、社会主義闘争党(PSL)と人道主義党間の戦線は、有権者を納得させられなかった。
アピールに対する応答の成功
有権者が先のようなリストに利点を見なかったことははっきりしている。VEGAとMGの指導者たちは、彼らの存在を正当化するためには、PTBに刻印された「スターリニズム」を非難するだけで十分だ、そしてフランス左翼党のやり方によるエコソーシャリズムへの言及が彼らにより多くの選挙上の信頼性をもたらすだろう、と信じていた。しかし、選挙結果を決定する力をもったものは、先のような種類の極めてイデオロギー的な境界線をめぐる問題ではなかった。
PSLに関する限り彼らは、地方選挙で「左翼戦線」創出に力を貸し、次いでそれらを調整しようと試みた後で、PTB―ゴー!連合に参加を求めていたが、信頼できるやり方でこの問題に取り組むことができなかったように見える。彼らの「PTB―統一」リストを求める「公開状」は、最後通牒のように見えた。この組織が次いで、CPWBとLCRに対する誤った判断の攻撃を始めることで、彼らの失望を隠そうと試みたことは残念なことだった。
一般論として今回の選挙における急進左翼の成功は、FGTBシャルルロワのアピールが生み出した高波の中に自身を位置させることができる勢力に向かう場合にのみ可能性をもつだろう。PTBが一つの連合という根本方針に向けある程度戸口を開いてきた時から、LCRは、再編が必要であれば軸はこの組織だ、と考えた。なぜならば、それだけが成功できるチャンスを提供する道であり、労組左派の反資本主義的分極化の追求にとっては、成功することが決定的だったからだ。われわれが正しいと事実が証明した。
フランドルでは
フランドル(ベルギー北西部のオランダ語圏、分離主義傾向が強く、それを基礎とした右翼の強さも特徴:訳者)では、PTB―左翼の一歩に比較できる再編はまったくない。PTBは以前の選挙と同じく、PVDA+の名前の下に立候補し、そのリストに左翼の一歩の候補者――特にLCR/SAPメンバー――が加わることを歓迎した。社会民主主義(SPA)とグリーン(グロエン)の左には他にどのようなリストもなかった。
PTB―PVDAにとっては、その代表であるペーテル・メルテンスを下院に選出させることが優先事項だった。それには僅かのところで失敗した。アントワープ県では五・二万人がPVDA+に票を投じた。極めて良好な結果(四・五二%)だったが、残念ながら被選出下限以下だった。これは失望となったが、活動家たちはまったく多くを費やしたが故に、またPVDAはアントワープ郡では八・八五%を勝ち取った(ファシストのブラームス・ベラングの先を行く第四位となって)が故に、特に痛切なものだった。
この国の北部にある他の選挙区におけるPVDA+の結果は、二〇一〇年との比較で前進を記録したとはいえ、もっとつつましいものにとどまった。つまり、東フランダースでは二・六七%、リンブルフでは二・五七%、フレミッシュ・ブラーバントでは一・八六%、西フランダースでは一・六六%だった。
言うまでもないことだが、PTB―ゴー!の結果とPVDA+のそれとの間にある水準の差は、二つ地域間にある政治的、社会的背景の違いで説明できる。多くの左翼支持者は極右多数状況に直面し、社会民主主義、中でもグリーンに投票する方を好んだ。そしてそれらの勢力は前進した。世論調査を基にある人びとは、メルテンスの議席は決まったも同然と信じたということ、それゆえそれらの人びとがひどい負けにならないよう、票を政権にある左翼に与えたということすらもあり得るのだ。
それにもかかわらずわれわれは、フランダースでも左翼の一歩という問題が提起されていないのかどうか、それを自身に問うことができる。PVDAはそのリスト上に左翼の一歩の候補者が存在していることを、明確に公然と認めることができなかった。そしていくつかの間違いさえ犯した。再編に関するもう少し多くの文化があっても、ペーテル・メルテンスをエノーでのマルコ・ファン・ヘスと同じ状況に置くことはなかっただろう、などと誰が言えるだろうか?
注一、二)ベルギー労働者党、フレミッシュ語ではPVDA。毛沢東主義を起源とする党であり、ベルギーの社会民主主義の左に位置する勢力では圧倒的に最強。今回の選挙では、PTB―ゴー!(PTB―左翼の一歩)の名前の下で他の勢力にリストを解放した。
注三)数字は丸められている。一般に連邦、地域、EUの各リスト間に現れる結果の相違には、ほとんど意味がなかった。
注四)PTB+党員ではない個人。しかしそこには、二〇一四年のような党は存在していない。
注五)FGTBシャルルロワは二〇一二年メーデーで、PSとエコロの左に位置するオルタナティブを支持するアピールを発した。FGTBは、ワロンにおける主要労組ナショナルセンター、歴史的に社会民主主義と緊密だった。
注六)ベルギーでは二通りの投票方法がある。つまり、同じ名簿から一人ないしそれ以上の候補者に票を投じる(優先投票)か、党に投票するかだ。後者の場合、党への投票総数は、候補者のリスト順位と選出には不足する票数を考慮した上で、候補者間に配分される。名簿上位の候補者がこのように「優遇される」。その上で各リストには、固定候補者と輪番の候補者が含まれる……。PVDA+とPTB―ゴー!リスト上では全体として選出される可能性がなかったLCRの候補者たちが受け取った優先票の総計は、EU議会選に対しては一万票余、下院選に対しては九二二七票、ブリュッセル議会に対しては二六七四票、フレミッシュ議会に対しては三六六七票、ワロン議会に対しては三一八七票だった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年七月号)
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