2014年度予算概算要求批判
軍備の飛躍的強化・TPP推進と連携 |
アベノミクスの本性露呈
財務省は九月四日、二〇一四年度一般会計予算にむけた各省庁の概算要求の総額が前年度を約七〇〇〇億円増額の九九兆二五〇〇円になったことを明らかにした。
概算要求が肥大化したのは安倍政権の国土強靭化路線で毎年二〇兆円、一〇年間で総額二〇〇兆円ものバラマキを強行していくことを背景にしているからだ。一四年四月からの消費税大増税、社会保障支出抑制など生活破壊を押し進めながら、与党族議員・財界・官僚の利益共同体の復活をバネにした大資本・ゼネコンのための放漫財政を許してはならない。
すでに国の借金は一〇〇〇兆円を超えており、一四年度に借金返済に充てる国債費が一三・七%増の二五兆二七九二億円というう巨額な状況になっている。だが安倍政権は「中期財政計画」(八月八日)で国と地方の基礎的財政収支の赤字幅を二〇一〇年度の水準から対国内総生産(GDP)比で一五年度までに半減させ、二〇年度までに黒字化するために今後二年間で国の赤字を八兆円分削減するなどと言い放っているが、ほとんど実現不可能であることを概算要求は証明している。
その実態はこうだ。概算要求ではアリバイ的に「裁量的経費」を本年度当初予算から一〇%削って要求するといいながら、アベノミクス効果を作り出すための「成長戦略」と称して大資本が大喜びの「新しい日本のための優先課題推進枠」を設けて三兆五〇〇〇億円も配分してしまった。必然的に各省庁は、一斉にこの枠に群がり、上限まで要求した。財務省主計局は「各省庁にのびのびと要求してもらえるだけの幅を設定した」(東京新聞八月三一日)などと述べ、大盤振る舞いの予算を組んでいくと宣言し、自慢するほどだ。主計局は、例年であれば概算要求額の削減にむけて立ち振舞っているのだが、今回は念願である消費税増税を強行するための最終判断へと誘導していくために、安倍政権と事前共謀したうえでこのような仕掛けを組み込んだのである。
この間、消費増税のための「集中点検会合」(八月二六日〜三一日)のパフォーマンスを繰り広げたが、結局のところ甘利明経済再生担当相が「消費増税による景気下押し対策は足らずに失敗することはあってもやりすぎて失敗することはない。十二分にやれというのが国民の声だった」などと強引に集約し、国土強靭化路線を補強するものでしなかったことを認めてしまった。そもそも民主・自民・公明による消費増税を盛り込んだ社会保障と税の一体改革関連法(一二年八月)で「財政による機動的対応が可能となる中、成長戦略、事前防災、減災などに資金を重点配分する」と付則で合意しており、放漫財政に向けた踏み出しのうえで積み上げてきた到達段階なのである。
とんでもない仕掛けはこれだけではない。消費増税による約八兆円の税収増を前提にした施策については、「事項要求」として列挙するだけで認めてしまうほどだ。つまり、官僚たちは、予算要求の根拠と詳細な額を明記しなくていいのだから予算獲得のためにデタラメな要求項目をあげるだけでいいのだ。こんなやりたい放題であれば雪だるま式に概算要求が膨らんでいくのは当然だ。予算要求額が確定していく今後の予算編成過程ではもっと膨らむことが確実であるにもかからず強行突破したのである。 リストラ推進・非正規拡大
以下のように各省庁の概算要求は、軒並みに倍増しており、その一端をチェックするだけで、「一致団結」してまじめに財政再建をする姿勢ではないことが明らかだ。
厚生労働省の概算要求額が一三年度予算比三・八%増の三〇兆五六二〇億円と過去最大になった。安倍政権は、年金や医療費が毎年約一兆千三百億円へと増額することに対して民衆の生存権保障のために充実した予算配分で対応することが求められているにもかかわらず、社会保障制度改革国民会議に高齢者の負担増を柱とした報告書を提出させたように歳出抑制策を強化していくことをねらっている。
新自由主義的規制緩和の貫徹は、例えば、「待機児童解消加速化プラン」で四九三七億円を盛り込んで保育所などの定員を約七万人分増やすと掲げたが、その実態は保育認可基準・認可要件を下げることを前提にしており、公的保育制度の解体でしかない。
財界が求める労働規制緩和路線を財政的にも支えようと従業員を転職させた企業に出す「労働移動支援助成金」を今年度当初の二億円から三〇一億円も増額した。逆に雇用維持するために機能してきた「雇用調整助成金」を昨年の一一〇〇億円から五四五億円へと減額してしまった。
国土交通省の概算要求は一三年度当初予算に比べ一六%増の約五・九兆円だ。各要求項目では軒並み倍増し、推進枠を大いに使いきっている。しかも防災対策、老朽化対策などと強調するが、例えば、八ツ場ダムの本体工事費を盛り込んだように治水関連で六七六三億円も計上している。道路整備が一兆二〇二六億円で一七%増(特別枠が二七二二億円)、大規模港湾整備に五三六億円と膨らんだ。
このように巧妙に環境破壊と乱開発型の公共事業も混ぜ合わせているのだ。
整備新幹線の整備費は二〇〇五年度以降、当初予算額を七〇六億円で固定してきたが、今回は整備新幹線五区間の整備費が八二二億円となり一六・五%も増えた。北陸新幹線の融雪設備工事をめぐる談合事件(九月四日)のように政官財が一体となった暴利の貪りは氷山の一角でしかない。すでに自民党、公明党の新幹線族、地域ボスから工期の前倒しや予算増額の圧力が繰り返されていた「成果」として今回の整備費増があり、利権構造を温存していくことの現われだ。これではリストラ促進、非正規拡大予算そのものだ。
同様に安全軽視・危険な過密運航のために空港整備勘定収支を三二六五億円と策定し、推進枠で那覇空港の拡張に一七〇億円、羽田空港の機能強化に一二八億円、成田空港の機能強化に一六億円も要求している。空港公害を拡散し、空港反対派を追い出していくやり方はなんら変わっていないのだ。
原発活用への方向づけ
防衛省の概算要求は、前年度比約一四〇〇億円(二・九%)増の四兆八九〇〇億円(推進枠が一六〇〇億円)となった。米軍との共同実戦化とグローバル派兵を射程にした自衛隊の構築にむけて新たな防衛計画の大綱改定を先取りした概算要求だ。
主な増額は、航空自衛隊那覇基地に早期警戒機E2Cを運用する「飛行警戒監視隊」の新設に一三億円、沿岸警備隊(与那国島)の配置費に一五五億円、多目的救難艦一隻の建造費が五〇八億円、米軍が運用している垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの一五年度導入に向けた調査費一億円、米海兵隊が使っている水陸両用車二両分を一三億円で購入し、離島奪還軍事作戦を遂行していくことをねらっている。
さらに米軍需産業を潤すための無人偵察機グローバルホーク導入(一五年度)の調査費二億円、航空自衛隊のステルス戦闘機F35を四機(六九三億円)も購入しようとしている。米軍再編経費は前年度同額八八九億円で辺野古新基地建設をにらみながら溜め込むつもりだ。
対中国シフトを強め、領土ナショナリズムの強化と連動した米軍戦略を補完する海兵隊部隊創設など戦争のための軍備増強を許してはならない。
農林水産省は、一三・六%増の二兆六〇九三億円を概算要求した。環太平洋連携協定(TPP)参加対策費と中小農業を解体し大規模営農化にむけた「成長戦略」の一環として「農地中間管理機構」に一〇三九億円、農業農村整備に三一九七億円、、農業用水や治山事業などに一二〇一億円を増額した。食料主権を軽視した農業破壊予算を許すな!
経済産業省の概算要求は、一三年度当初比三七・六%増の一兆二三一五億円と膨らんだ。原発再稼働を促進し、年末までに策定する「エネルギー基本計画」に「原発活用」を明記させるための予算を盛り込んだ。原発内の計器類の開発に五七%増の八五億円、一七の原発立地の経済活性化と称する買収費一三億円も計上しバラまくというのだ。
さらに事故とずさんな点検漏れが多発している日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」の技術開発に一三年度当初予算比五六%増となる五〇億円も居直り的に計上した。
文部省も「もんじゅ」維持管理・安全対策経費で今年度比二一億円増の一九五億円を配分している。原子力関係は合計で、本年度当初比四〇一億円増の一九二六億円も求めている。
とりわけ福島第一原発の汚染水対策は予算額を示さない「事項要求」にしたが、オリンピック誘致対策を優先して急遽、事業費四七〇億円を政府予備費で支出することにした。ほとんど効果がない「凍土遮水壁」工事で乗り切ろうという意図だが、いずれにしても対策費用は予算編成過程で膨らんでいくことは必至だ。 むさぼられる
「復興対策」費
このような放漫財政の姿勢は、今後、ますます強まっていく危険性があり、厳しく監視し批判していかなければならない。同時に、東日本大震災復興関連の予算も警戒が必要だ。一一年度から五年間で国と地方合わせて総額二五兆円の予算枠を設定し、上限を設けていない。一四年度に向けては、特別会計で三兆六三七七億円を計上した。各省庁の概算要求姿勢で明らかなように復興予算に対しても貪りつくすことをねらっている。すでに「事項要求」の手法で復興・被災地関連事業とは、まったく関係ない予算を強奪し、流用してきた。なりふり構わぬ露骨なやり方だっため社会的に指弾されたためシブシブと被災地関連事業に限定と統制せざるをえなかった。法的規制をせず、単なる通達で回避しようとする腐敗・堕落そのものだ。やはり再犯が発生した。経産省は、「エネルギー管理システム導入促進事業」と「定置用リチウムイオン蓄電池導入促進対策事業」で流用していたことが発覚している(朝日新聞/九月八日)。復興予算の流用を許してはならない。
大資本・ゼネコンのためにに手厚い予算を配分し、民衆に対しては生活破壊の予算編成に反対していこう。 (遠山裕樹)
コラム
泣きと笑いと社会的抑圧
「男が人前で泣くのは恥」とされたのは、いつのころからだろう。小説の類を読むかぎり、江戸時代も明治時代も大正時代も、男は結構よく泣いている。アジア太平洋戦争に突入するころ、あるいはその少し前あたりから、男は泣かないという家父長制と連動した価値観が強制され、定着していったのではなかろうか。
ご多分にもれず、ぼくも子供のころから「男は人前で泣くものではない」と、お袋から強く教え込まれていた。腕白だったぼくは、よく喧嘩をした。よせばいいのに、年上の子が年下の子をいじめているのに介入して殴り合いになるのだ。小学校入学前の年齢では、二年、三年の体力差は大きい。必ずぼくがボコボコにされる。悔しくてたまらないが、ぼくは、お袋の教えを守って外では泣かなかった。そのかわり、走って帰って家に入るなり、ことの不当性を叫びながら一時間でも二時間でも疲れて眠ってしまうまで思う存分泣いた。
たった一回、三歳ほど年上の相手をやっつけたことがある。どこまでも追いかけ、手にした棒を相手の足めがけて投げた。棒は見事に相手の両足の間にからまり、もんどりうって転んだ。年上の子のワーという泣き声は、ぼくにとっては勝利のファンファーレだった。
大人になっても、「男は人前で泣くものではない」がしっかりと刻み込まれていたようで、最愛のお袋が死んだときでさえ、人前で泣いたことはない。ただ、小説を読んでいたりドラマや映画を観ていて、いつの間にか涙がこぼれていることはある。美しい夜景に見惚れて、嗚咽とともにどうしようもなく涙をこぼしたこともある。そんな涙にも、「涙の理由」とは無関係に、「泣く男」=「駄目なヤツ」という、どこかに埋め込まれたステレオタイプな社会的サインを発していたかもしれない。
「笑う」という行為にも、実状とは異なるサインが埋め込まれている。南京大虐殺の中で、日本刀を振るって中国人に襲いかかる日本兵の写真が残されているが、そこに薄ら笑いをうかべている兵士の姿が写っている。それを、人間はわけのわからない恐怖感にかられると、顔の筋肉が笑っているのと同じような表情をつくりだす、と説明している文章をどこかで読んだことがある。同様のことを、「あんた、こんな時によく笑っていられるね」と言われた人から実際に聞いた。彼女は何十年も前のことを思い起こしながら、「突然の事故で夫を亡くし、目の前が真っ暗で、どうしていいかわからなかったのに、笑うはずなんてないのに、まわりから笑っていると言われた」と行き場のない怒りを訴えていた。
感情のコントロールができないのも、喜怒哀楽の身体的表現ができないのも、ともに危険だ。泣きも笑いも、身体的表現によって感情を開放する一種の精神安定剤の作用をはたす。感情をコントロールするうえで、身体を使ったごく自然な反応ともいえる。男が人前で泣くのは決して恥ずかしいことではないはずだし、笑っているような表情の奥に深い恐怖や絶望が隠されていることさえある。
ステレオタイプ化された社会的サインに頼るだけでは、コミュニュケーションのミスマッチが起こりうる。感情を解釈する社会的サインも歴史的限界のもとにあり、社会的抑圧と無関係ではありえないからだ。 (岩)
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