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    かけはし2014.年3月17日号

犯罪的私有化反対が急拡大


バルカン

ボスニア・ヘルツェゴビナの社会反乱

カトリーヌ・サマリー

 一般紙ではまったく報じられていないが、新自由主義的構造改革と極度の生活破壊への大衆的抵抗が、スロベニアやボスニア・ヘルツェゴビナなどの旧ユーゴ諸国で始まっている。以下に、ボスニア・ヘルツェゴビナで発展中の社会的反乱に関する報告を紹介する(「かけはし」編集部)

破壊されたミニ
ユーゴスラビア


 春は寒さの盛りの先にある。社会的、民主的爆発がどこまで進むかは誰も分からない。しかしわれわれは今すでに、この爆発が深い傷を残すこととなり、野火のように広がるかもしれない、ということを知っている。この地域の人々は、諸々の抗議と熱望双方の中で、現在のシステムの動機となっているものを知り始めつつある。「犯罪的私有化」に対する強い非難から、それらを促進してきた欧州―大西洋諸制度に対する強い非難が現れ出てくる可能性がある。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ、そのまさにミニ・ユーゴスラビアは、地域間の(民族間や家族間ですらの)限定された関係を消し去るにはいたっていなかった何かであったそのような元の連邦の分解から、特に引き裂かれ、破壊された。「戦争による荒廃の移行期」の一九九〇年代――民族浄化の三年とおよそ一〇万人の死者――には、「平和的移行期」の諸惨害――新たな私有金融諸機関を伴った、外国資本依存への閉じ込め――が、しかしまた他のどこよりも分かる形になっている欧州―大西洋の支配もが付け加えられた。
 二〇〇三年から二〇〇八年の間、西部バルカンにおけるEUへの依存の成長は、有益だと見られる可能性があった。しかしボスニア・ヘルツェゴビナには、民族主義の基盤における正統性を主張できる一つの国家すらなかった。この国の統一は、ピンセットで維持された。一九九五年にデイトン(米国)で起草されたその憲法は今も機能しているが、戦争による民族分割を反映している。
 国家は、国際的な支配の下で、特に現在は欧州人である本当の「植民地総督」である国連「高級代表」に体現されて、偽の「主権」に貼り付けられている。クロアチアとセルビアの民族主義者は周期的に、分離で脅しをかけ、民族的分割を克服しようとするどのような試みをも阻止している。そしてそれがまた、憲法が認めている三民族(ボスノ・セルビア人、ボスノ・クロアチア人、ボスニアクと呼ばれるムスリム――これらの人は全部ボスニア市民)に入らない諸々の市民たち(ロマやユダヤ人を含む)への差別をもつくり出している。

民族分割超える
反抗が始まった


 しかし昨年、大衆的決起の最初の吹き出しが民族分割を超えて進んだ。つまり、「赤ん坊革命」が、支配諸政党の無視に反対するあらゆる「実体」をもつ市民たちの先がけとなった。それらの政党は、個人登録証で合意ができず、特に生後六カ月の小さな少女が海外で手術を受けることを妨げたのだった。
 この国は同時に、失業率が四〇%(若者の場合は六〇%以上)に達している。この地特有の腐敗と向き合う形で大量の貧困がある。二〇〇九年の深い不況後のこの国には二〇一三年まで、隣国と主要な貿易相手国――スロベニア、イタリア、クロアチア――の諸困難がはね返る中、停滞と後退があっただけだった。一五カ月続いた政府危機の解決に際して「援助」に条件を付けたIMFは、二〇一二年九月に攻撃に舞い戻り、構造改革、緊縮、私有化、特に健康保険と年金分野の私有化を要求した。
 これらの攻撃は、今日「犯罪的」と糾弾されている私有化の頂点でやって来た。私有化は特にもっとも工業化されたトゥズラ地域で糾弾され、そこで社会的爆発が始まった。
 すなわち、二〇〇〇年から二〇一〇年の間に、そこの人口の過半を雇用していた元の国有企業が私的所有者に売却され、その所有者は労働者への賃金支払いを止め、破産を申告し、資産を売り払った――「私有化州事務所」の統制下で――のだ。結果として大多数の労働者は、社会保障拠出金からの受給をもはや受けることができなかった。彼らは今、退職が可能であることを含んだ社会的諸権利を奪い取られている。というのも彼らは、求められる拠出最低年限を確保していないからだ。

直接民主主義の
中で政治化進行


 「反乱」の三日目から政治的スローガンが現れた。運動は、トゥズラからサラエボ、ビハチク、さらに他の都市へと広がった。数を増す総会は、諸要求の政綱を苦心してつくり出しつつある。直接民主主義の形を取ったこの動きは、社会的ネットワークに表現され、若者と高齢者――最高齢層は断固としたところが少しもない――を結集する他の総会の創出をも勇気づけている。
 報道機関は、フーリガン性や外部からの煽動者について伝えつつ、この運動の信用を落とそうと試みてきた。あらゆる政党から自立して自らを打ち立ててきた「フロント」の反応は、「貧困の原因を作るものは誰であっても怒りの報いを受ける」と明快だった。そしてこの組織は、自己組織勢力へと自身を転換する途上にあり、以下のように立場を表明している。
 「街頭に頼ったわれわれは、怪我を負った人々と起こされた損害に対し残念だとの思いを表す。しかし同時に、二〇年の間権力にあった人々の行為で破壊された諸々の工場や、公共空間、科学と文化の諸機関、そして人間の暮らしに関する落胆をも表明する」。
 「トゥズラの労働者と市民たちは以下のことを求める。すなわち
▼市民、警察、市民保護機関の協力を通じた公共の秩序と平和の維持。そのことで、デモに対する政治問題化や操作を避け、デモを犯罪とさせないこと。
▼トゥズラ州における次期選挙までの、政府ポストに一度も着いたことのない、政治に関わりのない専門家から構成される実務的政権の設立。その政権は毎週、その作業と提案について報告を提示する。関心のある市民すべては、その作業を確かめることができる。
▼〔私有化に関して〕……政府は詐欺的に取得された財産を差し押さえることができ、私有化協定の無効化を指令でき、工場を労働者に戻し、可能な限り早期に生産を再開できる。
▼政府職員の俸給の、公共部門と私的部門における労働者の賃金との平等化、あらゆる種類のボーナスの支払い停止、任期を終えた諸閣僚と他の代表の俸給支払い停止」。
▼筆者は、パリ・ドファン大学とパリ第八大学欧州調査研究所で経済学の教鞭をとっている。彼女は、最新の「ル・モンド・ディプロマティーク・アトラス」の共同編集者だった。また、フランスNPAと第四インターナショナルのメンバーでもある。さらにこれまで、東欧に関し、特にユーゴスラビアに関し精力的に著作を重ねてきた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年二月号)

ウクライナについての声明

民主主義的変革の願い支持

第四インターナショナル国際委員会

2月25日



(1)
 二〇一三年一一月、ロシアの強い圧力の下でヤヌコヴィッチ大統領がEUとの自由貿易協定への調印を拒否した時、ウクライナの政治危機が始まった。地域党(親ロシア派政党)は、数カ月にわたってこうした合意を支持する公的キャンペーンを行っていた。それはウクライナをIMFの圧力の下に置く深刻な社会的危機、債務危機の状況下で起こったことだった。大統領の個人的権力によってこの決定がなされたやり方は、大ロシアの地域的プロジェクトの中にウクライナが新たに統合される決定が下され、二〇一〇年以来顕著となった抑圧的寡頭政治、大統領専制的な体制の流れが強まるのではないかという、民衆の恐怖を強めることになった。
 したがってこの危機の内部では、二つの明確に異なる陣営や、相互に対立するプログラムがあったわけではなかった。むしろ寡頭政治支配層とエリートたちの内部で、さらに親ロシア派の地域党自身の内部で分裂やためらいが存在していたのである。そして、この国の歴史的な二つの部分(東ウクライナと西ウクライナ)の間の文化的・社会的・政治的相違にもかかわらず、「怒り」を表明し、諸政党を信じない、一つの独立したファクターとしての大衆が登場した。それはマイダン(広場)運動への直接的関与(西部と中部でその傾向がより強い)という表現を取るか、受動的な形で表現(それはこの国の東部のロシア語を話す地域に示される)されるかにかかわらず、である。
 流血の一週間は、抗議活動の参加者に、ヤヌコヴィッチ大統領の即時解任という見解を押し付けることになった。彼は「クーデター」によって打倒されたのではない。彼に対する不人気の増大は、約八〇人の死者を出した恐怖の事件以後、彼への絶対的拒否へと変わっていった。ヤヌコヴィッチ側のスナイパーはデモ隊に実弾を発射したのだ。大統領は数カ月にわたって弾圧と対話の間でためらいを見せていたが、この流血の事件は彼自身の陣営内で彼を深刻な孤立に追いやった。
 議会は彼の解任を決議し、警察の一部、そしておそらく軍隊は、他の地域においてと同様、キエフで「民衆の側に立つ」と宣言したのである。そして彼のロシアへの飛行は、彼の拠点の中心であるドネツクで止められることになってしまった。

(2)
 この運動は、その始まりから革命的要素(民主主義的、反エリート的、自主的組織化)と反動的要素の結合として現れていた――その全般的産物は、政治的・社会的闘争の問題であったし、今でもそうである。こうした特徴は、現在のポストソビエト期ウクライナ社会のあり方に深く根ざしている(あらゆる階級的アイデンティティーぬきの個人化、教育の質の悪化、社会における反動的ナショナリズム思想のヘゲモニー。それらは、民族独立への正当な関与、スターリニズムの印象的伝統と結びついている)。
 われわれはいわゆるユーロ・マイダン運動、そして全国で表現された民衆の不満、そして民主主義国家で自由にかつ普通に暮らし、寡頭政治的・犯罪的体制をなくしたいという願いを支持する。その一方でわれわれは、EUがこうした願いを満足させられないことを確信し、EUに対してノーと言う。
 われわれは、国際条約に対して、ロシアに対してであろうがEUに対してであろうが、その政治的、社会経済的影響についての透明性を得たうえで、ウクライナ民衆が全体として調印や破棄を決定し、統制する権利を持つことを支持する。
 われわれは、どのような看板を持ったものであれ、ある機関や国際的・一国的政治勢力が民衆による全面的で自由な選択を制限することを非難する。それが経済的・財政的指示という形を取ろうとも、厳格な法や治安部隊によるものであろうとも、選択と不同意の全面的かつ複数主義的表現を妨げる物理的攻撃という形であろうとも、である。この観点からわれわれは、極右潮流も治安部隊も同様に非難する。この二つは、同じく反動的で、反ユダヤ主義的で、暴力的・排他的民族主義イデオロギーを共有していることが多いのである。
 現在のところ主要な政治勢力は右翼と極右であるが、われわれはこの運動内部で左翼反対派を建設しようとしている社会的・政治的勢力を支持する。かれらは、そのように活動することによって、運動の外部にとどまり運動全体をそこに存在する極右勢力と同一視することを拒否してきた。こうした自立的方針は、ファシストグループとの困難な衝突、そして独立以来どの政党が政権を取っていてもなされていた二五年間におよぶ社会権の抑圧に焦点を当てることを意味していた。

(3)
 ヤヌコヴィッチ政権の終焉以来、大衆運動それ自身は民主主義的・民族的・社会的課題に関して進歩的プログラムを持たず、労働者運動(労働者に根付いた独立労組と政治勢力)が欠落している――その一方で、真の民主主義的、政治的・社会的変革への全面的希望が存在する。次の選挙結果がどうであろうと、民衆の幻滅が現れる。そしてEUとの協定がどうなろうと、新しい支配政党は社会的攻撃を継続し、その内部的衝突は国の分解を引き起こす可能性がある。オルタナティブ左翼は、さまざまな右翼政党に対決し、社会的・言語的・民主主義的課題への独自の提案を通じて、民衆の希望と幻想に対処しなければならない。
 われわれはウクライナの民衆が、この国のすべての地域で、その具体的要求と支配政党への不信に関する、自己組織化的表現の独自の様式を見つけ出すことを望んでいる。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)

 


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