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    かけはし2013.年11月11日号

「世界でも珍しい文化遺産」


美智子皇后と「五日市憲法」

自民党改憲草案への嫌味?

これも明白な「政治的発言」だが……

自由民権運動に
「共感と感銘」

 ふだんあまり読むことのない朝日新聞の「天声人語」欄を何気なく見ていた。一〇月二一日付の新聞だ。その記事は前日の一〇月二〇日、七九歳の誕生日を迎えた美智子皇后が、宮内記者会の「皇后さまにとってのこの一年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせください」という質問に文書で行った回答を話題にしていた。この回答において美智子は「憲法」の問題について語り、その中で明治憲法(大日本帝国憲法)が成立する以前の、草の根からの自主的な憲法運動の代表である「五日市憲法草案」についても言及したという。その時は気がつかなかったのだが前日の「朝日」に掲載された「美智子皇后七九歳の誕生日」記事の中でも、この「五日市憲法」の話題について書かれていた。
 そこで、宮内庁のホームページから美智子皇后の文書回答をダウンロードした。以下は該当箇所の全文引用である。
 「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした議論に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二〇四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四〇数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た一九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」。
 「印象に残った出来事」にはこの憲法問題以外にも、福島第一原発事故と「作業現場で働く人々の安全」、「異常気象と竜巻・台風被害」、「オリンピック・パラリンピック東京開催決定」、「親しい方たちの死」、「伊勢神宮の遷宮」も含まれている。しかし分量の面で一番多いのは「憲法論議」についてであり、しかもその焦点が「五日市憲法」に当てられているのが実に興味深い。

各自ノ権利自
由ヲ達スベシ


 「五日市憲法」についてはご存知の方も多いと思う。歴史学者の色川大吉が東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の山村にある廃墟となった家の壊れかけた土蔵の中で、この草案を発見したのは一九六八年のことだった。宮城県生まれの平民・千葉卓三郎を中心に、深沢権八ら「五日市学芸講談会」の若者たちとの研究や討議によって起草された「五日市憲法草案」は、一八八〇年代の自由民権運動時代に作られた数多くの私擬憲法の中でもきわめてラディカルで体系的なものであったとされる。同憲法草案の「国民の権利」の冒頭には「日本国民ハ各自ノ権利自由を達スベシ、他ヨリ妨害スベカラズ、且ツ国法之ヲ保護スベシ」と宣言すると共に、法律によらなければ拘引・逮捕・収監されない権利、裁判官が自署した文書で理由や証人が明らかにされない限り逮捕されない権利、逮捕後二四時間以内に裁判を受ける権利、違法な命令・逮捕に対して損害賠償を受ける権利、保釈の権利、国事犯に対して死刑を宣告されない権利など、非常に詳細に国家の弾圧から個人の自由権を法的に保護する規定を盛り込んだ点でも、画期的なものだった(色川大吉『自由民権』、岩波新書)。
 それは「自由民権運動」が、都会の一部のインテリゲンチャに限られた根なし草的運動に過ぎなかったのではなく、都会から遠く離れた山村地域の青年たちの情熱をも掻き立てた幅広い運動であったことを示している。
 美智子皇后は、憲法をめぐる「例年に増して盛んな論議」に触れ、あえて「五日市憲法草案」に代表される草の根からの「民権意識」を取り上げることによって、「自民党憲法改正草案」や産経新聞社の「国民の憲法」に見られる、「天皇を戴く国」といった軽薄で極右ナショナリズム的な改憲論への嫌悪感を露骨に示した、とも取れる。
 それは、この一年で亡くなった、皇后にとっての「多くの親しい方たち」の中に、「日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん」の名をわざわざ入れたことにも示されている。安倍首相周辺はこの美智子皇后の「文書回答」に苦々しい思いを抱いているのではないだろうか。

宮中祭祀尊重
と「護憲意識」


 美智子皇后は非皇族出身であるため、かえって象徴天皇制の下での皇室の防衛という点では天皇以上の強烈な使命感を持ち、きわめて賢明かつ政治的に立ち振る舞う人格であるように見える。その点は今回の宮内記者会への文書回答の中で「宮中祭祀」の問題について次のように回答していることにも示される。
 「明治天皇が『昔の手ぶり』を忘れないようにと御製で仰せになっているように、昔ながらの所作に心を込めることが、祭祀には大切ではないかと思い、だんだんと年をとっても、繰り返し大前に参らせて頂く緊張感の中で、そうした所作を体が覚えていてほしい、という気持ちがあります。前(さき)の御代からお受けしたものを、精一杯次の時代まで運ぶ者でありたいと願っています」。
 こうした伝統的・宗教的使命感と、ある種の戦後的憲法意識は、美智子皇后にとって一体のものとなっている。
 もちろんわれわれは、美智子皇后の「護憲派」的意識を安倍首相の現憲法への嫌悪と対比した形で持ち上げるべきではない。しかし「天賦人権論」を「我が国の歴史、伝統、文化にそぐわない」と切り捨てる自民党などの主張と美智子皇后の意見の間に見られる、決して小さくはない齟齬に注意する必要があることも確かなのではないか。 (純) 

11.2

沖縄意見広告運動・討論会

辺野古新基地と名護市長選

安次富浩さんが問題提起

 一一月二日、第五期沖縄意見広告運動が主催して、討論集会「今、沖縄と結び、どう闘うか」が東京・中野勤労福祉会館で開催された。 この日の討論集会は、沖縄からヘリ基地反対協議会代表委員の安次富浩さんを招いて、来年に向けた第五期沖縄意見広告運動の方向性と、辺野古基地建設阻止の闘いの分水嶺ともなる名護市長選をめぐる状況を討論し、「ヤマト」の労働者・市民の課題を明らかにしていくために準備された。

辺野古基地反対
「三つの大義」
 沖縄意見広告運動代表世話人の上原公子さん(元国立市長)の主催者あいさつの後、安次富さんが「沖縄の反基地・反差別運動の現状と課題」というテーマで講演した。安次富さんの講演の要旨は次のようなものだった。
 「辺野古での座り込みは三五〇〇日を迎えようとしている。辺野古への米軍基地建設反対運動には三つの大義があると考えている」。
 「第一は、主権者たる住民が闘い取るべき平和だ。平和とは与えられるものではなく、国策に抗して自らが勝ち取るものだ。第二は、財政の観点だ。いま政府が進めようとしている辺野古の基地建設のための埋立てだけで二三〇〇億円の予算事業となる。埋立てには一〇トントラック三五〇万台分の土砂が必要とされ、その購入費用だけで一三〇〇億円とされる。こんなことにカネを使うのではなく、もっと必要なところに予算をまわすべきだ。最も必要なところとは福島、東北の救援・復興ではないか」。
 「第三は環境の観点だ。埋め立て予定地にアカウミガメの産卵地があることを政府は隠してきた。ジュゴン、ウミガメ、サンゴなどの貴重な海洋生物と海の環境を守ることは私たちの義務だ」。

沖縄の自己決定
権への取り組み
 「一九九七年一二月、名護市民は住民投票で基地建設を拒否した。そのとき自民党沖縄県連の幹部として基地容認に動いた中心人物が翁長さんだった。いま彼は基地県内移設反対・オスプレイ撤回で保守派をまとめる中心人物だ。世論の力がここに示されている。今年、安倍政権は沖縄が売り払われた四月二八日を『主権回復の日』として祝った。これは『ヤマト』の歴史感覚の差別性をあからさまに示すものだ」。
 「オスプレイの墜落事故をふくむ重大事故は今年になって米本国で相次いで起きている。九月二五日には最後の二四機目のオスプレイが配備された。いま沖縄の負担軽減と称してヤマトでの日米軍事演習にオスプレイが派遣されているが、その数はせいぜい四〜五機で二〇機程度は沖縄にいる。こんなことは負担軽減でも何でもない」。
 「辺野古のキャンプ・シュワブとの間に設置された金網には、全国から送られた多くの横断幕が張られてギャラリーのようになっているが、その横断幕が夜中に取り去られるという妨害が続いている。こうした中で、私たちは沖縄のインティファーダのようなものを構想しなければならないという気持ちが募っている。いま琉球民族独立総合研究学会が作られたが私も沖縄の自己決定権という課題について取り組まなければならないと考えている」。

名護市長選
めぐる攻防
 「名護市長選について。仲井真知事は最近の記者会見で、辺野古新基地建設のための公用水面埋立許可に関連して、承認と不承認の間の『中間の道も』という言い方をしている。これは条件付き承認ということだろうが、そこはまだはっきりしていない。仲井真知事が、名護市長選前に埋立て承認に踏み切るのではないかという観測もあるが、私はその可能性は少ないと見ている。名護の辺野古基地建設推進派は、名護出身の川上副知事を口説こうとしたが副知事は拒否した。そこで稲嶺現市長への対抗馬として名護市選出の末松県議を基地受け入れ派が擁立することになったが、末松は『辺野古基地受け入れ』についてはっきりした推進の立場を明言していない。そこで、右翼勢力に推される形で明確な『基地受け入れ』派として島袋前市長が立候補表明した。つまり基地受け入れの保守派が分裂した形になっている」。
 「受け入れ派が分裂したことは、現職の稲嶺市長当選に有利なように思われるが、私は楽観できないと思う。島袋が右翼に推された基地推進派、稲嶺現市長が基地反対派であり、その中間に末松県議という配置になれば、中間に票が集まるという危険性もある。投票率が下がれば危険度は増す。十分に気を引き締め、万全の態勢で稲嶺市長再選の態勢を作る必要がある。ぜひご支援を」。

共同・連帯を
作り出そう!
 安次富さんの報告を受けて、花輪伸一さん(JUCON―沖縄のための日米市民ネットワーク)、土屋源太郎さん(伊達判決を生かす会)、若森資朗さん(山シロ博治勝手連東日本事務局)、国富建治さん(反安保実)、江田忠雄さん(経産省前テントひろば)が討論スターターとして、安倍政権の安保・沖縄政策とどう闘うか、沖縄と日本の運動の共同・連帯のあり方、名護市長選に向けてどのような支援が可能か、米国市民への働きかけなどについて活発な論議が行われた。
 沖縄意見広告運動は、来年の意見広告運動と並行して、全国キャラバン・集会、沖縄交流ツアーなどの企画を立てようとしている。 (K)

コラム


古本まつり

 「神田古本まつり」に出かけてきた。翌日の予報は雨。それならば、と決めたのは前日午後のことだ。
 JRお茶の水駅から水道橋駅まで、南を靖国通りで区切る一帯は、国内最大級の古書街であり、私の「青春の街」でもある。
 「学生街の喫茶店」という名曲があるが、哀愁を帯びた四拍子のメロディーとこのエリアの風景は、ぴたりと重なる。詞の舞台については諸説存在するという。聞くものは各々の思い出をなぞればいい。この街は高校時代から「第二の故郷」でもある。
 現地は大盛況であった。メインストリートになるすずらん通りでは、アジア各国の酒や料理を売るテントが並び、客たちはテーブルでくつろいでいる。この商店街では飲食店の入れ替わりが激しく、常に新しい味覚が来訪者を迎えている。靖国通り沿いの歩道は、車道側にブースが設置され、人波でごった返している。もともと道幅が狭い上にこの人出である。お目当てを探すのは至難の業だ。
 秋の日は釣瓶落とし――あたりはたちまち夕闇に包まれ、ぶら下がる電球や提灯の灯が、独特の風情を醸し出している。肌寒い季節ではあるが、その街並みは夏の盆踊りや縁日を彷彿とさせている。
 だいぶ前のこと。私はとある店先で、以前から欲しかった本を偶然目にした。野間宏著「狭山裁判」上下巻(岩波新書・絶版)である。一冊百円。表紙こそ焼けているが、本文はきれいな逸品。その時の感激は今でも覚えている。
 「狭山事件」を語る文献は、絶滅危惧種である。差別裁判を糾弾し、石川一雄さんの保釈に向けて闘いが盛り上がった一九七〇年代。多様な視点の作品が売られたが、以後再版や重版はない。読みたければ、図書館の閉架で眠っている資料を借りることになる。
 比較的新しいとされる「真犯人捜し」の推理本は、登場人物が匿名で書かれている。人権の見地から読めば間違いなく進歩ではあるが、リアリティに欠けている。もちろんこれらも店頭から消えている。鎌田慧さんの最新の著作が、ことさらに光って見える。
 悪名高き二審寺尾判決の日から続く狭山集会に、今年初めて参加した。石川さんを中心に、布川事件の二人、菅谷利和さん(足利事件)、袴田ひで子さん(袴田事件)らが横断幕を持って、銀座を練り歩いた。冤罪被害者が一堂に会して連帯した、感動的なデモだった。
 スキーやスノボーの季節を迎え、「景気回復」のかけ声にも押され、家族連れの買い物客でにぎわうこの界隈。かたや自公政権による矢継ぎ早の反動攻勢に、懸命に抗う私たち。
 その中間にいるのだろうか。知性と理性を備えたリベラルな読書人たちが、路地裏で背中を丸め、熱心に文字を追うその姿に、ささやかな希望の灯りを見た思いがした。 (隆)

 


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