ブラジル
ジョアオ・マチャドへのインタビュー(中)
大挙した民衆の決起が
勝利したことこそ重要 |
連邦政府の路線
変更は未だない
――現在の運動は他の社会運動、すなわち、土地なき人々、家なき人々その他、とはどのような関係をもっているのか? この社会運動と他の部門の間にはつながりがあるのか?
前の質問で説明したように、家なき人々の運動、青年の運動、都市周辺住民の運動、また「人民カップ委員会」は、重要な位置を占めて参加している。いくつかの都市では、この決起が都市住民の運動であるにもかかわらず、MST(土地なき農民運動)もまたデモを支持してきた。
他方で、現在の決起と組織された労働運動の間には、まったく関係がないか、あるいは良好な関係は全然ない。われわれは次のように言うことができる。すなわち、CUT(中央統一労働組合、ブラジルの労組ナショナルセンターの一つであり、PTの有力支持母体:訳者)は(そして他の労働組合もそうだと私は信じるが)デモを公式に支持し始めたとはいえ、労働者階級の階級としての参加は目立つものではない。私が確信していることだが、この問題に対するもっとも重要性をもつ困難――そしてこれが同時に、ある程度まで、デモに登場している運動とMSTとの関係にマイナスの影響を与えてもいる――は、連邦政府によるCUTに対する統制に、またMSTの同政府との過剰な近さにある。この運動の基調はまったく当然のことだが、反連邦政府なのだ(全般として州政府と自治体当局と対立的であることも付け加えて)。
――欧州から見て当惑的事態と見られていることとして、サッカーの国において人々が、ワールドカップが近づくにつれ、サッカーよりも他の分野に多くの投資を、と要求し決起していることがある。これは説明可能か?
事実としてわれわれにとってもまたそれが、デモの幅広さに対する驚きの理由の一つだ。しかしこれに説明の根拠を見出すことは何ら難しいことではない。コンフェデレーションズカップは(また同じことはワールドカップにももっと適用可能なのだが)、民衆が参加できる形では行われていない。入場券は高い。さらにそれより重要なことだが、いわゆる「メガイベント」(ワールドカップ、オリンピック、コンフェデレーションズカップ)の組織化過程全体はスキャンダルに満ちている。そして人々の公正感情をそこなっている。費用はべらぼうにかかり、諸企業への便宜供与はすこぶる巨大であり、FIFAの要求――文字通りの戒厳状態――は道義に反している。一部の住民は追い立てに苦しめられているのだ。
すでに二年以上の間、「メガイベント」政策の不条理に注意を振り向けようとする民衆諸組織による活動が、「人民カップ委員会」に結集して続けられている。コンフェデレーションズカップは、その諸活動を静めるものとして機能する代わりに、むしろそれを強力に推し進めてしまった。私はそう確信している。人々の公正さに対する感情、不公正に対する憤りは、サッカーの魅惑よりももっと大きな声で語りかけてきた。
――運動の要求に対する政権からの反応はどういうものか? 政府機構内には対立はあるのか?
政権、むしろ国中のさまざまな政府、さまざまな政党が、都市交通料金問題については屈服した。そのそもそもの問題に関しては、運動ははっきりとした、そして早々とした勝利を獲得した。
さらに共和国の大統領のディルマは六月二一日に演説を行い、「街頭の声を聞き届ける」と約束し、「公共サービスに関する国民的協定」を提案しつつも、「騒乱を大目に見るつもりはない」(そしてコンフェデレーションズカップの試合の安全は全面的に保証する)と語った。すなわち彼女は、政治路線の変更についてはいかなるものも明示しなかった。彼女は、同じことをより効率的に、州知事や自治体当局とより緊密に協力して行う、と語ったのだ。今までのところでは、その演説がどのような影響を与えることになるのかを語ることは早すぎる。しかし現時点に限れば、状況に何らかの変化があるようには見えない。デモは続いている。そして今後に関してはもっと広がることが予想されている。
PT、その連携諸政党、また野党の右翼から構成されているさまざまな政府(州、自治体)の対応には、違いよりも類似点がもっと数多い。国家機構内の対立に関し現時点で語ることができるとは私には信じられない。
明らかに左翼的
要求が勝利した
――この運動と左翼の間にはどのような関係があるのか? それは非政治的なものか? そこでは右翼による失地回復が進行しているのか?
この質問に対して回答の一部となるいくつかの諸要素についてはすでに提供してきた。運動にははっきりした無党派的傾向がある(諸政党との関係に関する強い不信があるという意味で)。とはいえそれを私は、いかなる点でも非政治的と名付けるつもりはない。
運動の当初の傾向は極めて明確に左翼に向いていた。つまり、無料の公共交通(あるいは料金値上げの取り消し)を求めるスローガンは、はっきりと左翼のものだ。ワールドカップの途方もない費用に対する批判や、より良い保健や教育の防衛のような、運動の他の主題もまた、たとえば同性愛嫌悪反対のスローガンがそうであるように、左翼のものだ。
他方、運動が巨大な成長を経験するだろうということがはっきりした時、つまりサンパウロでの六月一三日のデモから、右翼――極右を含んで――が、マスメディアとデモへの直接参加を通して、運動に介入し始めた。
いくつかの都市では、最大のデモが起きたサンパウロとリオデジャネイロを主に、六月二〇日に、警察の挑発者との協力の下に極右グループの攻撃的な参入が部分的な勝利を収め、運動や政党の旗を掲げていた人々をデモから排除した。それらはサンパウロでPTの旗への反対として始まったのだが、その後それは運動や他の政党の旗へと広げられた。そしてそれは、赤いシャツを着ているに過ぎない人々への攻撃にまで進んだ。
これらの攻撃は、二つの異なった理由から諸政党に向けられた、自然発生的な不信を反映していた。その理由とは、制度に根を下ろしている諸政党の威信の喪失(政府を支持しているが、それを構成している諸政党には肯定的な見方をしていない人々を含んで)であり、もう一つは、いくつかの理由から、左翼諸政党の機会主義と見られているものだ。実際それらの政党は、巨大な横断幕を掲げ、自分たちをデモの先頭に付け、デモ参加者の大部隊が彼らを支持しているといった印象を与えている。さらにその感情は、ブルジョアマスメディアによって非常に強められた。それらのメディアは、「全員がブラジル国旗の下に統一されるべきだ」との感情を強化しようと努めているのだ。
しかしながら私は、運動が右翼によって取り返されつつあるとも、それが可能だとも信じない。存在しているものは、運動の方向とスローガンに関する大論争だ。その中では、現在までに獲得されたもの――都市交通料金値上げの全国での取り消し――は左翼の勝利となっていることを指摘することが極めて重要だ。
サンパウロとリオデジャネイロ、また他のいくつかの都市における取り消しの発表が六月一九日に行われた(他の都市はそれ以前に行っている)。これを子細に見ることは興味深い。先の諸都市での六月二〇日のデモは、先の発表以前に呼びかけられていたものだが、「祝賀として」そのまま実行された。勝利感がデモをさらに広げた(たとえばメディアは、リオデジャネイロで三〇万人以上、と伝えた)。しかし同時にそのデモでは、何らかの明確な統一スローガンがないままとなった。
民衆の重要な層が大挙して決起するという経験を持ったということ、彼らが勝利を獲得したということ、そしてそれを彼らが好感しているということ、それが鍵となる問題だ。それが今後疲労によって使い尽くされる可能性はある。しかしそれが右翼による失地回復になり得るとは、私には信じられない。
PTへの批判的
支持は不可能だ
――この運動はPTに対してどのような問題を提起しているか?
PTが抱えている状況は少なくとも当面、非常に困難だ。この党が今回の諸決起でもっとも失うものの多かった党であることに疑いはない。主に、この党の近年における主張のかなりの部分は掘り崩されることになった。すなわちこの党は、ブラジルには発展過程があるとか、人々は満足しているとかと言い続けることはできない。そしてその中心的な路線の一つである「メガイベント」政策は完全に失敗した。この党の威信を高める好機になると考えられたコンフェデレーションズカップは、党に対する巨大な浸食に終わった。
PTが自身に敵意をもつ大規模な大衆的デモを前にすることとなったのは、その歴史上では初めてのことだ。ルラ政権の始まり――そこにはすでに極めて保守的な年金改革があった――からPTは、政権に反対するデモやストライキに取引で臨むことに馴染んでいた。この党はしばしば組合指導部のほとんどとの協力に頼りながら交渉を行い、他の場合には抑圧に訴えた。しかし政府に反対する最大の決起の一つですら、現在ある山積みとなったデモとは比較にならない。
これはPT内部に明らかに深刻な不満を生み出しつつある。六月二〇日以前、党首のルイ・ファルカオは、PTの活動家に向けて旗をもってデモに参加するよう呼びかけを発した。結果は悲惨だった。それは多くのデモ参加者から挑発と見られたのだ。それは、党と運動の旗を携えた活動家たちを極右が排除することを容易にしたものごとの一つだった。
現在のPTの有力な傾向、近年のMSTのような、主により左翼の立場からこの党を支持している部門からなる傾向は、左翼すべての統一(すなわち、PT政府に対して左翼反対派の立場で)を求めること、「右翼に対決して」共に立つことを義務として自身に課してきた。しかしこれは、PT政府がいかなる開放性も、政策方向のいかなる変更も示していないという事実とは鋭く矛盾する。彼らは、デモを生み出してきた(そして生み出し続けている)路線を変わらず維持している。PT政府に対する左翼の立場からの反対派は、そのような基礎に立った同盟を受け容れることはできない。それは明らかだ。
(つづく)
【訂正】本紙前号(7月15日付)2面2段目右から13行目の「反対運動運動」を「反対運動」に、同じく左から15行目の「原因とどうか」を「原因かどうか」にそれぞれ訂正します。
|