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    かけはし2014.年6月2日号

怒りの眼差しだけが行き交う


セウォル号沈没事件と韓国社会

我々が知っていた韓国はない…84・7%

 

 国家の存在理由を問う人々は、いつも泣いた。娘や息子の生死を前にしてオンマ(母ちゃん)とアッパ(父ちゃん)は、むせび泣いた。「これが国家なのか」と言った。「これが政府なのか」と問い、「これが政治なのか」とただした。「国民にとって何であらねばならないのか」を説明できない国家は、彼らにとって信頼ではなく怒りの対象だった。先週発行された〈ハンギョレ21〉に載った全羅南道珍島・彭木港ルポ記事の冒頭は、こう書いた。〈ハンギョレ21〉は「これが国家なのか」という大見出しを表紙に掲げた。
 セウォル号沈没事件が発生してから11日目の夜が明ける。「174」という数字は、まるで5寸釘をぶすっと打ちこまれたように、固定されたまま動かない。沈没事故直後に現場で「救助」された人の数だ。まさに、古い船の上に積まれた数百台の車両や数百トンの重量のコンテナはキチンと固定もされていなかった、同じ空の下で。
 この10日間、積もりに積もった怒りが不安と不信へとしっかり固まっていくだけで、失踪した責任とまるですっからかんの能力を叱咤していた声は、いつの間にか無気力と憂鬱症へと変わりつつあるところだ。災央をはらんだどん欲の実体がひと皮ずつはぎ取られるたびに、むしろ挫折感と悲しみだけを増やしていくのが、この国の悲しい現実だ。ある日、突然に誰もが出くわすことになった災央共同体の顔だ。もちろん災央の共同体は「連帯」の芽も育んだ。黄色いリボンが、うららかな春の日射しの全国を染め上げ、行方不明者の家族や被害を得たすべての人々をかき抱え、抱きしめようとするボランティアの努力も数限りなく続けられた。今この瞬間にも行方不明者たちの無事帰還を願う切なる祈りは絶え間なく続けられている。
 問いは、さらに大きな問いかけを生む。人々は今こそ問い直している。はたして我々にとって国家とは何なのか、東洋・西洋の伝統のいささかの違いはあるにしても、国家が契約の所産だとの信念を、少なくとも現代人は共有してきた。前近代社会において横行していた個人による私的強制の可能性を完全にはく奪し、公権力という名の独占的物理力を国家に許した土台もまた、このような信念によるものだ。けれども、最も大切な生命でさえ眼前で守れない、無能にして無責任かつどん欲に満ち満ちた国家において、人々は容赦なく信頼に別れをつげる。「国家なるもの」自体に対する根本的な懐疑だ。不信の対象は国家を越えて、既成の制度全般へと拡大している。メディアは無惨にも嘲弄され、あまつさえ救護作業の成果さえ、民間に高い評価を与える声も出てくる。
 セウォル号行方不明者の救助作業は依然として現在進行形だ。けれども我々は慎重に、だが決然として「セウォル号以後」を描いてみなければならない時だ。わが社会が共同で経験している集団的トラウマは、はたして我々をどこへと導いてくれるのか。3年前のフクシマの大災央は、隣人の日本人たちにとって生存の恐怖そのものだった。おそらく最近の急速な右傾化の流れに起爆剤の役割をはたしたのも、その恐怖だったのであろう。昔日のことは潰えたものの、新しいことは簡単にやって来はしない。国家が潰えたその場は、資本が堂々と自分のものにするかも知れない。無気力と挫折、悲痛さと自虐、怒りと悲しみがからみあった、この「万人対万人の不信」の地、混沌の地にあって、我々は問う。何をすべきなのか、何をしなければならないのだろうか、と。いったい「ウリ(我々)」とは何者なのか。傷ついたこの国のすべての「ウリ」の前に投げられた巨大な問いだ。(チェ・ウソン〈ハンギョレ21〉編集長)

 その日、「国家」という契約は破棄された。全南珍島で、大学生チェ・ジヌ氏(24、仮名)はまぶたを拭い、自身の目の前で繰り広げられている光景を再び見た。子どもの生死も知れず血を吐いて泣いている父母と、その泣き声を聴くことのできない政府官僚との狭間で、彼も共に問いただした。「これが本当に国なのか」。セウォル号沈没事故5日目を迎えた4月20日未明、珍島大橋の上に、彼の知っていた「大韓民国」は存在していなかった。

こっくりと居眠りする総理

 中間考査を前にして2泊3日の時間を割いたのは、彼なりの大きな決心だった。勉強するのに忙しくて学生会の活動も、ボランティア活動に乗り出したこともなかった。生存者の救助にプラスとなるのであれば「ノガタ(人夫仕事)でもしよう」という考えだった。進展のない救助の消息の中で彼が、がむしゃらな道に乗り出したのは、4月19日のことだ。2日間、せいぜい3時間ほど眠り働いたけれども、ソウルに戻ってきた彼に残ったのは充足というよりは絶望感だった。
4月20日未明、チェ氏は青瓦台(大統領府)に向かっている行方不明者の家族たちの後ろに付いた。どんな状況なのかもよく分からなかった。今にも倒れてしまいそうな危なっかしいオモニ(母親)たちを支えようとした。まもなく国務総理が到着し、警察がオモニらの行進を阻んだ。家族らは「うちの子どもが今も死んでいっている。どうか道を開けてくれ」と訴えたけれどもチョン・ホンウォン総理は、「私がここに皆さんたちの要請で来た理由は…」というような政治の言語を吐き出した。総理はそれさえもすぐに放棄し、警護員たちに取り囲まれて車に戻るのをチェ氏は見た。2時間余り家族らに取り囲まれたまま、彼が車の中でこっくりこっくりと居眠りしている姿も見た。「1国のナンバー2がそんなありさまでいいのか。本当に絶望しか感じませんでした」。
日常に戻った後も、彼は珍島の後遺症を患っている。「余りにも怒りがこみあげ、何もできなかったという絶望感と無力感のせいで、何度も声を張りあげたかった。ソウルに到着しても、じっと立っている警察官にまで胸倉をつかんでののしりたいのを辛うじて耐えて家に帰ってきた」。凄惨な国家の素顔に眼前で出くわした青年は、5千万国民がそうであるように、絶望と憤怒のらせん構造の中で自らを律しているところだった。
災難現場はときとして希望と連帯の空間になる。米国のジャーナリスト、レベッカ・ソルニットは2005年のハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオリンズをはじめとする幾つかの災難現場を深層取材した後に出版した本『この廃虚を凝視せよ』で「災難は地獄を通過して到達する楽園」だと書いた。廃虚の中で初めて利他主義や連帯主義が芽生えるからだと彼は分析した。ソルニットの分析ではなくとも、殺身成仁(身を殺して仁を成す)の義人、自願奉仕者(ボランティア)たちは世界の至る所で、「災難共同体」の希望をしばしば示してくれた。
セウォル号の沈没事故は違う。あえて希望を語ることのできない深淵の中に囚われている。押しよせたボランティアたちは珍島で、希望の代わりに絶望と怒りを感じたことであろうと口をそろえる。キム・ホンジュン・ソウル大教授(社会学)は、この事故を称して「建国以来、最も凄惨な事件」だと語った。「余りにも深くて大きい被害なので、言葉や文章でもまだ充分に説明することのできないこと」だと語った。
まだ咲くこともできない花たちが無数に散ったがゆえに、沈んでいる船の中で子どもらは大人たちの間違った指針を受けても落ちついてそれを守ったがゆえに、沈んでいる子どもたちを放置して大人たちが逃げてしまったがゆえに、そのすべての惨劇が生中継されたがゆえに…。セウォル号沈没事故が前代未聞の惨事とならざるをえない理由は、あふれかえるほどある。だが何よりも災難の実体を把握しぬくことよりも前に、その上に1つまた1つと積まれてしまった「また別の災難」の数々の影響が大きい。

報道されていない家族の言葉

 誰よりもまず行方不明者の家族らが、政府が話しメディアが報道した「また別の災難」の最大の犠牲者だ。「我々だけが知っている真実を前にして、次第に悲しくなります」。4月19日、いとこのキム・ピンナラ嬢(17)の救助を待ちながら珍島の現場を見守っていたハン某氏(28)は、自らのフェイスブックに書いた。「進展のない救助作業を待つのにくたびれはて、遂には傷ついていない遺体でも一目見ようとして」クレーン作業を要請した家族らに、政府は引き上げだけにこだわった。
一筋の真実を要求した家族らの前におかれたのは、いつも回避・言い逃れ、あるいはウソだった。家族らの「言葉」は報道されず、政府関係者たちの「言葉」は即座に電波に乗った。ニュースでは「政府が一生懸命に捜索作業をしている」と言うけれども、「そもそもどこに艦艇192雙、航空機33機、潜水夫555人がいるのか」。ハン氏は、ついぞ目にしなかった。「誰も、いかなる状況も、信じることができない」と彼は語った。待ちに待った末に一部の家族らが抗議をすると、記者たちは、もみ合いを編集して報道した。報道すると、「煽動勢力」「未開な国民」「遺族虫」…到底、口にできない獣の言語が、保護されるべき家族らを傷つけ、通りすぎて行った。
生存可能な「ゴールデンタイム」をなおざりにしてしまった政府は、遺体で帰ってきた子どもらを家族らに引き渡す際にも過ちを繰り返した。「まだ多くの人が涙を拭いながら待っているこの場所を離れるにあたって、率直に言って私は今やこのことの真実が何か、もはや知りたくもないほどに打ちひしげられています」。ハン氏は2度と共に笑い合うことのできない、いとこキム嬢の冷たい遺体を引き取って珍島体育館を出ながら振り返った。
多数の市民らが行方不明者の家族と思いを同じくする。〈ハンギョレ21〉がアンケート調査の専門機関「トゥィットサーベイ」と共に3856人に聞いたところ、回答者の73・8%が「セウォル号事故に関連した政府の発表を信頼できない」と答えた。69・2%は「事故に関連したメディアの報道を信頼できない」と答えた。74・1%は「事故に関連した諸情報が透明に公開されていない」と考えていることが明らかになった。
メディウェル病院アン・ジュヨン院長(精神科専門医)は「事実確認がされないまま『全員救助』という言葉がやたら出てくるとともに不信がわき起こり、災難を前にして右往左往しているわが国の現状を如実に見せつけるとともに、不信は一層増大し爆発した。既存の社会全般に対する不信へと投射されるとともに、『我々は何をやってもダメだろう』と決定づけてしまった状況」だと説明した。
政府やメディアを信じられない人々は、直接真実を求めに乗り出す。「みんなゾンビのようだ、利益になることのみに飛び付く。ここには生命救助の意志も、真実報道の意志もない。絶望的だ。大韓民国の遭難者たちの現住所は共同墓地のそれと同じで選ぶところがなかった」。サラリーマンのチョ・ジョンフン氏(43)が4月19日、小学生の娘を連れて訪れた珍島・彭木港で書いた文章だ。彼は「彭木港が地球外の港のようだった」と語った。家族らは絶えず真実を求めていたし、メディアや警察は彼らを無視しているかのように思えた。チョ氏は直接ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に珍島の実像を知らせることにした。「本当に伝えて下さるのですか。本当にこの事実を伝えて下さるのですか」。子どもを失った1人の女性が、彼に感謝しながら、泣き出さんばかりだった。地上波の放送や中央日刊紙を拒否する行方不明者の家族らがSNSに期待をかけなければならない状況を彼は理解しながらも、依然として納得しがたかった。

根本的なものがすべて崩壊


仕事のために1日だけで珍島から戻ってきたけれども、彼は自らのフェイスブックにずっと現地の消息を伝えている。1日も欠かさずニュースを見ながら泣いているけれども、惨たんたる思いの中で自らしなければならないことだと信じているからだ。空軍副士官出身の彼は「私が胸を痛めているもう1つの理由は、尊重しながら暮らしてきた愛国や愛族の基準が崩れ去ってしまったということ」だと語った。「余りにも多くの公職者たちが(珍島で)千両の借りを返すのではなく、万両の借りを作っていました。こうしていては決して解決することのできない負債によって、それらのシステムが不渡りとなる事件が発生しかねません」。
「牛を失って牛舎を直すこと(後悔、先に立たず)」さえ今回は通じない。多くの市民たちは「牛を失っても牛舎は直さないだろう」と予想する。アンケート調査で、「このような災難が、わが社会でまた起きると考えるか」という質問に「そうはならない」と答えた人は4・4%にすぎず、84・7%は「そう思う」と答えた。「万が一にあなたが災難状況に遭ったとして、政府の助けを受けることができると考えるか」については64・4%が「そうはできないだろう」と予想した。
サラリーマン・キム・ボナ氏(30)は「セウォル号事件を見守りつつ、政府は私を守ってくれないだろうという大きな悟りを得た」と語った。行方不明者の家族が味わっている現場はパニック映画の状況なのに、「政府の対応は一編の風刺映画を見ている感じ」だった。「小学生の時に三豊デパートの崩壊事故や(漢江にかかっている)聖水大橋の崩落事故を経験しました。子どもの時のことなので分からなかったけれども、その時も同じだったのではないかと思います。この国には国民のためのシステムが、はなから存在しないということを今さらながらに確認しました」。
だから地下鉄の運行の遅れさえ、改めて恐怖として迫ってくる。大学生キム・ソンジュン氏(25)は「はたしてこれは私だけの振る舞いなのだろうか」とたずねた。セウォル号事故翌日の4月17日午後、キム氏がソウル地下鉄1号線に乗って家に向かうところだった。「南営駅で列車の運行が遅れているので、しばしお待ち下さい」との案内放送があった。ちょうどスマートフォンでセウォル号事故のニュースを読んでいた。キム氏が語った。「瞬間的に、待ってくれという言葉に身の毛がよだちました。あゝ、待っている子どもらが死んだのにという考えが浮かんで」。幸いにも事故の列車は20分後に運行再開されたけれども、韓国社会の信頼のプロセスが復旧できるのかは疑問だ。
阻むことのできない災難の後には感情を制御することがでるけれども、阻むことのできた災難の後には怒りを鎮めるのは難しい。京畿道安山地域で働いているキム・ヨンスク氏(47)はセウォル号事故を見ながら、最近「無気力症と憂鬱症と火傷を同時に患っている」と語った。「これほどの極限状況は今後、あり得るでしょうか。これよりもひどい状況が生じると思いますか。国家情報院(選挙介入およびスパイ証拠のでっちあげ)、このようなイシュー(問題点)を見つつ、政府が不道徳だと考えたけれども、この沈没事故はそういう問題ではないじゃないですか。許されることではないじゃないですか。根本的な部分がすべて崩壊してしまった状況なのだから…」。

2つの道、不信と拒否

 クォン・キョンウ文化社会研究所長は、現在の国民的恐慌状態には連続性がある、と説明した。「これまでバラバラに分かれていた政府、または国家のシステムに対する不信と怒りが一挙に集約されて表れたのです。このような不信の問題がいかなる方向に流れていくのか、今後の韓国社会の体制に大きな影響を与えるでしょう」。崩れ去った信頼の前には2つの道が置かれている。新自由主義的競争と利己心が強化されるのか、新たな共同体に対する対案を求めるのか。現れた様相がどうであれ、「2つの道のいずれも、その本質は国家に対する不信と拒否」だとクォン所長は付け加えた。
友人を失った子どもたちでさえ、「政府」と「祖国」を否定する。「政府は無能だ。政府に怒りがこみ上げる」と語っている子どもたちの声は大人の物まねではなかった。自ら感じて考え出した言葉であることは明らかだった。4月23日、安山合同焼香所前で会ったイ・某君(17)は「船長が逃げるのを見て余りにも悲しかったけれども、珍島でラーメンを食べていた(ソ・ナムス)長官に対しても腹が立った」と語った。「残念です。生存の可能性が高かったのに結局、救助できなかったじゃないですか。(政府が)能力がないんです」。政府が何であるかも死が何であるかも知らなかったであろう子どもたちは数日間、ムダに過ごしたように思えた。
沈んでいる船を見ながら子どもらが学んだのは「大人たちを信じてはならないということ」だった。極度の悲しみを前にして、大人たちは子どもより劣って見えた。行方不明状態の友人を慕って焼香所を訪れたユ・某君(17)とその友人たちは異口同音に語った。「行方不明者の名簿の前で記念写真を撮り、珍島体育館でラーメンを食べている人たちがわが国の代表だということに、あきれはてます。その人々らは何の考えもないようです。長官は成績によって選ぶのではなく人性(人間性と人としての品格)によって選ばなければなりません」。同年代の悲劇を共有することは子どもらの領分だった。「同じ高校生だけに、よけい悲しいです。勉強だけして死んでしまったというのが、やりきれません」。
キム・ソンオプ高麗大教授(韓国社会研究所)は「既成世代の反省が必要だ」と指摘した。「既成世代は歴史的に成し遂げてきたことに対する補償を要求し、未来世代に対する配慮や義務には不充分なところがあります。今回の事故において、まず先に既成世代が脱出し、未来世代が規則を守っていて犠牲となったことが怒りをわき起こらせています。今後、世代関係についての部分も反省が伴わなければならないようです」。

「祖国が我々を裏切りました」

 「祖国が我々を裏切りました」。キム・某君(18)、パク・某君(18)は涙を必死にこらえながら、言葉を継いだ。「政府が今回の事件で(責任の)なすり合いをしているのを見て裏切りを感じました。やって来て、ひとことふたこと言っていけば大統領なのですか。(惨事の現場で)オバマは遺家族たちに直接、寄りそったのに、なぜわが大統領はそうしないのですか」。2人の少年は友人に送る手紙をぜひとも載せてくれ、と頼んだ。「愛する友人たちよ。水の中で苦しめられて大変だったね。天国でぐらいは、今よりももっと幸せに暮らせたらいいね」。子どもらの愛する友人が天国に行く時まで、大人たちはやったことがない。勉強だけしている子どもらが旅立つ時まで、大人たちはしてやったものがない。沈没する船を眺めている時ではない。子どもらのためにも、今は怒りの眼差しで、この廃虚を凝視しなければならない。(「ハンギョレ21」第1009号、14年5月5日付、オム・ジウォン記者、パク・ヒョンジョン記者)


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