53日比谷集会・パレードに3500人
憲法原則破壊の自民改憲案
広範な共同戦線で葬り去ろう |
改憲派からも
強い批判の声
五月三日の憲法記念日、東京・日比谷公会堂で「生かそう憲法 輝け9条 あらゆる憲法改悪を許さず今こそ平和といのちを尊重する社会へ」5・3憲法集会2013が開催された。共産、社民両党の党首クラスが共に参加する日比谷での5・3憲法集会は二〇〇一年に小泉政権の発足ととともに始まり、今年で一三回目となる。会場に入り切れず屋外のオーロラビジョンで見る人もふくめて、集会とその後の銀座パレードには三五〇〇人が参加した。
昨年末の総選挙で憲法改悪を公約に掲げた安倍・自民党が圧勝し、憲法九六条の改憲発議要件の緩和に日本維新の会や、みんなの党が賛同する中で、「改憲連合」が今年の七月参院選で衆院とともに三分の二勢力を確保して憲法改悪のプロセスが急速に具体化する危険性が高まっている。とりわけ昨年四月に発表された自民党の「日本国憲法改正草案」は、たんに九条改憲のみならず「国民主権、基本的人権、平和主義」という憲法三原則を全面的に破壊するものであり、この点に関して保守派・九条改憲派からも強い危惧の念が表明されている。
そうしたまさに緊張感に満ちた雰囲気の中で、この日の集会は始まった。
絶対負けない
勝つまで闘う
主催者を代表して開会のあいさつを行った高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)は、九六条改悪を通して立憲主義そのものの解体に踏み込む安倍内閣のねらいに注意を喚起し、市民の静かな思いを確固たる意思に変えることを強調した。
最初のスピーチは「グリーン・アクション」代表のアイリーン・美緒子・スミスさん。日本生まれで米国籍のスミスさんは、「米国憲法でマシなところがあるとしたらそれは先住民族のおかげ。イロクォイ族の文化を知って民主主義的意識が豊富化した」と切り出したスミスさんは、憲法を守るためには心に思っているだけではなく表現することが大事だと強調し、日本に住む参政権を持たない二〇〇万人の人びとを思いながら行動してほしい、と訴えた。
次に、沖縄弁護士会会長(二〇一二年度)を務めた加藤裕さん。加藤さんは四月二八日の「主権回復の日」政府式典が、占領下の民衆的改革の成果を葬り去ろうとする安倍政権の意思を示すものだ、と厳しく批判し、「これまでの足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日」という安倍首相の式辞を「全く意味不明」と批判した。加藤さんは自民党の改憲草案前文には、沖縄の人びともアイヌの人びとも全く視界に入っていないことを指摘しつつ、オスプレイ配備撤回、普天間基地即時返還、基地の県内移設反対で共通した「島ぐるみ」の闘いを日本が敵視していることを右翼の言動にふれて明らかにした。
加藤さんは最後に、水俣病訴訟で患者支援・救済のために奮闘した馬奈木(まなぎ)昭雄弁護士の「われわれは負けない。なぜなら勝つまで闘うからだ」という言葉は、沖縄の闘いにもあてはまる、と訴えた。
条改悪反対
の世論拡大へ
おしどりマコ・ケンさんのテンポのいいコントの後、日本共産党の志位和夫委員長と社会民主党の福島みずほ党首がスピーチ。
志位さんは、憲法を変えないという意見の方が依然として国民の多数派だ、と世論調査を引用しながら訴え、改憲派の弱点を攻める闘いが必要だ、と主張した。
第一は、改憲派が九条改憲の突破口として九六条改憲を打ち出していることである。しかし九条改憲の是非を超えて、多くの人が九六条改憲に反対の声を上げている。それは主権者である国民が権力を縛るのが憲法であり、そのために権力者の都合に合わせて憲法を簡単に変えることがないようにするのが九六条の三分の二条項であるのに、この基準を引き下げようとしているからだ。志位さんはそのために九六条改憲反対の一点で力を合わせよう、と語った。
第二は、自民党改憲案そのものの徹底した時代錯誤ぶりである。たんなる九条改憲にとどまらず基本的人権に制限を設け、九七条を全文削除する改憲案に対し、アメリカのメディアも「権威主義日本」「軍国主義日本」を目指すのか、と批判している。
第三は、改憲をめざす勢力が、侵略戦争と植民地支配の歴史を肯定・美化し、靖国神社への参拝を強行していることである。これには米国の主要紙もいずれも深刻な憂慮を表明している。領土紛争を戦争に発展させないために、ASEANが達成したルールを北東アジアにも拡大する必要がある。
志位さんはこのように自民党改憲案の問題点と弱点について広範な共同戦線を作ろうと訴えた。
社民党の福島みずほ党首は、改憲をライフワークとする安倍、徴兵制にまで言及するようになった石原・橋下が「九六条改憲」で協力する危険な状況に抗して、「被災地に日本国憲法を」「沖縄に平和的生存権を」と訴え、憲法を今こそ生かす必要がある、と述べた。
福島さんは、自民党の改憲案が多くの義務を国民に課し、介護や生活保護も「自己責任」だという改憲案の論理を糾弾した。そして自民党改憲案は「人権」を制限する際の要件を「人権相互の衝突」に限るのではなく「公益・公の秩序」を根拠にすることで、基本的人権の上に国家を置くものとなっていると特徴づけ「これは憲法ではない!」と弾劾した。
集会での会場カンパは一五二万円が寄せられた。
集会後、さわやかな五月の日差しを浴びながら日比谷公園から、数寄屋橋交差点を通り、東京駅近くまで元気よく行進。「憲法改悪反対」「沖縄の基地を撤去しろ」「脱原発の社会を作ろう」などの声を響かせた。 (K)
5.3安倍政権の改憲暴走許さない
橋下市政を倒す闘いと一つ
憲法を闘いの中で活用しよう
【大阪】大阪憲法会議、護憲・大阪の会、憲法を生かす会・大阪、止めよう改憲!大阪ネットワーク、憲法九条の会・関西、大阪宗教者九条ネットワークの六団体による実行委員会が主催する憲法のつどいが、五月三日エルおおさかホールで開かれ、九五〇人の労働者・市民が参加した。例年五月三日は、九条の会おおさかの憲法集会が開かれてきたが、今年は六団体主催の集会となり、九条の会おおさか主催の憲法集会(赤川次郎さん講演)は五月一七日に予定されている。
開会あいさつを梅田章二さん(大阪憲法会議幹事長)が行い、「今、憲法をめぐる情勢は風雲急を告げている。そもそも憲法とは何かという根本問題が問われねばならない。第一二条には、この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない、とある。憲法を守るのは私たちの使命だ」と述べた。
差別をなくし
生きる権利を
続いて、浦部法穂さん(神戸大学名誉教授)が「『改憲』でこの国はどうなる?」と題して講演をした(別掲)。
このあと、リレートーク。大口耕吉郎さん(全大阪生活と健康を守る会)「安倍政権は今年八月から生活保護基準引き下げを実施しようとしている。小泉内閣に時代に二年間一・一%引き下げられたが、今回は三年かけて平均六・五%(最大一〇%)の引き下げを計画している、金額にして六七〇億円。この引き下げは生活保護だけの問題にとどまらず、連動して、最低賃金の引き下げ、各種の減免(公営住宅・就学援助など)の適用除外、住民税非課税基準の引き下げによる医療費の自己負担増、保育料引き上げなどなど。政府は最後のセーフティネットを壊そうとしている。日本の生活保護利用率はわずかに一五%、利用できる人で八〇〇万人もの人が利用していない。私たちは憲法二五条と九条を車の両輪として闘っていく」。
杉本和さん(桜宮高校元保護者)「事件がマスコミに報じられた一月八日、橋下市長は、入試とクラブ活動を中止し、先生の総入れ替えを公言したが、桜宮高校の改革を進める会をつくり、教育委員会に何度も申し入れをして、この三点の実現を止めた。このまま受験させれば大阪の恥とまで橋下市長はいって、教育に政治介入してきたが、子どもを中心にした教育がすすめられるよう頑張りたい」。
立石泰雄さん(大阪宗教者九条ネットワーク)「今までの個人会員から、宗派・教団なども参加できるようにした。ブックレットをつくり、三〇〇〇部がすぐ完売し、さらに二〇〇〇部増刷した。九条を守ることに役立てたい」。
赤羽佳世子さん(働く女性の人権センター)「自民党改憲草案では、家族の重要性が強調され性別役割として使われる。標準家庭として考えられているのは夫婦と子ども二人。現実の多様化した家庭は認められていない。もうひとつ、憲法第二章『戦争の放棄』を『安全保障』に変えるのは絶対に認められない」。
小田康徳さん(NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会)「ピースおおさか(大阪国際平和センター)は大阪府・市が自治体として平和のために努力すると決意して、一九九一年開館した。見学者は今までで一七〇万人。戦争の悲惨さを空襲の体験を通して確認し、犠牲者を追悼する。悲惨な体験をもたらした背景に日本が起こした侵略戦争があったこと、その戦争でアジアの人々に深刻な被害を与えたという戦争加害についても見つめていこう、これが設立の理念だ。こうした姿勢に対し、一九九〇年代後半からひどい攻撃が始まった。とりわけ大阪府知事に橋下徹氏が就任して以来、廃館の可能性もちらつかされてきた。廃館を主張しているのは、維新の会や自民党など一部の議員だが、彼らの主張の背後には日本の戦争責任を否定する勢力の存在がある。ピースおおさかは二〇年が過ぎ展示内容や機材も古くなっているし、国際情勢も大きく変わってきたので、リニューアルは避けられない。大阪府・市は今年それぞれ一三〇〇万円を出しリニューアルすることを決定しているが、日本の侵略戦争全体を後景に退かせるなど、加害に関する国際的視点が弱くなっている。これを押し戻して、館の設置理念を生かすには市民の力が必要だ」。
九五〇人が市内
を元気にデモ
リレートークの後、最後に中北龍太郎さん(止めよう改憲!おおさかネットワーク共同代表)がまとめをし、「いまほど九条改憲反対のうねりをつくることが求められているときはない。自民党草案のいうような憲法ができたら、国家権力を縛る憲法ではなく、市民・労働者を縛る憲法になる。団結権は侵害され、社会保障をなくしても合憲となる。違憲国会に憲法を論じる資格はない(拍手)。世界を敵にまわす、そんな道に進んではならない」と述べた。
集会後、参加者は憲法擁護を訴えて西梅田まで一時間ほどの道のりをデモ行進した。 (T・T)
浦部法穂さんの講演から
もう一度制定過程から
現憲法を捉えかえそう
「自虐的」憲法
論を批判する
日本国憲法の「平和主義」は、第二次世界大戦での敗北と深く関係している。第二次世界大戦はファシズムに反対する戦争であったというのが定説のようだが、これだと、米・英・仏など連合国側は正義の味方で、日・独などファシズム陣営は「悪者」となる。正義の味方にやっつけられ、もう悪いことはしませんと懺悔したのが日本国憲法だということになる。右翼はこれを「自虐的」だと批判し、なぜ日本だけが謝らねばならないのか? という。
しかし、第二次世界大戦の本質は帝国主義戦争だった。後発の米・独・日の台頭で、先発帝国主義(英・仏・西・露)などによる世界分割の勢力均衡が破れたことで、第一次世界大戦が勃発。その結果、米・英・仏を中心に植民地が再編されたが、それを不満とする独・日・伊などとの間で植民地再分割戦争が始まる、それが第二次世界大戦。つまり、やくざの縄張り抗争だった。
日本国憲法「平和主義」は、帝国主義との決別宣言、つまり、やくざからの「足抜け」宣言だった。前文「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」、これが憲法九条の基礎にある哲学だ。日本は率先して、いかなる戦争も放棄し、戦力は一切もたないとした。それが憲法第九条の意味だ。
日本だけが悪いわけではない?確かにその通りだ。しかし、日本も悪いことをしたことにはちがいない。とすれば、過去を反省し、ぶんどり合いのない世界をつくることに全力を尽くすのは、「自虐的」ではなく、むしろ誇るべきことだ。「堅気の世界で生きていく」と宣言したのに、やくざの世界に戻りたいでは情けない。国際的信用も失うだろう。このように考えれば、日本国憲法は「日本を孤立と軽蔑の対象に貶めるもの」(日本維新の会綱領)という考えこそ欺瞞的だ。私たちは、「懺悔としての平和主義」的な見方でいいのか、今一度考え直す必要がある。
改憲圧力も
「押しつけ」だ
占領下における占領軍主導の憲法制定は正常ではない。しかし、無条件降伏の条件として受託したポツダム宣言には、憲法体制の根本的変革の要求が含まれており、日本としては旧憲法を廃棄し新憲法を制定する義務があった。しかし、当時の日本政府にはその意思と能力がなかったために、占領軍主導となったが、それは決して好ましいことではなかった。当時の日本政府の最大の関心事は「天皇の命を守ること」。それと引き替えに憲法を受け入れた。だから、「押しつけ」的要素が全くなかったわけではない。
しかし、GHQは憲法草案作成に当たり、当時の民間草案などを参考にしたのであり、日本国民の意思をまったく無視したのではなかった。憲法の制定権が「国民」にあると考える以上、その出所がどうあれ、最終的に「国民」がそれを支持しているかどうかが憲法の正当性を決する。本来ならば、一九五二年の「独立」時点で、憲法承認の国民投票をすべきであった。それをせずにそのまま継承したということは、その時点で国民の承認があったものとみなされ、少なくとも、一九五二年以降は、「押しつけ憲法」だから無効だ、などという理屈は通らない。
「改憲」論者は、「押しつけ憲法」だから日本国民の意思は反映されていない、従って「自主憲法」を制定すべきだという。しかし、憲法と同程度に(場合によってはそれ以上に)日本の政治を規定しているものがある。それは日米安全保障条約だ。これは憲法以上に日本国民の意思を無視して占領軍によって押しつけられた。ところが、「押しつけ憲法」という人々から、「押しつけ安保」だから無効だという声はほとんど聞こえてこない。なぜなら、彼らには米国に正面から歯向かう気など毛頭ないからだ。歯向かえば自分の首が飛ぶ!
なぜ「押しつけ憲法」といっても許されるのか? それは、九条「改憲」はまさに米国が求めていることだからだ。「自主憲法」などというのはウソッパチで、実態は米国の要求に応えるための「改憲」であり、米国に追従しているだけだ。歴史的事実としていえば、やくざの世界からの「足抜け」を命じたのは米国。だから、“抵抗できない状況下で命ぜられた不本意な「足抜け」で、国民の意思を反映したものではないから、「自主的」にもう一度やくざの世界に戻ろう”というのが、「自主憲法論」の論理だ。「足抜け」を命じた米国が、「足抜け」しないで忠実な子分になれといってきた、だからいわれるとおりにしてきた。これが、戦後日本の実態だ。米国への従属ではなく本気で「自主」の道を進むのならいいことだが、しかし、それがもう一度やくざの世界に戻ることであっていいのか。
ヤクザの世界
に戻るのか?
現在、「改憲派」議員は八九%、九条改正賛成が七五%だという。しかし国民の間では九条改正派は三六%にとどまり、反対が五二%を占める。この夏の選挙の結果次第では、九条「改正」が実現しかねない。「改憲」を許すことは、やくざの世界に戻るという選択をすることであり、いま以上に米国の「三下」として、お金も貢ぎ血を流して「親分」に尽くすことが求められることになる。“いまの貧困から抜け出す道は戦争しかない”などという言説に共感する人もいるようだが、戦争は自分に関わりのないところで行われるとでも思っているのか。いつでもどこでも、貧困層ほど真っ先に銃弾の矢面に立たされることになる。
まずは九六条「改憲」が発議される可能性大だが、そうなったときには、これを国民投票で否決することで、国民の意思をはっきり知らしめる必要がある。(発言要旨、文責編集部)
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