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「Tシャツ展」を開催します
政治は傲慢で芸術は卑屈
怖いがよく見るとかわいい |
60年前にみた
作品が出発点
この歳まで創作活動をしてきて「あなたの絵の流派は?」「日展に作品を出していますか」など聞かれることがありますが、その都度私は言葉を探して考えこんでしまいます。これまで三〇と数回引っ越しばかりしていて、流浪の波間に漂ってきた私にはグループ・集団などはあまりご縁がないのです。ただ近代絵画の流れを大まかに捉え、自分の立ち位置を確認する努力はしてきたと思います。
二〇一〇年の春、東京都庭園美術館で「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義者のまなざし」展があって行ってきました。私とロシア構成主義者との出会いは今から約六〇年前、一点の作品に触れたことが契機でした。
それは高校二年の歴史の教科書に紹介されていた、黒い画面に白い円とストロー状の棒が描かれた作品でした。エッチングかなにかによるものだったかもしれません。その無機質な構成に言い知れぬ感動を覚え、そのことが私の人生を決定したと言っても過言ではありません。日本史の教科書に何故その作品が紹介されていたのか調べてみたいと思いながらそのままになっています。
三里塚の絵を背負
って全国行脚
私が画家としての道を志したのは二〇歳を少し過ぎた頃でした。その頃制作した作品はおびただしい数でしたが、放浪生活の中で散逸してしまい手元には何もありません。ただ東京の銀座でこの頃何回か個展を開いており、そのときに撮った作品の写真が十数枚あります。そこにはロシア構成主義者の影響が色濃く見られ我ながら驚くばかりです。
自分の来し方を語るのは気恥ずかしいものですが私は四〇歳の頃「全国三里塚救援連絡会」で活動していた時期がありました。「かけはし」の読者(当時は世界革命)で古くからの方は御存知と思いますが「管制塔被告の釈放を訴え絵を背負って全国行脚」というもので、縦幅一・八m/横幅五・四mの油絵を折りたたみ式にして背負い街の角でつじ説法をしながら歩くというものです。油絵の重量は五十キロもあって存在感は半端なものではなかったとおもいます。
この私の活動を「表現者はかくあるべし」という主張と受け止め批判の眼差しを向けてきた人たちはいました。私は頬に突き刺さる視線を感じながら黙していました。実はそうした批判にこそ三里塚闘争の豊かさがあったのです。
トロツキーは「革命の想像力」の中で次のように述べています。「文学の発展は切れ目のない鎖であり、今世紀初頭の労働者の真剣ではあるが、稚拙な詩が、来たるべき《プロレタリア文学》の最初の鎖の環であると考えるのは間違いだ。実際は、これらの革命的詩は政治的事件であり文学的事件ではない。それらは文学の発展というよりは革命の発展に貢献したのである。革命はプロレタリアを勝利に導き、プロレタリアの勝利は経済の変質へと導きつつある。経済の変質は労働大衆の文化の内容を変えつつある。そして労働者の文化的発展は新しい芸術への基礎を作るだろう」。
二〇〇九年に反天皇制運動連絡会が編集した『運動・経験』誌の中の「プロレタリア文学とこの時代―貧困と〈在位二〇年〉」を読んで、そこに登場する論者の皆さんはこのトロツキーの言葉をどのように受け止めておられるのか私はずっと考えていました。こうした問題は観念的になると出口がみえなくなります。 ロシア構成主義
とトロツキー
さて私は近年コンピューターグラフィックにはまりこんでいます。もっぱら円の構成に明け暮れていますからロシア構成主義者の呪縛から解き放たれていないのかもしれません。この円の構成の作業は二〇歳の頃からですが、ここ一五年程前から「曼荼羅模様みたい」「万華鏡みたい」などと人に言われています。
実はこの色模様をTシャツに刷り込んだものの作品展の準備を現在しているところです。物はすでに業者に発注して案内状などの制作に追われています。この仕事が一段落したら女性のロングスカートの絵柄・ファッションの世界に係わってみたいと考え企業を立ち上げることも視野に入ってきています。
トロツキーが粛清された後のいわゆる社会主義リアリズム全盛の中で生きてきた活動家にこの話をすると不快感を示してきます。「資本主義を利するもの」「退廃的」などの想いが胸中を錯綜しているのだと思います。
大阪のほうで今問題になっている刺青にしてもファッションと捉え、表現の自由の問題と考えるべきです。高倉健さんの唐獅子牡丹のTシャツを創って大阪市役所の職員のユニフォームにと橋下徹さんに売り込みに行きたい気持ちです。
トロツキーは言っています。「われわれが労働者のことを語る芸術のみを新しい革命的な芸術であると考えているということは真実ではない。また、われわれが詩人に工場の煙突や資本家に対する蜂起をのみ語るように要求していると言うこともナンセンスである。もちろん、新しい芸術はプロレタリアートの闘いを中心的なテーマに置くことを避けることはできない。しかし、新しい芸術の鋤は、番号のついた土地を耕すことに限られてはいない。それどころか、すべての方向に畑全体を耕すことが必要だ」と。
トロツキーは当時政権の中枢にありながらこれを執筆しているのです。彼は芸術と政治との関係に強い警戒感を抱いているのがよくわかります。政治はいつの時代も「野蛮」で傲慢であり、芸術はいつの時代も卑屈でありこれからも卑屈でありつづけるであろうと考えると、九〇年も前にこれが書かれた意味は限りなく大きいと思います。
「すべての方向に畑全体を耕すことが必要だ」とありますが、パソコンに向かってTシャツの図柄を創っている私はどのあたりを耕しているのでしょうか。
「ブルジョワ文化はそれが公然と、力強く現れた時期、つまりルネッサンスの時期から数えただけでも、五世紀も経過している。しかしそれが完全に開花したのは一九世紀、もっと正確に言うと一九世紀の後期になってからに過ぎない。支配階級を中心とした新しい文化が形成されるにはかなりの時間が必要であり、支配階級が政治的に衰える直前になってやっと完全に花を開くことは歴史が証明している」。 八月一カ月間、都
内のギャラリーで
唐突な話になりますが、今回私は東京国立博物館の了解のもと葛飾北斎の「百物語」から「お化け」シリーズのTシャツを創っています。かなり怖い。心臓の弱い方、暗闇恐怖症の方は要注意。でもよく見るととても可愛いお化けたちです。
トロツキーの言う「支配階級が政治的に衰える直前になってやっと完全に花を開」いた解放感をこの愛すべきお化けたちは唄いあげているようにおもいます。徳川封建体制が崩壊して武士階級が無力化する予兆をはらんだ時代の人々の、解放感がみられます。
「われわれは社会主義への移行についてのあまりにも楽観的な考えを斥けるとしても、世界的な規模での社会主義革命の期間は短期間ではなく、何十年とかかるが、何百年、ましてや何千年とかかるものではないことを強調したい。プロレタリアはこの何十年という期間内で、新しい文化を創造することができるであろうか?それは少し無理だろう。何故なら社会主義革命のすべての年月は新しい建設よりも破壊が重要な位置を占める熾烈な階級闘争の年月だからである」「プロレタリアはこの革命の間に高度の緊張を強いられ、革命的な性格を完全に表すことになるが計画的な文化再建設の可能性はこのような極めて制限された状況の制約をうけている」。
今の世の中「独裁」という言葉は悪人に投げかけるものとなっていますがプロレタリア革命即ちプロレタリア独裁で、この独裁も必要としなくなる時「歴史上比類のない」プロレタリア芸術が開花するーこれがトロツキーの芸術論であると私は理解しています。
一四年も前のことですが「トロツキーの芸術論」なる拙文をかけはしに掲載していただいて、その不十分さがずっと気になっていました。本稿を読み返しても、ますます不十分さが増してきます。それは第一次世界大戦を契機とした「ダダとシュルレアリズム」の運動とその思想的背景となっていたトロツキーとアンドレ・ブルトンの関係などが語られていないからであると思います。
ダダの運動の中でデュシャン・マルセルは小便器を背面を下にして「泉」と題して「独立芸術家協会」の展覧会に出品していますが、こんなのをTシャツにしたらさぞ愉快だろうと思います。
葛飾北斎の幽霊のTシャツは今回ギャラリーに展示はしませんが係の者に言って下さればお見せすること、お売りすることはできます。
この「Tシャツ展」はこの八月一カ月間、東京・三鷹の杏林病院の隣の「食茶房・むうぷ」内のミニギャラリーで予定しています。月〜金曜日の一一・三〇〜一五・三〇です。三鷹駅バス7番から仙川行吉祥寺駅バス六・七番で乗車。
たじまよしお
投書 自衛隊とタイアップする日本アニメ
千川広志
日本はアニメ大国だ。いいことだと思うが、気になる動きがあるので主張したい。
最近、大人気を博した日本のアニメがあった。子供向けのアニメではなく、東京の秋葉原界隈にいる大人の人々を主な対象にしたものだ。
内容は、美少女たちが戦車に乗り込み相手の戦車と戦うというものだが、「戦う」と言っても殺しあうわけではなく、負傷もしない。相手の砲撃を受けたら白旗を上げて降参し、武道の試合のように勝敗を競い、優勝を目指すというものだ。
戦車戦などの描写が迫力があり、優勝を目指して戦う美少女たちの姿が可愛らしいということで人気になったこのアニメであるが、実は陸上自衛隊とタイアップしている。
茨城県の某所で行われたこのアニメに関連するフェスティバルでは迷彩服姿の陸上自衛官によるファンからの質疑応答や戦車の実物展示が行われている。
私は、昨今の自衛隊は広報に力を入れていることを最近知った。アニメが国家権力に取り込まれているとしたら由々しき事態だ。
そもそも、戦車とは人殺しの道具であり、映画「プライベート・ライアン」や一九八九年の天安門事件の映像などを見れば判るが、実際に兵器として使われている姿はおぞましく、そして、戦車はその歴史の中で数えきれない人を殺し、数えきれない人類にとって必要なものを破壊してきた。
何故そのようなものを軽く描いてしまうのか。私はこのアニメを制作した人々の感覚を問いたいのと同時に、東日本大震災を機にアニメなどを利用して日本人民への浸透を図ろうとする自衛隊を強く批判したい。
コラム
四国宿毛行
五月の連休を利用して高知県の宿毛に行ってきた。新宿から一四時間の夜行バスである。しかも、座席は四列、足を伸ばすこともできない。ネットで購入した格安切符なので贅沢はいえないが、乗ってみて、その乗車時間といい、その距離といい改めて日本の広さを実感したしだいである。
急に思い立った出奔ともいえる旅立ちだったので、片道切符があるのみ。宿おろか旅程も決めていなかった。ただ、何となく今まで行く機会がなかった四国の最果てに立ちたい衝動にかられた宿毛行きだった。
夜行バスは、混雑を避け中央道、名神を経由して鳴門海峡から四国に入ったらしい。「らしい」とは、眠り込んでいたため大鳴門橋を渡った記憶もなく、目が覚めたときは、すでに高知市をあとにしたころだった。それまで、四国は海国だと思っていたが、いやいやどうして平野部は海岸線近くだけ、あとは四国山地を頂点とするまったくの山国。車窓からは海の青さと、山の緑が交互に飛び込み長旅の疲れを癒してくれた。
終点の宿毛まで乗車していたのは一〇人程度。隣りに座っていた青年は、ここから連絡船で離島に渡るという。また、ここ宿毛港から九州の佐伯までフェリーが就航していることも初めて知った。そして、バスの終点は土佐くろしお鉄道の終着駅でもあり、観光案内所や物産館が店を開いていた。
ベンチに腰を下ろし、まずは泊まる場所を確保しなくてはとスマホを取り出し、宿探しを始めたのはいいが、どこも満員。とりつく島もない。おいおい、シュラフなんか持ってきてないよといささか慌てだしたボク。宿毛も中村も、高知にもひとつの空室もないというのだ。
これでダメもとと、駅の観光案内所を訪ねてみると事務の女性が、手際よく片っ端から宿毛のホテル、旅館にあたってくれた。断られ続けられる中、「どんな所でもかまいませんか」という問いかけ。そうしてやっと一軒、ビジネスホテルが見つかった。一泊四五〇〇円也。もちろんすぐに予約を入れてもらい、今度は足摺岬への道程を尋ねた。すると今から発車する電車で中村まで行けば、すぐに岬へ向かうバスに接続すると教えられた。ネットよりも電光石火の早業だった。感謝、感謝。
中村から足摺岬まではバスで約二時間半。夜行バスの疲れでヘロヘロになりながら、またバスに乗る。窓から目をやると、四万十川沿いの道を、杖をつきながら歩くお遍路さんの姿が見えた。そう四国は「八十八カ所巡礼」の地なのだ。バスは、海沿いのひなびた漁村や町を縫うように走り続けた。
ようやくたどりついた足摺岬の展望台から見た太平洋は、とても丸く見えた。一日中、果てしない海原と対峙していたらどんなに清々することか。足を引き摺りながら岬に立ったお遍路さんにとってこの大海原はまさに極楽そのものだっただろう。
迫るバスの出発時間に急かされ、わずか一時間の滞在。また同じ道のりを延々とバス、電車を乗り継ぎ宿毛に着いたのが六時。古ぼけ傾いたホテルで旅装を解き、カツオと地酒を求めて夜の街に繰り出したのは言うまでもない。 (雨)
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