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    かけはし2014.年5月26日号

「集団的自衛権」の合憲化阻止


「安保法制懇」報告書に怒り

憲法を「解釈」で破壊するな

安倍政権打倒の共同戦線をつくり出そう


 

「平和主義」の全面的放棄

 五月一五日、安倍首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、安倍首相に報告書を提出し、これを受けて安倍首相は首相官邸で同報告書への政府としての立場を説明する「基本的方向性」について記者会見を行った。
 安保法制懇の報告書は、歴代の自民党政府によって「憲法九条に反する」として繰り返し否定されてきた「集団的自衛権の行使」について、一転して「合憲」と解釈し、日本が攻撃を受けていない場合でも海外で軍事攻撃に打って出ること、すなわち戦争を行うことに道を開くものである。それは違憲であることが繰り返し確認されてきた「集団的自衛権の行使」を一内閣の決定によって「合憲・合法」へと解釈変えし、海外で「戦争する国家」に転換し、憲法全体の理念的基本骨格である「平和主義」を具体化した九条を廃棄するものにほかならない。
 「集団的自衛権」行使合憲化の安保法制懇報告と安倍首相の「基本的方向性」の提示はまさに改憲によらない憲法破壊のクーデターである。以下、「安保法制懇」報告書(全文は朝日新聞5月16日朝刊に三面分を使って掲載されている)と、安倍首相の「基本的方向性」に即して批判する。
 ただしそれ以前に言っておかなければならないことは、安保法制懇それ自体の議論のいかがわしさである。すべてが集団的自衛権行使の容認論者であり、安倍の「お友達」で固められた安保法制懇においてさえ十分な論議が行われておらず、論議の際にも「報告書」原案は机に置かれただけで配られず、委員個々のメモに基づく討論しかできなかったことや、「報告書」の完全版が委員に送られてくるより先に新聞にその内容が報じられたことに、委員が不満を漏らしているという(朝日新聞5月15日朝刊)。「お友達」であるはずの委員自身が「自分は政権の駒として利用された」とボヤいているという論議のあり方の中に、安倍政権の強権突破路線が如実に示されている。
 まさに安保法制懇の「論議」とはあくまで形式であって、「座長代理」をつとめた実質上の統括責任者である北岡伸一(国際大学学長)など、ごく一部のメンバーが安倍首相らとの緊密な連絡を取りながら作り上げた「初めに結論ありき」のしろものであったことが明らかなのである。

「立憲主義」否定するのは誰か?


第一次安倍内閣で二〇〇七年に作られた「安保法制懇」(委員は今回と全く同じメンバー)の報告書では、四つの類型(@公海における米艦の防護A米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃B国際的平和活動での武器使用――駆けつけ警護などC同じ国連PKO等に参加している他国の活動への後方支援)に即して検討し、@Aについては「集団的自衛権」の行使が必要であり、BCに関しては、そこでの自衛隊による武器使用は集団的自衛権の行使にはあたらないとした。そしてそのいずれにおいても憲法解釈の変更で対応可能となり、憲法改定は必要ないとされたのである(この時期の「集団的自衛権」論議については、『ピープルズ・プラン』40号[2007年11月]所収、国富建治「『集団的自衛権』論議はどこへ行く」参照)。
しかし周知のようにこの第一次安保法制懇報告が最終的に提出されたのは二〇〇八年六月になってからであり、その時すでに安倍首相は退陣し、後任の福田首相は「集団的自衛権」行使に関心を持っていなかったため、同報告書は完全に見捨てられる結果となった。
同じメンバーからなる今回の報告書は、四類型の枠を超えて、より包括的なものになっている。それは「我が国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間に一層大きく変化した」という認識に基づいている。その変化とは、北朝鮮のミサイル開発継続に加えて「特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化していること」だ。そのため「国際社会における平和の維持と構築における我が国の安全保障政策の在り方をますます真剣に考えなくてはならない状況」となっており、かつ「アジア太平洋地域に安定と繁栄の要である日米同盟の責任も、更に重みを増している」という情勢把握に立脚して、「あるべき憲法解釈の内容、国内法制の在り方」について検討するという形を取っている。
安保法制懇報告書の内容は「はじめに」、「T 憲法解釈の現状と問題点」、「U あるべき憲法解釈」、「V 国内法制の在り方」、「W おわりに」という構成になっている。
「T」では最初に「憲法解釈の変遷」についてふれた上で、自民党の高村副総裁などがこの間しきりに宣伝している一九五九年一二月の「砂川事件最高裁判決」で「憲法第9条によって自衛権は否定されておらず」「国家固有の権能の行使として当然」としたことが「大きな意義」を持つと強調した。さらに「同判決が、我が国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべき」としていることはまさに「牽強付会」のこじつけとしか言いようがない。
すでに多くの憲法学者も批判しているように、「砂川事件最高裁判決」をもって「集団的自衛権を否定するものではない」とはこれまで誰も敢えて主張しえなかった暴論である。さらにそもそもこの最高裁判決は、安保に基づく米軍の駐留を違憲とした同年三月の伊達判決を覆すために、田中耕太郎最高裁長官と駐日米大使館、そして岸内閣とが打ち合わせして下した「司法の独立」を踏みにじる違法・無効なものであり、元被告たちによって同最高裁判決の違法・破棄を求める提訴が現在準備されている。
次に安保法制懇は、「自衛権解釈」における「政府解釈」が変遷してきたことを指摘し、「集団的自衛権」を合憲化することは当然だとして、次のように述べている。
「そもそも、いかなる組織も、その基本的使命達成のために、自らのアイデンティティを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を遂げていかなければならない。そうできない組織は衰退せざるを得ないし、やがて滅亡にいたるかもしれない。国家においてもそれは同様である」「ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化に関わらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化されるようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない」。
報告書は「それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理である」とまで断じている。自ら憲法を無視し「立憲主義」を否定しておきながら、憲法解釈を変えないのは「立憲主義の否定」だと逆切れ的に居直っているのだ。
ついでに言えば、石破茂自民党幹事長の『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)でも、これまで「自衛権」についての政府の解釈自体が変遷を遂げてきたのであり、憲法九条のどこを読んでも「集団的自衛権」を否定していないのだから、いま「憲法改正せずとも(集団的自衛権の)行使は可能」としている。安保法制懇報告書の論理もそれと同じものである。
憲法の条文に関して、その内容をまったく逆のものに「解釈」変えを行っても構わないというこの主張は、権力者の恣意を正当化するものであり、それこそ「立憲主義」の根幹を破壊するものだということをあらためて確認すべきだろう。

9条と集団的自衛権の「合体」

 安保法制懇報告書が、さらに欺瞞的に強調しているのは「憲法の基本原則」に照らして、「集団的自衛権」と憲法九条を「合体」させようとしている点である。
まず最初に、憲法の平和的生存権と「生命・自由・幸福追求権」が基本的人権の根幹であり、「これらを守るためには我が国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠」とする。
さらに「国民主権」のためには「国民の生存の確保が前提」であって、そのためには「我が国の平和と安全が維持され、その存立が確保されていなければならない」のであり、「国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない」とする。次に「報告書」は「国際協調主義」の観点から言っても「国際的な活動への参加」は「我が国が最も積極的に取り組むべき分野である」と強調し、また憲法の「平和主義」の立場は「自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的な行動を行うべきことを要請している」と断じ、安倍の唱える「積極的平和主義」を持ちあげている。
ここでは日本国憲法の原則が、国家権力に対して掲げられるものではなく、国家権力によって上から主導されるべきもの、というすり替えが行われている。すなわち「日本国民」は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という現憲法前文の文脈が、国家を主語にしたものへとすり替えられている、と言わなければならない。
報告書はその上で「我が国として採るべき具体的行動の事例」として六つの例を挙げている。@我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等、A米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援、B我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去、Cイラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加、D我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合の活動、E海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応、である。DとEは、いわゆる「グレーゾーン」に属する事例である。
なお、このDEの「グレーゾーン」対応は、いずれも「集団的自衛権」問題とは何の関係もない。しかしこれらの事例が、敢えて取り上げられることに、きわめて意図的な世論操作のねらいが浮かび上がってくる。

「必要最小限度」のごまかし


報告書は「U あるべき憲法解釈」の項で現憲法の九条1項の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」について、「我が国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、また国連PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべき」と主張する。したがって九条2項において保持を禁じられている「武力」は「我が国が国際紛争を解決するための武力」なのであって個別的・集団的を問わず「自衛」のための実力や国際貢献のための実力の保持は禁じられていない、と主張している。
しかし、多くの戦争が「自衛」を名目にして行われている以上、「国際紛争を解決」するための武力行使あるいは武力の保持と「自衛」のための、あるいは「国際貢献」のための武力の保持を区別することなどできないことは自明の理である。
その上で報告書は、かりに「(自衛のための)措置は必要最小限度にとどまるべき」ものとしても、「必要最小限度の自衛」の中には「個別的」・「集団的」双方の自衛が含まれる、とまさに詭弁的に主張するのである。
報告書は述べる。「我が国においては、この集団的自衛権について、我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が攻撃されていない場合でも、その国の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献することができることとすべきである」。
そしてその「集団的自衛権」の「必要最小限度の行使」の範囲を決めるのは「政策的判断」であると主張する。したがって「地球の裏側」まで行くのかという論議は「不毛」であって、それを決めるのは「政策的判断」だということになる。結局、「地球の裏側」まで自衛隊が出かけることはその時々の政府の判断によって可能となってしまうのだ。
それは、「集団的自衛権」の発動にとどまらない、国連の「集団安全保障措置」への自衛隊の参加を積極的に推進することにつながっている。
「国連の集団安全保障措置は、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力行使にあたらず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。国連安全保障理事会決議等による集団安全保障措置への参加は、国際社会における責務でもあり、憲法が国際協調主義を根本原則とし、憲法98条が国際法規の誠実な遵守を定めていることからも、我が国として主体的な判断を行うことを前提に、積極的に貢献すべきである」。したがって報告書は、湾岸戦争、イラク戦争などへの自衛隊の参加を促す内容となっており、それと結びつけてPKO活動などにおける武器の使用は「武力の行使」にあたらないのだから、あらゆる制限を取り払ってPKOへの参加を強化すべきだということになる。
さらに報告書は「在外自国民の保護・救出」や「国際治安協力」などへの自衛隊の主体的参加を促した上で、いわゆる「グレーゾーン」など「武力攻撃に至らない事態」への対応の明確化を促している。
そして最後に、「必要最小限度の範囲での自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない」と強調している。
もちろんこれは改憲しなくてもいいという主張ではない。事実上の「改憲」=「壊憲」を先行させた上で、明文改憲へのテンポを加速させる安倍自民党政権の意向に沿った役割りを意識的に果たすのが、「安保法制懇」の役割なのである。

6月国会行動に総力を!

 安倍首相は安保法制懇の報告書を受けて、当日午後六時から首相官邸で記者会見を行った。安倍は安保法制懇の報告のうち、「個別的・集団的を問わず、自衛のための武力行使は禁じられていない、国連の集団安全保障措置の措置など、国際法上合法の措置への参加に憲法上の制約はない、という安保法制懇の考え方は政府の憲法解釈と論理的に整合せず、採用しない」とした上で、「限定的に集団的自衛権を行使することは許される」と述べた。
安倍は大きなパネルを使って訴えた。
「アジアやアフリカでたくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動している。しかし彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、この地域や国において活動している自衛隊は彼らを救うことができない」「皆さんが、あるいはお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのか」。
「まさに紛争から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を、今私たちは守ることができない。そして世界の平和のために、まさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、私たちは、自衛隊という能力を持った諸君がいても守ることはできない」。
安倍は、「湾岸戦争やイラク戦争のような戦争に日本が参加することはない」とも説明し、何度も「平和主義」を繰り返した。「集団安全保障」に参加しないという安倍は、しかしNATOの「集団的自衛権」の行使という形で行われたアフガン戦争のような戦争に「参加しない」とは言わなかった。ベトナム戦争もアメリカにとっては「集団的自衛権の行使」だった。安倍はまさに「国民の命と安全を守る」という名目での「集団的自衛権」の行使を否定していないのである。
「地球の裏側」に自衛隊を送ることを否定していない石破自民党幹事長は、安倍政権の下では「集団安全保障」には参加しないが、その先については否定していない。
安倍政権は、安保法制懇の報告を受けて、公明党との与党協議を進め、今国会中の「集団的自衛権」容認閣議決定に踏み込むことを目指している。安倍政権にとっては年末のアメリカとの新ガイドライン策定に間に合わせて、関連諸法案の成立をはかることが目標となっている。
五月一三日、「解釈で憲法9条を壊すな」実行委員会は、国会ヒューマンチェーンを二五〇〇人で成功させるとともに、五月一五日の安保法制懇報告書提出と首相「基本的方向性」表明に合わせて午後六時から二〇〇〇人の結集で緊急の官邸前行動を行い、強い抗議の意思をぶつけていった。
五月二七日には、与党協議をにらんで午後六時半から衆院第二議員会館前で抗議行動を行い、六月一七日には日比谷野外音楽堂で大集会・デモを準備している。「戦争をさせない一〇〇〇人委員会」も六月一二日に日比谷野外音楽堂での集会を企画している。
これら一連の集会・行動を成功させるとともに、「立憲主義」をその根元から破壊する安倍政治に対する広範な危機意識を掘り起こすための闘いが求められていることは言うまでもない。
憲法破壊・平和破壊・民主主義破壊の安倍政権を打倒しよう!(平井純一)



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