民衆蜂起が無政府状態生む
の偽りをあばく具体的反証
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シリア 民衆の革命における自己組織
ガヤス・ナイセ
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【筆者による解説】
一九七〇年からのハフェズ・アルアサド、そして二〇〇〇年六月の彼の死に続く彼の息子バシャルが率いるバース党体制と対決する、二〇一一年三月に始まった革命は継続している。
軍隊による、また容赦のない抑圧を通して、支配的徒党は軍事―警察独裁を打ち固めることができた。その体制は、四〇年以上もの間、反対活動や自立した活動のいかなる兆候をも粉砕した。この独裁は、国家機構に対する忠誠に依存し、それは家族や地方のつながり、また宗教的紐帯にすら、そしてそこに広がった腐敗にも基礎を置いている。それはまた、ブルジョアジー並びに宗教的あるいは宗派的ヒエラルキーとの有機的な結びつきにも依拠している。
新自由主義の社会―経済政策が、二〇〇〇年代初頭以来のすべての民衆的抗議や労働者階級の抗議に対する苛酷な抑圧によりさらに度を高めて、破滅的な効果をもたらしてきた。すなわち、二〇〇五年にはGDPにおける資本の取り分が七二%にも上昇し、人口の三分の一以上が貧困ライン以下(一日一ドル以下)に転落し、ほぼ半数は貧困ライン(一日二ドルあるいはそれ以下)周辺で生きている。
今あるものは紛れもない民衆革命だ。この革命を駆り立てている社会的諸勢力は、労働者、また広範な貧困化された都市層と地方の社会層だ。これらの勢力は、体制の度外れた暴力にもかかわらず、民衆的な武装抵抗をつくり出すことができた。そこでは、革命の政治指導部の不在が痛切に感じられている。彼らは、自己組織と協力機関の諸構造を、それに加えて自主的統治の萌芽、地方評議会、市民の諮問部門も作り出している。これらの下からの支配や管理の諸形態は、この地域の諸国におけるすべての歩みにおけるものよりも、シリアにおいてもっと発展している。
以下に紹介する文書は、「アル・クハット・アル・アマミ(前線)」紙一三号に掲載された、地方評議会の経験に関する記事の一部だ。同紙はシリアの革命的左翼潮流が発行している。
必要基礎に本物
の自治への歩み
国民連合全体委員会はその会議に、シリアにおける地方評議会に関する報告を提出した。この報告は、革命の始まりまでさかのぼっている。そこには、すべての都市と村々にいる大多数の人々に苦しみを引き起こした、そのような政権の暴力による人道的危機が一体的に伴われていた。人々は自発的に、必要な人々に対する基礎的なサービスを提供し始めた。しかしその必要が増大すると共に、諸個人や小さなグループは、他との協力や調整なしには、これらのサービス提供を続けることができなくなった。地方評議会が始まったのはここからであり、それは、彼ら自身の枠組みや経験、また活力を基礎として、彼ら自身のものごとを管理するために歩を進めるという、市民たちの責任感と能力を映し出している。これはわれわれを、地方評議会構想の戦略的必要性、またそれらを可能なあらゆる手段で、また党派性や人種やイデオロギーを考慮することなく支えることの重要性を確認するよう導いている。
この評議会は、現在の革命状況を原因とした、あるいは政権崩壊を原因とする無政府状態や社会的解体の広がりといった、そのような主張が偽りであることを伝える具体的な証拠だ。アサド体制に対するオルタナティブを見出し、人々の基礎的必要を満たすことで安定性と安全を確保し、それを発展に導くシリア人の能力に関するすべての言明は、シリア人民衆と世界にそのようなオルタナティブの可能性を証明する具体的な事例を示していないがために、信頼性に欠け、依然理論上の言明にとどまっている。
シリアの地方評議会は、国家不在状態の中で市民の日常生活を整える管理構造を確立している。これらは、自身を解放し終わった地域のみならず、いまだ体制の支配下にある地域の中にも、さまざまな形態で存在している。それらは完全に民衆によって運営されている。
適切な指導部選
出の実現が難問
ものごとを管理することは、必要な人々の大多数に可能な最良の方法でまた長期的見通しの下にサービスを提供してきた、そのような諸個人や諸グループに課せられている。報告はこのように述べている。これに対する物質的また道義的な支援は、その必要が巨大なものとなるまでは、国内外のシリア人から提供された。その巨大化と共に海外での募金が始まった。
援助の配分の決定は、それを提供した個人によって行われるのがこれまでの通例だった。しかし、特定のグループに所属していることを基礎とした割り当てや考慮を離れて、より全体的な、より公正な配分方法に対する必要性が感じられるようになった。地方評議会が満たそうと挑んでいるものがこの役割だ。これは、それらに国民的な信頼性を与えることになるものだ。
シリアが生きている例外的な環境を原因として、以下のことが――報告によれば――はっきりしている。つまり、代表の選出方法は、好ましい環境の下で行われる選挙の中で、というような模範的なものではあり得ない、ということだ。統治機構のあらゆるレベルでもっとも実直な代表性に到達するために、永続的な努力を行う必要がある。報告は、革命的な反対派のグループ、市民あるいは軍人との接触に、地方評議会が注意を払っている、と指摘している。その目標に加えてそれらは、彼らの活動継続の助けとなるように工夫された形で、これらのグループに市民的サービスを提供することを通して、革命における重要な役割を果たしている。
経験、責任と権
限など困難山積
報告は、この段階での地方評議会の主要目標が、最大多数に対しまた最良の条件で公共サービスを提供することによる、国家が残した真空を埋めることである、と示している。それは、将来の暫定政権とつながる形で、今後選出される地方自治機関の萌芽を形成する問題だ。基本となる目標は、公民に対するサービス提供を手段として、管理に関わる組織的な空白を埋めることだ。これは、教育、清掃、水と電力と燃料の供給、市民権、また援助の配分といった分野で市民生活を整えることを意味している。この評議会は、扶助、医薬品、情報、市民防護、法、再建と管理、専門的業務とメディアの発展といった分野で、必要に応じてサービスを提供しなければならない。目標が民衆運動の防衛であるか、あるいは社会的ネットワークの機能化であるかに関わりなく、それらは、共同体の生活と市民文化の諸価値を強化することを助けている。この評議会はまた、国家諸制度、公共建築物、私有財産を保存すること、また武装部隊やその評議会との協力と協調の下に、市民を保護することも、また目標としている。
報告は、地方評議会の行動は、市民権力のあらゆる領域で、革命の目標への関与を含んで、中核となる諸価値を広めることになる、と述べている。それはすなわち、人々の熱望の具体化、友愛と協力によって統治され、普遍性をもって機能する環境の創出に対する相互尊重だ。
諸原則は、諮問と選出、独裁や恣意的なやり方を排除して行われる決定、という原則であり、それは、忠実さ、透明性、分かち合い、刷新、忍耐という枠組み内で、社会の全構成員の間の相互交流の発展、調整と補足の強化、宗教的、人種的、民族的基準に基づく差別を排したシリア人内部の権利の平等を目的に適用される。
報告は地方評議会が直面してきた多くの困難に光を当てている。それらが評議会を弱体化させ、評議会はそれらを解決するために今努力している。これらの評議会が危機という情勢の中で確立されたがゆえに、これらの問題のうち最も小さいとは言えないものとして、経験不足がある。これに加えなければならないものは、責任と権限の明確な確定の欠如、そして情報の健全性と正確性の確保の難しさだ。この後者は、必要なことに取り組むことを、こうして行動の計画を発展させることを可能にする。
地方評議会形成
へ段階を追って
報告は、地方評議会創出における諸段階を確認している。最初の会合は、ラタキア、ホムス、デラー、ダマスカスとその近郊地区、ハッサカ、イドリブの代表が出席して、また会合後半部にはアレッポの代表が参加して二〇一二年七月に開催された。その目的は、地方評議会の理念を討論し、革命勢力間のより良好な協調を確保するために、当該管轄地域の間に接触の回路を開くことだった。この会合から、各管轄地域に対して七人からなる、代表制検証に責任を負う委員会が生まれた。その委員会の任務は、機能化に向けた統一規則集を大略的にまとめることだった。
イスタンブールにおける二回目の会合は、検証委員会の会合だった。各管轄地域における革命情勢、および各地域からの七人の代表を選出する仕組みが提起された。ラタキア、ホムス、デラー、ダマスカスとその近郊地区、ディル、ハッサカ、そしてイドリブの代表が出席した。
さらに二週間後、ラタキア、ホムス、デラー、ダマスカスとその近郊地区、ディル、ハッサカ、イドリブ、ハマ、そしてアレッポの代表が出席して、三回目の会合がアンカラで開かれた。
この会合は、検証委員会がシリア内の革命勢力に直接提起することになると思われる、統一規則集を起草した。
▼筆者はフランスに亡命しているシリア人外科医。「シリアの民主主義、自由、人権防衛委員会」(CDF)の創立者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年六月号)
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