集団的自衛権行使は戦争だ
閣議決定を阻止しよう
沖縄・アジアの労働者・民衆と共に闘うぞ
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集団安保への
参加も「合憲」
集団的自衛権容認の閣議決定をめぐる攻防は、六月二二日の国会会期末を経て、いよいよ最終段階に入った。安倍首相と自民党執行部がゴリ押し的に迫っていた「国会会期内閣議決定」はとりあえず先送りされた。しかしそれでも安倍政権・自民党は、七月初旬の安倍の外遊前に何としてでも、と新しい期限を切って、公明党の屈服を迫っている。
安倍首相は、もともと五月一五日の「安保法制懇」報告書の提出と安倍首相による「基本的方向性」を提示する記者会見の後、与党・公明党との協議を進めつつ、会期内での閣議決定には必ずしもこだわらないとも言明していた。いわゆる「グレーゾーン」(武装集団の離島上陸、公海上の日本の民間船への武装集団による攻撃、平時での弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護)などについては自衛隊法の改定という線で対処することについて自公両党間の合意が成立しているとされており、またPKO活動での「駆けつけ警護」「任務遂行のための武器使用」「物資支援」などについても、公明党が容認する方向性はすでに出ていた。
しかし問題は、そうした個別的事例への対応を超え、「集団的自衛の行使は憲法九条違反」としてきた原則の分野での変更、すなわち「集団的自衛権行使の合憲化」に踏み込むか、というところに入ってきた。安倍政権にとっては、これまで困難とされてきたPKOなどでの自衛隊の武力行使の範囲拡大にとどまらず、「集団的自衛権」の行使、さらには「集団安全保障」への参加を「閣議決定」によって確認し、立法化を実現することこそ目的だった。いま会期末を経て、そのことがますます鮮明になっている。
とりわけ五月末にシンガポールで開催されたアジア安保会議、六月四、五両日にブリュッセルで開催されたG7サミットで、安倍首相が「積極的平和主義」のアピールを行った後、会期内での「集団的自衛権」行使容認閣議決定への方向が強力に打ちだされた。
他国への攻撃に
「自衛権」発動
六月一三日、自民党は「集団的自衛権」行使のための「新前提条件」(新三要件)なるものを公明党に提示し、会期内閣議決定のための圧力をさらに強めた。この「新三要件」とは「憲法九条の下で認められる『武力の行使』について@「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」、A「これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと」、B「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」である。
自民党がこの「新三要件」を持ち出した背景は、「集団的自衛権」容認について公明党が一九七二年に田中角栄内閣の下で出された政府見解の中の「自衛権行使の要件」を基礎に検討を進めていることだった。一九七二年の政府見解は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」ことを「自衛権行使」の要件としていた。しかしその時の「自衛権」行使とは「我が国に対する武力攻撃が発生した」場合に限定されており、他国に対する武力攻撃を「自国に対する武力攻撃」と見なして武力で反撃する「集団的自衛権の行使」は、憲法で認められないとしてはっきりと禁じられていた。
しかし、自民党が提示した「新要件」では、「我が国に対する武力攻撃」と「他国に対する武力攻撃」を並列させ、いずれの場合にも「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求権が根底からくつがえされる」と政府が判断した場合には、「自衛権」を口実に「武力行使」が正当化されることになるのだ。すなわち「集団的自衛権の行使」を違憲とした一九七二年の論理が、そっくりそのまま海外で、いや地球のどこにでも自衛隊が出かけて行って戦争をすることを可能にするものとなる。まさに詐欺としか言えない手法だ。この論理では、アフガン戦争でもイラク戦争でも自衛隊を派兵することになっていた蓋然性が高い。実際、アフリカや中東・湾岸地域の内戦状況を見れば、「集団的自衛権」派兵の最初の例は、東アジアではないかもしれない。
高村自民党副総裁は、六月一九日、ついに国連による「集団安全保障」に日本も参加して武力行使を行うことを明らかにした。この「集団安全保障」については、安倍首相が五月一五日に行った「安保法制懇」の報告書を受けた「基本的方向性」についての記者会見でも「武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」「憲法がこうした(集団安全保障にかかわる)活動のすべてを許しているとは考えない」と述べていた。高村の主張は、安倍自らが語ったこの「限定」すら踏み越えた。
高村は「集団的自衛権を行使して機雷除去にあたっていたのが、集団安全保障が適用されればそこから自衛隊がはずれなければならない、ということでいいのか」と語っている。まさに自衛隊の武力行使の範囲には、あらゆる歯止めがなくなっているのだ。
平和を作り出す
国際主義的展望
「安保法制懇」の報告書は、憲法の国民の「平和的生存権」を口実に、他国に対する日本の武力行使=「集団的自衛権」発動、さらには「集団安全保障」への参加をも正当化しているが、安倍・高村らの主張は、そうした論理の曲芸を憲法解釈において体系化したものだと言わなければならない。
果たして、公明党は安倍政権と自民党の脅しに屈服するのだろうか。安倍が「連立組み替え」のカードをちらつかせながら、公明党に決断を迫ろうとしている今だからこそ、閣議決定で憲法を破壊し、「戦争国家」体制への道を突っ走る安倍政権のねらいを行動の中で示していく運動が必要となる。
安倍政権は、憲法改悪を九六条改憲から開始しようとした。それに対して保守派の間からも「立憲主義」原則を踏みにじるやり方に批判が高まり、「安保法制懇」の報告書を受けた「集団的自衛権」合憲化の閣議決定で、「集団的自衛権行使」違憲という自民党政権自身の立場を強硬に変更しようとしている。「我が国を取りまく安全保障環境の変化」がその最大の理由だ。
しかし、安倍政権の基盤は自民党が衆参両院で圧倒的過半数を占め、「みんなの党」や「維新の会」など、安倍政権にすりよって自分たちを「連立相手」にしてもらおうとうごめく「野党」の存在にもかかわらず、決して盤石なものではない。
私たちは、反原発運動、沖縄の反基地、労働法制の全面改悪に反対し、失業・貧困に反対する運動、さらにTPP反対の運動などと共同した「安倍政権打倒」の運動を、具体的な課題を交わらせる中から模索していく必要がある。福井地裁の大飯原発運転差止め判決は、脱原発運動の中から、民衆にとっての「生存権」の問題を突き出していくものだった。
そして安倍が「我が国をとりまく政治環境の変化と危機」を前面に押し出して、「中国の軍事的脅威」に対する軍事的防衛の必要性を訴えるのであれば、朝鮮半島や東シナ海、南シナ海の「危機」の実相を、「国家間」のレベルを超えたところで私たち自身が真剣に取り上げ、議論を交わし、運動を交流させ、ナショナリズムの激突ではない過去・現在・そして将来にわたる共同の努力を積み重ねていく努力をも自覚的に展望していくことが必要となる。「緊張」とは何かをリアルに捉える作業も必要だ
われわれは、そのために東アジアレベルでの平和・人権・民主主義と公正に裏打ちされた問題意識を労働者・民衆の運動レベルでどう発展させていくべきかの実践に踏み出していく必要があるだろう。
(六月二一日 平井純一)
イラク
これ以上「悪行」を繰り返すな
米国の軍事顧問団派遣反対
デービッド・フィンケル
以下の文章は、アルカイダ系とされるイスラム主義軍事組織「イラクとシリアのイスラム国」(ISIS)の軍事的攻勢によるイラク情勢の深刻化にあたって、米国の戦闘的社会主義組織「ソリダリティー」の機関誌「アゲンスト・ザ・カレント」に掲載された同誌編集長デービッド・フィンケルの論評である。オバマ政権は、この事態に対し軍事顧問団三〇〇人をイラクに送り込む。これに対して米国の反戦運動は、米国の新たなイラク軍事介入に抗議する行動を行っている。(本紙編集部)
イギリスの元首相トニー・ブレアは、イラクの現在の悲劇について言及し「われわれがこうした事態を引き起こしたのだという考えから解放されなければならない」と語った。この発言が引き起こす最初の疑問は、何者がなぜトニー・ブレアの意見を何であれ求めたのか、ということだ。少なくともジョージ・ブッシュは、賢明にも彼の農場の灌木の茂みに隠れて、何事も語らないだろう。
イギリスに支持された米国による二〇〇三年のイラク侵略が、「この現実をもたらした」のはもちろんのことだ――今やISIS(イラクとシリアのイスラム国)と呼ばれるアルカイダの装備品を作り出し、スンニ派とシーア派が最も入り混じった近隣六カ国に吹き荒れる共同体間戦争を起動させ、サダム・フセインの恐怖に満ちた独裁政治を、ヌリ・アル・マリキの宗派主義的で、腐敗した、不手際きわまる政権に最終的に置き換えることによってである。
次に何が起きるのか? メディアの取り乱した見出しにもかかわらず、ISISはバグダッドやシーア派の拠点を手に入れることはないだろうし、クルド人勢力は北部地域での拡張を止めることもないだろう。ISISがスンニ派の中心地域をどれだけの期間にわたって支配できるかは、主要には、住民たちがどれだけの期間、このテロリストたちの暴政に耐えられるかにかかっている。ISISが、捕虜にした兵士やシーア派の市民を残虐に殺害していることは、報復的殺害を引き起こすことは明らかであり、イラクの圧倒的に多くの人びとが望んでいないスンニ―シーア間内戦を強制することになる。
イラクが一つの国家として生き残れるかを予測することはいっそう困難になるにしても、いずれにせよ米国は実質的に手を引かなければならない。この危機をさらに悪化させ、イラクの分解の機会を増大させるものが一つあるとすれば、それは米国による新たな空爆である。イラクへの爆撃は、「この事態を引き起こした」戦争から、ワシントンが何一つ学ばなかったことを示すものとなるだろう。われわれはすでに「悪行の報い」を見てきたし、それを繰り返させてはならない。
二〇一四年六月一八日
(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年六月号) |