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    かけはし2013.年12月16日号

東アジアの歴史を引き継ぐ


11.23 河野・村山 『談話』はいかにして生まれたか

特定秘密保護法廃案訴えデモ

 【大阪】東アジア青年プロジェクト主催の『談話』と特定秘密保護法案廃案についての集会が一一月二三日、大阪市城東区のクレオ大阪東で開かれ、四五〇人の市民が参加した。川口洋さん(高槻市会議員)、野々上愛さん(高槻市会議員)の司会で進行し、開会のあいさつは佐藤大さん(東アジア青年交流プロジェクト事務局長)が行った。
 集会は、河野談話・村山談話を柱として企画されたが、河野洋平さん(元官房長官)の参加が難しくなり、村山富市さん(元首相)が体調の都合で参加できないかもしれないとの事情の変化で若干変更された。そして、特定秘密保護法案審議が大詰めを迎える時期とぶつかることから、秘密保護法の廃案を求める緊急行動が集会後の取り組みとして行われた。

村山富市さんに
インタビュー
  はじめに、村山富市さんへのインタビューのビデオ映像が上映され、『談話』がいかにして生まれたかについて、服部良一さん(元衆議院議員)が質問し村山富市さんがそれに答えた。
 社会党委員長が首相になるのだから、戦後五〇周年の節目にアジアの人々に何らかのメッセージを出すことは当初から考えていた。その前に、日本軍「慰安婦」問題についての河野談話で基礎ができていた。しかし、いざ出すとなると、自民党の中に大きな抵抗が出てきた。日本は悪いことばかりでなく、鉄道をつくったり学校を建てたりよいこともしたと。侵略などはしなかったという意見も。反対されたら、自分は辞職するつもりだった。
 結局、いくらかの曲折を経て発表された(「戦後五〇周年の終戦記念日にあたって」【いわゆる村山談話】)。発表したら大きな反響があった。特に相手との緊張が緩和され、お互いの周りが明るくなった。安倍さんは、談話を継承するとか見直すとかぶれているが、安倍さんの改憲・国防軍・集団的自衛権行使は、本音だと思う。しかし、談話を否定することはできないだろう。インタビューの中で村山さんは、おおよそ以上のような話をした。

「国家犯罪」の
隠ぺいを斬る
 基調講演は佐高信さん(評論家)が、「国家のウソ・罪の隠蔽―秘密保護法・談話見直しを斬る」と題して行った。
 遠藤実弁護士は山口組の顧問弁護士をしていた。組長の渡辺は遠藤実などを顧問弁護士にしているとそのうち山口組は左翼化するぞと(保守の政治家に)忠告された。渡辺は、左翼と右翼の境界はどこにあるのかと遠藤に問うた。それは、日中戦争を侵略とみるかそうでないとみるかだと答えた。それならオレは左翼だ、他人の縄張りに入ったら侵略だと渡辺はいった。わかりやすい話だ。
 中国の九・一八戦争博物館に行くと、満州事変のきっかけとなったた柳条湖事件の首謀者として板垣征四郎と石原莞爾のレリーフが掲示されている。中国人民はこの二人を絶対に忘れないという江沢民の筆による彫刻がある。しかし、石原莞爾は今でも郷里では根強い人気がある。人々の中には、あの戦争は単なる侵略戦争ではなかったと思っている人がいるからなのだろう。
 二〇〇一年シドニーオリンピックの女子マラソンで高橋尚子さんが優勝したとき、日本人としての優勝は六四年ぶりだと報じられた。六四年前とは、一九三六年ベルリンオリンピック男子マラソンで孫基禎選手が優勝した時のことだ。孫選手は日の丸をつけて走り、これを報じた「東亜日報」は日の丸をはがした写真を掲載し、発行停止処分を受けた。Qちゃん(高橋尚子の愛称)のときには、日本のマスコミはこの事実をどこもふれなかった。
 昔、日本は世界卓球選手権大会の覇者だった。荻村伊智朗という人は二度も優勝している。彼は現役を引退してから、第三代国際卓球連盟会長になった。その荻村さんは、韓国へ二〇回、北朝鮮に一五回訪問し、ついに一九九一年の世界卓球選手権大会で統一コリアを実現し、女子団体でコリアは中国を破り優勝し、会場はアリランの大合唱になった。世界卓球選手権大会は国旗を使用していない進んだスポーツだった。スポーツは国のためにやるのではない。この史実は、韓国の若手監督により「ハナ」という映画になった。感動的な作品で、観て泣いた。残念なのは、荻村のオの字も出てこないことだった。
 日米と日中関係のバランスは小泉・安倍の時に崩れた。岸信介、中曽根康弘、小泉純一郎は日米と日中のバランスの二次方程式が解けない。
 自民党の中のもうひとつの系列で、石橋湛山・池田勇人・宮沢喜一・河野一郎がいる。本来なら谷垣禎一が継承すべきだ。彼は若手の時、スパイ防止法案に反対の論文を発表したこともある。その点を福島瑞穂に国会で指摘され、政治家は進化するといった。谷垣だけは許せない。維新は法案の修正協議をしてより悪くした。悪くする修正ってあるのか。
 このように、佐高さんはいろいろなエピソードを話し、最後に、秘密保護法は(衆議院を)通るかもしれないが、そうなったとしてもそれでおしまいではない、そこから新しい問題が出てくると述べた。


アメリカで見た
日米関係の実態
 特別報告として猿田佐世さん(新外交イニシアティブ事務局長)が興味深い報告をした。猿田さんは、弁護士として国際人権問題に取り組み、〇七年に渡米、ロースクールを修了し、〇九年からはワシントンの大学院で国際紛争解決学を学んだ。その時期がちょうど鳩山政権が誕生して、普天間問題で紛糾しているときだった。「新外交イニシアティブ」を創立したのは、一三年八月。
米国のマスメディアは安倍首相に対し、日本は米国の強力な同盟国だから露骨な批判は控えていたが、安倍首相が今年の四月、「侵略の定義は学問的にも国際的にも定まっていない」「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表すのは当たり前。どんな脅しにも屈しない。その自由は確保している」と発言してからはストレートに安倍首相にものをいうようになった。「歴史に向き合えない安倍晋三」(「ワシントンポスト」)、「安倍は自滅的な歴史修正主義者だ」(「ウォールストリートジャーナル」)、「安倍、第二次大戦を再解釈、日本は海外に友人を持てなくなる」。
 オバマも歴史修正主義に懸念を表明した。安倍首相はしばらく沈黙したあと、「安倍内閣として侵略を否定したことは一度もない」と発言。 ワシントンDCに住んでみて、日米外交が非常に狭い人脈のところでつくられていると思った。鳩山政権の時の日米のパイプは自民党と知日派の間にしかなかった。本当の声が伝わらない。民主党政権が誕生した時も、訳がわからない党の政権ができたという反応だった。在米日本大使館のものは誰も鳩山政権に賛成の立場で話をしなかった。それどころか、自分は立場上直接は言えないから、米国の議員が日本の民主党に圧力をかけてくれと日本の官僚が頼んでいた。
なぜ声が届かないのか、いろいろな米国人に会って意見交換した。下院外交委員会のアジア太平洋小委員会委員長にも会った。沖縄の声を聞いてほしいと頼むと快く応諾してくれたが、その後で、「沖縄島の人口はいくら? 二〇〇〇人ぐらい?」。
 一五〇万人以上はいますというと、「そしたら、飛行場つくってあげたら住民は喜ぶのでは?」。沖縄担当の委員長ですらこのレベルの認識でしかないことに驚いた。
 逆に、米国発の情報が日本にもたらす威力は絶大だ。民主党政権時代の二〇三〇年代原発ゼロの方針が、米国の要請で閣議決定から外されたこと、日本で秘密保護法がつくられようとしているのも、米国の要請だ。ワシントンで発表すると日本の政策を変えやすい。ワシントンの拡声器を使うには、まず適切に情報を知ってもらわなければと、「新外交イニシアティブ」をつくったことを語った。

戦争は秘密
から始まる
四つの運動団体からアピール。菱木政晴さん(靖国合祀はイヤですアジアネットワーク)は、「靖国神社は追悼施設ではなく顕彰施設であり、戦死者に対して、死んでくれてありがとうと言うところだ」と批判した。方清子さん(日本軍「慰安婦」問題関西ネット)は、「歴史認識をめぐって吉見義明中央大教授が維新の会・桜内友城衆院議員を訴えた裁判に支援を」と語った。長崎由美子さん(朝鮮高級学校無償化を求める連絡会)は、「自民党政権は高校無償化制度の文科省令から朝鮮高級学校を排除した。また、大阪府・市は、朝鮮高級学校と初中学校への補助金を不支給。いずれの問題でも裁判になっている。毎火曜日府庁前でデモをしている」とアピール。
 黒田薫さん(「ピースおおさか」の危機を考える連絡会)は、「リニューアル構想で、設置理念を無視して加害展示が撤去されようとしている、ともに反対を。加害展示は自虐史観ではない」と、それぞれアピールした。
 緊急講演として、日比野敏陽さん(新聞労連中央執行委員長)が、「廃案あるいは継続審議に持ち込み、反対の態勢を再構築しよう、戦争は秘密から始まる、何が秘密かそれが秘密だ、廃棄したかどうかも秘密。ツワネ原則(国連やアフリカ委員会、米州機構、欧州安全保障協力会議の特別報告者、アムネスティ、表現の自由の関する国際組織、安全保障に関する国際機関が関わり世界から五〇〇人もの人が集まって、一四回も会議をしてできた)から見ても、日本の秘密保護法案は世界水準を下回る。維新・みんな・公明にファックス集中を」と訴えた。
集会アピールと特定秘密保護法案廃案決議を北上哲二さん(川西市市議会副議長)が提案、最後に服部良一さん(前衆院議員)がデモの呼びかけとシュプレヒコール。集会終了後、京橋周辺をデモをして秘密保護法案廃案を訴えた。
(T・T)

読者からの通信

葬式も墓もいらない

瀬戸 幹夫

 散骨について描いた「あなたへ」(降旗康男監督作品/高倉健ら出演/2012年/日本映画)のDVDを観て、考えた。
 私は、自分が死んだ場合は、葬式も墓も必要ないと思う。私の遺骨は、どこかの山かお花畑にでも撒いてほしい。私の葬式をやったり墓を作ったりするぐらいなら、私の「写真入り文集」を作ってほしい。私が新聞や雑誌に投書したものを集めて文集にしてほしい。文集のタイトルは、『一寸の虫にも五分の魂』なんていうのはどうだろうか。ただし、投書にはミスがあるものやとんでもないミスがあるものも多い。書いたことを忘れている投書もあるかも知れない。投書を整理する必要がある。それらが悩みの種だ。可能なら、私のDVDやCDも作ってほしい。ただし、私は無職で私には妻も子どももいない。私の家族は、母と無職の弟だけだ。私が死んでも、文集・DVD・CDなどを作ってくれる人など、誰もいないかも知れない。
 追伸。父が亡くなって、母が○○家の墓を作る契約をしてしまった。父の葬式代が二〇〇万円、○○家の墓代が一六〇万円。葬式とか墓って、何でこんなに金がかかるのだろうか。私が死んだら、私の何年没とかいうところにも元号を入れられてしまわないか、墓の管理費が払えなくなったら「元号が入っているかも知れない共同の墓か何か」に遺骨が入れられてしまわないか、なども不安だ。私は、やっぱり葬式も墓も嫌いだ。
(2013年11月)

コラム

「黄金時代」と「永遠の現在」

 イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームは、一七八九年のフランス革命から一九一四年の第一次大戦前までを「長い一九世紀」と呼び、そこからソ連邦が崩壊した一九九一年までを「短い二〇世紀」と呼ぶ。歴史的な時代の連続と断絶を考えながら「現在」を対象化するうえで参照基準になる考え方だ、と思う。
 彼の著書のひとつ『二〇世紀の歴史』は「極端の時代」と銘打たれていて、「極端」は複数形になっている。この七七年間で政治、経済、社会、芸術文化などさまざまな面で極端な変容とそれらの錯綜した絡み合いがあったからであろう。とりわけ、一九世紀には確固としていたはずの「近代」や「進歩」といったものが、さまざまな方面から揺らいでいったからでもあろう。これらに関連して「芸術文化史」「社会変容史」「自然科学史」などが織りまぜてあって非常に興味深い。
 この本は三部構成になっている。第一部は「破局の時代」。ロシア十月革命をはさんだ二度にわたる世界戦争、そしてファシズムとスターリニズムの時代である。第二部は「黄金時代」。戦後三〇年近く続いた資本主義諸国とソ連邦での高度経済成長、そしてほとんどの国々で進展した巨大な社会的変容とベトナム革命の時代である。第三部は「地すべり」。それは「解体と不確実と危機の新しい時代」とされ、資本主義諸国ではしばらく見ることのなかった失業者群が常態化していく時代であり、堕落した労働者諸国家では「破局の時代」である。
 このような三つの極端に異なる時代で構成される「短い二〇世紀」全体を、彼は端的にこう総括する。「一九八〇年代の終わりに粉々に砕けてしまった世界は、一九一七年のロシア革命の衝撃のもとで形成された世界であった」。「一九九〇年代という展望のきく時点から見れば、短い二〇世紀は短期の黄金時代を間において一つの危機の時代から次の危機の時代へ移っていく」。
 ところで、彼は次のようにも言う。「今世紀末の若い男女の大部分は、彼らの生きている時代の誰もが背負っている公的な過去に対する有機的な関連を見失って、いわば永遠の現在の中で育っている」。歴史家は、過去を「そうしかなりようがなかった」かのように描くが、現実には数多の闘いが展開されたのであり、その結果としてとりあえずの「現在」はある。まさに「社会の歴史は階級闘争の歴史」である。
 「短い二〇世紀」の最終局面を引き継ぐ今日、「黄金時代」に自己形成した世代がリタイアしつつある一方で「解体と危機の時代」に自己形成した世代が社会の中堅を形成しようとしているが、その間には歴史的ジェネレーションギャップという深い溝ができている。そのため、「黄金時代」に自己形成した世代にとって、失業・不安定雇用・低賃金が「永遠の現在」に思われ、社会的連帯や階級闘争などなかなか実感できない世代と繋がるのは容易ではない。
 それでも、ぼくらのようにすでに老境にある者には、残りの人生を「左翼」として全うすることに加えて、「永遠の現在」に生きる人たちに、そのギャップを常に自覚しながら、すばらしくも生々しい階級闘争のタスキをつなぐという、手さぐりの大変な務めが残されている、と思う。 (岩)
 


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