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    かけはし2013.年12月9日号

民衆は今まさにアサドと宗派主義の両方と闘っている


シリア アレッポからスラボイ・ジジェクに答える

民衆以外誰も正統性をもたない
民衆を欠いては正統性自体ない

 シリアで進行している革命的闘争の評価をめぐる論争は、左翼内部を含めて続いている。一方に、民衆の革命はもう終わった、残っているのは政権とイスラム原理主義派の暴力的衝突だけ、という見方がある。マルクス主義哲学者として著名なスラボイ・ジジェクがこの立場を明らかにしたが、それに対する反論がシリア国内から出された。それを以下に紹介する。この反論の筆者は文中から、「シリア革命的左翼潮流」に属する活動家であると思われる。この反論はウェブサイト「シリア・フリーダム・フォーエバー」に掲載され、IVに転載された。(「かけはし」編集部)

 シリア革命の歩みは国際的な左翼と目される一人の人物によって再び裏切られている。二〇一三年九月六日付のガーディアンに「シリアはまがいものの闘争」との標題で掲載された哲学者のスラボイ・ジジェクの論評は、つい最近まで、実際は昨日まで、私が知るものではなかった。この論評が国際的な左翼の重要な一人物から出てきたものである以上、私が思うこととして、それに回答しそれを否定し、そこでの主張は同志たちすべてが共有するものではないということを、左翼の立場をとる他の人々にも示すことが必要だ。それゆえに私は、スラボイ・ジジェクの論評を脱構築し、彼の誤った分析とシリア革命に関する情報だけではなく、同様に彼のエリート主義をもはっきり示したい。

政権の大量虐殺は事実の問題


 前記の論評では「よろしい、(伝えられるところでは)彼自身の国家の住民に対して毒ガスを使用している悪い独裁者がいる。しかし彼の体制に今反対しているのは誰なのか? 民主的な世俗主義の抵抗の中で残されているものは何であれ、それは今や多少とも、背後のアルカイダの強力な存在と一体となった、トルコやサウジアラビアが支援する原理主義的イスラムグループの汚物の中で溺死している」とされている。
 私が思うにはまず第一に、「伝えられるところでは」という表現の使用は、たとえ括弧付きだとしても、他にそれ以上言うまでもなく、間違った方向に注意を向けるものだ。なぜならばわれわれが確実性をもって言うことができることとして、化学兵器と毒ガスでダマスカス郊外の東グータ地域を今年八月二一日に攻撃し、多数の女性と子どもを含む一〇〇〇人以上の人々を殺したのはシリア政権であるということを、ほとんどの調査が明かしたからだ。
 「国境なき医師団」は、シリアでこの組織が支援している病院は「神経毒性症状」を示したおよそ三六〇〇人の患者を処置し、そのうち三五五人が死亡した、との声明を発表した。そこで言われていることとして、患者は八月二一日にダマスカス行政区にある三つの病院に到着した。そしてその日反政権派の活動家たちは、反乱派に対して化学兵器攻撃が仕掛けられたと語っている。この声明は、化学兵器使用に関するもっと多くの証拠を提供した。
 アサド政権による他の多くの虐殺の後にやってきたこの最新の虐殺、並びに二〇一四年半ばに終わるはずの進行表の中でシリア政権の化学兵器を廃棄するという九月一四日の米ロ合意は、シリアの革命的大衆に対する二年半以上におよぶ政権が始めた継続的戦争を止めたわけではなかった。実際米国務長官のジョン・ケリーが、政府の化学兵器庫破壊過程をすばやく始めたことでバシャー・アル・アサド大統領は称賛される可能性があり、その援助でロシアに感謝するなどと語っていた間、モアダミーヤト・アシュ・シャム――八月二一日の化学兵器攻撃があった現場の一つ――の包囲された西グータの町に閉じ込められた市民たちは、この冬どうすれば生き残れるか分からなかった。
 モアダミーヤト・アシュ・シャムは、二〇一二年一一月二五日以来ほとんど全面的な包囲下に置かれてきた。町の食糧供給は三カ月前に尽き、政権は、町を囲むチェックポイントでトラックを止め、援助機関が緊急食料と医薬品を持ち込むことを妨げてきた。それは、シリア政府軍がその地域に課した包囲を打ち破ろうと、数多くの機会をとらえてパレスチナ人がダマスカスのヤルムークからデモをしたときとまさに同じだ。治安軍は、これらのデモを暴力的に鎮圧し、何人かの立ち上がった者たちを殺害し傷付けることをためらわなかった。

民衆自身が二つの悪を断固拒絶

 さてジジェクが力説する「原理主義グループの汚物の中で溺死している民主的な世俗主義の抵抗」の主要課題に関し、その論評はいわゆるいくつかの「左翼」潮流と同じ宣伝に入りこむ。それは、政権と聖戦主義派という二つの悪の間でわれわれはより小さな悪の側に立つべきだ、と語るものであり、そこで多くは小さな悪をアサド政権であると見なしている。「シリア革命的左翼潮流」が以前に、また多くの機会に力説したように、われわれはこの二分法を原則的立場から拒否している。
 またわれわれは、これら二つの悪のどちらかを選択しなければならないわけではない。われわれの役割は多くの機会に言明したように、革命的大衆の側に立って革命の歩みに参加することであり、革命の目標、すなわち民主主義、社会的公正、そして宗派主義の拒否の勝利を可能とするために、運動を可能な限り急進化することだ。
 しかしもっと重要なこととしてこの立場は、特に開放された地域における、大衆的民衆運動の圧倒的多数はこれら二つの悪を拒否しそれと闘っているというシリアの現場の現実に立つ分析と物質的事実、それに基礎をもっているということだ。これこそが、数多くの事例(大衆の抵抗と自己組織に関する以前の論評参照〈本紙でも紹介:訳者〉)を通して私がこれから示そうとしているものだ。
 この観点においては、二〇一三年三月以後アサドの部隊から解放されているラッカが、一方におけるイスラム派と聖戦主義者勢力、他方の体制側双方に対する継続的抵抗について、非常によい事例となってきた。
 九月終わりに起きたラッカにあるお告げの聖母マリア教会に対する「イラクとシリアのイスラム国家(ISIS)」による襲撃の後、若者の民衆グループと活動家がISISの行動を糾弾するために一つのデモを組織した。その中で彼らは、この都市のシリア人キリスト教徒共同体との連帯を示し大きな十字架を打ち振った。彼らはまた、「彼らは宗教への尊重を求める、キリスト教徒とムスリムは一つ、われわれは兄弟として生きてきたしこれからもそう生きる、この行動に参加した人々は自分自身のみを代表する、そしてイスラム教はそのような行為には関わらない」と語る声明を公表した。
 ラッカ市のイスラムグループに対する民衆諸組織の抵抗においては、他のところと同様、女性たちが指導的役割を果たしてきた。たとえば学校教員であるスアド・ノファルは、何カ月もの間日常的なやり方に近い形でISISの権威主義的行為に、またイスラムグループによって投獄されている政治囚の解放を求めて抗議を続けてきた。われわれはそれをユーチューブに掲載されたインタビューで見ることができる。そこで彼女は、ISISの権威主義的行為を政権のそれと対照し、双方に反対している。
 以前の何カ月かの中においてジャブハト・アルヌスラ戦線が行った、抑圧を目的とした宗教の道具化を糾弾したのも、またラッカの女性たちだった。この勢力は特に、革命旗を取り外し、恣意的な拉致と殺害を実行した。「国家の将来性を守れ」、「自由を尊重しろ」、「市民を尊重しろ」、そして「侮辱するな」は、革命を盗み取ろうと試みている者たちに対する警告として繰り返されているスローガンのいくつかだった。

宗派主義部隊への多様な抵抗

 シリアの他のところでもまたわれわれは、ISISや同類のグループに反対する民衆的な抵抗を見てきた。一〇月はじめISISは、シリア北部のアアザツ市で彼らの支配に反対するデモに発砲した。このデモで人々が叫んだスローガンの一つは特に、「一つ、一つ、一つ、政権とアルカイダは一つ」だった。このスローガンは現にシリア中にますます広がることとなった。
 アアザツの人々はISISから受けたこの暴力的な抑圧の後、いくつかの抗議行動に加えて、ISISの戦闘員による彼らの都市における継続的な軍事的誇示を終わらせることを要求し、市の統治を市民に渡し政権と戦闘するために前線に向かうことを彼らに求め、その翌日ゼネストを敢行した。活動家たちが発表した声明は、アアザツの民衆は彼らの全要求が満たされるまでストライキを継続するだろう、と誓っていた。
 九月と一〇月はじめ、さまざまなFSA(自由シリア軍)旅団は、ホムス市とイドリブ市からISISを排除すると票決した。「自由シリア軍と革命運動勢力」の合同司令部は、二、三週前一つの声明を発した。それは、シリアにいるすべての外国人戦闘員(親政権派とアルカイダ系列)に立ち去るよう求めつつ、「自由、尊厳、社会的公正」という革命の価値に立って活動し、諸外国から「独立したシリア人の決定を保持する」ことを約束している。FSA旅団とISISの間の戦闘は実際にここ二、三週間に増大してきた。
 アレッポのサラー・エルディーン街評議会は九月二七日に、ISISに反対し「君たちのイスラムを持って行け、われわれにはわれわれのイスラムを残せ、イスラムは領土以前に心を獲得したのだ」と語るプラカードに署名した。
 クルド友愛委員会のような諸々の調整委員会は、「諸都市を占拠し市民に恐怖を与えている」としてISISを告発し、彼らを親政権派のヒズボラと同等視した。そして後者は、情け容赦なく市民を標的としてきた。それらはISISに反対し、九月二〇日、アレッポ、アシュラフィアでデモを行い、われわれは、特に「シリアは自由になるだろう、自由、ISISは出て行け」、また「われわれシリア人はわが国にいる覆面の戦闘員を拒絶する」、「ISISは体制派のイラクとシリアの国家だ」、「わがシリアは多様だ、ISISとその黒旗反対」と語っている横断幕を見ることができた。
 この民衆的抵抗すべては、「現地調整委員会(LCC)」の声明を通して、いくつかの機会に全国規模に移されてきた。LCCは九月二〇日、以下のように声明した。すなわち、「シリア政権の残酷さと国際的共同体の弱さがあるとしても、シリア人の主張は革命参加に向けて日毎に高まってきた。そのように彼らは金曜日に登場し、シリア民衆の意志はもっとも強力な武器として専制者の面前にとどまり続けるだろうと証明するために、『シリア人のみがシリアを解放する』とはっきり明示した。ドウマ、ザバダニ、ダマスカス郊外のマダヤ、タファス、ダラーのミゼイリーブの活動家たちは、専制者をもう一つの専制、特に『イラクとレバント国家』の諸行為で置き換えることを拒否した声明を送ってきた。実際この組織はその行為を、自由の表現に対する抑圧と押しつぶしの点でシリア政権の行為と違わせてはいない。またそれらの声明は、革命的民衆の正統性を、並びにシリア民衆の熱望を満たさない中途半端な解決を拒否しつつ、勝利まで革命を続けることを、そして諸困難が何であれ、革命は不可能なものを現実とすることを可能にする、と強調した」。
 九月はじめ、ダマスカスを離れた広い地域の革命の組織された構造を代表する一一の市民グループが、シリア革命の草の根の中心的人物、ラザン・ザイトウネーを軸として固く結集した。この三六歳の法律家は、ダマスカスの東グータにいる武装聖戦主義者分派メンバーから嫌がらせと脅迫を受けた。それは他のどのような理由でもなく、一人の活動家が示すように、「わが革命における草の根指導幹部の中に存在し、自立しベールを着用していない女性であること」という理由からだ。
 政権とイスラム派の反動的諸勢力双方に反対する民衆的抵抗については、他の多くの事例も示すことができる。それらは、上述した革命の当初の目的を完遂しようとする民衆の意志に、またシリアの革命的大衆の自己組織がもつ高い水準に基礎を置いている。一〇月半ば、トルコのリハニャ市近郊におけるある評議会の後で、一〇〇以上の軍事組織と市民組織、また自由で民主的なシリアを求め誓約する勢力からなる、そしてそこではあらゆる宗派と民族が平等に扱われる「シリア自由連合」が設立された。その側面のいくつかには限界があるとしても(シリアアラブ共和国という名称の維持、あるいは一九五〇年の自由主義的憲法への回帰)、それは明確に、革命の民主的な翼に含められ得る。

外国が操る宗派主義連合は
革命の主役では決してない


 上記した事例にしたがってわれわれは、幅広い解放的で民主的な連合の兆しは皆無だとのジジェクの断言は間違っていると、そして革命の当初の要求は今日まで民衆運動の圧倒的多数の中に今なお存在していると、真っ直ぐに言うことができる。
 次いで、革命の歩みとその主役を「超大国の影響力が過剰な決定力を及ぼす宗教的連合と民族的連合の複雑なネットワーク」として再度取り上げようとすることもまた誤っている。上記のように、この革命の中にある真の力は外国の諸大国からきているわけではない。その反対にそれらの諸大国は、革命の勝利に恐れをなし、それゆえ、政権の体制を救う政治的合意に達するか、それとも湾岸首長諸国に関する限り、この革命を宗派戦争に変えることを願っている。革命の力はただ一つ、革命的大衆からのみ生まれているのだ。
 付け加えればこれらの諸々の外国は、フランスやカタールをはじめとして、シリア民衆に対して基本的に必要とされる援助の提供すらできてこなかった。ここで挙げたカタールはこれまでに、人道主義的努力として彼らの公正な分担と考えられているものの、わずか三%を実行したにすぎない。一方フランスは、その公正な分担の半分(四七%)を達成しようと今奮闘中だ。トルコは自分の判断で、シリアとの国境沿いに高さ二メートルの壁を立て始めた。その場所は、人々がトルコのチェックポイントを非合法に超えることを止めようとして、また密輸を阻止しようとして、しばしば戦闘が起きる地域に隣接している。
 民族的な、また宗派的な少数派はこれまで、この革命の進行に関わり、一定数の殉教者という犠牲をも払ってきた。クルドとアラブ間の友愛と連帯に関する諸々の表現は、いくつかのイスラム勢力とPYDクルド民兵間の軍事衝突が高まったこの二、三ヵ月に数を増してきた。アッシリア人共同体、キリスト教徒共同体もまた、革命の当初からデモや民衆的抵抗に重要な位置をもって参加し続けてきた。
 ラッカにおけるISISによる教会襲撃に反対する民衆的な反応は、諸宗派間に連帯が存在することを示した。革命の始まり以来四四以上の教会を破壊したのは政権の方なのだ。さらに「平和を求めるシリアクリスチャン(SCP)」は、九月の最新コミュニケの中で、アサド政権による国際社会操作に関しもっとも深い懸念を示した。その操作において政権は、シリアの他の少数派に加えてキリスト教徒共同体を、権力を維持する目的で利用している。
 こう言ったからといってそれは、シリアに宗派主義が存在していないということを意味するわけではない。実際それは、反革命の両側から、つまりアサド政権、そしてISISやその傘下組織のようなイスラムグループと聖戦主義者の中から来ている。
 しかし留意されるべきことは、宗派主義の高まりに責任がある主なまたもっとも重要な主体はアサド政権だ、ということだ。それは、この悪、特に暴力的で標的を定めた殺害、いくつかのスンニ派大衆地区の抑圧、といったものを力づける特別の政策によっている。そこには数多くの事例が存在している。
 革命過程が始まって二、三カ月後に政権は、二類型の囚人の解放を加速することを決定した。その二類型とは、(1)通常犯、窃盗、末端のドラッグ販売犯、密輸業者、さらに暴力事件の首謀犯。(2)しかし他でもなく主力は数々の聖戦主義者であり、彼らをシリアの情報機関は、イラクへの入国を助けることで二、三年彼らと協力した後に投獄してきた。この後者は、革命派との戦闘の中で、アサド政権の主要な標的となることはなかった。その反対に政権は、攻撃を革命の民主的諸部分に焦点を絞りつつ、聖戦主義者が拡大するままに放置した。

民衆の意志ある限り闘い続ける


 宗派主義の高まりに関する上に見た政権の責任は、われわれが宗派主義とその反動的な部分が犯した犯罪を強く非難しないということを意味するわけではない。ここで言う犯罪は、聖戦主義者やイスラム勢力によるものであり、たとえば八月はじめには、ラタキア地区のアラウィ派住民に対してイスラム勢力が虐殺を行った。
 宗派主義と闘うためには、その諸政策を通じて変わることなくこの悪を育ててきた政権に闘いを挑まずに済ますことはできない。アサド政権の打倒は宗派主義に対する第一番の大打撃となるだろうが、しかしそれは、われわれがそれを敗北させることができる革命の継続と一体のものだろう。なぜならば、イタリアの革命家であるアントニオ・グラムシがまさに説明しているように、「サバルタングループ(差別的に社会の下位に置かれた少数派:訳者)は、彼らが反乱し決起しているときにあってすら常に支配者グループに従属している。永続的勝利だけが彼らの従属を打ち破る。そしてそれはすぐにではない」からだ。
 そしてこれがわれわれをシリアに、つまり結局は偽物が存在している進行中の闘いに連れ戻す。心にとどめるべきただ一つのことは、この偽物の闘いが繁茂する理由は、第三の強力な根底的・解放的な反対勢力の不在ということだ。そしてその諸々の要素はエジプトの中に、はっきりと認めることができる。
 私は、シリアには急進的で解放を追求する反政権勢力が今なお存在し、革命過程の中で民衆運動の圧倒的多数派を構成している、ということを示そうと努めてきた。上に説明した反政権派が存在していないとする場合その理由は、「人民戦線」をもつチュニジアにおけるようには、あるいは「革命の道戦線」をもつエジプトにおけるようには、その勢力が単一の傘の下に形式的に組織されたことがない、ということにあるわけではない。
 帝国主義諸大国が呼びかけた次回のジュネーブ会合への参加を「シリア国民評議会」はつい先頃拒否した。この拒絶、そして二、三カ月前にはそれらを防衛しながら今ではイスラム勢力と聖戦主義勢力に反対する評議会のより攻撃的となった調子は、それが下からの、民衆大衆からの圧力が生み出した直接的結果だということを考慮に入れないならば、われわれは理解できない。この民衆は、現在の革命に終止符を打ちそれを宗派戦争に変えることを欲している反動的な諸部分に反対しつつ、政権を救い出す可能性のある合意すべてを拒否している。
 シリアの中に第三の声は存在し、日々成長しつつあり、そして特にそれは「民衆は今も政権の打倒を欲している」、「民衆以外誰も正統性をもたない!民衆なしには正統性もない!」、また「一つ、一つ、一つ、政権とアルカイダは一つ」のようなスローガンによって象徴され得る。
 そして民衆の運動がある限り、また革命の目標(民主主義、社会的公正、宗派主義反対)完遂に向けた民衆の意志が同じくある限り、「シリア革命的左翼潮流」は、その内部で彼らと共に闘い続けるだろう。なぜならば、ロシアの革命家でありマルクス主義者のウラジミール・レーニンが語るように、「それゆえマルクス主義者は直接的革命闘争の道をとる最初の者となり……直接的革命闘争の道から離れる最後の者となる。彼は、可能性すべてが使い果たされた時にのみ、いわば近道への希望が影もない時にのみ、大衆ストライキ、蜂起……を準備する呼びかけへの基礎が明らかに消え去っている時にのみ、そこから離れる。それゆえにマルクス主義者は、『われわれは君よりももっと進歩的だ。われわれは革命と縁を切った最初の者だった! われわれは君主制憲法を甘受した最初の者だった』と彼に叫ぶ数知れない革命の裏切り者たちを、軽蔑で扱う」からだ。死ぬまで英国の社会主義労働者党の指導者だったトニー・クリフはこの引用文に加えて、革命家は革命の敗北を客観的事実がそれに疑いの余地をまったく残さなくなるまで受け入れることはできない、と述べた。革命家は、戦場を去る最後の者なのだ。
 シリアにおける革命継続を示す客観的事実は今なお存在し、終焉に変わることからはそれこそほど遠い。われわれ「シリア革命的左翼潮流」は戦場を離れないだろう。そして、シリアの革命的大衆に対する支援に際して、シリア内部にいようが海外にいようが、すでに撤退した日和見主義者の仲間になることはないだろう。われわれは民衆と共に、「屈辱よりも死を」そして「民衆は今も政権打倒を欲する」と叫ぶ。
 結論としてシリアは、ジジェクが描くような、「特別なことは何もないこと」あるいは「まがいものの闘争」を示してなどいない。シリアは、アサドの犯罪的な独裁に対決し、また反動的聖戦主義グループやイスラムグループにますます反対して、これまでずっと組織し闘ってきた圧倒的多数派の姿で、民衆階級から発する何百万人という人々をまきこむ革命の過程を示しているのだ。
 シリア民衆の革命的闘争は、それはこれまでに一〇万人以上の殉教者、何百万人という難民や追い立てられた人々という犠牲を払ってきているが、この国だけではなくこの地域と世界全体を変革する潜在的可能性をはらんでいる。そしてこれこそが、一方にいる米国や西の諸国であろうが、他方にいるロシアや中国、またサウジアラビアやイランといったこの地域の諸国であろうが、あらゆる帝国主義大国が、この革命の成功を見たくないと思っている理由だ。
 親愛なるジジェク、シリアの革命的大衆が展開している実際の闘争から学ぶべきだ。そして、シリアでは何も起きているわけではないことを示そうというあなたのまがいものの闘争という考えを捨てるべきだ。われわれはシリアに革命をもっている。(「シリア・フリーダム・フォーエバー」)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年一〇月号)

 


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