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    かけはし2013.年10月21日号

放送に続き教科書奪還作戦


進撃の太鼓の響き「歴史を奪還せよ」

「過去の亡霊」を背にした人々

 「大韓民国の陣営は『放送奪還』闘争に続き、『教科書奪還闘争』に突入しなければならない。『キャンドル』におじけづいたイ・ミョンバク政府が『歴史の奪還』を決行せざるをえないようにする」(2008年8月19日付〈朝鮮日報〉リュ・グニルにコラム「教育部の編集チームを交替せよ」)。
 「進撃のメッセージ」は簡潔だった。そして極めて露骨だった。リュ・グニル(75)元〈朝鮮日報〉主筆は、今しがた発足したばかりのイ・ミョンバク政府に、このように歴史の奪還をそそのかした。「現在の教育部教科書編集担当チームを大幅にすげ替えなければならない。今のチームはノ・ムヒョン時代のチームそのままだ。これらをそのままにしておいては何もできない」。彼は編集担当チームを交替し、新しい教科書を検・認定するまで「少なくとも2年が必要だ」とし、「第8次教育課程」の決定を時期的に遅らせるべきだ」という具体的内容にまで言及した。5年後、彼の「奪還のマニュアル」は現実となった。その上、彼が顧問になっている「韓国現代史学会」の〈高等学校韓国史〉(教学社)の教科書が進撃の砲門を開いたという点は、彼らの「教科書奪還作戦」が決して大ぼらではないということを意味する。

ニューライト勢力の歴史観


 8月30日、国史編纂委員会の検定審議を通過した教学社の〈高等学校韓国史〉には、いわゆるニューライト勢力の「長年の夢」がしみ込んでいる。自虐史観(日帝の強占、南北分断、軍部独裁へと続いている歴史過程の中で、社会の支配構造や権力関係を批判する観点によって叙述している歴史解釈)を排斥し、北韓(北朝鮮)の存在を否定したまま、イ・スンマン(李承晩)、パク・チョンヒ(朴正熙)元大統領らの業績を強調するニューライトの歴史観を反映した初の公式教科書だからだ。
 だが予想通り、検定の審議過程で、ぎりぎりまで隠されていた教科書の内容が、9月の初めから国会や学界を通じて知られるようになると直ちに歴史歪曲の論難が起きた(詳細は別記事参照)。(別記事は略…訳者)。ソ・ナムス教育部長官も去る9月11日、遅ればせに教学社の〈高等学校韓国史〉について「私の見たところでも誤った部分がある」と語った。彼は教学社の教科書と、検定審議を通過した別の韓国史教科書7種を共に修正・補完すると語ったけれども、歴史歪曲の論難はそう簡単には収まらないようだ。歴史戦争の雷管がすでに弾けたからだ。
 ニューライト勢力の「教科書奪還作戦」は参与政府(ノ・ムヒョン政府)の時代にまでさかのぼる。歴史戦争の流れはニューライト勢力の大衆化とも関係が深い。その始まりは参与政府が本格的に過去史の清算に乗り出してからだ。ノ・ムヒョン大統領は2004年の光復節(8月15日)の祝辞で「民族を裏切り、植民統治の先頭に立ってそれを代弁していた親日行為が、依然として歴史の裏庭で牛耳っている」と語った。同年の国家では親日真相糾明法など、過去史の真相糾明についての特別法4件が通過した。

 過去史清算の刃を避けることのできなかった保守陣営も刀を振りかざした。その砲門は2004年11月、ニューライト団体の中で1番最初に出発した「自由主義連帯」創立宣言文だった。「ノ・ムヒョン政権は自虐史観を押し広げ、支配勢力の交替や既存秩序の解体のための『過去との戦争』に自らの命運をかけている」。そして直ちに保守陣営だけの「歴史立て直し」を始めた。まず保守メディアと政治圏は、2002年の検定審議を通過した〈高等学校韓国近・現代史〉(金星出版社)教科書が現代史を偏向した見方で叙述している、と問題を提起した。
 〈月刊朝鮮〉は2004年4月号に「警告! 皆さんの子どもたちは危険な教科書にさらされている」という記事を送り出した。他の保守メディアによって受け継がれた「近・現代史教科書の左偏向の論難」は、同年10月の国政監査でも続けられた。歴史の領域においての参与政府・進歩陣営と保守陣営間の衝突は、ニューライト勢力の結集をもたらした。
 歴史の立て直しは「既存の教科書を改めて書き直さなければならない」任務へと結びついた。その役割は、2005年1月に発足した「教科書フォーラム」が受け継いだ。これらの人々の目的は明白だった。「ニューライト勢力の視点を盛りこんだ教科書を作ること」だった。ニューライト陣営の代表的学者であるパク・ヒョジョン・ソウル大教授(国民倫理教育)が準備委員長を務め、日帝時代に近代化の礎石が築かれたという「植民地近代化論」を主張してきたアン・ビョンチク・ソウル大名誉教授とイ・ヨンフン・ソウル大教授(経済学)らが参加した。
 「大韓民国は間違って誕生した国家なのか、大韓民国は正常な国家ではなく欠陥ある国家なのか、光復60周年を迎えている現時点でも、我々が絶えずこのような質問に直面しなければならないのであれば、残念の極みこの上ない。けれども、それが厳然たる現実だ」(教科書フォーラムの創立宣言文)。
 教科書フォーラムの本格的な活躍は、イ・ミョンバク政府の発足とともに始まった。ニューライト勢力を軸として誕生したイ大統領は「援護射撃」を惜しまなかった。「大韓民国が民主化・産業化に成功したものの、さまざまな問題があるということを批判的に述べたて、むしろ北韓の社会主義が正統性があるかの如くになっている教科書を正しく立て直し、(近・現代史の歴史を)正しく評価した」(2008年10月8日、在郷軍人会会長団・青瓦台午餐懇談会)。
 ニューライト陣営では教科書をめぐる論難の起爆剤となった金星出版社の〈高等学校韓国近・現代史〉に対する本格的な修正作業も要求した。最初から国防省、統一省、大韓商工会議所では教育科学技術省に具体的な教科書内容の修正を要求する意見書を公文で送った。その大部分はイ・スンマン、パク・チョンヒ元大統領らの功績を集中して印象づけたり、済州4・3事件を「左翼の反乱」と再規定せよと要求する内容だった。
 だが教科書フォーラムは正式の教科書を作ることができなかった。フォーラム内には正式の教科書を執筆する規模の近現代史の専門家がいなかった。その代わりに2008年5月、既存教科書の現代史・経済史などの内容を修正した〈対案教科書、韓国近・現代史〉(キパラン=旗の青さ)を出した。
 2008年5月26日、ソウル世宗文化会館で開かれた対案教科書出版記念会には当時ハンナラ党代表をしていたパク・クネ大統領も参席した。そして祝辞で「わが国の青少年たちが歪曲された歴史の評価を学んでいると思うと本当に戦慄せざるをえません」「心ある人々が現行教科書の問題点を指摘し、青少年たちの間違った歴史観を育てていることを大いに心配しているので、今やもう心配はなくなった」と語った。

「自由民主主義」への固執

 教科書フォーラムがなし遂げられなかった教科書出版の夢は「韓国現代史学会」が受け継いだ。2011年5月に創立された韓国現代史学会は、準備段階から外延の拡張に集中した。設立趣旨も、「韓国現代史研究の学問的閥鎖性やイデオロギー的偏向性を克服していく」というものだった。
 韓国現代史学会は発足後、教育科学技術省や国史編纂委員会に圧力をかけ、「2009年教育課程」改正案の中の歴史教科の教育課程に関する執筆基準として登場する「民主主義」を「自由民主主義」に変更するように要求するとともに、論難の中心に立った。当時、学会では韓国現代史学会の言う「自由民主主義」は封建国家から民主政に変わる民主主義の過程を意味するのではなく、北韓式の「人民民主主義」と対立する反共の意味が強い「自由民主主義」だという点で問題がある、と指摘した。改正案を研究した「歴史教育課程開発政策研究委員会」の委員らが変更に反対する署名まで発表し結局、改正はなされなかった。
 現在、韓国現代史学会はニューライト陣営とは関係がないと語っている。韓国現代史学会は声明を出し、「個人的にニューライトに参加していた人がいるにはいる。けれども本学会はニューライトの系列ではないし、その勢力でもない」と主張した。だが創立当時に〈朝鮮日報〉や〈東亜日報〉に公開された顧問、創立準備委員、発起人名簿(72人)のうちパク・ヒョンジョン・ソウル大教授、イ・ヨンフン・ソウル大教授、カン・ギュヒョン明知大教授ら、ニューライト団体の教科書フォーラムに顧問、運営委員、執筆陣として加わった人々が16人もいる。
 実際に教学社の〈高等学校現代史〉の執筆に参加した人々を見ても、そうだ。韓国現代史学会から参加した代表的な人々を見ても、そうだ。韓国現代史学会から参加した代表的な執筆者はイ・ミョンヒ(53、歴史教育)公州大教授やクォン・ヒヨン(57、韓国近代史)韓国学中央研究院教授ら6人だ。これらの人々はそれぞれ韓国現代史学会の元・現職会長たちだ。あとの4人は現職の小学校や中学校の教師だ。このうちイ教授はニューライト教育運動の市民団体である「自由教育連合」の初代常任代表を務めたし、教科書フォーラム運営委員としても活動したことがある。最近では教育部の「歴史教科書執筆基準開発共同研究陣」として参与している。
 教科書フォーラム→韓国現代史学会へと連なるニューライト勢力の「教科書奪還」の試みは、10年目に入ってなお続けられている。専門家たちは、このような動きが植民地近代化論を通じて親日勢力に免罪符を与え、建国や産業化を過大評価しつつ、イ・スンマン、パク・チョンヒ元大統領らに対する歪められた評価を生んでいると指摘する。
 結局、「歴史立て直し」の行き着く所は保守陣営全体の歴史的正当性確保へと結びつくということだ。パク・ハニョン民族問題研究所研究室長は「このような教科書の登場は大韓民国の伝統的な守旧勢力とニューライト勢力が結合する過程」だと説明した。「かつて国民に弾圧を加えていた守旧勢力は自由民主主義を直接的に擁護する名分はないが、過去の歴史の債務がないニューライト勢力がこれらになり代わって免罪符を与えている。イ・ミョンバク前大統領とパク・クネ大統領がセヌリ党の中に一緒にいるということ自体が、その証拠だ」。
 ハン・チョロ東国大教授(歴史教育)は「先進国でも使用している検定教科書には史観が現れるのは当然であるし、左右を離れ、歴史教科書が自己の観点を反映しつつ客観的なラインを維持すれば、学生たちに多様な思考力や討論を導くことができる」と語った。「だが、問題の教学社の〈高等学校韓国史〉は、基本的な事実でもなく学界で普遍的でもない内容を書いていて、『教科書としての基本』についての指摘が出てきているのだ」。

「韓国社会が転覆することも」


 現在の執筆陣たちは教科書に対して浴びせられている指摘について「明確な根拠のない批判」だと語っている。だがこれらの人々が最近の教科書をめぐる論難について吐き出している言葉は、戦争の状況を彷彿とさせる。
 クォン・ヒヨン教授は9月11日に〈韓国日報〉に書いた文章で「既存の左偏向教科書を支持している勢力は『民主化』と『北韓との平和』を押し出しつつ、キム・デジュン、ノ・ムヒョン政府を除いた時期の大韓民国のすべての歴史を暗く彩ろうとしている集団だ」と語った。
 イ・ミョンヒ教授が同じ日、キム・ムソン・セヌリ党議員がソウル汝矣島の国会議員会館で開いた「セヌリ党の近・現代歴史教室」で語った内容は一層、驚く。「学問・教育、メディア、文化などイデオロギー分野では左派がすでに絶対的多数を形成した。現局面が維持されれば10年以内に韓国社会が構造的に転覆されかねない」。「過去の亡霊」を背にした人々の進撃にスピードが加えられている。(「ハンギョレ21」第979号、13年9月30日付、キム・ソンファン記者)

「韓国史」教科書惨酷史

政府の政策をめぐりフラフラ


周辺国の状況に
よってもジクザク
 韓国近・現代史の教科書をめぐる検証の論難は教科課程の改編と関係が深い。頻繁な教科課程の改編のせいで、教科書の形態も絶えず変化を味わわなければならなかった。
 〈韓国近・現代史〉教科書ができたのは文民政府が発足した1997年の第7次教育課程改編の時だった。それに先立ち1974年の第3次教育課程改編以降、政府が一律的に作る国定・単一教科書である〈国史〉があった。当時、「国籍のある教育」を打ち出していたパク・チョンヒ政府は国史の教科課程を通じて「民族史の正統性、文化民族の誇り」などを強調しようとしていたからだ。
 文民政府は1992年の発足とともに教科課程にも大きく手を入れた。当時、「世界化」を強調していた政府は英語教育などを強化する内容を骨子とした第6次教育課程改編案を発表するとともに、米国式の教科課程をベンチマーキング(基準に)して国史を社会科目の領域に統合した。
 その後、第7次教育課程では高校の教科課程自体を、「国民共通の基本」と「選択中心」とに二分化した。これにより〈国史〉教科書の韓国近・現代史部分だけを別に切り離し、「選択中心」の領域に反映した。高校生の場合、1年生の時に朝鮮(李朝)後期までの近代史を必修として学んだ後、近・現代史は2年時の選択として学ぶことになった。この時から選択中心の課程で使う〈韓国近・現代史〉の検定教科書の必要が生じた。2002年に教科書フォーラムなどが問題にした金星出版社の〈高等学校韓国近・現代史〉も、この中の1つだ。
 2007年に行われた教科課程改正作業では国史と世界史を合わせて、必修課目としての〈歴史〉を作った。中国の東北工程(注1)、日本の歴史教科書歪曲などが問題になるとともに、「歴史教育」を強化し、自国史中心の教育から脱け出さなければならないという学界の苦悩を反映した。
 だが教科書論争がひとしきり繰り広げられ、イ・ミョンバク政府が発足した直後の2009年の改正教科課程では、〈歴史〉に代わって〈韓国史〉と名称を変え、高等学校〈韓国史〉教科書の近・現代史部分を減らすことにした。中学校で前近代史を学び、高等学校では80%以上を近・現代史として学ぶ既存の教科課程が余りにも偏向的だという指摘を受けたからだ。これにより2011年から適用した教科課程では高等学校〈韓国史〉の前近代と近・現代の比率が5対5になった。
 パク・クネ政府は8月30日、歴史教育強化の方案として韓国史を修能(注2)の必修課目に決めることにした。今回、検定を通過した教学社の〈高等学校韓国史〉は再検定作業を経て、2014年から授業現場に適用される。(「ハンギョレ21」第979号、13年9月30日付)
 注1 東北工程 中国の古代史研究プロジェクトの中で、高句麗などをはじめとする朝鮮半島の歴史は中国史の中の地方的部分にすぎない、とするもの。
 注2 修能 大学入学修学能力試験。日本の大学入試センター試験に相当。


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