郵便屋さんの年賀営業騒動記
もうシラを切ることはできぬ 構造的な経営体質の欠陥がもたらす現場の荒廃
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顧客の激しい奪い合い 「Web伝送便」のBBSへの投稿から引用する。
「年賀の営業なんですが、班のやつが私のお客を横取りします。私のお客のリストを見て、絨毯爆撃をかけます。で、俺が先に取ったと言って返してくれません。こんな状況では努力しても無駄です。班長や管理職も助けてくれません。もう、鬱です。年賀の直前に退職して、仕返しをしてやろうかと思います。刺し違えて果てようかと」。
営業リストをきちんと作っていたのは期間雇用社員でそれを横取りしたのは正社員という構図。毎年この時期になると年賀営業に関する様々な悲喜劇が職場内外で繰り返され、それを仁義なき営業として私たちは揶揄してきた。
そもそも重なり合う共通のエリアで特定局と集配局がしのぎを削ってパイの奪い合いをやり、上記のような現場の同じ配達班内でも職員どおしで内ゲバ的に市場の奪い合いをやっているというのだから、完全に消耗戦である。にもかかわらずノルマを課され結果を出すことを厳しく求められれば、そのためには上から下までそれなりの工夫を重ねなければならない。
上にあっては一一月一日の正式売り出し日を待たずに大量の年賀状を横流しする。各局には一月近く前から今年度の年賀状が運び込まれ、一箱四千枚入り段ボール箱が倉庫に山と積まれているのだが、そこからすぐに多いときには数十箱単位での蒸発が始まる。郵便局には領収書の要らないプール金が幾ばくか準備されていて、段ボール箱数箱、中にはトラックまで使って大々的に数十箱分のそれを業者を介して横流ししたとしても、損金はそのプール金から様々な理由を付け補填できる仕組みになっている。
それに比べて下にあっては数百枚単位で細々と金券ショップに持ち込んだりネットなどを通じて捌くしかない。細々と書いたが、確かに現場の職員による金券ショップなどへの持ち込みはせいぜい数百枚という細々とした単位であっても、その差額はすべて自腹でまかなうしかない。正社員はそれをボーナスで補填し有期契約社員は血の滲む思いで生活費を削る。そのいわゆる「自爆営業」はこの時期、毎年恒例行事のようにどこかのマスコミ媒体によって報道され、一時的にはそれなりに社会的関心を呼ぶのだが、しかしこれまで会社は一貫して「自爆営業」の実態そのものを頑なに否定し続けてきたのだ。そのような報告は下からは上がってきていないと繰り返すのみ。官僚組織だからと白昼堂々と公言しているに等しい滑稽さだったのだが、ここ数年はさすがに「一部でそのような報道があったことは了知しているが現場では実需に基づかない営業活動はコンプライアンス違反として厳しく指導している」といった回答をするようになってきてはいた。
指導文書では自爆営業
を認める
確かにここ毎年会社から下ろされるこの時期の指示文書には実需に基づかない営業規制云々という文言が記されていた。しかし実は今年一〇月一〇日付(この日は各局に今年度の年賀状が段ボールで運び込まれる日)の日本郵便各支社からの指示文書「二六年用年賀葉書販売目標及び年賀販売の新たな取組等」という文書にはこれまでのそれよりはちょっと一歩踏み込んだ取り組みで自爆営業を牽制する指示に変わっていた。
その文書は今年統合になった郵便事業会社と窓口会社との一体的な営業をスキームとして取り組めというのが主な内容。つまり同一エリア内での内ゲバ的パイの奪い合いではなく普通集配郵便局のその周囲にある特定郵便局とが一つのエリア単位として、一体となって営業を進めよと、まぁそれは当然過ぎるほど合理的なスキームなのだが、加えてその文書の後半には「不適正営業の撲滅」という項目が設けられ、そこにこれまでより一歩踏み込んだ指示が付け加えられていた。少し長いが引用すると、
(1)各種報道機関等により、社員による金券ショップへの持込みが報道されるなどしていることから、金券ショップに持ち込まれた年賀葉書の出所の追跡調査を行うため、自局が販売する年賀葉書(無地・インクジェット紙)の箱の適宜の場所に、切手庫から払い出すまでに、又は到着した都度、日付印(局名が分かるゴム印等も可)を押してください。
(2)金券ショップへの持込みについて、コンプライアンス統括部がモニタリング調査を実施します。
特に(1)は「箱の適宜の場所に」局名入りの日付印を押せというのだから、前述した段ボール箱ごとの組織的横流しを会社も認識していて、その抑止と牽制のための施策を出してきたと読めるだろう。さらに金券ショップへモニタリング調査というのは、無作為に店頭で年賀状を購入し、その「くじ番号」から現場の「自爆」持ち込み社員を割り出すなどというまことしやかな噂も流れたが、実際にはこれはブラフに過ぎないだろう。どうにでも言い逃れはできるだろうことはちょっと考えれば誰もがすぐに分かることだから。ただし、気弱で優しい普通の現場の社員には意外とこの手のブラフは効果的であることを、会社はよく知っているということではあるのだが。いずれにせよ会社としてはこれまでのマスコミによる報道に少しは業を煮やし、新たな対策として現場の規制を強める方針を出してきたと受け取められる。
ただしそれは本来会社の構造的な経営体質にこそ問題があるにもかかわらず、結局はまた脅しといった権威主義的・抑圧的手法を一方に現場に押しつけるやり方では、結局根本的には何も解決はしないのだ。
一一月一日年賀売り出し日当日、「伝送便」では午前中から手分けして都内の主要な金券ショップ街の調査を行った。その日の午前中にはすでにいくつものショップで豊富に年賀状が並べられていた。正式発売日の午前中である。それらが現場の職員が持ち込んだものではないことは明らかだろう。つまり、状況証拠は依然組織的な横流しがかなりの規模で横行しているということを裏付けるものだろう。現場の社員個人に対する脅しや締め付けによってなにがしかの効果が得られる訳もない。おそらくは組織的な横流しはさらに巧妙な手口が開発され、そのスキームはより深く地下に根を伸ばしていくのを、会社は助長しているに過ぎないだろう。
もう一つ。新たに付け加えられた「規制」が現場ではより混乱をもたらした。それは、今年度から立替払による年賀葉書の販売を禁止するというものだった。理由は統合日本郵便は数種の金融商品を扱いそのために金融庁からの監督が厳しく株式上場にも影響が出かねないからと。それが妥当な理由かどうかはさておき、現場では実はこれが一番問題になった。
金券ショップへの持ち込みだけが自爆営業なのではない。親族一族郎党、同窓生にいたるまで事前に予約を取り、一一月一日当日社員はその分を現金で立て替え払いするのがこれまでのやり方。早期現金化を現場管理者も強く指導してきた。それが今年から突然コンプライアンス違反になった。ところが現場ではろくに周知がなされていない。加えて指示文書の内容を知りつつも営業実績を優先しこれまで通りの対応をした管理者もいたかと思うと、杓子定規にダメだとはねつける管理者もいたりと局ごとに対応がてんでんバラバラになってしまった。
ネット社会である。この手の他局の情報は以前よりははるかに容易に現場に流れてくる。現場では怒号が飛び交ったりもした。もう一つ油を注いだのが、遠方の親戚・友人・知人等からの予約は「Web受注サービス(ネット通販)」を使え、というもの。つまり郷里のツテの予約営業の分は、実際にハガキを持っていって現金を受け取るのは郷里の郵便局の職員ということにするというのだ。予約営業に関するポイントは本人に付くが、来年からもそうなるとは限らない。
「Web受注サービス」で注文を受けた郷里の郵便局では当然データベースとして蓄積されるだろう。それが来年現地でいち早く活用されるであろうことは火を見るより明らかだろう。冒頭にも書いたような事例が今度は遠く離れた郷里と都会の間で繰り広げられかねないということだ。職場ではさらに疑心暗鬼が蔓延する。
この個人に負わされる不条理なノルマのその重さが過重になればなるほど会社の経営責任が軽減されていくといった非合理で無責任な官僚主義的経営体質を根底から覆さない限り何も変わらない、ということは現場の人間ならば誰もが身に染みて感じていることなのではあるのだが。 今年のうっぷんばらし
は大きかったが
そんな鬱積する職場の中で今年も自爆営業に関するマスコミ報道が流れた。ただし今年のそれはちょっと大き目の花火だった。一一月一七日付け朝日新聞全国版朝刊の一面。さらに記事の続きは社会面にまで及び、そこにはこれから東京の金券ショップに持ち込むためにわざわざ地方から出てきた青年の姿がカラー写真で掲載され、その横には一束二〇〇枚の年賀状の束が山と積まれてある。今年のノルマは一万五千枚とのこと。強烈な印象を残す記事である。
朝日の記事は、実は九州福岡版にはもう一つ別のエピソードも掲載されていたのだが、これは実は福岡の朝日九州本社の記者と在京記者が偶然同時期に別々に似たような取材活動を行っており、途中から同一チームでの取材になったものの、九州本社のこれまでの独自の取材蓄積は九州で反映されたというもの。マスコミの取材にしては珍しくといっては失礼なのかも知れないが、このチームが動き出したのはまだ炎暑が続く日々だったから、かなりの長時間をかけ全国を回り膨大な証言を集めて、それは丁寧な取材を行ってきたことがうかがえる。記事になったのはだからその膨大な取材資料の一部でしかないのだが。
タイミングよくというか悪くというか会社からその後に追加の指示文書が出され、その内容がこの記事とリンクするようにして職場で話題となった。
「不適正営業に関する内部通報窓口への通報について」
要するにコンプラ違反は内部通報せよというものだが、珍しくそのコンプラ違反の対象を管理者のそれに断定していることだ。
@ 社員の実績や、従事する業務態様に見合わない過度の目標を課す。
A 年賀販売が低実績の社員に対し、人事上、業績評価上の不利益取扱いをほのめかす。
B 年賀販売が低実績の社員に対し、他の社員への見せしめとなるような営業指導を行う。
上記のほか、販売実績を急に伸ばしたが販売先が不透明な社員及びそれを黙認している管理者がいる場合、販売所に対し想定される販売実績よりも異常に多くの年賀ハガキを購入させている郵便局があれば、内部通報せよ、と。
朝日の記事をでかでかと組合の掲示板に張り出す。それを見た労担が飛んでくる。剥がせ剥がさないの問答の最中にも先の指導文書を印籠のごとく差し出して、先に現場管理者を規正せんかいなどと嫌みを返す。ちょっとした鬱憤晴らしのそんな報告も届いたりした。
以前組合役員から聞いたエピソード。本社中央交渉。オフレコでと話し出した若い会社側交渉委員はこう言い切ったという。「私たちは現場の管理者を金輪際信頼していませんから」と。エリートからすれば現場の人間は合理的な計画の内容を理解する能力をそもそも欠いており、勝手に現場に都合のいいように解釈してごまかすばかりだと。そうだろう。現場ではまったくその現実を度外視した非合理的な指示の数々を一方的に繰り出し続ける会社のその傲慢なやり方について、その経営感覚を金輪際信頼していないのだ。そしてその感覚のネットワークは北は北海道から南は沖縄まで拡がっている。会社・職場の中では細かく分断管理されていようとも、その感覚のネットワークは現場の人間であれば遥かに広く深く全国で共有しているものなのだ。とりあえず私たちの可能性の基礎はそこに置くしかないのだが。(丸池忠怒) さいたま新都心郵便局過労自死事件
12.5 遺族が日本郵便に民事訴訟提訴
職場に合理的・民主的ルールの確立を
二〇一〇年一二月八日午前八時二八分、さいたま新都心郵便局において集配課社員Tさんは四階の集配作業事務室から飛び降り死亡。享年五一歳。妻Aさんと当時一二歳、一一歳、一〇歳の三人の子どもが残された。
さいたま新都心郵便局は二〇〇三年に越谷局に導入されたトヨタ生産方式の、次年度におけるモデル局とされた。Tさんは二〇〇六年に岩槻郵便局から同局へ異動。トヨタ方式による慣れない立ち作業、厳しい目標管理、時間管理、さらに徹底した自己責任論などが職場に充満し、精神をすり減らしていったといわれる。
二〇〇八年、四八歳の時にTさんは「抑うつ状態」と診断を受ける。一カ月後には復帰するも約半年後再び長期の病気休暇になるなど、発症と復帰を三度繰り返す。
二〇一〇年のTさんの死亡の原因が高密度の作業管理と高圧的労務管理にあること、メンタルヘルス疾患に対する不適切な対応にあったことは明らか。郵政産業ユニオンはこの間ご遺族を支えつつ会社の責任を追及する会を結成し、長期にわたる運動の土台作りの構築に努めてきた。そして一二月五日、満を持して日本郵便を提訴。その後記者会見を開催した。
会見場でのご遺族の訴え。「(夫が)亡くなって一週間後にお歳暮ゆうパックが届いた。夫の母にも、私の母にも、おばにも届いた。年賀になると、やれる人はなんで何千通も売れるのだろうと嘆いていた。もしこのままにしていたら(三人の)子どもたちは一生懸命働くことをいやになるような人間になってしまう。働くことはいいことだ、大切なことだと伝えたい。病気にならない、健康で働ける郵便局や職場であることを願って裁判をやらせていただきたいと思います」。
弁護士からは「郵政において作業管理、立ち作業やお立ち台といった職場管理が招いた災害であることを問う初めての訴訟になります」との提起。
現在日本郵政グループ各社は全国で三〇件を超える争議・訴訟事案を抱えている。郵政産業ユニオンが関連する争議だけでも全国で二〇件以上。それでも争議沙汰になるのはほんの氷山の一角であり、職場・現場では日常的なパワハラ・セクハラ行為が横行し、個人責任の名の下、ちょっとしたミスであっても衆目の中でのつるし上げ的な制裁が加えられるなど、非合理的で前近代的な強権的労務管理がまかり通っているのが現状だ。
郵便局の中で繰り広げられているこのような異常な実態を広く社会に訴え、職場に合理的で民主的なルールを確立させる闘いのためにも、今回の訴訟の意味は小さくないと考える。(丸池忠怒)
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