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    かけはし2013.年10月7日号

大衆的な力でネオナチに反撃を


「内乱陰謀」事件に対する見解

社会進歩連帯 政策委員会

 政府と右派が連日、「親北」のレッテルのこじつけに躍起となっている。「進歩=統合進歩党=親北」なるでたらめを前提にしたイデオロギー攻勢の狙いは明らかである。「親北、暴力の汚らわしい統合進歩党」というネガティブキャンペーンによって、進歩勢力の正当性と道徳性を崩壊させようとしているのだ。ある意味常軌を逸するやり方と言わざるを得ない状況ではあるが、進歩勢力がたとえ「愛情にあふれた」批判を求めたとしても、せいぜい転向した清算主義者どもは「時代おくれの小英雄主義の精神病」から抜け出さなければならない」程度の告白しかできないであろう。

危機に対する認識と姿勢

 公安当局の物理的な弾圧、世論の集中攻撃の中で、進歩勢力は危機に直面している。正義党は「危機は自分とは関係ない」という機会主義的なそぶりを見せる一方で、統合進歩党は「危機は外部の弾圧によってもたらされた」という自己弁護論的な態度であろうが、いずれも現在の危機を打開するものではない。前者が自らのアリバイを立証するために「お風呂のお湯を捨てようとして赤ちゃんまで捨ててしまう」愚行を犯しており、後者は「統合進歩党の危機が進歩」というイメージそのものの危機が明白であるという実情が見えていないからである。
 セヌリ党や民主党となんらかの変わらない論理を駆使して、「進歩政党」を自己否定している正義党は論外である。統合進歩党は内乱陰謀「操作」をめぐる長期間の攻防において、法的勝利や内部的結束の強化という部分的な成果を収めることはあっても、高い次元の政治的勝利はない。
 民衆運動が公安当局の弾圧や右派の世論攻撃に対抗することは当然のことであるが、その闘争の過程において進歩勢力が失墜した自らのイメージを猛省、イメージの再構築をすることなしに国民の信頼は回復しないであろう。 「私は統合進歩党ではない」と宣言するのが簡単な方法であるが、適切な解決策ではない。統合進歩党が基層の大衆運動と連携しているためだが、そのカギは、これらとの分離ではなく、民衆運動の多くの部分を占める民族解放の理念と路線を合理的に批判し、論議することである。

一種の軍事主義的誤り


 今日の事態を引き起こした複合的な要因についての歴史的な認識が必要である。以前より繰り返し発生していた統合進歩党を含む統一運動陣営への公安当局の弾圧を、東アジア・朝鮮半島の政治・軍事的情勢の中での保守勢力の対応という大きな枠組みでとらえるべきである。またここで浮かび上がったイ・ソッキ議員の情勢認識や戦略戦術の問題を、北朝鮮の社会主義建設の困難さと対南戦略の変化の推移に呼応する民族解放理念・路線の矛盾という観点から批判することが可能である。
 公安当局が公開した5月の会合の録音記録によると、イ・ソッキ議員らは、朝米間の熾烈な軍事的対立の構図を「不義の戦争」と「正義の戦争」という構図でとらえ、北朝鮮の核武装を正当化している。 しかしこれらの情勢認識は、現在の米朝の対決構図において北朝鮮が核武装を平和協定締結のテコにしているという力関係を見誤ったものであるばかりか、核戦争の特性をまったく理解していなという点で、極めて危険なものである。また、主要な施設への攻撃を密かに行うことを「有事」の行動指針にしていると見られるため、社会運動における反戦平和の普遍的な行動手段とはなり得ない。
 「時代錯誤」「暴力的」などと笑っている場合ではない。平和運動の歴史、社会主義の伝統において戦争を食い止めるとか、もしくは戦争を停止させるための最善の手段であった大衆的な反戦デモやゼネストを行うのではなく、一種の軍事主義を模倣したのである。つまり、「有事」の韓国の大衆運動に基づいた戦術ではなく、北朝鮮の軍事的勢力を支持・支援する観念に基づいた戦術を模索しているのである。
 このように、現在の朝鮮半島情勢をアメリカ帝国主義の「不義の戦争」に対する北朝鮮の社会主義の「正義の戦争」という構図でとらえ、軍事主義に立脚した戦術方針を確立するというのが単に特定の人物の問題というよりは、統合進歩党をはじめとする民族解放グループ全体が暗黙で共有する戦略的な概念である。したがってわれわれは、民族解放路線の歴史的矛盾をさらに詳しく検証していかなければならない。

民族解放路線の再検討が必要


 1972年7月4日の南北共同声明で北朝鮮が平和共存論を選択して以来、韓国の民族民主運動は「社会主義祖国」の北朝鮮を守る役割を担ってきた。統一革命党、人革党再建委員会、南朝鮮民族解放戦線の対南工作の原因となり、さらに1985年の韓国民族民主戦線に継承された。北朝鮮は1980年代、1970年代以降の平和の継続と南北共同方式の統一論を再確認しつつ、その前提条件として民主自主政府の樹立を主張している。1980年代後半の韓国社会での議論を経て、「植民地反封建/反資本主義社会論 ― 民主自主政府論 ―完全連邦制論」によって民族解放路線が確立された。
 しかし冷戦終結後の1990年代に国際的孤立が深刻化するなか、経済危機とエネルギー・食糧危機が発生し、北朝鮮の経済は崩壊する。経済危機の反動によって先軍政治が出現。超スターリン主義、首領論を中核とする金日成主義は、金持ちの世襲という形態で再生産される。 2000年代に入って北朝鮮の対外戦略は、▲米朝外交を通じた安全保障の獲得▲日朝外交を通じた経済的支援の獲得▲南北関係の安定化(二国二体制、または「低い段階の連邦制」)に焦点を合わせるが、日米韓三国同盟の圧力下において本格的な核武装を推進。
 1990年代以降、社会主義崩壊、北朝鮮の社会主義の孤立、そして統一運動の分裂など情勢の変化の中で、民族解放陣営は戦略の変動を経験し、組織的にも緩みが生じた。 金大中政権において2000年6・15南北共同宣言が締結されると、民族解放陣営はこれを「祖国統一の絶好のチャンス」ととらえ、民族民主戦線再編を主張。韓国では新自由主義的政策の改革に他ならない「太陽政策」が推進され、北朝鮮では米国との関係改善のための交渉のテコとして「核武装」が推進されている情勢下において民族解放陣営は、北朝鮮の安全を確保し、韓国の漸進的改革を通じてこれを補完するという趣旨で、既存の民族民主戦線論を再編した。
 過去の民族解放陣営の戦略が民族民主戦線を基礎にした民自戦― 連邦制という段階論的な変革・統一論であったのであれば、2000年代以降、民族民主政党を基礎にした民自戦 ― (低レベルの)連邦制に移行するという組織路線の変更は、十分に予想可能であった。以後、民族解放陣営は民主労働党への組織的入党、自主・民主・統一全国現場組織構築、全国民衆連帯― 統一連帯の建設によって、民族民主戦線の再編を実現する。

半島の危機、民衆運動の危機

 ところが2000年代に入り北朝鮮は、危機と対話が繰り返される行き詰まりの状態において、交渉のテコとして核―ミサイルの能力を次第に向上させる。北朝鮮の「瀬戸際戦術」に対して米国は、軍事的圧力、経済制裁、外交的孤立による対北朝鮮封鎖を強化し、現在のオバマ政権の 「慇懃無視」と「戦略的忍耐」政策の基調に反映させている。
 金融危機・経済危機を背景とする米国の「太平洋への転換」に基づいて、米韓同盟と日米同盟もますます積極的な再編が行われている。李明博政権に続いて朴槿恵政権は、米国との「グローバルパートナーシップ」を締結し、さらに積極的にサブパートナーとしての役割を担っている。このような背景のもとで朝鮮半島においては2013年上半期、米韓同盟対北朝鮮の軍事的対立が、これまでになく激しさを増した。B―52戦略爆撃機、B-2ステルス爆撃機、原子力潜水艦「シャイアン」を動員した米韓同盟の対北朝鮮核攻撃計画に対して、北朝鮮も 「朝鮮戦争休戦協定の白紙化」「核先制攻撃の権利の行使」「南北間の不可侵合意の全面破棄」「南北関係の戦争状態突入」などで対抗した。
 このような「特別な」情勢下において韓国の民族解放陣営は、北朝鮮の核武装を対米交渉の手段や自衛手段として容認したり、平和協定締結の重要なテコとして擁護した。しかし、人類の絶滅をもたらす核戦争において「不義の戦争」と「正義の戦争」の区別は、そもそも無意味である。社会運動は、平和という理想に基づいて「一方的軍縮」や「軍事同盟破棄」の「積極的平和主義」を自らの理念とすべきである。
 北朝鮮の核武装が困難な北朝鮮の社会主義建設に起因するものであるならば、北朝鮮の核武装に呼応する韓国民族解放陣営は、逆説的に自らの韓国社会の変革への展望の不十分さを暴露しているということになる。民主労働党を掌握した民族解放陣営は、綱領から「社会主義」を削除して「進歩的民主主義」を採択した後、国民参与党と合流して統合進歩党を結成した。 野党グループとの連帯や連立政権への参加を通じて自主的民主政府を樹立するという民族民主戦線論に従ったものである。
 政党の動きだけでなく、大衆組織とも連帯組織レベルにおいてともに民族民主戦線を強化するという民族解放陣営の「10年の展望」は、民主労働党の分裂だけでなく民主労総の政治的派閥の対立、全国民衆連帯の解消にも大きな影響を与えた。この過程で民族解放陣営の主流に浮上した「京畿東部連合」また統合進歩党主流派は、民族解放路線の矛盾をセンセーショナルにさらけ出したものである。

事件に対する反省

 現在われわれが直面している危機は、単に統合進歩党に対する公安当局の弾圧が招いたものではなく、進歩勢力のイメージ、つまり民衆運動の理念や路線に対する民衆の不信から生まれたものである。したがって、公安の弾圧に対抗する共同行動と同様、理念や路線に対する反省、革新のための共同討論が不可欠である。
 民族主義ではなく平和主義としての国際主義を理念として選択すること、一種の戦略的な概念なるものを前提とした民族民主戦線論を訂正すること、韓国社会の変革の新たな展望について思いを巡らすこと、民衆運動の分裂や内部闘争を招いた組織路線について反省し団結と革新の主体として生まれ変わることなどを革新の出発点としなければならない。
 危機の否定は危機を先送りさせるだけであり、事態の解決には全く役に立たない。行く道は険しいが、過ちを認識して矛盾が解消されるとき、初めて危機は解決されるだろう。
(9月13日)

「内乱陰謀罪」について

誰のために石を投げるのか

キム・ドクチン天主教人権委員会事務局長が寄稿


野党全体が
逃げ腰及び腰
 私は大分前に、進歩政党運動に対する期待や支持をいっぱい抱いて民主労働党の党員になった。10年の歳月の間、党のありように満足できないことは数えきれないほどに数多くあったし、もういい加減「脱党しなくては」という気持ちになったことも年に3回はあった。だが党が2つに分かれ互いに非難の矢を飛ばし、それに事寄せていわゆる「進歩陣営」と呼ばれる人々が敵同士のようにいがみあっている時に党を離れるというのは私の自尊心が許さなかった。
 一定額の党費を払い、心で応援しているということが党員としてやっていたことのすべてだったけれども、進歩政党「運動」は放棄することのできない重要なことだと信じた。党を離れたとしても、「大韓民国憲法」が強調しているにもかかわらず、本当に望んでいる政治勢力がいるのか疑わしい状況の中で「韓(朝鮮)半島の統一」を優先課題と考える政党の1つぐらいは必要だという考えは、おそらく変わりはしなかっただろう。
 TVや新聞、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)やインターネット、出会っている人々もそうでない人々も、皆こぞって疲れを知らないエネルギーで(逮捕された統合進歩党国会議員の)「イ・ソッキ」と「RO(注)録取録」について語る。多くの人々がバカバカしい、嫌気がさす、と語る。知識人と称する方々が、「政治的発達障害」だとか「時代遅れ」というなど人権への感受性が欠如した言葉まで持ち出して露骨な非難を続けてもいる。同じ党の名前で総選挙を闘った人々が「こうだとは知らなかった」と語り、「国民は憲法の枠外の進歩を絶対に許さないだろう」という卑怯な言葉を吐き散らしながら、自らに類が及ばないように障壁を張るのに忙しい。
 国情院による大選(大統領選挙)への不法介入の政局を迎えて、テントまで張って場外(院外)闘争までやっていたのに、「大選に不服」なのかという与党の質問には「そうではない」として逃げ腰であたふたしていた第1野党は、今回も「野圏連帯(総選挙における野党協力)」に責任があるという与党の主張が飛びだすやいなや、国会本会議でのイ・ソッキ議員逮捕同意案の処理を、あたふたとそれも自由投票ではなく賛成の党論を押しつけた。保守メディアのここぞとばかりのすさまじい記事の数々はもちろんのこと、進歩メディアも正確には確認されてもいないとんでもない情報や意見を流し続け、世論裁判に合流しているのだから、実にもどかしいばかりだ。


国情院はすでに
勝機をつかんだ
 国情院改革についての国民の要求が最高潮に達していた絶妙な時期に、国情院が戦略的にこの事件を破裂させたという疑念は別としても、国情院あるいは国情院の政府が望んでいることは既に成就された。すでに、内乱陰謀の容疑について裁判所で無罪となったとしても、国家保安法違反の有罪は間違いないだろうがゆえに、現在の騒ぎは何の問題にもならないというニュアンスの言葉などが出回っている。
 「スパイ」や「国家保安法」でなく「内乱陰謀」という単語を選択しつつ、国情院は既に勝機をつかみ、相手役の「イ・ソッキ」と共に政局の主役として、すっくと立った。国情院は実力行使に成功し、反対に進歩陣営はその実力がただたださらけ出されてしまった。原因が何であったにせよ、長い間を待ち望んできた国情院改革の決定的時期に冷水を浴びせることになる状況をもたらした「イ・ソッキ」と「統合進歩党」は国民の手厳しい責任追及をまぬがれようとする考えをもってはならないだろう。
 既にボールは裁判所に渡り、実定法による裁判の過程とその結果を見守る以外にはない。多くの人々は真実が気がかりだろうけれども、裁判所の判断が一切の真実ではありえないということは、既に全世界の裁判所の歴史が証明している。同じ時間、同じ空間にいたという人々の証言が相反しているのだから、いまやその実体的真実に迫りゆくことは不可能になったのではないだろうか。
 適用された容疑において内乱陰謀や内乱煽動は、これまで公開された証拠だけでは成立しがたいという多くの専門家らの意見をそのまま受け入れ、人権運動陣営や国際社会が絶えず主張してきた国家保安法の廃止を揺らぐことのない原則として考えている人々ならば、イ・ソッキ議員らの拘束は不当なものだと主張しなければならないのに、そのような声は聞かれない。混乱したふりをしながら、ためらっている私自身もそこにいる。国家保安法が適用されても当然な人と、そうでない人とに区分づけようとするものではないものなのに。石の大きさや形は違うかも知れないとしても、我々は皆、石を投げているのではないだろうか。どこに向かって、誰のために石を投げているのか。(「ハンギョレ21」第978号、13年9月16日付)
 注 RO:レボリューションの略で、地下革命組織を指す、と国情院は語っている。


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