もどる

    かけはし2014.年7月21日号

サムスンと一体となった警察


「遺体を奪い去り我々の心をもえぐった」

抗議した労組指導部3人も拘束


  「私は今、正東津にいます。私の亡きがらを見つけたら、わが支会(支部)が勝利する時まで安置して下さい。支会勝利のその日に火葬して、ここに撒いて下さい」。
 遺書は労働組合に託す勝利への恋文のように読み取れる。20行にもならない短い文章に「勝利」という単語が5回も使われた。正東津で死を選択した理由は、「わが支会が、明日も昇る太陽のように、この闘いが必ずや勝利するであろうと考えて」だとも記した。去る5月17日、江原道正東津近くの道路に停められていた車の中で、息絶えたまま発見されたヨム・ホソクさん(34)が残した遺書だ。彼は全国金属労働組合サムスン電子サービス支会・慶尚南道梁山センター分会長だ。
 だが遺言は守られなかった。5月18日夕刻、ヨムさんの遺体が安置されたソウル医療院江南分院に突然、戦闘警察(機動隊)250人余が押し寄せた。焼香所を守っていた労組員たちと激しいもみ合いが繰り広げられ、催涙液まで撒かれた。その渦中でラ・ドゥシク首席副支会長をはじめ20人余が連行された。そして警察の堅固な護衛を受けながらヨムさんの遺体は救急車に乗せられ、正東津ではなく釜山へと向かった。警察が強制的に遺体を奪い去るという事態は、1991年の韓進重工業解雇労働者パク・チャンスさんの遺体奪取事件以降、初めてだ。

23年ぶりの労働者の遺体奪取


サムスン電子サービス支会の労組関係者が伝えてくれた当時の状況は、こうだ。「ヨム・ホソクさんのアボジ(父)が5月17日夜、「労組に一切の葬儀手続きを任せる」という委任状を書いた。アボジは釜山から江原道に向かう途中、忠清北丹陽休憩所で梁山センター長(社長)とサムスン側の人々に会ったと伝えてくれた。その人々が補償金の話を持ち出し、葬儀も執り行ってやるという話に、『何よりも息子の遺体を見なくては』と話したという。ところがソウルに来た後の5月18日午後になるとアボジの態度が急変し、家族葬を行うと語った。釜山からやってきたという友人2人が労組との接触を阻んだ。アボジは午前中に1〜2時間、外出した。会社側と会ったのではないかと思う」。その後、遺家族が112電話(日本の110番)で警察に遺体の引き渡しを要請するや否や、警察が間髪を入れず駆けてきたというのだ。労組関係者たちは「組合員たちがアボジの前でひざまずいて『故人の意志を守ってくれ』と懇願した。これははたして警察が無理やり遺体を奪取していくほどのことなのか」と何度も問い返した。
5月18日夜9時過ぎに訪れたソウル医療院の葬礼式場前には労組員100余人が虚脱状態でへたりこんでいた。昨年10月に夫を失った「ピョリのオンマ(母さん)」イ・ミヒさんも一緒にいた。天安センター所属の修理技師だった夫チェ・ジョンボムさんは昨年10月、自ら命を絶った。チェさんが労組の仲間たちとのカカオ・トーク対話房に最後に残した言葉は、こうだった。「これまでサムスンサービスに通いながら、あまりにも疲れた。腹が減ってやってられないし、みんなあまりにもくたびれて脇で見ているのも辛かった。チョン・ティルさんのようにはいけないまでも、私は選択しました。どうか役立つように望みます」。昨年7月、サムスン電子サービス支会が設立された後、まだ1年も過ぎていないのに、もう3人目の死だ。昨年8月には漆谷センターの組合員イム・ヒョンヌさんが過労死で亡くなった。イ・ミヒさんは「遺書もあり、(ヨム・ホソクさん)本人が選択したことだ。死んだからと言って、遺族が勝手にやることではない。警察もあんまりだ」と語った。同じ立場に置かれた人々の心からの忠告がヨムさんのアボジの心を動かすことはできなかった。「サムスンのせいで、やりきれなくて亡くなった息子じゃないか。息子の遺体を連れて行く名分も実利もないとアボジを説得したけれども、どうしようもなかった」。サムスン電子で働いていた娘を2007年に白血病で失ったファン・サンギさんは、しばらくの間、葬儀場の前で重い足取りを運ぶことさえできなかった。

月給 3月70万、4月41万ウォン

 ところが、警察の「奪取」騒動は、これで終わりではなかった。2日後の5月20日、慶南・密陽公設火葬場前でも警察300余人と労組員100余人がヨン・ホソクさんの遺骨箱をめぐって激しい闘いを繰り広げた。この場にはヨムさんの生母であるパク某さんも一緒にいた。ヨムさんが6歳の時に離婚した後、別に暮らしてきたオモニ・パクさんは「私の息子を遺言通りにするようにしてくれ」と泣き伏したものの、警察は遺骨箱を持ち去った。ヨムさんと共に慶南・釜山地域で仕事をしていた労組の仲間たちは密陽公設火葬場にやってくるまでも「鬼ごっこ」をしなければならなかった。釜山ヘンニム病院の葬礼式場に遺影を飾っていただけで、そもそもヨムさんの遺体は別の所に安置されていたという事実を遅ればせながら知ることとなり、あたふたと近隣の火葬場の予約状況を探ってみた。遺族は労組に5月21日午前中に出棺だと知らせてくれたものの、2カ所の火葬場にそれぞれ5月20日午後の予約が入っていた。釜山ヘンニム病院の関係者は「遺族と警察が、外部にかかわる話を口止めしてくれと頼んでいた」としつつも「遺体を病院ではなく他の場所に安置するというのは遺族らの望んだこと」だと語った。労組は故人の遺骨箱が最終的にどの納骨堂に行ったのか、分からない。
このように遺族と警察の「労組締め出し」はスパイ作戦を彷彿させる。いったい国家の公権力が遺族個人の要請だけで、これほどたやすく動いたものだろうか。サムスン立て直し運動本部共同代表のクォン・ヨングク弁護士は「警察がサムスンを庇護するというレベルを超えて、完全に一体となった。人の死を前にして、追悼や哀悼ではなく強迫や侮辱、暴力をほしいままにした。故人のオモニの強力な意思にもかかわらず、家庭史に国家権力を動員する妄動に怒りをあげなければならない。サムスンがどのように介入し、警察がどのように協力したのか、直ちに明らかにしなければならない」と語った。
もちろん、あくまでサムスンの介入は「心証」であるにすぎず、「証拠」はない。サムスン電子サービス側は「我々が遺族に会う理由もないし、(梁山センターと遺族間の)仲立ちをする必要もない」と語った。どこまでも、協力会社である梁山センターと所属職員、そして遺族間で解決すべき問題だと言うのだ。
ヨム・ホソクさんは2010年6月、サムスン電子サービス梁山センターに入社した。冷蔵庫、エアコン、ノートパソコン、携帯電話などサムスン電子の製品をアフターサービスする修理技師だった。サムスン電子サービスのロゴが入ったユニフォームを着て仕事をしたけれども、ヨムさんの所属はサムスン電子の子会社であるサムスン電子サービスと契約を結んでいる協力会社であるにすぎなかった。決められた月給は別になかった。コールを受けて配当される修理件数の手数料に従って月給は違った。非需期の時は朝早くから夜遅くまで働いたところで、訪問修理に必要な車の維持費などを除けば、80〜90万ウォン余りが手元に残るだけだ。耐えられなかったヨムさんは2012年に退社したが2013年に再入社した。

日程表に「コールを与えるな」


そして、その年の7月に労組が設立される梁山センター分会長に選出された。ストライキは、そうでなくともすっからかんだった財布をよけい軽くした。労組によれば最近のストによってヨムさんは3月70余万ウォン、4月41万ウォンの月給しか手にできなかったと言う。サムスン電子サービスの協力会社40カ所の委任を受けた韓国経営者総協会(経総)と金属労組は「月給制の導入」などについて昨年末から賃金・団体協約交渉を行ったものの、明瞭な成果を出せなかった。金属労組は今年4月末に交渉決裂を宣言してストに突入した。経総関係者は「ソウル・京畿圏域では126の争点中73項目について暫定合意したものの、金属労組側が突然、各協力社の代表理事との直接交渉を要求し台無しにした」として交渉の再開を促した。
ストが長引けば長引くほど生活苦はヨムさんをはじめとする労組員らの肩にのしかかった。5月20日夜、ソウル瑞草洞のサムスン本館前で釜山・広安センター分会総務パク・チョンエさん(45)は自身を「ホソクの姉」だと紹介した。さびしく育ったヨムさんは毎週、南部の地域会議のたびに会うパクさんに、ただ1人従った。最近では電話をするたびに「何してるの?」とたずねると、「何もしていない」という答えが返ってきた。サムスン電子サービス顧客センターに入ってくる製品修理の要請はパクさんのような内勤職員らが、スケジュールの合う修理技師と連結してやる。ところでヨムさんのように労組活動に熱心な技師たちの日程表を開くと「この技師にはコールを与えるな」という備考メッセージが出るという。労働組合を干乾しにするための圧迫手段だった。「ホソクは上京闘争のない木曜日から土曜日まではアルバイトで駆け回っているようでした。『タクシーも運転するの?』と聞くと『姉が知ったら心配するから知らせないで下さい』とだけ言ってたんです。思いやりのある奴でした」。数百万ウォン台の借金があるだろうと勝手に推測するばかりだ。今年初めには釜山・海雲台センター、忠南・牙山センターなどが突然に廃業申告するという状況の中で、解告された労組員らが生じた。労働組合の活動が活発な所なので、「偽装廃業」の疑念が起きた。
パクさんが覚えている「弟」の最後の姿は、5月14日の晩だ。2泊3日の間、ソウル・瑞草洞のサムスン本館前で野宿籠城を繰り広げ、釜山に帰って行く高速道路の休憩所で、だった。ヨム・ホソクさんは「次の上京闘争の時にまた会おう」と言って手を振った。それが最後だった。パクさんをはじめ、サムスン電子サービス支会の組合員千余人は5月19日から再びサムスン本館前に寝袋を広げた。ヨムさんが数日前に横たわっていた、まさにその場所だった。今回は無期限の野宿籠城だ。昼はソウルの各所を回りながらサムスンの無労組経営やサムスン電子サービス修理技師たちの労働権を知らせる宣伝戦を継続する。協力企業体はサムスン電子サービスが費用削減のために偽りで作った偽装請負会社にすぎず、協力企業の労働者たちの実際の雇用主はサムスン電子サービスというのが労組の主張だ。サムスン電子サービスセンター180余カ所のうち直営センター所属の800余人を除いた非正規職の修理技師は1万人余に及ぶ。

雇用労働部「不法派遣ではない」


サムスンが、これらの人々に対してどんな法的責任を取らなければならないのかについては、まだ真実は遮られてはいない。雇用労働部(省)は昨年9月に「不法派遣と見ることはできない」という調査報告書を出した。元請であるサムスン電子サービスが修理技師たちに対する直接的な指揮・命令の権限を持っているとは考えがたいという理由だった。これに対し労組はサムスン電子サービスを相手に「勤労者としての地位を認めてくれ」という民事訴訟を裁判所に提起し、現在1審が進行中だ。最終判決までは数年かかるものと見られる。現代自動車・社内下請け労働者たちの場合も、検察では「不法派遣ではない」と判断したけれども、裁判所は「現代自動車の労働者と考えるべきだ」との判断を下した経過がある。協力各企業が労組への加入を妨害した不当労働行為に関連しては、雇用労働部京畿支庁が会社の関係者たちを起訴する意見で水原地検に送致した。
チェ・ジョンホムさんに続きヨム・ホソクさんまで失ったサムスン電子サービス支会の労働者たちは今、正念場だ。「会社に20年も通ったが、長く通ったからと言って良くなったことは1つもありません。修理技師だけではなく内勤職も件数当たりの手数料によって給料をもらいます。天気がよくない日は日当ももらえない勘定です。競争企業であるLG電子の協力企業に比べても手数料が半分の水準にしかなりません」。体を張って、アスファルトの上で何日、何カ月の夜を明かさなければならないほどに闘わなければならない理由は何なのだろうか。パク・チョンエさんは、これまでサムスンから受けたひどい仕打ちに対する「ハンプリ(怨念晴らし)」だと語った。これについてサムスン電子サービス側は「サムスンが解決しなければならない部分と解決できない部分が明確に分かれる。協力企業への支援という次元でならばいざ知らず、直接の雇用当事者でもない我々が賃金問題や、金属労組と経総間の交渉に割って入ることはできない」と語った。

再び彼が横たわった場所に

 
遺体と遺骨箱を奪取していった警察は、5月18日に葬礼式場から連行されたラ・ドゥシク首席副支会長(葬礼式妨害・特殊公務執行妨害の容疑)と5月19日にサムスン本館前の集会で連行されたウィ・ヨンニル支会長、キム・ソニョン永登浦分会長(集会・デモに関する法違反・一般道路交通妨害の容疑)など、労組指導部の3人を拘束した。労組の闘争の意志に、油を注いだわけだ。
「これは世の中ではない。お前らは死んだものの遺体さえも、遺言さえも、遺骨さえも強奪していった。お前らが奪っていったのは1人の人間の遺体だけではない。お前らは我々すべての胸を、心をえぐり取った。(中略)探せという遺体は探すこともできない政府が霊安室を奇襲した。国家権力でない一介の資本の傭兵だった」。5月20日夜、サムスン本館前で開かれた追悼文化祭でソン・ギョンドン詩人が朗読した追悼詩の一部だ。「きょうは先に行くけれども、明日は同志たちと共に陽が昇る正東津に行くと言った。正東津に行くまで、我々にはもはや他の道はない」。(「ハンギョレ21」第1013号、14年6月2日付、ファン・イエラン記者)

 


もどる

Back