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    かけはし2013.年6月24日号

侵略史の直視が必要だ


5.28 しないさせない戦争協力 関西ネット・学習会

領土ナショナリズムからの解放を

対立のエスカレートを回避するために

 【大阪】しないさせない戦争協力関西ネットワークの学習講演会が五月二八日、エルおおさかで開かれ、八五人の市民が参加した。
 中北龍太郎さん(共同代表)は「現在は日中国交回復以来最悪の状態だ。石原元都知事の尖閣列島買い上げ発言の罠にはまってこれを国有化した野田政権は、尖閣は日本固有の領土でありここに領土問題は存在しないと主張。それ以来領土ナショナリズムが昂揚し、それをテコに日本の軍事化が推し進められようとしている。そして米国の中国包囲網戦略の一環を日本が担おうとしており、集団的自衛権行使に向けた動きがある。しかしこうした動きに未来はない。領土問題は日本の侵略の歴史の中できちんと学習していきたい」と開会のあいさつをした。   岡田充さん(共同通信客員論説委員・桜美林大学非常勤講師)が「ナショナリズムの魔力を解き放とう」と題して講演をした。       (要旨別掲)

漁業問題、資
源問題など
講演の後に質疑応答があった。
@ トラブルが発生したらどうするか。(他国の漁船を取り締まるともめるから、自国の船だけを取り締まる旗国主義をとっている。漁業委員会は決裂のままだが、沖縄漁船の操業域は主に特別協力水域だ)
A 日本の主張には欠陥が多いが、日本の知識人は知っていて言わないのか、あるいは知らないのか。(例えば、外務省職員は現役を引退すると、少し主張が変わる。テレビなどで政府と違うことをいうとたたかれる?という意識があるのでは)
B 人民日報の沖縄についての記事の意図は何か。(尖閣領有と琉球処分が関係することについて、日本人の意識を喚起するつもりか。いずれにせよ、中国政府の立場ではない。)
C 漁業協定には、海底資源のことまで含まれるのか。(含まれない。〇八年に日中ガス田開発で合意。今後、尖閣周辺でも開発は可能だ。)
D 安倍政権は、日中関係の改善について方針を持っているのか。(方針はないと思う。参院選で自民が勝ったら怖い。)
E 今日は話に出なかったが、独島について聞きたい。(植民地化される過程で日本に編入されたという点では、おなじ考えだ。今日は時間がなくて話せないが、国際司法裁判所に持ち込んだら、韓国が勝つのではないか。) (T・T)

岡田充さんの報告から

尖閣問題の歴史的背景、
そして解決の道筋は?

石原の策略に
乗った野田政権
 安倍首相は〇七年に首相になったときは河野談話や村山談話見直しを封印していたが、この度は七〇%の支持を追い風にどんどん本音を言い出している。歴史問題になると途端に目の色が変わるという。国会でも質問者によくヤジを飛ばすし、質問中でもよくトイレに行く。参議院選で自民党が過半数を獲得することになれば、本当に怖い事態になるかもしれない。
 石原都知事が一二年四月に米国での講演で、尖閣列島を都が購入すると発言したとき、二つのことを考えた。一九九〇年に日本青年社の若者が魚釣島に灯台を建てたとき、バックアップしたのは石原だ。最近メディアの注目は橋下の方に向いていて、石原の影が薄くなっていたが、もう一度注目させること。中国漁船の衝突事件以来、政府は中国に弱腰ではないかとの国民の意識をバックに、中国を挑発し、好戦性を引き出し、日本人の領土防衛意識を高めること。消費増税と大飯原発再稼働が大きな争点になっていた中に、尖閣を割り込ませ、外交内政の両方で焦点をつくることだった。
 この策略はみごとに成功し、石原の思うつぼになった。生活者の立場からすればもっと重要なことは他にいろいろある中で、領土問題にどの程度の意味があるのか。しかし、領土問題には抵抗できないところがある。野田政権の国有化決定後、ある外務官僚は言った、「尖閣ぐらいくれてやってもいい。しかし、中国が次は沖縄、その次は奄美というようにエスカレートしたらどうなる」といった。最近人民日報に、ある研究者の「沖縄は日本の領土ではない」という論文が掲載された。もちろんこれは中国政府の立場ではない。
 近代国家は人為的なもので、主権・領土・国民は排他的な概念だ。領土問題で対立したとき、解決の出口は戦争以外にない。

生活者の視点
から見れば…
 一九九六年国連海洋法条約の批准に伴い、一二海里の領海の外に二〇〇海里の排他的経済水域(EEZ)が設けられた。ところが、各国のEEZが重なるので、重なる部分のどこに境界を引くのかは、交渉するしかない。しかし、交渉で両国の排他的経済水域の重なる部分の境界は定まらず、新漁業協定(日中二〇〇〇年、日韓一九九九年)で、相互入り会いとならない暫定水域が設けられた。〇八年には日中ガス田開発でも合意している。争いを目立たせないようにし、資源を共有する精神に基づいている。
 一二年九月、野田政権が尖閣諸島五島のうちの三島を国有化してから、反日デモが広がり、国連総会で中国外相は「日本が尖閣諸島を盗み取った」という表現で批判した。台湾漁船が尖閣の海に入ってきた。そこで、日本政府は台湾にメッセージを送った。一二年八月台湾馬英九総統の「東シナ海平和イニシアチブ」(主権は分割できないが、資源は共有できるという考えを示す)に乗ろうとした。しかし、一三年一月台湾の活動家の船と台湾の巡視船が尖閣の海に入り、中国巡視船二隻が連なり、日本の巡視船と対峙するという出来事があった。この事態を重視した米国は一三年二月、台湾に中国と協力するなと進言し、三月日台漁業交渉が始まった。北緯二七度線の南に、日本が主張する排他的経済水域の中に大幅に入る法令適用除外水域、またその東に特別協力水域を設ける形で、尖閣領有争いは棚上げし日台漁業交渉が合意した。日本が台湾に大幅に譲歩した法令適用除外水域内では日本の漁船も操業できるが、台湾漁船の取り締まりは台湾当局しかできない(旗国主義)。漁獲枠やトラブル発生時の対応など操業ルールを決定するために日台漁業委員会が開催されたが、五月七日に決裂したまま、一〇日に見切り発効した。沖縄は、自分たちの頭越しに、台湾に大幅譲歩して合意した、日本の漁獲高は減少する、と不満を述べた。しかし、領有権にはふれていない。琉球新報は、安全保障の観点から合意が図られたことで、また沖縄が政治利用されたと批判した。

「中台分断」に
成功との宣伝
 産経新聞は、日台漁業交渉の合意について、菅官房長官の「歴史的意味があり、歓迎する」という意味の発言を「中台の分断に成功」と報道し、中国は不快感を表明。馬英九政権は、「統一せず、独立せず、武力行使せず」の三不政策をとっている。中国もそれに合わせ新台湾政策を発表し、「台湾は中国の不可分の領土」から「中台はともに一つの国に属している」とした。「中台は統一していないが、分離していない」という言い方をする人もいる。日本の一部やあるいは安倍政権は、分断に成功したと思っているかもしれないが、それは中台の関係が良好だから成り立つことだ。そのことを頭に入れておかないと、判断を誤る。「台湾の利益は我々の利益だ」と中国が言えるのは、両国の関係が良好であるからだ。 
最後に歴史的なことを少し。一八七一年(明治四年)一二月、宮古の琉球人五四人が台湾南部に漂着し殺害された。その翌年、明治政府は琉球王朝を琉球藩として日本領に併合した(第一次琉球処分)。一九七四年、無主地を理由に三六〇〇人余りの兵を台湾南部に派兵。出兵の目的は宮古の「日本人」殺害の報復であったが、当時は、宮古は日本ではなかった。一九七九年(明治一二年)明治政府は廃藩置県で琉球藩を沖縄県にした(第二次琉球処分)。これに清朝が強く反発。そこで、米国のグラントが三分割案(北緯二七度線以北を日本、以南から宮古までを琉球独立国領、宮古・八重山【尖閣諸島はここに含まれる】より西を清国領)で調停しようとした。一八八〇年明治政府は宮古・八重山を清国に割譲する分島案を提示し仮調印しようとしたが、清国が拒否。一八八五年無人の南北大東島を日本領に編入したが、尖閣に国標を立てることを明治政府は許可していない。それから一〇年後の一八九五年、日清戦争(一八九四年開始)の勝利を目前にして魚釣島と久場島に国標をたてることを認める閣議決定をし日本領に編入した。しかし、その決定は秘密決定であり、世界に公表したのは、一九五三年である。日本の主張には欠陥が多い。

疑ってかかる
べきメディア
 「米国のキャンベル国務次官補は、日本政府側から尖閣国有化前に相談を受け、危機を引き起こす可能性があると警告し、購入しないように非常に強い忠告をした、と明言した」(一三年四月一〇日琉球新報)。ところが、佐々江新駐米大使に聞くと、「米国政府は、日本政府が国有化の可能性を探究していることを知らされていた。反対しなかった。日本が決めることだという立場だった」(一二年一〇月三一日朝日)となっている。メディアの報道は疑ってかかることをおすすめしたい。
 領土問題についての私の結論は、「その領土はどこの国のものか。領土は排他的な概念だから、解決策はない。しかし、生活者の立場なら棚上げすることは可能だ。話し合いしないことには、何もできない」ということだ。 (講演要旨・文責編集部)

コラム

「脱原発」の糸

 

 真夏を思わせる青空が広がった六月二日の「ノーニュークスデイ」。芝公園は、入りきれないほどの参加者で埋めつくされていた。
 開会時刻に間に合うでもなく、したがって発言者の話を最初から聞くでもなく。仲間たちと合流するでもなく、写真を撮って記事を書くわけでもなく。腰痛が慢性化し、体力が落ち続けているから前向きになれないのか。中途半端な行動をしたものだと自己嫌悪と疲労感に襲われ、うつむきながら外堀通りの歩道をデモ隊とともに歩いていた。
 新橋駅のガードに差しかかる少し手前。正面から一人の男性が、隊列と反対方向に向かってきた。「Aさん」――ハッとわれに返ったように、私は声をかけた。レンズの厚い眼鏡、長い頭髪、小柄な体型も変わっていなかった。
 約三〇年ぶりの再会は、彼が会社を辞めて以来である。良心派とでもいうべきか、自由派を名乗るのか。気のおけない少数派は、私をオルグしたBさんを含む数人で、映画を見たり酒を飲んだり。だが私以外が、ほどなく職場を去っていった。
 脱原発国会行動に、毎週のように通っているという。拳を振りあげるでもなく、コールを叫ぶでもなく、ただそこに集まる人の波を眺めに出かけるのだ。この日も芝公園に間に合わず、コースを逆に遡ろうとした。もし私が車道にいたら気がつかなかっただろう。
 大手民間塾の非常勤講師として、週に一〇時間ほど働く。小学生を相手に教える彼は、当局の経営方針の変化に危機感を抱く。
 賃貸の部屋を出て、築二〇年の戸建てを購入。その引越しの打ち合わせのさなかに、「3・11」に見舞われた。「あの地震に耐えたから大丈夫だろう」――マイホームの写真をスマホで見せながら、ニヤリと笑う。髪に白いものが目立つ以外は、あの頃のままだ。
 私たち活動家は、市井の同世代とは違う。相手を思いやるために、尊厳を傷つけないように、言葉を慎重に選ぶ。少なくとも私は、そんな態度を心がけている。深刻な高齢化社会を迎える現代。結婚はしたのか、家族はどうしているのか。聞きにくい質問を、そっと口にしてみた。
 植込みの柵に腰掛けながら、静かに話しているその間にも、デモ隊が間断なく到着し、騒然と二人の前を通り過ぎていく。私は仲間たちに声をかけ、あるいは手を振りながら、彼を紹介したりもした。近況を語り合いながらついつい寡黙になったのは、自分の身の丈に合った自然体の彼の生きざまに、新鮮な感動を覚えたからだ。
 「今、これを読んでるんだ」と開いて見せたのは、加藤周一と題した岩波新書。運動のダイナミズムが、時空を超えた無数の糸で、人々をもう一度つなぎ始めている。 (隆)


 【訂正】本紙前2面日本軍「慰安婦」問題関西ネット記事6段左から4行目「支援す」を「支援する」に、同2面下から2段目左から15行目の「橋本」を「橋下」に、同3面成田プロジェクト集会記事8段3〜4行目「裾野がった」を「裾野が広がった」に、4面「郡山・独緑の党講演会記事」写真説明「みどりの党」を「緑の党」に訂正、同最下段14〜15行目「できなかったが」と「にもかかわらず」の間に「、」を挿入。同5面最初の小見出しの「たくましなった」を「たくましくなった」に、同6面「エコ社会主義」記事最下段小見出しから4行目「新たの」を「新たな」に、同8面「韓国はいま」下から4段目左端「といえでも」を「といえども」に訂正します。


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