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    かけはし2013.年7月29日号

民衆の要求を実現する政治勢力を


エジプト

「軍に用心を!」

人民は誰に対しても革命を
差し押さえさせるつもりはない

ジュリアン・サリンゲ

 七月三日以来、メディアと社会的ネットワークによって、「エジプト軍がモハンマド・モルシを打倒」との定式が取り上げられてきた。この主張は、少なくともこの夜のできごとにのみ、またその厳密な制度的な側面にのみ関心を集中すれば、一見したところでは疑う余地のないものに見える。先頃のできごとは軍事クーデターに帰結していると確認している者たちに対して、他の者たちは、われわれはエジプト革命の新しい段階にいる、と反論している。事実として現実は、この二つの立場の中間にある。

クーデターか革命か


 エジプト大統領の打倒が、三〇ヵ月の間エジプトを揺るがしてきた反乱運動から生まれた自立的な組織によってではなく、軍によって公式に組織された(そして公表された)としても、六月三〇日の歴史的なデモとそれに続く日々がなければ、それは決して起きなかったと思われる。それは、モハンマド・モルシに退陣を強要したものが、何百万人という姿で決起したエジプト人だからであり、彼の打倒をエジプト軍が突然決めたからではないからだ。ものごとの制度的な側面に焦点を絞ることが、多くの観察者たちを導き、モルシの退陣における民衆的決起の駆動源としての役割を無視させた。
 クーデターに関するあふれかえるようなメディアの掲載は、二〇一一年二月のホスニ・ムバラク退陣以来間断なくエジプトを揺るがしてきた諸決起に対するメディアの無視と対照的だ。数字がそれ自身を物語っている。すなわち、二〇一三年の五ヵ月の間にエジプトでは、その大多数が社会的、経済的問題に関して、デモが五五四四件あった。「タマロッド(反抗)」運動(モルシ辞任を求める署名運動:訳者)の成功もまた、ムスリム同胞団の政策に対する反対の勢いを映し出すように、これらの問題を(そして何らかの「エジプト社会のイスラム化」に対する非難ではなく)中心としていた。
 ムスリム同胞団は、エジプト民衆の諸要求に対応することができないことを示すことになったが、この無能性は二〇一一年には、ムバラクの独裁に大挙して反対するよう民衆を導いた。自身を革命の候補者として押し出し、二〇一二年六月に民主的に選出されたモハンマド・モルシは、これらの要求、特に経済的、社会的分野の要求を満たすことに失敗した。その分野では逆に、住民の生活諸条件の悪化があった。旧体制の残滓が同胞団の統治をやめさせるためにたとえあらゆることをやったにしても、留意されなければならないことは、同胞団が彼ら自身の政治的かつ経済的選択を理由として、その民衆的正統性をものすごい速度で失った、ということだ。
 二〇一一年一月に取り除かれた鉛のおもりは、戻ってはいない。ムバラクの打倒は、何百万人というエジプト人に以下のことを確信させた。すなわち、彼らは、指導者の政策に苦しめられるよう運命付けられているわけではなく、逆に彼らに説明責任を義務づけ、必要ならば彼らを打倒するために立ち上がることができる、ということだ。これこそが近頃のできごとに、また多くの観察者たちの非常な驚きに導いているものなのだ。その観察者たちは、同胞団の政策に対する「宗教的」読み込みとそれに対する敵対心に邪魔されて、エジプト人の大多数から正統性がないと見なされた権力を再び打倒するにいたった深い波の息吹と性格を過小評価したのだ。そして、選出された大統領といえども、彼に委託された課題を裏切れば、彼自身の支持者を含んで正統性がないと見なされる可能性がある、ということに驚くべきものは何もない。

軍の介入 これをどう見るか


 明らかに、軍の介入ははっきり認められなければならない。そして、軍指導部のさまざまな部分の中にある権威主義的誘惑も過小評価されてはならない。それらの者たちは、二〇一一年の蜂起の規模によってムバラクの運が尽きた時になってはじめて、ムバラクの独裁に反旗を翻したにすぎない。何人かの評論家からは同胞団に対する軍の「復讐」として僅かの敵意を示されているこの介入は何よりも、軍と同胞団という二つの勢力間にあった暗黙の了解(対立があったとしても)が壊れたこととして理解されなければならない。この二勢力は、ムバラク倒壊以後の継続的な革命的高揚によって冒された国に、秩序をもたらすために位置に着いた。
 しかしまったくのところ、モルシ大統領と彼の政府は、ここ何ヶ月かの抗議を抑えることができないままだった。そしてそれは、政治情勢の混乱、また何よりも経済的不安定さを深めた。この不安定性は、エジプトの富の三分の一以上を支配する軍にはほとんど安心感を与えるものではない。同胞団は国を安定化させる上での無能力を明らかにしたと、また軍の政治的経済的影響力の重要な部分を失わせる可能性をもっていた革命の歩みに終止符を打ち、それを鎮めるためには、自分自身を頼りとするしかないと、軍は確信している。
 これらのことがまさしく、軍の介入を革命の新たな段階と考える過剰に高揚した読み方の弱点だ。その反対に軍指導部の目標は、文字通り革命の歩みに終止符を打つことなのだ。この逆説は小さくない。ここしばらくのできごとは、民衆的で革命的な駆動力、並びに革命派にとっては極めて条件の悪い政治的勢力関係という双方の存在を表現するものだった。革命派は現在まで、軍が今演じている役割を果たすための十分に統一し強力で正統性をもつ諸構造をもつことに成功してこなかった。そして主導性を、基本的には、革命の諸要求の充足ではなく、正常性の回帰に関心をもっている社会的勢力に残している。
 こうして不安定性の新しい時期が幕を開けている。そしてそれはすでに、軍の「ロードマップ」への反対を誰であれ思いとどまらせようという軍の意志によって、アルジャジーラ事務所の閉鎖や同胞団指導者の逮捕のような恣意的な諸決定を伴って、刻み付けられている。軍は当面、同胞団の失策と反対派の組織的弱さを特徴とする、政治的麻痺という情勢を利用してきた。しかし革命は敗北していず、あるいは差し押さえも受けていない。多くの人は、軍による権力接収の声明とカイロ市街頭への戦車の展開を伴った民衆的歓喜の光景を、エジプト人が革命を埋葬しているものと見た。分析にはらまれた二重の過ちはこの構え方にある。

革命は続くか? YES


 これらの誤りの第一は、モルシ倒壊におけるエジプト民衆の中心的な役割に対する過小評価だ。その役割は、同胞団の政策に対する大衆的拒否に結びつき、そして同胞団の敗北は、何百万人というエジプト人からは彼らの勝利と見なされている。人々が街頭で祝ったものは、約束に反して革命の要求を一つも満たさなかった大統領の敗北であり、軍による権力掌握ではなかった。軍はこのことを常に意識してきた。その限りで彼らは、政治的役割を長く果たすつもりはまったくないと直後に公表し、モルシ打倒を公表した記者会見では、この国の諸政党や宗教諸組織の代表で彼らが取り囲まれているように気を配った。
 第二の誤りは、第一と関係し、エジプト人を子どものように見る見方に帰結している。そしてこれがさまざまな評論家に、次のように公言させている。つまりエジプト人は、民主主義を学習する過程にあるというのだ。しかしそれに反し彼らはまさに、その基本を西側の教訓を垂れる者たちのほとんど以上によく理解していることを示してきたのだ。委任された問題を裏切り、間接的に彼を権力に押し上げた革命の諸要求に反する政策にしたがっている大統領に対し、彼を選出した民衆によるデモと請願を手段とした平和的な挑戦以上に確実に民主的であり得るものとは何だろうか?
 現在明らかな混乱が広がっている。デモ隊と軍、さらには警察も含んだ諸部分間の親交といった光景が驚きと懸念を引き起こしていることを理解はできる。しかしエジプト人は愚か者ではない! 独裁時代の軍の役割、またムバラク倒壊前後に軍が関わった強権的姿勢を今日強調しているすべての者は、まさに正当にそうしている。しかし、その第一の犠牲者であったエジプト人はそのすべてに気がついているということ、そしておそらくは自称専門家よりもそれへのよい対処法を知っているということを思い起こすことは有益なことだろうか? 明らかにイエスだ。
 それは、軍の介入にはらまれた否定的な側面を過小評価すること、また大統領退陣後に対し無邪気な楽観主義を示すこととは無関係だ。しかし、一年前、モルシの勝利後にある人たちは、革命は死んだ、エジプト人はムスリム同胞団に革命を「盗まれた」、とすでに語っていたことを思い起こそう。しかしエジプト人は、それは事実ではない、彼らは気を緩めてなどいない、反革命の諸要素を前にガードを下げてはいないということを、全世界にまさに示したのだ。エジプトの人々は三〇ヵ月の間、文民、軍人の誰に対しても、革命を差し押さえさせるつもりなどないことを現実の中で示してきた。そしてこの民衆的勢いが断たれたことを示す指標はまったくない。事実において指標はまったく逆だ。

▼筆者は、パリ八大学で政治学の教鞭をとっている。フランスNPA並びに第四インターナショナルのメンバーであり、二〇〇一年以来パレスチナの占領域を定期的に訪れてきた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年七月号)

 


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