女性解放
生命尊重のフェミニズムマニフェスト
右翼への攻勢的対抗を
サンドラ・エスケラ |
緊縮による徹底した民衆攻撃に突進しているスペインの右派政権は、女性の諸権利に対しても反動的な攻撃に出ている。そこでは、ここ何十年か世界的にも強められてきた、右翼による「命を守る」を大義名分とした巧妙な運動が一つの支えとして利用されている。以下は、この状況にフェミニストとして攻勢に出ることを目的に、フェミニズム運動の立脚点をあらためて再構成しようとしている。。(「かけはし」編集部) 生命の権利を真
に守る道は何か
ここ何十年かの妊娠中絶に関わる政治サークルとメディアにおける論争には、生命の権利の防衛に関する右翼による独占の成長が伴われてきた。それは、フェミニストの選択の権利という要求に先の権利を巧妙に対置するやり方を通したものだった。
われわれフェミニストは、カトリック教会の宣伝機構とその追随者たちを源とする、幼児殺しあるいはエゴイズムといったこれらの古代ローマの神託書的責めに対決し自身を防衛してきた。とはいえわれわれは、右翼の独占的道具としての生命の防衛に疑問を付すというわれわれの試みは、これまで大した成果を上げてはこなかった、ということを認めなければならない。それらしい者も含めて反選択派は、すべての人から「生命尊重派」と見られ、「生命尊重派」らしいとしてもフェミニズム運動は、依然として「親妊娠中絶派」と一体視されている。
しかしながらそのような分極化の推定は脇に置くとして、そもそもこの論理は誤りだ。フェミニズムは生命を守るものだ。そしてこの運動はこれまで常にそうしてきた。まさにそれゆえにこそ、従順とあらゆるものの放棄としての女性像を復活させるために緊縮と伝統的道徳の隠れ家が結びついている流れの中で、伝統的道徳の諸々の模範が自由と決定権を再度攻撃するためにその隠れ家から出ているこの時代に、フェミニズムを深く生命尊重であるものとして主張することが、また外側からわれわれに押しつけられようとしている意味ありげなコルセットを取り除くことが、戦略的展望からかつて以上に必要となっている。
フェミニストの生命尊重マニフェストは、女性の闘争の鍵的要素として、女性の自由と自律を求める要求を強めるだけではない。それはまた、右翼が攻撃に戻り、われわれを犯罪視し、われわれからわれわれの諸権利を奪おうとしているこの時において、解放の道として、また導きの原理として、生命をあらためて自身で握ることを具体化し、それを主張することをわれわれに可能とする。以下はその最初の草案だ。
妊娠中絶は人間
的諸権利の問題
1.フェミニズムは、安全なやり方で彼女たちの妊娠を終わらせる女性の権利を防衛する。世界保健機構が強調しているように、妊娠中絶の禁圧は、母親の死亡率を引き上げることに役立っているにすぎない。今日世界的尺度では、彼女たちが内々のやり方で自身の妊娠を終わらせていることを原因として、毎年四万七〇〇〇人の女性が死亡している。母親の死亡の一三%は、安全が確保されていない妊娠中絶に起因し、そうした問題の多数は、妊娠中絶に対する規制法をもつ国で起きている。
妊娠を自らの意志で終わらせる件数は、法が過酷である場合でも減少はしていない。その一方で危険な妊娠中絶件数は増大している。フェミニズムが生命尊重の運動であるのは、子どもをもたない権利を行使しようとしつつも、不衛生な状況に自身がいることを見出してきた、また自身の生命を危険にさらし、実際に死を招いた、そうしたすべての女性の記憶を尊重するがゆえだ。
2.国連の用語にしたがえば、「内々の安全ではない妊娠中絶」は、健康および女性の命に対する危険に言及しているばかりではなく、情報、生命、そして自由に関する彼女たちの権利に対する否定にも言及している。こうして、妊娠中絶のこの類型は健康問題だけを表現しているのではない。それはまず何よりも、人間性の問題、また社会的かつ経済的権利の問題である。
自由かつ平等な方法での妊娠中絶を女性が利用することを妨げる数多くの障壁――たとえば、目立つことのない私設の診療所に用立てるために、またそこに行くために必要となる手段の所有、年齢、居住場所、故国、あるいは行政の立場――は、明らかに偽善的であるばかりではなく、また差別的でもある。妊娠中絶に関するスペイン国家の現在の法に先の障壁すべてが今なおあるとすれば、国民党(PP、スペインの現政権党:訳者)が法改定に向けた彼らの脅しを実行する場合、それらは度を増すだろう。フェミニズムはそれらの障壁を取り除くことを決意しているがゆえに、フェミニズムは生命尊重の立場にある。
3.若い女性たちの中の望まない妊娠と妊娠中絶の減少を促進する主要な要素は、避妊具の利用を増大させること、情報入手の改善、性教育と関係作り教育の改善であり、フェミニズム運動はそれらすべてを何年も求めてきた。
われわれを「反生命派」と呼んできたこの同じ右翼が、わが若者たちが安全で自由でまた知的な性的関係をもつことに反対しているという事実の中では、その価値があり円熟し安全な性行為のモデルを生み出し伝えることが必要であり、それは急を要している。偽善的に禁欲を主張することによっては、あるいは沈黙によってはわれわれが成功することはなく、その成功はむしろ、若者たちの選択が情報や自由や相互尊重に一層基礎を置くことを確かなものとすることでなされるだろう。フェミニズムが生命尊重の立場にあるということは、平等と自律の価値の伝達を基礎とした、望まない妊娠の防止に対する――そしてそれゆえの妊娠中絶の――断固とした防衛という立場に基づく。
女たち、男たち
すべてのために
4.閣僚であるガラルドンは、女性の選択権に反対する彼の妄想的な十字軍的主張の中で、現在の法を一九八五年にあったものよりもさらに厳格にすると脅している。そして、妊娠中絶の一理由としてある障がいを持つ胎児という基準を押しつぶすと提案している。彼はその提案を、あらゆる種類の障がいをもって生まれてきた、あるいは生まれようとしている人々すべては他の人々と同じ権利をもっている、という主張に基づいて行っている。
われわれはフェミニストとして、政府の首座にあるあるいはその背後にいる右翼勢力が、社会の一定層に対するヒーロー的救済者として自身を示すなどという厚かましさにどうすればひたれるのか、不審に思う十分な理由をもっている。彼らは、自律性を狭められているそれらの人々に対する、サービス、諸計画、そして支援に関わる他の諸形態のものにおける私有化と緊縮を通して、彼らの尊厳ある存在のあらゆる側面を否認しているのだ。
PPは、生まれることを強制しながらしかしその命のまさに最初の一分からこの党がそれに関心を失っているそうした人びとに対し、ただ一人責任を負うものがその家族、とりわけ女性であるような状況を作り出そうと追求しているのではないのか? 銀行に対するペテン的な救済および福祉国家の破壊を原因としてPPが貧困に追い込んでいるのは、その同じ家族と女性ではないのか?
このペテン、月曜日から土曜日までは社会的諸権利を守るふりをしながら、週末直前にはその指令によってそれらを破壊する、そうしたペテンに対する断固とした公然たる非難によって、フェミニズムは生命尊重派として自身を今日かつて以上に主張する。
5.PPは、女性を彼女たちの意志に反して母親となるよう強要しているだけではない。それはまた、母親になりたいと望んでいる、またその準備ができていると感じている、そうした他の女性の多くを、実際に母親となることから遠ざけてもいる。
それをPPは、社会諸組織の反対や国連の勧告に反する、肉体的に障がいのある人々に対する強制断種を防衛することを通して行っている。それをPPは、同性間の結婚に憲法裁判所を待たずに反対することによって行っている。その反対理由は、子どもを育てる「自然な」枠組みは唯一異性からなる家族だ、とみなしているからだ。さらにPPは、男の介在なしに子どもをもつ目的の生殖支援公的医療サービスを利用することから、一人暮らし女性やレズビアンを妨げることによって、先のことを行っている。
こうしてこの政権は、女性たちを「良い」母親と「悪い」母親へと、良い女と悪い女へと分断し、誰が家族をつくり出すことができ、誰がそうできないかを決めている。
ガラルドンは、母性が女性を真に女性にするなどと言っている。しかし彼には忘れていることがある。それは、彼が語っている対象は、十分な性的志向をもっている女性、正しい類型の家族(核家族、異性間家族、その他)をもちたいと思っている女性、何らかの精神的障がいのない女性だけだ、ということだ。
結論的に、すべての人々の自由と諸権利を防衛する決意において、そしてそれを月曜から日曜までやり切ることにおいて、フェミニズムは生命尊重派である。
もっと公正で
自由な社会へ
フェミニズムは、そこでは福祉と共有財がすべてのものの中心に置かれる、そうしたもっと公正でもっと自由な社会を建設することに存在理由をもっているが故に、生命尊重の運動である。
先の社会は、もっとも貧しい女性、もっとも若くもっとも不安定な女性を、内々の妊娠中絶が原因となって出血死するように運命付けたりしない社会だ。それは、人々の体とその暮らしを飼い慣らそうと熱望したりしない、人々を道学者風のちっぽけな小部屋に押し込んだりしない社会だ。それは、若者たちを理性と責任と真実という原則の中で教育し、その結果彼らの行動が自分自身に、あるいは他の人々に否定的影響をつくり出さない社会だ。それは、機能上多様である人々を真に重んじ、保護し、統合する社会であり、すべての人類に対し、彼らの感情と願いに関する決定を行う自由を認め、言うことと行うことが異ならない、そうした社会だ。
そうであるとしても、今日優位を得ているものは、妊娠中絶を禁止し反選択に傾く主張だ。われわれには多くの時間はない。新たな攻撃が準備されつつある。
街頭に出よう。元々われわれのものであるものを取り返し、そして攻勢に出よう。フェミニズムは今日、そしていつも、命を尊重する。
▼筆者は現在デ・ビック大学(バルセロナ)の社会学教授。またバルセロナ15Mの活力あるフェミニスト活動家。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年一一月号) |