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    かけはし2014.年5月26日号

苦い勝利、しかし本物だ!


チュニジア

女性活動家、アレム・ベルハジとの対話

ピーター・ドラッカー


 

 一般メディアに、アラブの春の先陣を切ったチュニジアに関するニュースは少ない。ここでは民衆の抵抗運動がイスラム勢力の政権打倒に成功し、実務者政権の下で新憲法制定までこぎ着け、近々選挙が行われる。このチュニジアの現況について、女性活動家から見た評価が伝えられているので以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

 チュニジア民主女性協会(ATFD)の元代表のアレム・ベルハジはまた児童精神科医である。同時に、チュニジア労働総同盟(UGTT)傘下の大学病院全国医師組合メンバーであり、チュニジアの第四インターナショナルの長期にわたる活動家だ。二〇一〇年一二月におけるチュニジアの反乱勃発から三年、ベルハジは依然、希望の源を提供するチュニジア人の社会的諸闘争の中に、沸騰とエネルギーを見ている。「革命の歩みは今なお進行中だ」。

アンナハダ打倒は不可欠だった


しかし、二〇一二年一〇月に人民戦線の形成によって幕を開けられた政治的展望の中で、残っているものはほんのわずかでしかない。とはいえいずれにしろベルハジは、原理主義者のアンナハダ党が支配した政権が権力から追い出されたことを、また世俗主義と女性の諸権利に対する脅威に待ったをかける憲法が採択されたことを喜んでいる。
ベルハジによれば、アンナハダに反対する闘争を行うことは絶対的必要だった。「私は進歩的解釈を備えた穏健なイスラムを信じているが、穏健なイスラム主義を信じはしない」。あらゆる様々な傾向を付随したチュニジアのイスラム主義は、その異質性にもかかわらず、宗教を名目とした統治を欲し、「個人生活の細々としたことがらに干渉するイスラム」、「アラーの名の下に支配するイスラム」を基として社会のイスラム化に力を与えることを欲している――そしてその時点から政治的プレイヤーは、宗教を専有し、「それがすべてにまさる」を名分に統治する――。
チュニジア人は、権力の地位に着いた原理主義に関し見解を作り上げる一年半を経験した。つまり、その新自由主義経済政策、EUとIMFとの間で締結された諸協定、さらに腐敗と無能力が、厳しい経済危機、生活費用の高騰、失業、インフレそして債務といったものに導いた。そしてその犠牲を引き受け続けているのは最貧困の社会層なのだ。
ベルハジは医師として、「ぼろぼろに崩れつつある公共保健サービス」を日々見つめている。アンナハダの省庁は、このシステムを改良し救い出す代わりに、彼ら自身の組織人員からなる「ものすごい数の助言者」をもってこのシステムに重荷をかけた。そして国有諸企業を低価格で彼らの関係者に売り払った。いずれにしろベルハジは、「マグレブ(サハラ砂漠以北のアフリカ)全体を含んだ新たな発展モデル以外には」どのような経済的回答もない、と見ている。
アンナハダ政権は経済的危機の故に民衆的抗議によって追い出された。しかしその理由はそれだけではなく、彼らが女性の諸権利と芸術の自由を攻撃したこと、EUやIMFと結んだ諸協定のように、チュニジア人には縁遠い社会モデルを強要しようと欲していることもまた挙げられる。この政権はこれらすべての失策の故に――さらにまた人民戦線の指導者であったショクリ・ベレイドとモハメド・ブラームの殺害で頂点に達した、この政権に責任がある暴力の故にも――打倒された。ベルハジによれば、アンナハダ自身は彼らを殺害しなかったとしても、左翼に対する暴力に責任があるサラフィスト(元来はイスラム宗教改革をめざした運動を指す呼称だったが、現代ではもっぱら原理主義者の別名となっている:訳者)とアンナハダの間には、相当な数の結びつきがある。彼女は、アンナハダの閣僚たちの例を挙げている。その者たちの息子は、よく知られたサラフィストの戦士、アンナハダ民兵(「革命防衛同盟」)なのだ。そしてその部隊が労働組合運動に攻撃をしかけた。また出回っているビデオも挙げられる。そこでは、アンナハダメンバーがサラフィスト集会で「忍耐を」と演説しているのを見ることができる。

人民戦線は第三の道提示に失敗


人民戦線――ほとんどすべての急進的左翼を結集することで、当初はまったく有望なものだった――の指導者たちは、以前のベンアリ独裁体制の中心的人物多数を含む自由主義ブルジョアジーと連携する方向に導かれた。そこにあるものについてベルハジは、革命進展における民主的かつ社会的任務をはっきりさせることに関する理論的かつ政治的明晰性の欠如だけではなく、また大きな程度でサラフィストの脅威もある、と確信している。
サラフィストの暴力と脅威は実体のあるものだったのであり、「恐怖を浸透させるという十分に計算された政策」を表していた。しかし戦線指導者たちが行った選択は、警察の保護を受け入れることによる対応だった。しかしその警察は変わることなく、以前の独裁体制の一部隊と見られている――なぜならば、「真理に基づく移行下の司法」は依然として、これまでほとんど本気で取り組まれたことのない任務であり続けているからだ――。
したがってその形成が「大きな達成成果」であった人民戦線は、最貧困層に見えるものとしては、原理主義者と世俗主義ブルジョア勢力に代わるもの、あり得る第三の道という点で大したものではないと見えている。それはあっという間に支配的秩序に吸収されるようになっている。それはたとえば、米国大使館から歓迎されることによって象徴されている。
その上で、サラフィストの暴力は、事実として人民戦線の右翼的展開に対する唯一の説明ではない。ベルハジは別の諸側面に言及する。たとえば、戦線のほとんどすべての構成組織に見られる組織的弱さ、および特に「未だ変更されていない古い諸伝統」がある。
人民戦線の中には人はあらゆるものを見つけ出すことができ、そこには、元アルバニア派、毛沢東主義者、スターリニスト、サダム・フセイン礼賛者であった民族主義者が含まれている。これが、人々がまだ問題にする準備ができていない思想的混乱へと導いている。それどころか混乱は、想定上の「民族ブルジョアジー」を支持する傾向を強めている。
チュニジアにおける第四インターナショナルグループである労働者左翼同盟(LGO)は、先頃終わった大会で人民戦線を強く非難したが、路線闘争を行うためにそこにとどまることを選択した。民族救済戦線に反対した三つないしは四つの他の組織は、小さな孤立した批判勢力としてLGOのみを残して人民戦線を離れた。二、三〇人のLGOメンバー、特に若い人たちも、人民戦線の外部にもう一つのグループを作り、真に自立した左翼連合をつくり出そうとLGOからも離れた。しかしベルハジは、このどちらの見通しにもあまり楽観的ではない。
ベルハジは「難しくなりそうな選挙の進行」に大きな心配を感じている。「棄権の水準は、特に若者の間で非常に高くなる可能性がある」と。そして、十分に準備が行き届いたインフラ――モスク、コーラン学校、また気前のいい資金ばらまき――を基礎とした、イスラム主義派の依然として残る相当な強さを考慮した場合、彼らは、「投票日当日の後退という危険」はもちつつも、来る選挙では今なお本命の中にいる。

活発さ保つさまざまな社会運動


依然残っているものは「活発な」社会運動、特に強力な労働組合、UGTTだ。UGTTの以前の指導部を構成する大きな部分は政権の支柱だったという事実にもかかわらず、ベルハジは、この連合は現在「国の主要な社会的勢力」であり、UGTTのほとんどの指導者はベンアリに抵抗した活動家だった、と見ている。しかし今それは、「独立した政治的役割を果たしていず、その基盤を表現する政治的権力についての理想を守っていない」。
UGTTの内部機能に関する改革はこれまでまったくなかった。そしてベルハジは中間レベル指導部にいる一女性として、しばしばその結末を経験している。UGTTは「極めて性差別的な部分だ」と彼女は語る。すなわち、労組員の四四%は女性であるが、しかし女性の組合指導者は組合指導者の一%から三%の間にあるだけであり、連合執行委員会の中には一人の女性もいない。ベルハジは、UGTT内部での同数制を要求したことで、大会の中でありとあらゆる名前で呼ばれた。
他方でチュニジアには、ベルハジがその代表であるATFDを含んで、むしろ強力なフェミニズム運動がある。新憲法に対して、フェミニストたちは「最悪を回避した」。憲法は、労働、暴力からの保護、選出機関内部での同数制、また平等な機会、これらに対する女性の権利を確認している。しかしそれは「真の平等を保障はしていず、女性の権利に対する異なった解釈に扉を開いたままにしている」。
たとえばフェミニストは憲法制定会議で、家族に関する論争に敗北した。彼女たちは家族から自由になる個人としての権利を確実にしたかったのだが、最終的文言は、社会の基礎的単位としての「家族」は、国家によって保護されなければならない、と記述している。「それこそが女性が暴力に甘んじている理由であり」、「家族を守る」ためにということだ。
チュニジアでは、今も夫が家族の長であり、家父長的保護が基準であり続け、遺産配分での女性差別がある。貧困の女性化は続き、しかも加速中だ。そして暴力は、その現象と戦う実体ある戦略がまったくないまま、チュニジア女性のほぼ二人に一人に降りかかっている巨大な問題として今も残っている。チュニジアの法は、犠牲者――一三才ないしは一四才の少女すらいる――と結婚することによって有罪宣告を免れるために未成年者をレイプする男を今なお容認している。
その上にイスラム主義者は、「女性差別廃止に関する国際協定」の実行を求める要求の中に、同性婚導入というもくろみまで見てきた。そして彼らはそれを、反フェミニズムキャンペーンの基礎にしつつある。
ATFDは同性愛の脱犯罪化を要求してきた。また脅迫がありながらも、小さなLGBTグループや個人の自由擁護グループも現れつつある。しかしそれでも、この要求はチュニジアでの議題には載っていない。

▼筆者はオランダのゲイ活動家。米国出身の彼は、一九九三年〜二〇〇六年にアムステルダムのIIRE(調査・教育のための国際研究所)共同責任者を務めた。彼は世界広がりをもつLGBT運動に関する著作や論文を書いてきたが、特に、「様々な虹」と呼ばれた第三世界のゲイと左翼に関する先駆的な論集を編纂し広めた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年四月号)

コラム

漫画「美味しんぼ」の波紋



 改めて子どもたちの社会に対する敏感さを思い知られた。日曜日の夕方銭湯に行くと番台横のロビーにある漫画コーナーが、小学生の子どもたちに占領されていた。誰もが手にしているのは、休載が決まった漫画「美味しんぼ」。
 福島第一原発の事故の影響で鼻血が出たなどの問題を取り上げて議論を呼んでいる漫画「美味しんぼ」を連載してきた「週刊ビッグコミックスピリッツ」は最新号で、「批判を真摯に受け止め、表現のあり方について今一度見直す」という見解を出し、次号から「美味しんぼ」を休載すると発表した(発売日は5月19日だが5月18日の夕刻には本屋に並んだ。子どもたちはすでに最新号を手にし、文庫本などを回し読みしていた)。
 取材中の主人公が鼻血を流している描写や井戸川克隆・前双葉町長が「福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしているからですよ」とインタビューに答えるシーンが論争となった。一方は「そうだ、政府や東電は健康被害のデータや数値を隠している」。他方では「風評被害を拡大する」という意見だ。この点について私は結論を持ち合わせていないので、福島の人たちの意見を聞いてみたい。
 私がここで是非とも書きたいと思ったのは、先日ニュースで見た森雅子消費者行政担当相の記者会見での発言についてである。たしかに彼女は参院福島選挙区の選出であるが、あたかも福島県民を代表しているかのように「大きな影響力のある漫画が誤解を与える内容は大変残念だ」「根拠のない差別や偏見を助長する」と意気込んでいた。
 二〇一二年の六月の東日本復興特別委員会で彼女は今回の「美味しんぼ」と全く同じ立場で当時の民主党政府を追及している。その発言を多少長くなるが引用する。
 「(将来原発事故が原因で病気になった場合)被害者の方が、子どもたちの方が、この病気は原発事故によるものだということを立証しなければならない。これはほとんど無理なのです。…具体的にはこんな心配の声も聞いています。子どもが鼻血を出した。これは被ばくによる影響じゃないかと心配で診察してもらった。そのお金はどうなるんですかということです」。
 野党の時と権力の側にいる時では、同じ問題でも立場が真逆に変わる。共通しているのは、彼女の発言が「ふくしま」を人質として利用しているということだけだ。復興の遅れを隠し、帰還運動のじゃまになるものは取り除くこと、発言の出発点はここにある。
 同じ二〇一二年三月の参院予算委員会で自民党の熊谷大議員は「四月から七月までの保健室利用状況(宮城県の県南の小学校)では、四六九名に頭痛、腹痛、鼻血出血が出ているのです。このような結果が出ているのに本当に不安はないと言えますか」と政府に迫っている。今や熊谷議員もまたこの質疑がなかったように振る舞っている。「忘却とは忘れ去ることなり」とはよくも言ったものだ。         (武)


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