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    かけはし2013.年11月25日号

労組地方支部から新しい左翼への挑戦を開始


ベルギー

シャルルロワFGTBアピールの波紋

社会党は終わった、労働者には
緊縮拒否する新しい党が必要だ

 

 以下は、ベルギーで進もうとしている新しい左翼政治勢力形成への動きと、そこでの第四インターナショナルベルギー支部(LCR・革共同/SAP・社労党)の役割を伝えている。新しい左翼という課題は、社会民主主義が社会自由主義への転換を進めている欧州で、民衆的事業として全域的に浮上している。ベルギーでの動きもその一つだが、そこでの特徴は以下に見るように、労働組合運動の中に推進力がつくられた点にあると思われる。これは、この間本紙上で紹介してきた欧州の他の事例と若干異なる。新しい左翼形成を考えるための新らたな経験素材として紹介したい。(「かけはし」編集部)

労組左派が左翼諸勢力の先を行く

 あらゆる左翼政治組織はシャルルロワFGTB(シャルルロワは、ベルギー南部フランス語圏にあるエノー州の工業都市。ベルギーでは四番目に大きい都市であり、都市圏人口は約五〇万人。FGTB、ベルギー労働総同盟は同国の労組ナショナルセンター:訳者)のアピールを支持している。すべては、この労組がCNE(従業員全国センター、フランス語圏ベルギー最大の労組であり、国際金属労連、IMF傘下:訳者)と共に共同で組織した闘争日、今年の四月二七日には熱気に満ちて参加していた。そしてすべては、今年一月以来毎月会合してきた支持委員会に兄弟的絆をもって参加している。
 しかしそこにはいくつか微妙な差違がある。一般的に言って、ほとんどの組織は、二〇一二年五月一日にダニエル・ピロン(シャルルロワFGTBの指導的活動家)が行った発言の重要性を当初過小評価していたように見える。それらの多くは社会党に対する強い非難を覚えていただけだった。諸組織はその後その間違いを認めつつ、全体として、労働組合活動家たちの取り組みを彼ら自身の綱領と戦略の実例として取り上げようとした。とはいえそれは、労組左派がさらに進んでいるがゆえにまだ不十分だった。つまり労組左派は、一つの綱領を自分自身で決定し、再編に向けたそれ自身の戦略を前進させ、こうしてその綱領が信頼できる政治表現を見出すようにしよう、としているのだ。

階級政党形成めざし分業打破を


 LCR/SAPはこの状況に取組む十分によい位置にいた。二〇一一年一一月の大会で第四インターナショナルベルギー支部は、労組部門が新たな政治表現、社会民主主義に対するオルタナティブを求める可能性を予想した政治決議を採択した。特にそれは、「改良主義政党から社会自由主義政党への社会民主主義の転換という国際的な歩みは、政治レベルにおける労働者の階級的独立性にとっては重大な後退となる。この後退は、勢力関係に否定的にのしかかる。われわれは労働組合運動に、社会党との結びつきを断ち切ることによって、また搾取され抑圧された者たちの階級的利害を守るために労働者の新たな政党形成を精力的に支持することによって、責任を果たすよう求める」と述べていた。
 この文書はその後で、「階級政党の創出は労組左派の『純粋組合主義』と対決する闘争を求めている。後者は労働者による労働組合の闘争と政治活動の間に人工的な壁を作り上げる。そして政治活動は『専門家』、すなわちこうして白紙委任を与えられた『政治的友人』に割り当てられた領域にされる。階級政党の形成は、搾取された者たちが自分自身で政治を実践することを可能とするために、官僚機構が作り上げたこの壁を打ち壊すことを含んでいる」と特にはっきりさせている。

労組活動家への公開状を発表


 二カ月後、社会党員首相、ディ・ルポが諸攻撃の最初の波を発進させた時、LCR/SAPは、「労組諸活動家への公開状」を発表した。その結論は以下のようなものだった。
 すなわち「労働組合にはもはや政治的伝達器あるいは政治的中継機構はない。それらができることはただ一つ、自分自身の強さを、二五〇万人の組合員がもつ強さを勘定に入れることだけだ。これは相当な強さだ。諸労組はこの強さに依拠してもう一つの政策を強要する可能性をもっている。しかしそうしたことは、官僚的指揮という労働組合主義によっては、諸組織間の競合という雰囲気の中では可能とはならないだろう。勝利のためには、組合員に活気を与え徹底的に動員し、諸組織間の、北部と南部の諸部門間の最大限に幅広い統一の下で、ゼネラルストライキに導く行動計画を実行することが必要だ。
 労働組合運動が政権に反対する道を選択しないとすれば、それは支配階級のなすがままにされるだろう。支配階級が望んでいることは労働組合に一つの未来を確保することだが、しかしその未来とは、単なるサービス提供者としての未来なのだ。その場合われわれにはもはや、それをもって労働者階級が自身の利益のために闘ってきた、そのような労働組合はないことになるだろう。われわれは、新自由主義の諸政策を引き連れた偽組合を、それをもって雇用主と政府が社会的平穏を維持するいわば伝動ベルトをもつことになるだろう。われわれはすでに、不幸なことだが一定の企業の中にそうしたものの一例をもっている。
 この場合にもまた政治的力関係は、右へと動き続けるだろう。ある時間が過ぎれば、恥知らずの右翼政権が、労組組織それ自身を正面から攻撃する強さを備えた権力に到達することになるだろう。その例としてスペインのラホイ政権がある。
 労組運動が闘いを通して反政府の道を選択すれば、労組運動が、もはや『友人』はいないということ、そしてもう一つの政治を求めて闘うことを公然と当然のことと考えるならば、労組運動は賃金労働者を動員しなければならないがそれだけではない。それは同時に、その論理に結論までしたがい、オルタナティブの政治という問題をも提起しなければならない。
 明らかに労働組合は、自身を政党に変えることはできない。それはどのような政党からも独立を保ち、彼らの政治的、哲学的、あるいは宗教的見解に関係なく、労働者大衆を代表し続けなければならない。しかしながら労働組合はオルタナティブの政治の形成を支持することができ、またそうすべきだ。それは、政治のレベルで左翼の綱領を軸に共に団結している労働者と一体であると考えている者たちの要求を支持でき、またそうすべきだ。それは、現在の諸政党が資本に忠実であると同じく、このオルタナティブが労働者の世界に忠実であることを要求でき、またそうしなければならない。
 われわれLCRは、反資本主義の、国際主義の、フェミニズムの、民主的でエコ社会主義の綱領のために闘っている。われわれは、労組指導部には重い責任がかかっていると考えている。すなわち彼らの対話政治は、雇用主のゲームに落ち込み、労働組合運動を袋小路に導くにいたった。われわれはもう一つの反資本主義の政策、信用部門やエネルギー部門の国有化によって金融の力を打ち壊すことを提案する。
 しかしわれわれの闘いは、労働者運動の闘いと別のものではない。われわれには、労働者大衆の利害と異なるものはまったくない。労働組合運動が大きな危険の中にいるがゆえに労働者大衆も大きな危険の中にある。われわれは彼らに闘いを呼びかける。われわれは、労働組合運動と社会福祉を守るために、政権の緊縮計画に対する混じりけのないそして端的な拒絶を強要するために、彼らと共に前線に立つだろう。そしてわれわれは、政治領域におけるわれわれの責任を引き受けるだろう。そうしたことを労働組合が決めるならばわれわれには、政治的オルタナティブの建設に、資本と対決する労働者の世界の政党建設に参加する用意がある」。

労組活動家の挑戦広める役割


 この文書は一定の反響をもつことになった。それは特にシャルルロワの場合であり、そこではLCR代表団が、二〇一二年はじめ、FGTBの常任委員会に二度招待された。次いでLCRは、シャルルロワの活動家たちの取り組みを広める任務を直接に引き受け、そうする努力をまったく惜しまなかった。一つのブログが生み出された。
 昨年六月には、「フォルマシオン・ルソワーユ」(LCRに結びついた常設教育組織)の春期反資本主義学校における労組活動家間の一つの論争に、ダニエル・ピロンが参加した。「フォルマシオン・ルソワーユ」は同年秋、FGTBの歴史的拠点であるリエージュで、ピロンと金属労働者の指導者たちの間の重要な論争をもう一つ組織した。
 その間われわれのウェブサイトと新聞は、シャルルロワアピールに関する立場に関し、一定数の労組指導者たちに質問を投げかけた。最終的にダニエル・ピロンが今年三月、再び春期反資本主義学校の一環として、PTB(毛沢東主義を起源とするベルギー労働者党:訳者)代表のピーター・メルテンスとの論争に招待された。

始まった動きをもっと進める

 他の組織は上のような分析を一度も行わず、また先のような活動も行ってこなかった。その理由は、社会/労働組合を一方に置き、政治を他方に置く分割――鍵としての「党の指導的役割」(自称)と一体となった――を基礎とした戦略図式の意味の中に見出されるべきだ。こうした姿勢の戯画は、ベルナール・ウェスファエル(異論派の緑の党議会人、厚かましくも、ジャン・ルク・メランション〈フランス左翼戦線の指導者:訳者〉から支持を受けている)の左翼運動によって提供される。この運動は、自身をただ一つのオルタナティブとして押しつけ、すべての者をその旗の背後に整列させようと挑んできた。
 一方で共産党とPSL(CIO・CWI―英ミリタント派系の国際組織)はシャルルロワアピールを支持しつつもしかし、ダニエル・ピロンとその同志たちが強く求めている変革の大きさをつかんだという印象を与えていない。PTBについて言えば、それはそのスターリニスト的遺産にも関わらず、逆説的だが、特に四月二七日以来は、そこに賭けられているものをもっとよくつかんでいるように見える。しかし全体としての労働組合運動に対する中継器として自身を確立したいというその強い願いが、主導性を果たすために彼らが出てくる際には、その仕事を困難にしている。
 労組活動家たちがその方向を維持するとすれば、路線が正しい方向に動き続けることが可能になる。LCR/SAPはそれが起きることを望み、その限りある力にもかかわらず、その実現に向け諸々の責任を引き受けるだろう。
▼筆者は実績のある農学者であると共にエコ社会主義環境活動家、また「ラ・ゴーシュ」(FIベルギー支部であるLCR/SAPの月刊誌)にも執筆している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年一〇月号)
 

カタルーニャ

憲法制定運動が全域で拡大

今こそ民衆が決める

エステル・ビバス

 

 カタルーニャの独立を問う住民投票が現実性をもって浮上する中、その不可欠の要素であるカタルーニャ新憲法制定が、一つの民衆運動として要求化されようとしている。以下はその現状の報告。筆者のビバスは、スペインの政治を揺さぶってきた大衆的街頭行動に政治的水路を与える一つの政治的挑戦として、積極的に評価している。(「かけはし」編集部)

懐疑論、しらけ
との絶縁が必要



 それがたやすいとは誰も言ってはいないが、挑戦することが必要だ。そしてこれこそ、ベネディクティン・ヌン・テレサ・フォルカデスとエコノミストのアルカディ・オリベレスによって率いられ、また他の多くの人々と共に、カタルーニャで憲法制定過程を通し今行われようとしていることだ。社会的意識を生み出すために、動員するために、市民的不服従を促進するために、権力を独占している者たちをものともしない政治的オルタナティブを提起するために、だ。その目標は、民衆的な自己組織に基礎を置き、底辺にある人々に忠実な、さらに多様性の中で全体としての社会的で政治的な左翼に貢献できる、そうした新しい政治的/社会的手立てを築き上げることだ。ものごとが次第に明らかになるならば、水平線上にそれは、先の過程内部のあるいはその外部にいる人々といった、多くの人々の必要な合流の結果として、幅広い立候補をもってカタルーニャ議会の次期選挙で戦場に立つ意思を表すだろう。それらの人々は、社会的不満を政治的多数派へと変えることを、そして憲法制定過程を推進する基盤を確立することを熱望している人々であり、多数に奉仕する新たな政治枠組みを集団的に自身に備える余地をわれわれに与える、そうした人びとだ。
 こうしたことはユートピア主義だとある者たちは語っている。しかし私の観点から言えば、われわれを現在の危機的情勢に導いた人々が、ついでながらそうした者たちはそこから実質的な利益を得ているのだが、それらの者たちが危機からわれわれを抜け出させる、などと考える方がもっとユートピア主義だ。懐疑論、しらけ、そして怖れと絶縁することは、われわれが将来に向けて引き受けるべき挑戦だ。それは、「ウィー・キャン」は具体的な勝利を得るための第一歩だ、ということの自覚だ。

社会的動員を超
える展望に向け


 この四月に憲法制定過程が公然となって以来まさに、受け取った支持は広範となった。この過程は、諸々の危機という現在の流れの中で、ものごとを変革する急を要する必要性に気づいている社会の幅広い層を結び付けた。政治的経験や組織的経験を大してもったことのない多くの人々が、この上なく基本的である何ものかに訴えかける、つまり公正に訴えかける議論を自己と一体視してきた。
 他の社会的活動家たちはこの過程の中に、それ自体で社会的動員を超えて進むための、変革の政治的/組織的展望をよく考えるための一つの手立てを見てきた。15M(五月一五日運動)登場から二年、多くの人々は、われわれがどれほど多くの銀行や空き家やスーパーマーケットや病院……を占拠しようが、権力を握る者たちはわれわれを絶対的な悲惨の中に沈める一連の諸方策を適用し続けている、ということに気づいている。それなしには変革の可能性などまったくない、そうした街頭での基本的な闘争に依拠しつつ、同時に憲法制定過程は、政治/経済体制への、同様に諸制度に関わる、一つの挑戦を奮い起こさせている。そしてそれは、先のような諸々の足場を「占拠」することによって、そしてそれらの行動に憲法制定過程を介して社会的多数派と密着した裏打ちを与えることによって、システムを変革することだ。
 確かに、魔法のような定式などまったくないが、ラテンアメリカにおける憲法制定過程のような諸経験(エクアドル、ボリビア、ベネズエラ)、あるいはもっとこの地に近いものとしてアイスランドの経験は、その論争を呼ぶ諸々の展開があるとしても、まねするためではなく、その成功と失敗から学ぶために、深く考えるべき経験だ。カタルーニャにおいて、民族問題と独立に関する論争が、われわれがこれまで一度として想像する可能性がなかったこととして、決定する可能性をもつ……、すべてを決定する一つの機会に扉を開いている。

大きな吸引力示
す参加の広がり


 憲法制定過程の公開発表への多くの参加は、この主導性に内包された吸引能力を示している。実際この主導性は、わずかの月数のうちに、カタルーニャ領域全体を貫いて一〇〇以上の公開発表会をつくり出した。ちなみに先の公開発表への参加は、四〇〇人から七〇〇人の間になる、さまざまな自治体(原文には具体的な町の名が多数列記されているが割愛した:訳者)の人々と共に、テレサ・フォルカデスが率いた人々やアルカディ・オリベレスが率いた人々がいた。
 そしてもっと重要なことだが、この過程に取り組んでいる人々の関心は、二人の主要推進者の話を聞くことだけにあるのではなく、この政治的/社会的手立ての建設に活動的に参加することにある。こうして、八〇以上の地方会議がすでにカタルーニャ中に設けられた。同時に、教育、保健、フェミニズム、移民のような課題を中心とする特定目的の会議も始まっている。それらすべては、「推進グループ」として知られているある種の全体会議の中で調整されている。そしてその会議は毎月会合している。
 憲法制定過程の行動形態にもまた、この「別の政治」が反映されている。もっとも大衆的なイベントにおいては、PA装置やコピー機その他を借りるためにかかる費用を集めるために、その場限りの集金箱が回されている。そうした説明会はまた、地方集会や会議に参加する人々を集めるためにも役立っている。地域の諸グループは、彼ら自身の優先度にしたがって組織され、カタルーニャの全域的に調整されている。この憲法制定過程には進展に向けたいくつかの道がさらにあり、それは、大きな社会的不安をつなぎ合わせることを可能にする潜在的な政治的主導性を示している。とはいえ明らかに、なされるべきことがまだ多くあり、おそらくそのもっとも難しい部分は、この過程を打ち固め、諸会議の協調を改善することだ。これは進行中の作業だ。

下から上へとつ
くられる運動へ


 この主要な推進者、テレサ・フォルカデスとアルカディ・オリベレスによってつくり出された信頼性が成功に対する鍵となっている。しかしわれわれは、それが下から上へと築き上げられる場合にのみ成功を見るだろう、ということを知っている。私はその日、提案を行った両者が「私たち二人だけでは大したことはできない」と語るのを聞いた。まさに正しい。今日、憲法制定過程は四万四〇〇〇人以上の人々を結び付け、多数の地方会議や部門別会議を抱えている。テレサ・フォルカデスとアルカディ・オリベレスは、何度も言われてきたように、どのような意味でも指導者でありたいとは思っていず、彼らの信用度をまさに運動に役立てることに同意している。
 この過程の世俗的性格にもかかわらず、両者に刻印されているクリスチャンとしての人物像に対する批判がこれまで行われてきた。それはある程度驚くことではない。カタルーニャやスペインにおける左翼の社会的動員はどちらでも、ある程度は、普通のクリスチャンの貢献なしには理解できないだろう。あまりに言いすぎないとして、野外作業労働組合の創設者の一人は、貧者の聖職者、ディアマンティノ・ガルシア以外の誰でもなかった。この真実を否認することは、われわれの集団的歴史に刻まれたこの部分を無視することを意味する。そしてテレサ・フォルカデスとアルカディ・オリベレスの両者とも、今回の憲法制定過程以前に繰り返し、そして長い間、キリスト教世界の位階制に反対であり、教会と国家の分離を支持し、自身の体について決定する女性の権利を防衛すると語ってきていた。ついでながらそれらのことは、教会とその位階制の反動的な部分による広範に広がった批判を彼らにもたらした。
 その開始から六カ月を経て明日一〇月一三日、憲法制定過程の主要なイベントがバルセロナで開催されようとしている。この提案を前にある者たちがどのように論評したのか、それを私は今も覚えている。つまり、「このような構想をなぜあえて進めるのか。これは失敗する運命にある」と。一人の同僚は「失敗は挑戦しないことだろう」と語った。彼らはどれほど正しかっただろう。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年一〇月号)


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