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    かけはし2014.年5月19日号

民衆蜂起は革命的変革と同義ではない


ウクライナ

ヴォロディミル・イシュチェンコへのインタビュー

資本主義が民衆への脅威であるが
実体的オルタナティブが見えない


 


 以下は、ヴォロディミル・イシュチェンコへのインタビューを文書に起こしたもの。インタビューは、チュック・メルツによって、「これは地獄だ!」ラジオ局で四月一九日に行われ、シカゴを本拠とするラジオ局、「アンティドート・チューン・コム」、そして「レフトイースト」間の協力の下に組織された。これは、インタビューの完全再録版であり、番組後にヴォロディミルが文書で回答した最後の二つの質問を含んでいる。

二つの蜂起、今問題は東部に


――われわれと今電話がつながっている人物はヴォロディミル・イシュチェンコだ。彼はウクライナの社会的抗議運動を研究している社会学者だ。こんばんは、ヴォロディミル。

 こんばんは。

――ヴォロディミルの最新論考には、四月一五日付ガーディアン・ポストの「マイダンか、それともアンティマイダンか/ウクライナ情勢はもっと繊細な受け止めを求めている」が含まれている。
ここでは今週、BBCから届いた話がある。ロシアとウクライナが危機を終わらせる道筋について合意した、というものだ。「ロシアとウクライナは、『親ロシア派民兵』が焚きつけた東部ウクライナの不穏な情勢を終わらせるために、一つの取引を一七日取り決める」とある。この合意はウクライナの問題すべてを解決したのだろうか? これはウクライナ市民に対し安全と安全保障を提供すると考えるか?
米国メディアの中で広まってきた諸々の話の一つは、クリミアの中に、さらに東部ウクライナの中にもある考え方であり、それは、キエフは無法状態になった、そこはギャングに支配されるようになった、犯罪活動があるようになった、そこに安全はない、さらに、彼らは同じ類の混乱がクリミアあるいは東部ウクライナに達っしかけていると恐れている、というものだ。

 それはひどく誇張された絵柄だ。キエフの生活は全面的に安全だ。それはまったくのところ、東部ウクライナよりも今ははるかに安全だ。他方東部ウクライナの場合、ドンバスには、州の建物を襲撃した武装ギャングがいるのだ。それらのある者たちはその地で抗議に立ち上がっている人々のように見えるが、しかしある者たちは、まさに何ほどか民兵として、まったく十分な装備をもち、十分すぎる訓練を受けているように見える。たとえ彼らがロシア人やロシア主義者ではないとしても、彼らはまた、新政権からの処罰を逃れるためにキエフを離れた、元治安対策特別警察官でもあり得るのだ。
キエフは、中心部で本物の混乱と街頭の衝突があった二月よりも、画然とはるかに安全になっている。大きな問題は東部ウクライナの方にある。

――この抗議運動に関して二つ一組のまったく一般的な質問をさせて欲しい。メディアは、何らかの抗議を取り上げたすべての場合、エジプトであろうが、ベネズエラであろうが、どこであっても問題ではないが、しばしばそれは経済に関わっていると指摘する。そして、その地域が経済に関し後退に向かっていなかったとすれば、抗議活動は決して起こらなかったはず、と言う。それはほとんど、人々が彼らの権利や自由に気をもんでいる場合には抗議など起こるものではない、とメディアが語っているようなものだ。
そこで、ウクライナの蜂起では経済はどの程度の役割を占めたのか? これはまったく自由と権利に関わるものなのか、あるいは、まさに収支決算に、ウクライナ人の財布に関わるものなのか?

 実際には二つの蜂起があった。知っての通りマイダン蜂起――一二月に始まり、一月になってもっと暴力的になった――がある。そして今、東部ウクライナの蜂起がある。それらには似通った多くの特徴がある。しかし今の東部ウクライナでは社会・経済的要素が幾分かより深い。そこでは経済情勢が本当に悪化の途上にある。
ウクライナ通貨はここ二、三ヵ月でその価値をほぼ四〇%近く失った。諸物価は高騰を続けているが、東部ウクライナの人々は主に労働者と年金生活者なのだ。彼らは賃金について、諸物価について、産業の崩壊について今話している。彼らのある者は国有化を要求し、またある者は彼らの労働に対するまともな賃金支払いを要求している。その抗議運動はより経済に関係している。つまりそれは、彼らの帰属とはまさに関係していない。
しかし同時に彼らはもちろん、彼らの尊厳、彼らの言語、彼らの歴史、彼らのヒーローたち、そして話題の連邦化問題――そしてこれがまた、彼らの自決権に対する認知という問題、具体性をもった自由と権利の問題をも活気づけている――に関しても発言している。
マイダンの抗議はある種より思想的な抗議として始まった。それは一定程度、欧州をウクライナの多くの問題を解決すると思われる一種のユートピアと見なしながら、欧州の夢に向かって突破口を切り開く挑戦だった。そして他の人々にとってのそれは、ロシアに反対する抗議だった。ヤヌコビッチが欧州連携協定に署名しないとすれば、彼はロシア、ベラルーシ、カザフスタンとの関税同盟に加わるだろう、全体的にはこのように信じられていた。しかしこれらの諸国は、ウクライナがそこに自ら向かう必要のない貧しく権威主義的な国々として、まったく否定的な色合いの中で信用されていなかった。
しかしマイダン蜂起中の後半、警察の弾圧と暴力という問題、一月に通過させられた権威主義的な諸法令――それらが前線に引き出されてきた――という問題が出てきた。そしてこれらの問題が欧州連携協定よりも重大なものとなった。

諸要素の複雑な組合せに注視を


――あなたに聞きたいもう一つの一般的質問がある。つまり、こうした抗議はどの程度外部勢力によってつくられているのか、ということだ。先週からのウィキリークスの暴露――米国に友好的でない政権の打倒を助ける、あるいはそれを不安定化する試みとしてこれまでなされてきた仕事、並びにUSAIDに関する――以来、ここ合衆国では、USAIDとNEDが果たしている役割に関して、メディアの批判的部分の中で何ほどかの話が出てきた。
そしてその上でロシアの要素を取り上げてもらえればありがたい。米国のメディアによれば、東部ウクライナで抗議に立ち上がっている者たちはロシアに操作され続けていることになっている。
それゆえこれは、本当にウクライナ人の蜂起なのか? あるいはまさにチェスの駒を使った超大国の勝負なのか?

 まったくのところそれこそが、今議論の中にある大問題だ。東部ウクライナで起きている反マイダン蜂起を好まない人たちは、それを主にロシアの操作と見ている。つまり、もっと権威主義的な体制を欲する、ロシアの独裁を欲する、自身の真の利益を理解していないまさに合理性を欠いた、愚かしい人々(が蜂起参加者:訳者)、というわけだ。
そしてそれと対照的な絵――ロシアのメディアあるいはマイダンの抗議運動を好まなかった人々による――は、西側の諸政府あるいはウクライナの新興財閥による操作、という絵だ。主張はまたも、民衆は彼らがそのために闘っているものを理解していない、というものだ。
あなたは明らかに、米国とロシア双方とも――そしてEUも――ウクライナの政治に影響力を働かせようとしていることを否定などできない。否定したとすれば、それこそ愚かしいこととなるだろう。それらは大国であり、自身の帝国主義的利害をもち、そしてそうしたものこそ、これらの国からわれわれが予想できることなのだ。
しかしその上で、あなたはこの抗議運動の草の根的本性を否定している。民衆は真の諸問題を話し合っている。民衆は、西ウクライナではマイダンで、また東部でも双方で今、自己組織化を進めつつある。それゆえあなた方はまさにそれを、話題の大国の勝負に切り縮めてはならないのだ。
同時にそれはまた、運動が実際の結末に達する際にも問題となる。これらの抗議運動の最終結果はどのようなものになるのだろうか? マイダンの場合にわれわれは、IMF――緊縮を要求した――、諸物価の高騰、新たな新自由主義政府、そして極右の強さの高まりを見ている。そして東部ウクライナの抗議の場合には、それが止まらないとすれば、それはウクライナの政治的安定性にとっては本物の危険となるだろう……そしてそれは次にはロシアによって、彼ら自身の利益を促進するために利用されると思われる。
しかしわれわれは、様々な諸要素からなるこの複雑な組み合わせをよく見る必要がある。ウクライナの民衆は彼らの諸問題を解決したいとの希望をもっているのだ。つまり彼らは、より公正で自由な社会のために闘いたいと思っている。しかし彼らはまた、海外の主体からも影響を受けている。そして不幸なことだがウクライナは今、大国の試合場と見られている。

――米国のメディアがまさに今伝え続けている愚かしいことの一つは、クリミアにウラジミール・プーチンがロシア軍部隊を送り込んだ理由――ウクライナに関して彼が力を誇示できる理由――はすべて、彼がバラク・オバマが弱体だと確信していることにある、というものだ。あなたは、そこには本当のところ何らかの根拠がある、と考えるか?

 それはノーだ。それが大きな物語になっているとすれば、それこそ滑稽に聞こえる。私が思うに、クリミア併合の背後にある主な要素は国内政治だった。プーチンは、ロシアでウクライナのようなことを繰り返す試みはどのようなものであれ功を奏さない、ということをロシアの民衆に示す必要があった。クリミアは、ロシア住民内部で愛国主義を高めるために、ロシアの反政府勢力――マイダンからまったくたいそうな勇気を得ていた――がロシアで似た何ごとかに挑むことを可能にする機会すべてを狭めるために、必要だったのだ。
すぐ終わる、そして勝利に終わる作戦がまさに切に必要とされていた。そして今世論調査から知られていることは、ロシア人の八〇%以上がクリミア併合を支持し、八〇%以上がプーチンの政策を支持し、大統領を中心とする大きな程度の国民的団結がある、というような何ごとかだ。

ウクライナ問題に軍事は破壊的


――この問題に対しては軍事的解決というものはあるのか? われわれに聞こえてくるものは次のようなことだ。すなわち、西側はロシアを止めるために十分なことをやろうとしていない。しかし米国とロシアが何ごとかをやらないとすれば、ウクライナが内戦に陥る瀬戸際に向かう、ということは極めてあり得ることだ。この問題を解決するかもしれない軍事的解決――西側による介入、あるいは内戦、どちらでも――はあるのだろうか?

 ない。断言するが、内戦は解決ではない。それはむしろ問題であり、しかも非常に具体性のある問題だ。東部ウクライナでは、人々はすでに衝突で今死んでいる。そして最新世論調査によれば、東部ウクライナ地域人口の四〇%以上が、近い将来に内戦は極めてありそう、と信じている。それは、状況がまったく危険になりつつある、ということを示している。
そして、NATO軍が東部ウクライナでの平和回復に巻き込まれるとすれば、それは外国による占領と見られるだろう。そして軍事的解決策は、キエフ政府にとってもあり得るものではない。まさに今ウクライナには軍隊――紙の上の装備と人員というだけではなく、実際に戦闘が可能な軍――があるのかどうか、という問題があるのだ。これまでに、当地の抗議活動参加者に戦闘車両を残し戻った、東部ウクライナに派遣された兵士の事例があった。彼らは相手と戦闘する準備ができていなかったのだ。相手を撃つ準備がなかったのだ。それゆえそれは、軍事的解決が望ましいかどうかという問題だけではなく、そもそも実行可能なのか、という問題でもある。
民衆的蜂起は、革命的変革――社会と政治的諸制度内での構造的かつ原理的変革――が後に続く、ということを意味するわけではない。

――ウクライナの民衆にとっては誰が最大の脅威か? それは西側か、ロシアか、あるいはウクライナ内部の犯罪的頭目たちか? それとも右翼セクター、あなた方が懸念しているネオファシスト右翼か?

 私は言いたいのだが、ウクライナ人にとっては、世界の他の人々にとってと同じく、主要な脅威は資本主義であり、それが問題すべてと戦争に導くのだ。ウクライナにおける政治的危機は、二〇一三年よりもはるか前に始まった。ウクライナはすでに二〇〇八年の経済危機の中で非常な苦しみをこうむっていた。ウクライナ人の主要な敵は、ウクライナの新興財閥と支配階級に加えて、ロシアと西側双方の帝国主義だ。最良の解決――もっとも難しくもっともありそうにない解決とはいえ――は、西ウクライナ人と東部ウクライナ人にとって、何らかの共通の土台の上で、社会的公正を求める共有された要求からなる、支配階級に反対し、ロシアの介入に反対し、あり得る西側の介入に反対し、そして親ロシアと親ウクライナ双方の極右民族主義者に反対して闘う、何らかの共通した政綱の上で統一することだ。

最大の問題は左翼勢力の不在


――あなたは、右翼セクターやネオファシストについて多くのものを書いている。二月はじめに戻れば、ヤヌコビッチ政権が倒れる二週間前、あなたはガーディアンに一本の記事を載せた。標題が、ウクライナの抗議運動活動家は極右と断固として絶縁しなければならない、副題が、ネオファシストはユーロマイダン抗議運動に関わるようになった、および、われわれは存在している危険に見て見ぬふりをすることはできない、というものだ。
今人気を博しているものは、右翼セクターのネオファシストイデオロギーなのか? あるいは、彼らの人気はユーロマイダンで彼らが行使した暴力戦術で、警察と衝突した人々によって、さらに推力を与えられているのか?

 前者というよりも後者ががより大きい。彼らは民衆のヒーローとして、蜂起の前衛と見られた。彼らは大量の尊敬を得、そのために象徴的な中心地を得た。
しかしあなた方は、ウクライナでの政治的主流はたとえば西欧におけるよりもはるかに右に寄っている、ということを理解しなければならない。西側では非常に強い批判を受けると思われるものごとでも、ウクライナでは多少とも許される。たとえば、「欧州の白人民衆の防衛」に類するようなことについて話し合うことは多かれ少なかれオーケーだ。この種のことは、主流政治家が発言することさえ可能だ。LGBTの人々を守るどのような必要も認知せずに、同性愛たたきをすることもオーケーだ。こうした右翼優勢がより強いイデオロギー状況において、右翼セクターないしスヴォボダ党の極右は、過激な何かとは実際見られていない。
まさに今、右翼セクターおよびスヴォボダ党は、彼らの暴力と挑発行動がロシアから利用される――ロシアのメディアは、ウクライナには極めて深刻なファシストの脅威があるということを示すために、彼らを使い利用することができている――可能性のある何かだという理由で、批判を受けつつある。したがって人々は、右翼セクターを批判する場合でも、その反民主的イデオロギーを理由に批判するわけではないのだ。彼らはそれらを、過激な右翼であることを理由には批判しない。それらを彼らが批判するのは、「首尾一貫性のある民族主義者」ではない、それらはウクライナの民族的利益を常に考えているようには見えない、という理由からなのだ。
ウクライナの最大の問題はおそらく、こうした右翼的意識であり、これに対する一つの挑戦となり得る何らかの重みのある左翼勢力が不在であることだ。

次期も新自由主義政策の継続

――そのように実体的オルタナティブがまったくないということだが、それでは? あなたが言わんとしていることは、次期ウクライナ政権を支配しようとしている者が誰であれ、それは確実にもっと右に向かうことは不可避、ということだろうか?

 そうではない。あなたが政府を問題にしているのであれば、それは新自由主義の政府だ。あなたはそれを、何らかの種類のファシスト独裁、というわけにはいかないのであり、むしろそれは、ロシアのメディアが使う人気の用語なのだ。あくまでも次期政権は新自由主義政権だ。つまりそこにはスヴォボダ党からの何人かの民族主義者が含まれるとしても、しかしかれらが支配的となるわけではない。そして彼らは、東部ウクライナの情勢が安定化される以前には、どのような極右的政策も推し進めることなどできないだろう。それはまさに極度に愚かなこととなるだろう。
その上われわれは、来る選挙の勝者はおそらくペトロ・ポロシェンコだろう、ということを知っているのであり、そして彼は新興財閥だ。彼はウクライナ最富裕一〇〇人の内の一人であり、これまでと同じ新自由主義の政策を継続すると思われる。

――それでも、ウクライナ人は、あるとしてどの程度選択肢を持てそうか?

 それはもう一つの問題だ。というのも、世論調査から私が知り得る限り、東部ウクライナの多くの人々は、来る大統領選挙に実際は投票するつもりがないからだ。あるいはもし彼らが少しでも投票所に現れるとすれば、彼らは全候補者に反対投票するつもりになっている。したがって次期大統領選の勝者は誰であっても、少なくても東部ウクライナで、正統性に対する深刻な問題を抱えることになる。

――あなたも知っての通りわれわれのメディアは、どんな話の中にも一人の名士を見つけ出そうとすることが本当に好みだ。そしてここに彼らが見つけ出した名士がユリア・ティモシェンコ(二〇〇四年のオレンジ革命では立役者の一人となった元首相、前ヤヌコビッチ政権下では汚職を理由に投獄され、この政権の崩壊後に解放された:訳者)となる。ある者たちは、ユリア・ティモシェンコをウクライナのサラ・ペイリン(ブッシュ後の大統領を争った大統領選挙で副大統領候補に指名された共和党右派政治家、現在はティーパーティー運動の人気扇動家となっている:訳者)としてむしろ好んできた。ウクライナの次期指導者となるユリア・ティモシェンコの潜在的可能性をあなたはどの程度評価するだろうか? さらに、彼女が表しているものがまったくのところウクライナを支配するもう一つの新自由主義政権であるとすれば、それはむしろ問題となることだろうか?

 私ならば、サラ・ペイリンとではなく、むしろ、二〇世紀のアルゼンチンの指導者の妻であるエヴァ・ペロン(アルゼンチン民衆に慕われた:訳者)と比べるだろう。ティモシェンコは現実には危険な人物だ。私がはっきり請け合うことができることだが、彼女が彼女に反対するマイダン蜂起のような何かを前にするようなことがあれば、彼女にはそれを弾圧する用意がはるかに十分――たとえばヤヌコビッチと比べてさえ、あるいはウクライナの他の政治家すべてよりも――できているだろう。
そして現瞬間、彼女には選挙に勝利する十分なチャンスはない。彼女はペトロ・ポロシェンコからはるかに引き離されている。東部ウクライナの見てきたあらゆる抗議運動が今始まった理由、そしてそれらがそれほどに暴力的となっている理由の一つは、実際は五月の全国選挙を止めるため――それらを延期させ、ティモシェンコにウクライナ人の中でもっと多くの人気を得る時間を稼がせるため――ということだ。

社会変革ではなくエリート交代


――「二つの大衆受けするラベルが、ウクライナのできごとから引き出されようとしている。それは、民主主義革命、果ては社会革命というもの、あるいは右翼クーデター、果てはネオナチクーデターというもの、このどちらかだった。事実としてこの両方の特性付けとも間違っている」、あなたはこのように書いている。そうであれば、それが右翼クーデターでも民主主義革命でもないとすれば、それをあなたはどのように描くのか?

 私の場合それを、エリートの変更に導く民衆蜂起と考える。民衆蜂起は、革命的変革――社会と政治諸制度内での構造的で原理的な変革――がその後に続く、ということを意味するわけではない。
私は現時点で、ウクライナの新興財閥資本主義を支える諸々の基礎的要素を真に変えるような何ものかを見てはいない。新興財閥は実際に、今かつて以上の力を得ている。たとえば多くの者たちが、いくつかの地域の知事として指名された。また最有望な次期大統領ももう一人の新興財閥だ。
腐敗との闘いは、あるいはウクライナでの透明な諸制度の構築は、彼らの関心の中にはない。なぜならば、彼らの腐敗、国家との密接な彼らのつながりは、まず第一に、彼らに彼らの富を築くことを可能にした競争上の利点の一つだったからだ。
それゆえ私は今、革命的変革に向けた潜在的可能性を見てはいない。この点で、あったものは革命的変革ではなく、エリートの変更に帰着する民衆蜂起だったのだ。

〈以下の質問は、シカゴとキエフ間の電話回線が途切れた後Eメールを通してイシュチェンコに示された。それらは先の会話の仕上げとして、「これは地獄だ!」の翌週の番組で、チュック・メルツによって読み上げられた――IV編集者〉

――「クーデター」には極めて否定的な意味が言外にある。しかしながらクーデターは、「ある政権からの、急襲的かつ暴力的、そして非合法な権力の強奪」だ。ウクライナにおける権力の切り替えは、ウクライナ憲法の中にある選挙上のまた議会主義の手続きに従わず、暫定的な移行合意もヤヌコビッチがキエフを離れた時即座に放棄された。その点でキエフで起きたことは、どの程度非合法で、急襲的かつ暴力的だったのか? 私が心配していることは、「クーデター」にはらまれた政治的な言外の意味が、論争を激化しつつあるように見えるものであることだ。

 起きたことは一つの単純な理由からクーデターではなかった。つまり、権力を握った者たち、野党の諸政党は、マイダンの前衛ではなくその極めて穏健な翼だったということだ。
最初の暴力的な衝突が始まった後、前野党の指導者たちは距離をとり、政権の挑発として衝突を非難し、介入し衝突を止めようと試みた。野党指導者たちは何度も、ヤヌコビッチとの妥協を受け入れるようマイダンを説得しようと試みた。
ヤヌコビッチの邸宅にあった監視カメラの記録映像が示したように、キエフからの逃亡準備としてヤヌコビッチがすでに荷造りを始めていたその時、野党は(欧州の外務大臣たちと共に)、ヤヌコビッチが一二月まで権力に留まることを可能とする彼との最終的妥協を受け入れるよう、広場の人々に懇願していたのだ!
「クーデター」概念は、運動――できごとの(極めて十分に自律的な)駆動力だった――と政治的反対派、実際に権力を獲得した人々、この間の区別を完全にその中にとらえているわけではない。これこそが、私がマイダンを「クーデター」ではなく民衆の反乱と呼んでいる理由だ。

問題の根源はやはり資本主義


――われわれが各々のゲストに聞く最後の質問は、われわれが「地獄からの質問」と呼んでいるものだ。つまりわれわれとしては聞くのが嫌な、あなたも答えたくない、さらにこの番組の聞き手も反応するのに困ると思われる質問だ。「地獄からの質問」を発することはいつも私に身をすくませるが、あなたに対してはそれがこれ以上ないほどだ。
そこで、ウクライナ人の抗議運動参加者にこれ以上の死者が出た場合、その責任は誰が負うことになるのだろうか。それは逃亡したヤヌコビッチ政権か、それともその後の政権か? われわれは、ヤヌコビッチ政権、現在の暫定政権、そしてどのような政権であれ選出されるポスト暫定内閣、これらの間を区別する必要があるのかもしれない。
これは聞くのがおそろしい質問だが、それはさらなる暴力に向かう潜在的可能性という、もっと大きな問題を明らかにしようとするものだ。私の懸念は、このようなすべてのできごとの場合、常にもっとも弱い人々に向いている。

 まったくしばしばある事例と同じく、新政権はその死と凶行のすべて、あるいはほとんどに対し、それらが新政権の実際の支配の後に起こったとしても、その前任者をとがめることになるだろう。そしてこれもまたまったくしばしばある事例と同じく、これもある程度は正当化されるかもしれない。ヤヌコビッチがもしこの抗議運動を弾圧しようとせず、あくまで力に頼らなかったとすれば、暴力は、われわれが今見ている――そしてすぐ先の未来にもっとひどいものすら見るかもしれない――レベルまではエスカレートしなかったと思われる。またわれわれは、暴力的反乱それ自身の責任を評価する必要もあるだろう。それは、ウクライナの民衆にとっては鋭い分裂を呼ぶ諸問題に固く結び付けられている。
しかし、われわれが将来に関しあれこれ思いを巡らせ始めつつあるのだとすれば、なぜここで止まるのか? できごとがウクライナの全面的な内戦に、次いで全面的なロシアの介入に、そしてさらに第三次世界大戦にいたるのだとすれば、その人類文明の終わりに対し、その責めをわれわれは誰に負わせることになるのだろうか? 張り合う帝国主義を不可避的に生み出す常軌を逸した、合理性を欠いた資本主義システム。これこそが、問題の根源なのだ――ウクライナに対してだけではなく、全世界に対しても――。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年五月号)

コラム

階級、党、統一戦線

 

  階級闘争は、プロレタリアートとブルジョアジーが整然と対峙して展開されているわけではなく、その間に諸々の中間物があって互いに入り組んでいる。また、それぞれの階級は、自分たちにぴったり合った党を持っているわけではない。
 「五五年体制」と呼ばれた時代には、一方に自民党があり、他方に社会党・共産党と総評運動があって、その中間に民社党と公明党があった。それが、「保守」、「革新」、「中道」の政治的実態を形成していて、それなりの現実味を帯びて階級関係を反映していた(国際的には、米ソが対抗しつつ協調するという背景があった)。また革命的左翼は、政治的・行動的な意味で、社共・総評運動の左側に大衆運動を形成することに自らの任務を設定することができた。
 だが今では、「革新」という言葉をほとんど聞かなくなって久しいばかりでなく、「保守」も「中道」も、それが意味する実態は必ずしも自明ではなくなっている。しかも、ブルジョア党の自民党は、衆参両院で圧倒的多数の議席を占めているだけでなく、事実上、維新・みんな・結いなどの党を従えている。他方、プロレタリアートの運動をある枠内で政治的に表現する共産・社民・新社会党とその左に位置する運動は、苦戦を強いられている。
 ところで、ブルジョア党に関して、トロツキーはこう言っている。
 ブルジョア社会は、無産大衆をその最下層に置き、満ち足りた欺瞞者たちがその頂点に位置するように構成されている。相当数の大衆を包含するブルジョア党は、これとまったく同じ原則の上に作られている。ブルジョアジーは、社会におけるのと同様、党においてもただ頂上を構成しているにすぎない。しかし、この頂上は、その資本、知識、諸々の関係において強力である(『レーニン死後の第三インター』)。
 すなわち、ブルジョア党はさまざまな階級に支えられていて、その内部に波及する社会矛盾は、ボナパルチズムのような「不安定の中の安定」体制が築かれない限り、たえず党を引き裂く力として働く。実際、今日の「危機」は、新自由主義グローバリゼーションの枠組みとアメリカ帝国主義の歴史的衰退というかたちで、たえず「外」からやってくる。
 さらに、現在進行しているのは、安倍政権による民主主義の破壊、国家主義への動員、労働者の分断・アトム化などの攻撃だけでなく、それに反撃すべく結集しつつある大衆運動のゆっくりとした再生である。この大衆運動は、政治的に結晶化して自らの党を形成するはるか以前のところにある。そのため、ブルジョア党を引き裂くまでにいたっていないが、それでも、脱原発運動や沖縄反軍事植民地闘争では、部分的にそのような力が作動し始めている。
 このような情勢のもとで「保守にウイングを広げる」と賢しらに発想してみても、ブルジョア党を引き裂く力にはならない。逆に、守勢の中から攻勢への糸口をつかむうえで必須となるプロレタリアートの政治的結集力を削ぐものにしかならない。そこで焦点になっているのが、共産党のセクト主義と(それに直対応する)共産党へのセクト主義をともに克服する努力である。資本主義打倒にむけて闘う左翼の結集もまた、その努力の中でこそ前進できる。 (岩)

 


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