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    かけはし2014.年5月5日号

「中国はどこへ行く」


資本主義のおくりびと〜
立ち上がる中国の労働者たち

(上)

永井 清隆


 

 この文章は三月二九日、アジア連帯講座が主催した公開講座「中国、北朝鮮はどこへ」の中で永井清隆さんが中国について報告したものをまとめたものです。なお、北朝鮮については別途掲載する予定です。

  「中国はどこへ行く」と言っても「中国」一般では広すぎる。トロツキーが一九三四年一〇月に書いた人民戦線批判の論文「フランスはどこへ行く」の冒頭は次のように述べている。「私にとってフランスとは株式取引所でも銀行でもトラストでも政府でも参謀本部でも教会でもない。私にとってフランスとは労働者階級であり、搾取されている農民のことである」。私のいう中国も同じである。

 一九四九年から中国共産党の政権が続いている。指導者で時代を区切るとわかりやすい。毛沢東時代(〜1976年)、ケ小平時代(〜1989年)、江沢民時代(〜2002年)、胡錦濤時代(〜2012年)と続き二〇一二年からは習近平が総書記に就任している。それぞれの時代によって国内政治と国際的階級関係の影響下でさまざまな事件があったが、ここでは江沢民時代以降の労働者の状況から振り返る。江沢民時代は一九八九年の天安門事件の直後から始まるが、その後の一〇年間で進められた国有企業の民営化やさまざまな波にもられながら生き抜いた労働者の話、この時代を前後して登場してきた農民工といわれる新しい労働者階級の話が中心になる。

グローバル資本
主義の工場へ
中国はケ小平の「改革開放」を経て、二〇〇一年末にはWTOに加盟し、現在すでに日本を抜いて世界第二の大国になっている。GDPは一九八〇年の九兆元から二〇一〇年には三九兆八〇〇〇億元に拡大。世界全体のGDPに占める割合も一・九%から九・三%に拡大している。同時期のアメリカは二六%から二三・一%に、日本は一〇%から八・七%と推移している。日本は中国と競争しているだけでなく経済的に依存もしている。日本からの投資も二〇一三年を見ると、アメリカ(三二・五%)、タックスへイブンのイギリス(九・九%)についで、中国(香港を含む)が七・八%を占めている。

世界最大の
自動車生産
グローバル資本主義の基幹産業である自動車産業をみると、生産台数では二〇〇九年にはアメリカを抜いて世界第一位になっている。リーマンショックの影響もあるがその後も生産台数は中国がトップを維持し続けている。二〇〇四年には五二三万台で四位だったが、〇九年には一三七九万台で一位に躍り出て、二〇一三年には二二一二万台と初めて二〇〇〇万台を突破した。ちなみに二〇一三年のアメリカ一一〇五万台、三位の日本は九六三万台である。中国の自動車産業は外資との合弁によって成長した。日産の場合は中国での販売台数がトップになるなど、中国の民族資本の一人勝ちというわけではない。リーマンショック以降はまさにグローバル資本のフロンティアといえる。
共産党宣言には現代の中国を彷彿とさせる次のようなくだりがある。「ブルジョアジーは、彼らの一〇〇年足らずの階級支配のあいだに、過去の全時代をあわせたよりもいっそう大量で、一層巨大な生産力をつくりだした。……これほどの生産力が社会的労働の胎内にねむっていると、以前のどの世紀が予測したであろうか。」
こんなくだりもある。「ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器を(恐慌)を鍛えあげたばかりではない。彼らは、この武器をとるべき人々をもつくりだした。すなわち近代労働者、プロレタリアを。ブルジョアジー、すなわち資本が発達するに比例して、プロレタリアートすなわち近代労働者の階級も発達する」。

中国の階級構成
と労働者階級
アメリカで研究している李毅という社会学者が二〇一三年に講演した話によると、下から上に農民、農民工、その他の都市労働者、集団所有制企業労働者、国有企業労働者、資本家、党カードルとなっている。農民がすくなくなり農民工、その他の都市労働者が増えている。中国では住民票を農村から都市に簡単に移動することができないので、都市部に出稼ぎに来た農村出身者は農民工と呼ばれて区別されている。さまざまな面で差別的待遇を受けている。「その他の都市労働者」も九〇年代中ごろから増加しているが、これは国有企業や集団所有制企業が民営化されたことによるものだろう。
資本家も二〇〇一年から急増しているが、これは「進歩的な社会生産力」として資本家階級を積極的に評価した江沢民の「三つの代表論」が、二〇〇一年七月の建党八〇周年の講話で提起されたことに影響されていると思われる。もうすこし長いスパンで見ると、中国はすでに農民主体の国家から、労働者階級が多数派となった国家になっていることがわかるだろう。

立ち上がる労働
者とその困難性
こうしてみると、共産党宣言にある「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない」という予言の実現は間近のようであるが、そうは簡単にはいかないのが現実だ。一九八九年の民主化運動は、学生を中心に盛り上がっていったが、労働者階級が部隊として登場したのは最終局面においてであり、それはその後徹底して弾圧された。それから二〇年を経た二〇一〇年、広東省のホンダ工場でストライキがあり大きく報道された。非常に若い労働者らが立ち上がった。ごく最近ではウォルマート労働者が店舗閉鎖に抗議して、官製の労働組合を通じて立ち上がった。これは解雇に伴う補償額の上乗せという防衛的な闘争だが、官製労組として抗議行動に打って出たのは初めてではないか。労働者の闘争は前進しているかに見える。だが困難が重くのしかかっている。

改革・開放と
民営化の推進
改革・開放がはじまった七九年から、様々な分野で改革が行われた。企業自主権の拡大開始(八四年)、社会主義市場経済の建設(九二年)、民営化テスト一八都市(九五年)、大型国有企業の立て直しと小型国有企業の民営化(九六年)、一五回大会で民営化加速(九七年)、「今後三年で赤字企業解決」を宣言(九八年)など、九〇年代いっぱいをかけて行われた国有企業改革に注目したい。改革のスタートは国有企業の経営自主権が拡大していったことだ。労働者の自主権ではない。工場長というトップが市場経済のなかで人事権や経営権を自主的に発揮していく市場経済のテスト期間といえる。それは無政府的な生産拡大につながり、二〇〇〇年ごろまでに赤字が累積していく。帳簿上の操作で在庫を減らすが実際には売れない商品が山積みにされたり、「抜け荷」的に工場長など権限を持つ官僚が闇市場でそれを売りさばく。いわゆる官僚ブローカーというやつだ。
また三角債という不良債権も累積していく。それらがインフレを引き起こし八九年民主化運動につながる社会的マグマを形成した。天安門事件でいったん下火になったかに見えた経済的沸騰は、九二年のケ小平の「南巡講話」によって再点火され、九〇年代以降も国有企業の赤字はどんどん増えていき、九〇年代後半には赤字企業の整理が行われていく。中小規模の国有企業はつぎつぎ民営化された。工業部門の国有企業は、八〇年には八万社あったが二〇〇三年には四万社、およそ半分ぐらいになった。潰れただけではなく、民間企業に転換していった。そのまま民間労働者に身分転換したり、いったん解雇されて再雇用されることもあったが、労働条件や待遇は大幅に切り下げられた。

民営化とレイ
オフ制度の乱用
民営化の過程では、レイオフ制度が乱用された。ふつうレイオフは一時帰休といわれ、業績が回復すれば職場復帰の可能性もある。しかし中国では雇用関係は維持されるが、職場復帰の可能性はない。雇用関係にある企業からわずかばかりの生活保障金だけを受け取って自活を強いられる。経過措置の三年を過ぎれば雇用関係もなくなる。九三年から二〇〇一年の統計では、都市部の労働者四七〇〇万人がレイオフされ三九〇〇万人が再就職したとされている。しかし再就職先では国有企業並みの待遇があるわけではない。国有企業に非正規や派遣労働者として雇い戻されるケースもある。この時期は国家規模の階級戦争が遂行され、その後のグローバル資本主義へのテイクオフが準備された時期といえる。

グローバル経済と
労働条件の変遷
この国家的な階級戦争において「指導的階級」といわれていた国有企業の労働者は無残にも敗北していった。『私と、とある国有企業の二〇年』という本を香港の労働NGOであるグローバリゼーションモニターが二〇一一年に出版している。著者は一九八六年に一八歳で国有の酒造工場に就職した男性だ。二〇〇八年までの約二〇年間、五〇〇人規模の酒造工場がどのような経過をたどって民営化されていったか、その中で労働者がどのような労働、政治、経済生活を送ったのかを描いたものだ。
八〇年代後半、この酒造工場の工場長が経営を請け負った。人事権や生産経営権など、工場長の権限が強化されていくなかで、無謀な営業拡大や利益搾取が広がる。やがて赤字が拡大していった。国家の政策として赤字企業は潰すという状況の中で民間企業への転身が行われていく。つまり所有権にまで手をつけようとしていく。どのようにか。労働者に出資を募るという方法だ。経営陣が、労働者一人あたり三〇〇〇元の出資金、幹部は二万元を出資するよう要請する。つまり株主になる。
しかしその株は自由に売買できないし、現金化することもできない。その後も経営拡大や資金繰りなどの必要という名目で出資を募る。出資できなければリストラ対象となるから労働者はなけなしの貯金をはたいて出資する。すこしでも経営が上向けばという思いからだ。しかしいっこうに経営が上向かず、自らの出資金もどうなるか不安な状況で、財務担当の管理職が労働者の株式を安値で買い取っていく。経営不安に加え、賃金体系が業績給与に変わり、赤字企業の給与は低く抑えられたことから、労働者らは現金を求め安値で株式を譲渡していく。こうして経営幹部らに所有権が集中していった。
所有権を握った経営者は、親族や腹心を幹部に登用したり、子会社を安値で息子に請け負わせたりしていく。労働組合、従業員大会などはまったく歯止めにならなかった。リストラされず残った労働者も賃金体系の改定で、固定給五〇%、業績給五〇%となり、罰金制度の導入で、二〜三回不良品を出すと一カ月の給与に相当する罰金が取られた。
二〇〇一年に中国がWTOに加盟したことで、タイから安い原材料が入ってきたが、今度はそのタイに工場を作り、経営拡大を図っていく。国営企業から民間企業となり、さらにグローバル経済にもまれていくという歴史だ。
これは小さな国有企業の話だが、似たようなことは中国の国有企業でも起こっており、誰でも知っている話だ。著者はこの本を書いた理由をこう述べている。「労働者の声を歴史として書き留めておきたかった。この歴史は終わろうとしているが、今始まろうともしている。労働者は、社会的民営化によって消え去るわけではない。だから観察と思考を停止することはできない。かつての同僚の九割はいなくなってしまった。しかし、新しい若い同僚たちがたくさんいる。労働者階級は消え去っていない」。

各地で拡大する
労働者の闘い
国有企業改革への抵抗は二〇〇〇年代を通じて中国全土で発生している。インターネットを通じて中国の労働問題を発信している労工世界網と労働NGOが二〇一〇年に発行したパンフレット『現代中国労働者の民主化闘争 一九八九〜二〇〇九年』では、八九年民主化運動の際の労働者の闘争を紹介するほかに、二〇〇〇年代に入ってからの各地の反民営化闘争を紹介している。倒産寸前だったりレイオフされたりと、生産をコントロールするという労働者の力の源から排除されたあとに闘争に立ち上がるというケースが多く、上部機関や党中央への幻想やコーポラティズムの弊害、地域横断的な闘争の欠如、そして強大な暴力装置の存在などなど、闘争条件の困難さには事欠かないが、にもかかわらず労働権や生活権、そして「社会主義」という理念のために立ち上がった反民営化、反リストラ闘争のケースを紹介している。
名前だけを挙げると鄭州製紙廠(二〇〇〇年)、遼陽鉄合金廠(〇二年)、大慶油田(〇二年)、重慶三四〇三工廠(〇三年)、通化鋼鉄廠(〇九年)、林州鋼鉄廠(〇九年)などだ。通化鋼鉄廠の闘争では、同工場を買収しようとした民間企業の経営者を労働者が撲殺するという事態にまで発展した。数千人の労働者らが闘争に立ち上がった。当時かなり大きなニュースになった。民営化が中止に追い込まれた稀なケースだ。

新しい主体と
しての農民工
このように新中国の伝統的な労働者階級は国家規模の民営化のなかで解体されていったが、その一方で新しい労働者階級が登場してきた。いわゆる農民工という農村部出身の労働者階級だ。「農民工」の「農民」というのは職業区分ではなく、中国に特有の農村部に住民登録されている住民という区分であり、農民工の多くが農業に従事したことさえもないし今後も従事することもないし、農地さえも手放したものも多いことから、「新工人」と呼ぶ研究者もいる。二〇一〇年に中国全国だけでなく世界中を驚かせた中国ホンダのストライキもこの若い農民工らによるものだ。
統計によると農民工は二億六〇〇〇万人、そのうち一億六〇〇〇万人が省をまたいで都市部に移住して労働者になっている。平均年齢は三二歳で、ほとんどが外資や民族資本の民間企業で働いている。賃金については二〇一一年の調査では、すべての労働者の全国平均は三四八三元だが、農民工に限ると二〇四九元と六割未満。農民工が働いている業種は、製造業(三六%)、建設業(一七・七%)、住民サービス(清掃等)等サービス産業(一二・二%)など。
九〇年代以降に増加していくこれら新しい労働者に対応するため、中国政府も労働者の権利を一応保障するということで労働契約法、労災法などの法体系を整備していく。
(つづく)


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