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    かけはし2013.年9月23日号

長期に続く革命の行方は何も決まっていない


アラブ革命

ジルベール・アシュカルへのインタビュー

革命の推進力は解放された!
それを守る勢力の登場が必要

 以下のインタビューは、フランス反資本主義新党(NPA)オンライン誌掲載に向け、この七月二九日に行われた。シリアに対する帝国主義の軍事介入の動き、エジプトにおける軍による民衆抑圧の明確化など、「アラブの春」の行方には不確定さがさらに加わった。アラブ革命の全体構図をあらためて確認する意味も込め紹介する。(「かけはし」編集部)

今は長期の革命過程の一局面

――アラブにおける革命の進展はメディアを驚かせ続けている。エジプトとチュニジアでのこの間のできごとをどのように分析しているか?

 今起きたことには確実に質的な変化がある。しかしその歩みの中にねじれや諸々の変化があるという事実は、驚くことではない。二〇一〇年末から二〇一一年始めに始まったものは長期の革命的過程だ。われわれはこれを理解する必要がある。チュニジアとエジプトにおけるイスラム原理主義起源潮流の選挙での勝利が進行中の変革を終わらせるだろうとの考えは、完全に間違っていたということが明らかとなった。
 これらの勢力は、彼らが置き換えた体制同様、蜂起を生み出した非常に深刻な社会的、経済的諸問題に対する回答をまったくもっていなかった以上、破綻が運命付けられていた。彼らがもっているものは新自由主義政策の継続であり、それゆえ彼らはこれらの問題を解決できず、問題はただ悪化したにすぎなかった。
 革命の歩みは驚くような形態をとり得る。しかしわれわれは、全体としてのこの地域で、情勢が安定化させられるまで、大動乱から大動乱へと通過し続けるだろう。これが意味することは、肯定的な仮説の場合、この地域の諸政権の社会的性質における底深い変化であり、勤労民衆の利害に基づいた諸政策への移行だ。

エジプト左翼は戦略的に誤った

――今エジプトで進行中の戦闘をどう見ているか?

 われわれは二つのレベルを区別する必要がある。つまり、政治権力に関係している者たちの間の対立や策動、およびその底にある民衆的不満の波という二つだ。後者は解き放たれた。しかし二〇一一年の社会不安同様、軍事介入がその結論となった。
 二〇一一年二月にムバラクは軍によって解任されたが、その軍が今度は、権力の頂点に軍事評議会を起きつつ権力を直接行使した。今回彼らは、大動乱状態で国を統治しようと試みて指にやけどを負うことになる同じ作戦を繰り返さなかった。そのような大動乱は、新自由主義遂行に自身を限定するどのような政権をも急速に消耗させると思われるのだ。しかし権力の頂点に指名された文民たちも、権力を実際に保持しているものは軍であるという事実を隠すことはできない。
 しかしながら、民主的に選出された政権と対立する形で軍が介入したという主張は、民主主義に関する非常に右翼的な考え方だ。それは、選挙で選ばれた公職者は、有権者の期待を公然と裏切るとしても、その任期中彼らが望むことすべてをやる白紙委任状をもっている、と言うことになると思われる。しかし民主主義についての急進的考えには、選出された代表に対するリコール権が含まれている。
 そしてこれこそが、モルシが退陣し新たな選挙が行われるよう求める請願を伴って、エジプトで運動がとった形態だ。それは、若者たちの運動である「タマロッド」(反抗)によって始められた。彼らは僅かの月数の中で、印象的な数の署名を集めた。その合計は、大統領の選出に際してモルシが得た票数よりもはるかに多い数字だった。この観点から見れば、彼の解任は完全に正統だ。
 しかし大きな問題は、大衆闘争の手段――ゼネスト、市民的不服従――によってモルシを打倒する幅広い運動を組織するというよりは、われわれが見ているものが、リベラルと左翼双方の指導者たちが軍と合意し、その結論的論理が民衆運動の潜在能力を摘み取ること、そして強硬路線の「秩序」への回帰を押しつけるクーデターを褒めそやすさまだ、ということにある。しかもそのクーデターの論理はここまでに、軍の諸行動によって確証されている。これは極度に深刻であり、この点で、エジプト左翼の多数派には戦略的な失策がある。軍のイメージは回復され、軍の最高司令官(アルシシ)は称賛を浴びせられることとなった。
 アルシシは新しいアンシャンレジームの実力者だ。彼は単なる国防相にすぎないにも関わらず、人々に軍を支持してデモを行うよう――新政権を完全に無視して――呼びかけた。
 今となってタマロッドの若者たちは、彼ら自身が仕掛け自ら落ち込んでしまったワナを――遅きに失したが――心配し始めることになった。このクーデターは同胞団に、殉教者のふりをし、軍事クーデターの犠牲者のふりをすることで、政治的に自身の元気を回復させる余地を与えた。彼らは彼らの社会的基盤を再び固めた。そしてそれは、同胞団が少数派であることが今やはっきりしているとはいえ重要だ。軍の行動は彼らのイメージに新たに磨きをかけることになった。

大衆運動内でのヘゲモニーが鍵

――チュニジアとエジプトで以前の政権にとって代わったイスラム運動の地位は、見てきたように急速に低下した。しかし左翼の弱さが今や同じほどに大きな問題だが……。

 エジプトで依然周辺的に留まっている革命的左翼を除けば、左翼のほとんどが彼らの勢力を救国戦線にしたがわせた。伝統的な共産主義運動に起源をもつ者のほとんど、ナセル主義潮流出身の者たちが、全体として民衆への最大の影響力をもつ左翼として留まっているが、軍の役割に関し人を惑わす過程に参加してしまった。これは、これらの勢力がモルシ選出にいたる時期には軍に反対して街頭にいたからには、なお一層不幸なことだ!
 ナセル主義派指導者のハダムディーン・サバヒが六月三〇日の二、三日前に、一年前に「軍事政権打倒」を叫んだことは間違いだったと説明した時、彼は歴史から間違った教訓を引き出したのだ。本当の間違いは、後悔し、われわれは軍を歓迎すべき、と語ったことだった。

――アンナハダの権力を終わりにするチュニジア人の計画についてはどう思うか?

 不幸なことだが、チュニジアもエジプトと似たシナリオへと発展する、というリスクがある。つまり左翼は、左翼の課題設定に基づいて闘うという政治的識見をもっていず、前政権の一部とすら連合を築くために準備に入っている。このような結びつきがニダー・トウネスに表れている(注)。このような問題への取り組みは最終的にイスラム諸勢力に利をもたらし、彼らは、前体制の名残と左翼の間での諸協定を厳しく批判する黄金の好機に恵まれている。これは同胞団とアンナハダに、正統性や革命継続の体現者のふりをする余地を与える。

――革命における労働者階級の政治的代表性という問題もあるのでは?

 そうだ。問題は、原理主義者から旧体制の人間まで、またリベラルにまで広がる新自由主義の支持者をそれに反対して結び付けると思われる、そのような大衆運動におけるヘゲモニーを勝ち取ろうと挑む――主に社会課題で闘う――代わりに、チュニジアの左翼が旧体制の諸部分との短期的視野の連合に入ったことだ。
 チュニジアのような国では労組連合のUGTT(チュニジア労組総同盟)は、社会的ヘゲモニーをもつ勢力であり、容易に政治的に有力な勢力になることができる。しかし労組の闘争と政治闘争の間には一つの壁が立っている。チュニジアの左翼は今UGTTを率いている。しかしこの左翼は、この労組連合を労働者政府形成という戦略に基づいて政治的戦闘に船出させるよりもむしろ、一方では人民戦線内に組織されたさまざまな政治グループ間の、他方では前政権の遺物やリベラルとの、さまざまな連合に向かいつつある――自身の利害に反して――ように見える。

第三の独立した道を見出す挑戦

――これらの諸困難にもかかわらず蜂起は多くの国で今も続き、われわれは、リビアやバーレーンでの「タマロッド」運動を今見ているが……。

 二〇一一年の蜂起にもっとも深く影響を受けた六ヵ国の中では、大衆運動が続いている。リビアでは、それが常時的騒動になっている。メディアはそれを報じないが、しかしそこには、特に原理主義者に反対する変わることのない民衆的決起がある。選出された諸機構は民衆的基盤からのさまざまな圧力にさらされている。
 イエメンでは運動が、反対派勢力の一部門が行った妥協によって弱められたとはいえ、今も進行している。急進的な諸勢力、特に若者や左翼のそれは、この変革の見せかけと対決して闘いを続けている。バーレーンでの首長に対決する民衆運動も継続中だ。
 そしてシリアでは内戦が全面化している。それは今日、ロシア、イラン、レバノンのヒズボラに支えられた政権からの猛烈な反攻によって高度に悲劇的な状況にある。シリアは、諸大国の冷笑性のはなはだしい例だ。それらの国は、彼らがまったく信頼していない民衆に対する虐殺を今も容認している。

――歩みの始まりから二年半経ったが、それは今も継続中なのか?

 革命の推進力は二〇一一年に解放された。それは、上がり下がり、反動の時期、反革命の時期、革命的上げ潮の時期を含むことになる長期の過程だ。しかしこの過程に肯定的な結果がもたらされるためには、提起されている社会的かつ経済的諸問題に対する進歩的な回答を防衛する諸勢力が現れなければならない。
 もしそうならなければ、他のあり得るシナリオ、退行、反動、今日では反対陣営にいるように見える者たちの間の、つまり軍と原理主義者間の反民衆の抑圧的諸連合となる。しかし一方か他方かに決定されたものは一つもない。あるものはいわば空白の、全面的な混乱した情勢だ。
 反乱に立ち上がっている女と男の社会的要求を満たすためには、左翼は急いで、旧体制と原理主義者に対決する第三の、独立した道を見出す必要がある。

注)「チュニジアの使命」――ハビブ・ブルギバの下での元国防外交相、仲裁事件に専門化した法律家、ベジ・カイド・エッセビによって始められたイニシアチブ――は、二〇一二年七月に公認され権威ある政党になった。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年八月号)


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