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    かけはし2014.年4月21日号

自立的革命的左翼建設が急務


ギリシャ 第四インターナショナル支部の歴史といま

終わらない危機に対し必要と
なるものは防衛ではなく攻撃

マノス・スカウフォグル


  以下の論考は、第四インターナショナル(FI)創立七五周年記念会合での議論に向けて行われた冒頭提起に対する若干の改訂版。上記会合は二〇一三年一一月にマンハイムで開催された。本紙三月二四日号に紹介した英国のアラン・ソーネットによる提起に続いて提起されたもの。(「かけはし」編集部)

八〇年の歴史をもつ支部活動


FIはギリシャで長い歴史をもっている。そこには一九三八年のFI創立以来支部が存在してきた。
「スパルタコスグループ」(同名を冠した雑誌を発行)は一九二八年、ギリシャ共産党(KKE)内の左翼反対派として創設された。このグループの指導者は、KKE初代書記長のパンテリス・プリオプロスだった。「スパルタコス」誌はギリシャで、国際左翼反対派の諸文書の翻訳に加えてギリシャ資本主義の時局的分析もまた掲載した。圧倒的に「スパルタコスグループ」を起源とした闘士たちは一九三四年、アルケイオマルキストから分裂した(ミシェル・ラプティス――パブロ――に率いられて)グループと共に、ギリシャ国際主義共産主義者組織――OKDE――を創設した。
一九三八年のFI創立大会でOKDEは、ミシェル・ラプティス(パブロ)によって代表された。OKDEはFI創設直後にギリシャ支部となった。第二次世界大戦後、他のトロツキスト勢力との一九四六年に行われた統一評議会に続いて、ギリシャ国際主義共産党(KDKE)が創立され、それが一九七四年までFIのギリシャ支部であり続けた。一九七四年の軍事独裁体制倒壊後、KDKEはOKDEの名前に戻り、一九八六年、FIから徐々に距離をとった諸勢力と分裂後、われわれの組織がその現在の名前、OKDE―スパルタコス(FIギリシャ支部)を名乗った。こうして二〇一四年は、ギリシャにおけるFI支部の八〇年にわたる連続的な存在を印すことになる。
一九二八年に「スパルタコスグループ」がつくられた時、そこにはKKEのもっとも重要な活動家が一定数含まれていた。初代書記長のパンテリス・プリオプロスだけではなく、「共産主義青年」の初代書記長やKKE機関紙の初代責任者もいた。プリオプロスは特に非常に重要な知識人であり、一九二二年のトルコとの戦争に反対する共産主義者兵士グループの指導的メンバーだった。
ギリシャの人民には一九三六年、メタクサスの独裁が課され、その後に九ヵ月の戦争が続き、次いで一九四四年までのナチの占領が来た。メタクサス独裁(一九三六〜一九四〇年)、およびその後のナチスとスターリニストによる迫害を原因として、FIギリシャ支部は肉体的にほぼ根絶された。
プリオプロス自身は、他の同志たち同様、一九四三年にイタリアファシストの銃殺部隊によって処刑された。一九三六〜一九四五年の時期にギリシャのファシスト、ナチス、さらにスターリニストによって処刑されたか殺害されたかしたFIの同志たちの正確な数を特定することは、今なお歴史的な調査の問題だ。
残った同志たちは、戦争は帝国主義間の戦争だとの分析を保持しつつ、極めて困難な環境の下、ギリシャブルジョアジーに加えてドイツと英国双方の帝国主義との戦闘におもむいた。
ギリシャ支部指導部の多数派はしかしながら、ドイツ占領期における民族解放の要求がもった重要性を過小評価するという、大きな間違いを犯した。そしてEAM(「民族解放戦線」――抵抗の戦線)に対してセクト主義的立場をとった。EAMは、民族ブルジョアジーとの協力という当てにならない、そして結局はみずからの敗北となった人民戦線戦略にしたがったKKEとその指導部に率いられた。しかしそれが先導した運動は、それでも革命的推力を備えた真の民衆蜂起だった。
不幸なことだが、そうした日々に、FIの欧州書記局の路線に合わせてEAMの大衆に対し非セクト主義的接近を行った者たちは、支部指導部の少数派だけだった。ギリシャ支部指導部多数派の選択は一〇年の間ギリシャ支部を政治的に周辺化した。
一九六〇年代、KDKEは、一九四〇年代後半には少数派だった指導部の下にKKEの左に位置をとる最大のグループだった。軍事独裁期(一九六七〜一九七四年)の過酷な迫害は、支部の勢いに否定的な影響を与えた。わが同志たちの多くが投獄され、また国外に追放された。それにもかかわらずわれわれの闘士たちは、一九七三年の工科学校の歴史的な反乱では、特に「労働者総会」の組織化の中で、中心的な役割を果たした。そして一九七四年には(軍事独裁政権崩壊後)、われわれの機関紙は、KKEの機関紙が現れるずっと前に、街頭で販売された最初の新聞となった。

反ファシスト運動で先駆的位置

 そこで現在のわれわれの活動に移ろう。OKDE―スパルタコスは、メンバー数約一〇〇人の小さな組織であり、想像できる通り、多様な起源をもつ一群の極左諸グループの枠組み内に座を占めている。
われわれは、その組織サイズの小ささにもかかわらず、大衆運動のいくつかの部門で活動している。
▼労働組合の中では、ほとんどは「パレムヴァセイス」(介入)という極左(ANTARSYAとその他)の急進派政綱グループへの参加を通して。いくつかの部門では、「パレムヴァセイス」政綱グループは極めて重要な影響力をもっている。すなわちそれは、小学校と中学校の教員の地方組合多数を指導し、この間の中学校教員ストライキでは中心的役割を果たした。またそれは、自治体労働者の地方組合などの多くで多数派だ。それはまた、いくつかの労組連合、特に公共部門でも相当な存在感を示している。二〇一三年一一月のADEDY(公共部門被雇用者全国連合)のもっとも新しい大会で選出された新執行委員会の中では、「パレムヴァセイス」政綱グループはKKEと同数のメンバーを確保している!
▼大学生の運動では、われわれはおよそ一〇〇〇人のメンバーをもつ学生極左連合のEAAKの中で活動している。EAAKは、一九九一年以来すべての学生決起を率いた。学生組合の選挙では、EAAKは全国で一二〜一四%前後を記録し、それはSYRIZAの学生政綱グループの倍以上になる。
▼反ファシスト運動は、われわれの活動のおそらくもっとも成功を見ている部門だ。この任務は長年、極左(並びにANTARSYA諸組織のほとんど)を含む左翼の多数派によって過小評価されてきた。OKDE―スパルタコスは、しばしばアナーキストと並んで、住民居住地域の反ファシスト総会で、またこの働きかけすべてを協調させるあらゆる試みの中で、長期間活動を続けてきた。われわれは、ファシズムに反対する行動における全左翼とアナーキスト諸組織の統一戦線を求める提案、同様に社会運動の自衛を組織する必要を支持し続けてきた。われわれは、今年の夏ギリシャでのナチ国際キャンプを何とかやめさせたキャンペーンでは、重要な役割を果たした。われわれの実践的活動は、ファシズムをマルクス主義の観点から分析している諸著作やパンフレットの発行によって補足されている。
ご承知のように今のギリシャには、黄金の夜明けというネオナチ政党の台頭を伴って、具体性をもったファシズムの危険がある。彼らは、議会に一八人の議員をもち、一〇%以上の支持率を誇っている。最も重大なことは、彼らが、分解しつつあるプチブルジョアジー、諸々の危機から打撃を受けている商店主、マフィア的資本家グループ、さらに失業青年層を基礎に、地域グループを組織するにいたっていることだ。彼らは移住労働者を攻撃することで始めたのだが、その後では労働者組織、左翼またアナーキストを攻撃することでその先に進んだ。
二〇一三年九月一八日の反ファシズムヒップホップ歌手、パヴロス・フィサス(キラーP)のもっとも新しい殺害が、大きな反ファシズムの抗議とナチ本部へのデモの引き金を引いた。この運動の最頂点、つまり二〇一三年九月二五日に黄金の夜明け本部に三万人がデモをかけた時に、ANTARSYAが、以前のあらゆる反対にもかかわらず、最大のかつもっとも意味のある主体であったこと、それとの対比で、その隊列が二、三〇〇人であったSYRIZAはむしろシンタグマ広場のコンサートへの参加の方を選んだこと、これはふれる価値のあることだ。
▼われわれの支部は、ギリシャではむしろ発展が十分ではないフェミニズム運動に存在している数少ない組織の一つだ。
▼われわれの若い同志たちの何人かは、兵士の民主的権利を求めるネットワークの中で活動している(ギリシャにはまだ徴兵制の軍隊がある)。
▼何人かの同志たちは、ほとんどはアテネのいくつかの地区にある、地域的都市運動で活動している。
▼われわれは昨年アテネに教育訓練部門を開設した。そこでは毎週末、セミナーと討論会が開催されている。

他の左翼勢力と連携して活動


われわれは、改良主義からの政治的かつ組織的独立を基礎に設立された反資本主義連合であるANTARSYAに、二〇〇九年の創立以来参加してきた。二つの改良主義政党であるKKE(現在はいわば第三期論的な官僚的で超悲観主義の路線にしたがっているスターリニスト党)とシナスピスモス党(ポスト・ユーロコミュニズム政党であり、現代の左翼社会民主主義路線にしたがっている)の左には常に、諸組織と諸闘士の全部分が存在してきた。それらのいくつかは、SYRIZAへと向かったシナスピスモス党の後を追うことを決めた。EAAKと「パレムヴァセイス」内で長期間協力してきた他のほとんどは、ANTARSYAという形で連携した。
ANTARSYAにはそのほとんどが若者である三〇〇〇人のメンバーがいる。それは、SYRIZAの改良主義という選挙上の圧力の下で、地方選では二%以上、国政選挙では一・二%以上の得票を果たすことができなかった。しかしこの勢力がもつ影響力はもっと大きい。ANTARSYAは全国規模で見えるものになっており、相当な数の闘争を率い、いくつかの労働組合では注目に値する存在となっている。その綱領は、幾分スターリニズム的な影響を受ける形で、今なおまったくあいまいかつ両義的だ(われわれがこの戦線の中に支部を解消することを考えない理由こそがそれだ)。しかしながらそれは、明確に革命的な考え方で方向付けられ、資本、ブルジョア国家諸制度、EU、またあらゆる帝国主義的連携との決裂を、意識的に呼びかけている。
ギリシャには支部とは別に、あれやこれやの形でFIに共鳴しているいくつかの他のグループもある。
Kokkinoは、大多数がIST(英国のSWPが主導する国際潮流:訳者)を起源とする小グループだ。彼らはFI内にパーマネントオブザーバーの地位を保持している。そして、SYRIZAに参加し、その「左翼プラットフォーム」を支持している。この組織はSYRIZAの前回大会の過程で、そのメンバーの半分を失う三分解という痛手を受けた。そしてその半分は、多数派の「チプラス(SYRIZA現党首:訳者)プラットフォーム」を支持した。SYRIZA内「左翼プラットフォーム」は、元シナスピスモス「左翼潮流」の官僚によって率いられ、DEAからも支持を受けている。
DEAは、これもISTから分裂した幾分大きい組織だ(Kokkinoは事実として、DEAの分裂組織)。この組織はFI内にはいかなる地位ももっていないが、昨年以来ゲストとして、FIの会議に参加するよう招待されてきた。
Kokkinoとわれわれの関係は良好だ。われわれは、反ファシスト運動の中で、またギリシャで二回のFI青年キャンプを組織することで協力してきた。しかし実践上のわれわれの結びつきは緩い。その理由は、KokkinoとDEA(DEAはさらにだが)双方とも、SYRIZA内活動と労働組合内のその政派内活動に力を注ぎすぎている、ということだ。
彼らは、SYRIZA指導部を批判しているとはいえ、最終的にはその指導部に自分自身を従わせている。その例を一つあげる。DEAは一〇月の黄金の夜明け全国本部に対する大デモへの合流を拒否したのだが、その唯一の理由は、「責任」を名目とする、また国の安定のためという、SYRIZA指導部の拒絶だったのだ。
一九八〇年のわれわれの古い分裂組織であるOKDE―エルガティキ・パリ(労働者の闘争)は、「マンデリスト(注一)」の伝統に執着しているが、もはやFIとはいかなる結びつきももっていない。われわれは時折、われわれが共有する歴史的潮流の著作や文書の発行で協力している。

解決がない危機の矛盾した力学


みなさんは、ギリシャの現情勢に関するものごとをいくつか承知だ。それゆえ私は、雑誌で見出すことができるデータでみなさんの時間を浪費したくはない。ギリシャの経済的、政治的危機はまったく解決されてはいない。われわれの前に今あるのは、新民主党とPASOK(全ギリシャ社会主義運動、社会民主主義の前政権党であり、前回選挙では崩壊的大敗を喫した:訳者)による極度に権威主義的かつ保守的な政権だ。私が強調したいと思うことは、情勢は深く矛盾したものだ、ということだ。
一方でわれわれは、生活の諸条件、それに加えて勤労民衆の自信を低下させるような、資本とその人事部局による絶え間のない攻撃にさらされ続けている。しかし他方で彼らはそれを、彼らの影響力の喪失という犠牲を払うことでのみ行っているにすぎない。
一方でわれわれは、大衆運動がどのような緊縮策をもほとんど阻止できていないがゆえに、連続的な敗北をこうむってきた。しかし他方で、システムが安定を回復できないがゆえに、今後確実に現れるこれからの闘争に向け、抑圧された者たちの新たな層は価値ある経験を積んできた。
一方でファシズムは、抑圧された者たちを分裂させ個人化する、また彼らの組織に恐怖感をつくり出しそれを破壊する、そうした脅威となっている。しかし他方でファシズムに対決する戦闘は、資本主義それ自身と対決する戦闘に変わるまったく十分な可能性ももっている。

SYRIZAは継続して後退中

 ギリシャではCPやSYRIZAとは別の自立した反資本主義の左翼が必要だというわれわれの信念にとって、その根拠は何だろうか?
何よりもわれわれは、この両党が労働者の利益に資する回答を提供できない、ということをはっきりさせなければならない。SYRIZAは、二〇一二年五月次いで六月の国政選挙で第二位につけ、諸々の希望をかき立てた。それは常にシナスピスモスという改良主義党によって支配されてきたが、政権に近づくにいたって、さらなる社会民主主義的変異を経験した。その綱領は現在、現実に幾分ドイツ左翼党に近い。そして、一九八一年に初めて選挙で勝利を収めた時のPASOKの綱領に比べても、実際にはるかに劣っている。それは、元PASOK官僚のあらゆる部分と合体しつつある。それは、わがインターナショナルが設定した、ブルジョア諸制度からの独立という基準を満たしていない。同様に前大会決定による内部民主主義という基準をも満たさず、その内部組織すべてに解散を強いている。
SYRIZAは、大衆運動を支援するために権力を得るという展望の使用に代えて、その権力への行進を支えるものとして大衆運動をはっきり利用しつつある。これがわれわれの分析だ。
これを示す指標こそ、彼らがこの二、三ヵ月で中学校教員のストライキを二度も裏切ったという事実だ。一回目は春であり、その時彼らの全国連合に選出された活動家たちは、全員総会が支持票決したゼネラルストライキを取り消したのだ。その理由は全国政府からストライキが禁じられたというものだった。そして二回目は二〇一三年九月であり、その時彼らは、ゼネストが開始されて七日後に、それを終結することに賛成投票を行った。
また彼らはナチ本部へのデモ参加を拒否している。しかし同時に、この間の全年月を通じてナチスを育んできた与党の右翼新民主党まで含めて、すべての「憲法に基づく」諸政党に、一体としていかにファシズムと闘うべきかを討論するよう呼びかけている。彼らは、「独立したギリシャ人」という極右の反メモランダム政党と協力しつつある。
このすべては今や明白だ。そしてKokkinoの同志たちは、それらに同調しているのだ。
SYRIZAは二〇一四年一月八日、彼らの政治的方向に新たな証拠を示した。その日は、ギリシャがEUの大統領職(半年任期の輪番制;訳者)に就く就任式当日だった。政府と警察はこの日にあらゆるデモを禁じた。それはまったく前例のないできごとだった。ANTARSYAはEUに反対する全左翼の合同デモを呼びかけた。政府と当局はこれを禁じた。SYRIZAはその禁令を強く非難したが、まさに何もしなかった(「左翼プラットフォーム」も共産党も行動しなかった)。禁令や警察の攻撃、また改良主義左派によるボイコットにもかかわらず、デモは、そのほとんどがANTARSYAメンバーである一〇〇〇人以上で現実に行われた。
しかし依然として疑問は提起され得る。つまり、これらの諸党、SYRIZAやKKEの一つの中での反対派潮流とならないのはなぜか、と。その理由は、ギリシャの階級闘争がもつ具体的な諸条件の中で探られなければならない。

a.ギリシャは、世界の危機によってもっともひどい打撃を受けた国の一つだ。あらゆる緊縮策並びに各社会保障制度や公共サービスすべての崩壊にもかかわらず、その出口があるようには見えていない。さらなる緊縮策が先に見えている。最大の大学では被雇用者のおよそ七〇%が解雇されようとしている。そしてそれこそ、われわれが大学ストライキの一一週目に今いる理由だ。これはまさにもっとも最新の事例だ。
われわれは、諸闘争の高水準をも条件として、後退というよりも、もっと戦闘的かつ攻撃的である必要がある。資本家のルールとブルジョア諸制度の枠内では、われわれの利益に資する危機からの出口はまったくない。われわれは防衛ではなく、攻撃を必要としている。これこそが、この時期に対するわれわれの基本的な姿勢だ。
b.もはや、改良主義指導部と大衆の安定した、歴史的な結びつきはない。SYRIZAに対する支持は、不安定な熱のない何ものかであり、その支持者大多数から見ていわば「よりマシな悪」戦術だ。社会的意識は流動的であり、必然性をもつ突然の跳躍が想定される――これこそがわれわれの姿勢を支える第二の支柱だ。
c.ギリシャにおける自立した反資本主義の革命的な左翼という考え方は、何か想像上のものではない。多年の間様々な共同団体の中で、また労働組合の中で共に活動してきた、そのような闘士たちの実体的現存空間はある。この空間は、何らかの形で自律的に表現されるだろう――われわれがSYRIZAにたとえ合流していたとしても、他の誰かがそれらを再編することになったと思われる。
d.ここまでの留意点を基礎にわれわれは以下のように考えている。つまり、ギリシャにおける問題は、想定上の資本主義再安定化ないしは大衆の戦闘性欠如ではなく、前衛を組織できる、また具体的な革命的展望を提供できる意識的主体だ、ということだ。われわれは、この主体的な要素に取りかからなければならない。客観的諸要素によりかからず、改良主義のあり得る軌跡に関する評価に基づいて、それをまさに今建設しなければならない。われわれがもし自立していなければ、われわれは、改良主義にも、また階級闘争それ自身にも影響を及ぼすことはできない。
ANTARSYAは依然矛盾した歩みの中にある。それは戦略的なジレンマを前にしつつある。そうであってもそれは重要なツールだ。ANTARSYAは、中学校教員を最後まで支援した。それは今、大学ストライキで中心的役割を果たしている。同様にまもなく病院でもそうするだろう。そこにわれわれは多くの同志をもっているのだ。
しかしもっとも重要な要素は次のことだ。つまりANTARSYAは、議会政治から提起される制約を理由としてその戦闘性に枠をはめるようなことをしていない、ということだ。

政治的自立のない共同は無力


結論として、何をなすべきかに関し二、三述べたい。
▼われわれは資本の攻撃とファシズムに対決する行動における統一戦線を必要としている。その目的は、いかにヒロイックであろうとも勝利を達成できずに各々別々にある、そうした社会的闘争すべてを協調させるためだ(ANTARSYAはそのような一つの戦線を今提案中だ)。
▼われわれは、資本主義を打倒するための現代化された過渡的綱領を提案できる、そうした統一され、自立した、反資本主義的かつ革命的な左翼を必要としている。
▼戦略問題が、時代遅れとなるどころか、かつて以上に今日妥当性をもつようになりつつある以上、われわれは、そのような一つの戦線の内部で、FI支部というわれわれの区別された組織を維持する必要がある。
▼「左翼」政府は労働者と被抑圧層に対する回答をまったく提供できない。このことをわれわれは説明しなければならない。個人財産権を無傷においたままでは、元ユーロコミュニストや社会民主主義官僚も、EUやブルジョア諸制度の枠内の交渉も、メモランダムなしの「全国開発計画」も、一切が回答にならない。

 ANTARSYAが議会の議員として選出されることがあるとすれば、われわれは、左翼(SYRIZA)政権に条件付支持投票を考えることになるだろう。しかしそこに参加することにはならないだろう。われわれは、唯一の出口は大量の諸闘争であり、自己組織であり、革命的な戦略である、と力説するだろう。
われわれは一人の議員ももっていない以上、SYRIZAがわれわれのものに似た綱領を提案することも受け容れることもしていないという条件では、選挙から単に引き下がることはできない。ANTARSYAは二〇一二年五月の選挙後にSYRIZAと会談し、たとえば、EU並びにユーロとの絶縁、債務の帳消し、経済の戦略部門のいかなる補償も付けない国有化、労働者管理といった、われわれが不可欠と考える中心的要求をいくつか提案した。はっきりとそれらは拒絶された。
そうであってもわれわれは、そのような反資本主義の過渡的綱領を誰かが押し進めることが絶対的に決定的だ、と今なお確信している。実践的には改良主義の後に付き従うことを意味する具体性のない「左翼の統一」を名目に、それを犠牲にすることは、われわれにはできない。
われわれは労働者政府を求めるスローガンを使う。しかしわれわれは同時に、「過渡的綱領」が次のように語っていることを心にとどめなければならない。
すなわち
a.ブルジョア国家内部で実際の労働者政府(すなわち、純粋に労働者の利益に資する政府)が起こり得るということは、たとえ不可能ではないとしても、極度に問題含みだ。
b.いずれにしろわれわれは、そのような政府が引き起こす展開に何らかの影響を及ぼすためには、革命的共産主義者の自立した組織(それゆえ、与党に融合していない)を必要とする。

 今日のわれわれの任務は、段階論的思考とは逆に、階級意識と革命意識の両方を同時的に築き上げることだ。ちなみに前者の思考は、革命について語り始めことができるまでにわれわれが通過しなければならない段階として、「単純な階級」意識(すなわち改良主義の)の段階が必要、と主張する。
労働者階級多数には革命は不可能に見えているかもしれない。しかし、客観的に不可能であるものは改良なのだ。

▼筆者は、FIギリシャ支部であるOKDE―スパルタコスの政治局メンバー。

注一)FI(統一書記局、われわれの潮流は一九六三年以後、この名前で知られた)の主要な戦後の指導者であるエルネスト・マンデルの名前に由来する。マンデルはまた、『後期資本主義』の著者であり、著名なエコノミスト。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)


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