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    かけはし2014.年6月30日号

王の退位は政権の救命策


スペイン


街頭に出よう、体制に王手をかけよう

エステル・ビバス



 体制は崩壊しつつある、それは死につつあり、生き残りをかけた死力を尽くした闘いの中で、王が退位した。「移行期」(注一)から出てきたこの体制が今あるほどに広範に異議を突き付けられたことは、これまで一度としてなかった。それが依拠している支柱、君主制、司法、二党体制は、今や何回も大きく正統性を失ってきた。われわれはもはや、彼らの嘘を、それをもってバラバラに崩れつつあるシステムを一緒に保持しようと彼らが試み続けているそうした嘘を、信じない。それほど遠くない過去にはあり得ないと見えたものが、今日では現実として現れている。経済的、社会的、また政治的危機があり得るものにしてきたこの裂け目を、もっとさらに広げるためにわれわれの全力をもって圧力をかけよう。
 ボツワナでの王による象狩りに続いて、「ヌース事件」における彼の娘婿であるイナキ・ウルダンガリンの付随事件(金銭スキャンダルが発覚した:訳者)、そしてこの件へのインファンタ・クリスチナの関与(王女である彼女は法廷に立たされた:訳者)を通して、また何百万も公的基金から支出された王の船に関する数多くの操作を含んで、王室はそれ自身の漫画に成り果てた。「民主主義」に対する主要な正当化の一つ(退位した王は、フランコの存命中即位を拒否し、民主主義の支持者との評価を受けていた:訳者)は、道義的に傷ついた。しかしそれはまだ死んでいない。
 王の退位の発表は情勢を救うための最後の絶望的な試みだ。つまりそれは、君主制に対してだけではなく、その法衣や政治屋や世論形成者たちに対しても正統性を回復する狙いに基づく、「整形美顔術」としての試みだ。何年もの間、あまりに多年にわたって彼らは、この偽りの「移行期」という覆いの下で、われわれの集団的歴史を隠しもみ消そうと試みながら、生きてきた。われわれの健忘症が彼らの勝利の、道義的であるだけではなく政治的かつ経済的でもある土台となってきた。
 底深い社会的危機そしてまた政治的危機へ姿を変えた経済危機が、王と一九七八年の体制をロープ際に押し込んだ。人びとは「もうたくさんだ」と語ってきた。われわれはそれを、15M運動の出現をもって、つまり市民の不服従をもって、銀行に押収された空き家の占拠をもって、さらに抗議が犯罪とされたにもかかわらず示された幅広い民衆の支援をもって、三年前に見た。よりひどい貧困はより深い苦痛を意味するが、先のような諸決起のおかげで、それはまた、この情勢の中での勝者が誰であるか――銀行家、政治屋――についての、そして敗者が誰であるかについてのより大きな気づきをも意味している。
 カタルーニャでの主権を求める要求の高まりもまた、自決権を可能としていない現憲法の反民主的な本性に深刻に光を当てつつ、体制をロープ際に投げ入れた。今日EU議会選が、PPとPSOEにとっての五〇〇万票以上の喪失をもって、また五人の議員選出と一体となった「ポデモス」の出現をもって、腐りつつある体制に「とどめの一撃」を与えることになった。体制は神経質に、非常に神経質になろうとしている。
 王の退位は最後の救命策動だ。しかしわれわれはそうであっても、システムは依然策動の余地を残している、ということを思い起こすべきだ。王の退位は体制の支柱の弱さと民衆の強さを表している。しかしわれわれはフアン・カルロス・フェリペ(注二)をも欲してはいない。われわれがどのような種類の未来を望んでいるのかを決めるために、スペイン中で憲法制定運動を開始することを求め、街頭に出る時だ。体制に王手をかけるために、われわれは攻勢に移らなければならない。
(この記事は、六月二日『パブリコ・es』に掲載された)

注一)最終的に一九七八年憲法となった、フランコの死に続く政治の進展に与えられた名称。
注二)皇太子。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年六月号)


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