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    かけはし2014.年3月17日号

陰の取り引きに反対する


ロシア

プーチンの侵略行為ノー

真の住民自決に向けエリートや
民族主義者の権力横領に抵抗を

「オープンレフト」

 昨年一一月から始まったウクライナの民衆反乱は、ヤヌコヴィッチ政権を崩壊に導いた。しかしその後クリミアを突破口にするロシアの露骨な介入が始まるなど、状況はめまぐるしく動いている。無責任な特権的エリートを拒否し民主主義を求めて立ち上がった現地の民衆を脇に置いた陰の取り引きと、それによる事態「収拾」が強く危惧される。以下に、ロシア左翼の三月始めに発表された見解、ウクライナ情勢に関するFI国際委員会の声明、マイダン運動に関するウクライナ左派へのインタビューを紹介する。三面の平井論説も合わせて参照していただきたい。(「かけはし」編集部)


 ウクライナで起きていることはおそろしい速度で動いている最中だ。この声明は、「オープンレフト」編集者が三月一日朝に準備した。〔今日〕三月二日午後二時には、さまざまな都市のロシア人が、ウクライナへのあり得るロシアの干渉に反対する集会を開催するだろう。

古典的な帝国主義的干渉が進行

 ウクライナの半島は、ロシアの帝国主義的野心と「新」ウクライナの粗野な民族主義政治の交差点上に自身を見出すという、不運に見舞われることになった。「オープンレフト」は、クリミアの自決権の運動は帝国主義のゲーム並びに熱に浮かされた民族主義双方にまさるものだ、と声明する。
 どの以前よりも今日、以下のことを直言することが必要だ。すなわち、現在の日々クリミアで起きていることは、ロシア国家の側からする古典的な帝国主義的干渉行為にほかならないと。それは、愚かで卑劣、そして筋違いな干渉だ。そしてそれは、ウラジミール・プーチンの体制自身がどのように描かれ得るかをも示している。
 われわれには分かることだが、この計画は休みなしで書かれ続けている。クレムリンは二週間前、その結果をよく考えるもことなく、マイダンのもっとも残忍な無理矢理の解散に向けヤヌコビッチに圧力をかけ続けていた。さらに一週間前には、失敗に終わったハルキフにおける混乱した州当局者たちの「分離主義」会議を支援していた。そしてまさに今彼らは、過去一〇年、長く忘れられていたように見える「クリミアカード」を切りつつある。
 最初の二つの計画は破綻した。最初のものは早々ににそして流血の中で。二番目のものはほとんどすぐに、そして不面目に。クリミアの今回が破綻の運命に向かう道筋をどれだけ正確に言うかは難しいとしても、それがそうなることに疑いはない。
 ロシア国家はこれまで、その同盟者をどれだけすばやく引き渡すことができるかを、繰り返しはっきりさせてきたのだ。そしてクレムリンは、クリミア情勢の劇的な展開のまさに始まりから、事態挽回に向けた潜在的意志の特有の印をもまた残し続けてきた。ロシア軍部隊が一定数の戦略的施設を接収し、事実上半島の制空権を支配し続けているという事実にもかかわらず、ロシアの公的立場は、起きていることは単なる「内部紛争」であり、前もって計画された軍事演習、というものにとどまっている。
 ヤヌコヴィッチは、ロシアの固い支持に頼り続けることなどできない。彼は、正統な大統領であると同時に国際的な犯罪人でもあるという二重の立場の下で、明らかに何か第三者の、中途半端な記者会見をロストフで行っていた。モスクワの直接的関与の下に選出された新しいクリミアの指導部もまた、状況の人質にとどまっている。

「自治」クリ
ミアとは何か


 三月二五日に住民投票にかけられる問題(三月八日現在、三月一六日に前倒しされている:訳者)は、今後の陰の取引――米国やEUという主要な帝国主義のプレーヤー、そしてユリア・ティモシェンコの取り巻き内の古いクレムリンの寡頭層連携相手双方との――に向けた大きな幅の可能性一覧を残している。
 その問題への「イエス」との反応(ロシア語を話すクリミア住民の圧倒的多数は明らかにそこに向け準備ができている)は、そのもっとも急進的な変種として、一九九二年に存在していたクリミアの自治という地位の再確定に導き得る。そしてそれは現在の環境の下では、この地域をウクライナにおける永続的な内部的緊張の源へと変えるだろう。さらにそれは、見通せる将来におけるウクライナのNATO加入の不可能性を保証するだろう。
 この自治のクリミアは、自身がロシアに対する変わることのない経済的、政治的依存の中にいることを見出すだろう。他方その住民は、ロシアの市民がもっている公式的諸権利すらも奪われているだろう。西の重要な連携相手に対する有効な脅迫として「クリミアカード」を使うことで、モスクワがウクライナの新しい政治秩序の枠内における全体としての権力再配分に成功する条件においては、クリミアにおいては何一つまったく変化はないだろう(おそらく、セルゲイ・アクショノフと「ロシア人の統一」出身の同僚たちを例外として。あり得ることとして彼らもまた、ロストフかバルヴィハに移らざるを得なくなるだろう)。
 いずれにしても住民投票の結果は、クリミアの民衆の運命に関しては一般論として、閉じられたドアの背後で決定されるだろう。クリミアと全体としてのウクライナが外部諸勢力(西と東双方からの)間の紛争圏としてとどまる限り、住民の自決権は踏みにじられたままとなるだろう。

緊縮の大波隠す
民族主義の政策


 地域党(ヤヌコヴィッチ政権の与党だった:訳者)の政治家がそれで無責任に賭けに出ることが常である国の「連邦化」というスローガンは、正常な環境の下では、文化的に、民族的に、また言語的な側面で異質な住民をもつウクライナにとっては、もっとも公正な解決となると思われる。多民族国家における連邦の原則は、その構成体の各々が地域レベルでの諸方策を採用する同等の権利と自由を保障されている場合には、対立を緩和する民主的な手法となってきた。
 しかしながらウクライナの現代史は、弱体な国家におけるこのスローガンは、より強力な諸隣国からの影響圏を写し出す以上のものでは決してないという事実を証明している。それらの各隣国は、対立と差違化の中立化ではなく、その永続的なエスカレーションに利益をもっているのだ。生きた民主的連邦主義のためには、今進行中の何ほどか刷新されたエリートや民族主義者による権力の横領ではない、真の民衆権力に向けたウクライナ革命の発展が必要となる。
 クリミアの問題はロシア当局者によって一週間前に思いつかれたわけではなかった。セヴァストポリの街頭に進出した何万という民衆は明らかに、キエフからの敵意に満ちた信号を感じ取った。そのキエフで議会の勝利した多数派は、地域言語を変更する法律に賛成票を投じたのだ。
 その法的不完全さにかんする説得力を欠いた議論にもかかわらず、この決議にはただ一つ象徴的な意味があるだけだ。新しい権力者たちは、経済的崩壊の瀬戸際に立っている国において、民族主義的投機の全側面をもって、今後やって来る「不人気な改革」の波を覆い隠そうと決めたのだ。
 この決議を先導した自由党(スヴォボダ)のウルトラ右翼にとって言語の問題は、民族的国家に向けた大規模な反動的綱領の一部だ。しかしそのような国家は、現在の形態におけるウクライナを葬ってしまう潜在力をもっている。「右翼セクター」(その主なメディアの相手は、ロシアのテレビであり続けている)の荒っぽい突進という背景に釣り合わされたこの決議は、情勢悪化の重要な要素となってしまっている。

民衆の決定権
確立が不可欠


 今回のクリミアシナリオは長続きしないだろう。クレムリンのエリートたちは、彼ら自身の利益にしたがってそれを手早く演じ切るだろう。指令に従って宣伝隊が吹き鳴らした愛国的なブブゼラは静まるだろう。彼らのメディアのページ上で何度も「われわれのクリミア」の回復を呼びかけた受動的な「事務所のタカ派」は沈黙に落ち込み、他のより新鮮でより興味を呼ぶ話題に身を転じるだろう(二〇〇八年のグルジア戦争期のように)。ただクリミアの住民たち――ロシア人、タタール人、ウクライナ人――だけが、彼らの諸問題と共に一人残されるだろう。この困窮した地域の住民たちは、旅行者の流入や軍事基地の存在を別にして、キエフの右翼政治家、当地の寡頭層によって育成されている「ロシア人の保護者」、そしてロシア国家の冷笑的な策動といったものの間で締め付けられたままだろう。ついでながらこのロシア国家は、自身の一億四三〇〇万人の市民たちの諸権利と自由につばを吐きかけている。
 キエフマイダンの実際の結末を評価し予測することは今日極めて難しい。この運動は、ヤヌコヴィッチに抑圧された寡頭層一族の再起を導いたが、同時にポストソビエトの空間では考えられないような民衆の草の根運動に対して数々の勝利をもたらした。マイダンは極右ごろつきの活動に水門を開いたが、同時に、民衆の大きな部分を政治生活へと駆り立てることになった。そしてそれらの人々はおそらくはじめて、彼ら自身が彼らの運命を決めることができる、と感じ取っている。
 この諸々の可能性の広がりは、進歩的な社会変革へ、また極度の反動へ、という双方に変ずる潜在的可能性をもっている。しかし最終的決定は疑いなく、ウクライナの民衆自身――キエフやリビウであろうが、クリミアやドネツクであろうが――に残されなければならない。

▼「オープンレフト」はロシアのウェブサイトであり、そこではロシアのFIメンバーが活動している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年三月号)
 

ウクライナ

左翼反対派とのインタビュー

反乱は民主主義を求めた


 以下に掲載するのは、ウクライナの政治グループ「左翼反対派」指導部の一員で経済学者であるザカール・ポポビッチとのインタビュー。聞き手はフランス反資本主義新党(NPA)の週刊機関紙「アンチカピタリスト」のマヌ・ビシンダリツ。(IV編集部)

ロシア語を話す
青年たちも決起
――この間の動きの根本にある情勢、とりわけここで政治勢力が果たしている役割について話してくれませんか。

 特別治安警察「ベルクト」に対する最初の攻撃を組織したのは、主にネオナチ組織の「プラヴィ・セクトール」であり、彼らは極右のスヴォボダ運動よりもさらにラディカルな行動を取っていました。しかしそれから数日のうちに、多くの一般人、そして実にさまざまな人びとが闘争に入っていったことも事実です。何千人もの人びとが火を大きくするためにタイヤと石油を手にしていました。活動家の中で、その多くがロシア語を話すたくさんの人びと、キエフの郊外からやってきた多くの青年たちを見ました。それは、ほとんどがウクライナ語を話す、西ウクライナの村からやってきたマイダン広場に集まった人びととは非常に違っていました。
 緊急事態法令が施行された後、ほとんどのキエフ市民はひどく怒っていました。活動家たちが殺されてからは、さらに怒りがつのりました。「いつも」の夕方には数百人の人びとが訪れるマイダン広場には、そこで一夜をすごす数千人の人びとが侵入することになりました。この大衆的動員は、警察が明らかに準備していた「クリーン作戦」からマイダン広場をおそらく救ったのです。
 「ベルクト」が攻撃してくるだろうと誰もが確信していました。その日に採決された新法によれば、デモ参加者たちはすべてが犯罪者と見なされるのです。その中には極右集団もいましたが、一部には左翼ラディカル派グループもいたのです(おもにアナーキスト)。ほとんどのデモ参加者たちは野党や排外主義的極右に批判的でした。多くの石や火炎びんが警察に向かって投げられ、一部に負傷者が出ました。
 不幸なことに多くの青年たちは、何人かが殺された後でも、それがゲームであるかのように振る舞いました。しかしそれにもかかわらず、この行動はウクライナ人の、そしてさまざまな民族とエスニック集団たちの、ウクライナにおける民主主義を求める大衆的反乱だったのです。極右がいたのは確かですが、それはより広範な運動の中でのことでした。

与野党の無策が
極右台頭に加勢
――政府の対応はどうだったのでしょう。

 政府はこうした感動的なまでの大衆動員に直面して、デモ参加者に実力行使しないことを決めました。広場から撤収させようとするあらゆる試みは、多くの負傷者、おそらくは死者さえ生みだすことになったでしょう。しかし新しい反民主主義的な緊急事態法の適用を阻止したこの大衆行動は、マイダン運動の最も反民主主義的要素に刺激を与えることにもなったのです。極右ネオナチグループは警察に対する最初の戦闘の後、自らの隊伍を強化し、自分たちが運動の指導者であると宣言するほど強いのだ、と感じるようになりました。
 野党の指導者たちが宣言した休戦と、ヤツェニュク(最大野党「祖国」の幹部)を首相にするというヤヌコヴィッチ大統領の提案にもかかわらず、暴力は止まりませんでした。議会の多数党はヤヌコヴィッチ本人とともに時間稼ぎを試みるだけで、新しい選挙を組織したり、根本的な変革を導入したりする意思はありませんでした。しかし野党指導者は、ラディカルな行動の準備はなく、かれらがこれ以上何ができるかについては、何の考えもなかったのです。
 マイダンに集まった人びとは、双方に対してますます怒りを募らせていました。不幸なことに最もありそうなシナリオは、右翼の権威主義的・民族主義的体制が打ち立てられることでした。スヴォボダ党が、最も民族主義的なグループをなだめ、あるいは粉砕することができたとしても、この党の入閣は進歩的でラディカルな左派の体系的抑圧をもたらすことになるでしょう。この間、左翼や進歩的勢力は強化されていますが、スヴォボダ党は依然としてマイダンにおいて最も組織され、強力な勢力です。
 かれらは情勢を鎮静化するために政府との交渉を追求するでしょう。二月一六日の日曜日にキエフ市役所の占拠をやめましたが、この建物は数時間後、マイダンの「自衛勢力」――その多くが「プラヴィ・セクトル」のネオナチ活動家――によって再占拠されました。こうした極右グループは、かれらの指導者から公的には非難されていますが、寛容に扱われており、ますます暴力的になり、統制困難になっています。

左翼は大衆的討
論参加を継続中
――あなた方の組織である「左翼反対派」は、最近「マニフェスト(宣言)」を発表しました。この運動の中で、みなさんは自分たちの方針をどのように擁護しているのですか。

 困難な情勢にもかかわらず、左翼はマイダンで以前よりもはるかに受け入れられるようになっており、おもに左翼と進歩的活動家が組織した学生センターである「ウクライナの家」で系統的な働きかけを行っています。私たちの一〇項目の「マニフェスト」の幾千部ものコピーを含む左翼の書籍やリーフレットがここで配布され、私たちは大衆的討論に参加しています。
 労働者統制とすべてのカネ持ちの選挙権の剥奪をふくむ私たちの提案は、よい反応を得ています。不幸なことにそれは、多くの人びとが左翼組織に参加していることを意味するものではありません。左翼は、かなりの数の新メンバーを引き付けるのには依然として弱すぎるのです。
 他方、左翼とアナーキストの統一をマイダンの「自主防衛隊」の中で組織しようとする試みは、極右グループの暴力的攻撃のために成功しませんでした。現在、左翼に対する暴力が再び拡大しており、ウクライナ自由労組連合の活動家たちが受けた攻撃を思い起こさせるものになっています。この攻撃は、スヴォボダのリーダーたちが示しあわせて、あるいは個人的にしかけてきたものでした。

――「左翼反対派」はロシアとEUの競合的な国際協定の問題について、どのように主張していますか。

 ウクライナにとって二つの道は、両方ともによくないものです。主要な問題は、わが国内にあるのです。「新興財閥」による政治の掌握は、大企業への課税ゼロといった結果をもたらしました。労働者と小企業がすべての税金を支払っているのです。国内には十分な資源があるのに、このようにして国庫は空っぽになったのです。
 あれこれのブロックへの統合という選択は、こうした問題を解決しません。

――あなたがたは、ロシアや欧州の反資本主義・国際主義的左翼とどのようなつながりを持っていますか。

 欧州の左翼の報道機関は、ウクライナに資本を保有しているオフショア企業(課税逃れのため本社をタックスヘイブンに移している企業)への調査を行うことが可能だと主張して、自分たちの政府に圧力をかけることができるでしょうか。政府の代表に対してだけではなく、「新興財閥」に対しても制裁キャンペーンを行うことができるでしょうか。「新興財閥」がヨーロッパに持っている銀行口座の差し押さえを、ウクライナ人が求めていることを示すことができるのでしょうか。この税率ゼロや政治の完全な「新興財閥化」は、ヨーロッパでは受け入れられないことを示すことができるのでしょうか。
 これらすべてが実行できたのであれば、すばらしかったことでしょう。最後に、ウクライナ反対派運動の中に存在し、実際のところネオナチである極右への不寛容を示すことがもちろん重要です。欧州の活動家やさまざまな個人が、こうした問題について話し合うためにキエフに来られることも歓迎します。いまなお比較的安全な条件の中で、ここで討論することは依然として可能です。
(「インターナショナルビューポント」二〇一四年二月号)

 


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