イタリア
新たな始まりのための解散 シニストラ・クリティカ(批判的左翼)全国調整委員会 |
第四インターナショナルとの政治的連帯の中で活動を進めてきたイタリアのシニストラ・クリティカが、二つの新たな政治構想に出発の機会を与えるために解散に踏み切った。以下の論考、「新たな始まり」は、シニストラ・クリティカ全国調整委員会の最終声明の翻訳である(イタリア語原文はシニストラ・クリティカウェブサイト)。二つの構想を代表する各論考は、「われわれの時代の一構想」および「なぜ新組織か」。欧州を覆う危機は、各国の社会的統合のあり方をも深く切り裂き、その統合を普遍的な制度として確定する政治機能自体が危機に入っている。イタリアもその例外でないことは本紙上でも何度か伝えてきた。以下でも説明されているが、今回のシニストラ・クリティカの解散、二つの政治運動での出発は、その政治的危機、とりわけ左翼の危機への新たな対応を模索する挑戦として決断されている。(「かけはし」編集部)
反資本主義左翼
が直面する困難
シニストラ・クリティカの最後の全国評議会には、二つの代わりとなる政治的かつ戦略的立場が対抗的に登場し、それらは最終的には事実上の同数という結果になった。最後の数カ月に行われたわれわれの努力は、二つのアプローチの合流に向けては、意味のある前進を何も生まなかった。ここに触れた各アプローチは、異なったやり方で重要な分析的かつ理論的な課題に取り組み、もっとも重要なこととして、各自に異なった政治構想と政治装置を与えている。
われわれは、イタリア並びに欧州の幅広い社会的、政治的危機に組み込まれた中での、いまだあるわれわれ自身の弱点としてこの困難をくぐっている。ほとんどすべてのところで反資本主義左翼勢力は、物質的な、また政治戦略上の困難を双方共に経験している。
諸々の危機によって規定された客観的諸条件、そしてそれによって支配階級が何十年間も逆向きに主導権を発揮してきた「階級闘争」が、社会改革を目標とする諸勢力に有利な土俵を提供すると思われた。しかし現実は、そうなっていないと語っている。フランス、ドイツ、英国、そしてイタリアで優勢を誇っているのは困難、諸勢力の衰退、また危機でさえある。
PRCの路線転
換めざした努力
シニストラ・クリティカは、共産主義再建党(PRC)の経験という枠組み内で、新たな社会運動と政治運動によって活用できるようにされたエネルギーに基づき、マルクス主義の思考と実践の必要な再創出を調整すること、に的を絞った一つの政治構想を代表してきた。この意味でその構想は、社会的諸対立、労働者運動の浮沈と生活、反グローバリゼーション運動、平和を求める運動、新たなフェミニズム、そしてLGBT運動の中に、活動展開に向けたひらめきと政治構想を見出してきた。
それは変わることなく、政治的な反資本主義、国際主義、フェミニズム、エコロジー主義、そして組織の再構築を目標とする方向を固く保持しつつ、ということだった。
この構想は、特に第二期プローディ政権と共に明確に進められたPRCの親政権的漂流に反対する同党内部での政治的闘いの中で、一九九〇年代と二〇〇〇年代を通じて発展させられた。われわれは、左翼の行き詰まりからの出口、ファウスト・ベルティノッティ(当時のPRC書記長:訳者)と再建党指導部が提案したものに変わる方向を示そうと挑んだ。党内の合意に関するこの闘いは最終的に望まれたものには結果しなかった。
しかしこの対立の勝者は、たちまちに党の敗北に変わってしまったピュロス王の勝利(犠牲が多く引き合わない勝利:訳者)を得たにすぎず、彼らは、イタリアの政治光景から左翼が消失したことに対する、主要な責任者の一人だ。
左翼総体の危機
が前面の課題に
われわれは、この過去の年月、あるいは何十年間にわれわれが実行したことはただしかったと、今なお確信している。トリアッチの改良主義と社会的妥協に向かう傾向に起源をもってイタリア左翼にはびこる政治文化に、根底において挑んだことは正しかった。スターリニズムが国際的な労働者運動に果たした非道な役割を強く批判し、「敗北の記憶」を立て直すために闘ったこと、まさに第三インターナショナルへの反対者に対する歴史的な戦闘は正しかった。マルクス主義の文化的刷新、マルクスの批判用具の新鮮さや最良の諸理論を回復させることに、それを骨化させる試みのすべてに対決して努力したことは正しかった。政治的領域や労組運動の領域で、実体的解放に向けた唯一の道として、労働者の自己組織や指導的役割を支持しつつ、労働者運動の官僚諸機構に対決して闘ったことは正しかった。新たな左翼にとっての本性的観点として、エコロジーの考えを復活させたことは正しかった。
特にわれわれは、マルクス主義とフェミニズムを結合し、反資本主義左翼というわが概念の中で、すべての変革構想にとっての避けてはならない通路として女性の力を示す変わることのない努力を守る。現にある現実の革命的、社会主義的変革という構想に立つ路線にとどまったことは正しかった。
しかしこのすべても、われわれの構想が行き止まりに行き着くことを妨げるものではなかった。われわれは、イタリア左翼の漂流に代わる強力で信頼に耐える路線を生み出すことはできなかった。そして、巨大な国際的高潮(諸々の危機)とイタリア左翼の生身における底深い改造が起きた――人はまさに、再建党に続く民主党の危機を思い起こすことができる――時、われわれはわれわれの内部で、この危機に回答を与えるために、異なった分析と構想を発展させ始めたのだ。
二つの道に即し
た別個の闘いへ
われわれの最後の評議会はわれわれに、その重なりのない性格が時と共に明確に見えるようになった、そのような二つの構想に関し事実上二分割された一つの組織を与えた。結局のところ政治は、分析のみに、また基礎的な展望の共有のみに限定されることは不可能なのだ。
もしそうでないのならば、分裂や断片化や両立不可能な多様性などといったものはないと思われる。
この点でわれわれは、同時的な禁令を含んだへとへとの努力の中で互いにコンセントを抜き合うといった、古典的な紛争を生み出してしまう可能性があった。われわれにはまた、われわれの違いを隠し、実践上で分かれた二つの潮流を船出させつつ、何も起きていないというふりをする可能性もあった。
しかしわれわれは、われわれの状況を説明し、左翼の危機に対処する異なった道を提供するという仮定に基づいて、状況を明らかにし透明にする方がもっとよいと考えた。
この文書をもってわれわれは、シニストラ・クリティカの経験を閉じること、この組織は今後名前とシンボルとしてもはや存在しないことを宣言する。しかしこの組織が表現した戦闘的集団は、政治的、社会的戦闘から撤退はしない。すなわち、その「灰」からは別の物語がよく構造化されて生まれる。複合的な主導性と諸活動がすでに進行中ですらある。事実においてその闘士たちは、異なった計画を始動させるだろう。一つは、階級への強力な根付きにかつて以上に狙いを絞った政治組織を提案し、他の一つは、一つの階級的展望の中で、「政治的」であることと「社会的」であることの間に区別を付けない混じり合いという道を引き受けることに専心する。彼らはそれを、来る数週、九月に公式に機能させ始めるだろう。
FI潮流下で連
帯的精神で活動
われわれはそのようなことを、より正しく有益であるといった衝突と非難の応酬に道を開く代わりに、われわれの共通の歴史を尊重する点でも、多くの闘士たちの関与を尊重しつつ、分離の時を共にするために考えてきた。われわれは、われわれの経験から浮上している二つの政治構想が、たとえ別個であるとしても補足的であり続けることを期待する。われわれはどちらの構想で成功するかを知ってはいないが、成功がわれわれの目的だ。
この理由のためにもわれわれは、特定の記録された文書で表現された共通の協定をもって残っている乏しい財源を分割し、各自の組織的政治活動を容認しつつ、未来のために自身にある種の連帯的精神を認めることを決定した。
この新たな政治枠組みの中でわれわれは、それが時を超えて進展してきたがゆえに、またそれが今日自身を、フランスの反資本主義新党からラテンアメリカの論争や新しいアジアの諸経験にいたるまでの国際的諸構成要素の中に表現しているがゆえに、非教条的なしかし政治的で文化的な、そして「進行過程にある」参照点として、第四インターナショナル(FI)潮流の政治構想、遺産、論争に対する共通の忠誠を共に再確認している。
▼シニストラ・クリティカは元々は、PRC内部の一傾向(そこでは、イタリアのFI支持者たちが指導的役割を果たした)。この傾向は、プローディ政権への党の参加を拒絶した。それは、その傾向に所属する二人の議員がアフガニスタンでの戦争支持投票を拒絶した後にPRCを離れ、二〇〇七年一月に独立組織となった。その組織は二〇〇九年、自身がFIとの政治的連帯の中にあることを宣言した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年九月号)
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