アラブの春
ジルベール・アシュカルに聞く(聞き手:ジャック・バベル)
革命は第一段階から第二段階へ
雇用や社会的公正を要求 |
以下は、六月発行予定のアシュカルの英文著作についてインタビューしたものだ。アラブ地域に広がる民衆の決起全体を、アシュカルがマルクス主義的アプローチを通してどのように見通そうとしているか、が語られている。アラブ地域が歴史的に新しい段階に入っていること、それにふさわしい指導部の登場が切実な課題となっていることが主張されている。(「かけはし」編集部)
標題『人民は欲する』の意図
――『人民は欲する』という単純な標題を今回の著作につけた理由は?
この表現は、もっとも基礎的なものから、総蜂起のもっとも知られたスローガンである「人民は体制打倒を欲している」という表現にいたるまで、要求のあらゆる種類を表すために近頃の諸運動の中で使われてきている。これは元々、非常に有名なチュニジアの詩人から、その二つの詩句から来ている。それは仮定法で表現されているが、それに反して先の断定は現在形だ。そのスローガンが明らかにしているものは、集団的意志としての民衆が公共的舞台に登場したこと、政治的主体としての民衆の出現だ。何十年もの間専制政治の諸条件下に生きた諸個人の巨大な大衆が今、革命的な時代の中に踏みいりつつある。その時代は――私がいつも強調しているとおり――揺籃期にある。そしてこの過程は長期にわたる革命的過程だ。
――あなたが広範囲に扱っているものは「アラブ地域における資本主義の特殊な様式」だが。
われわれが今目撃しているものは、ある特定の地域を覆っている革命的衝撃波だ。これが指し示すものは、関係地域に共通な特別の諸要素の存在だ。そしてそれこそが分析されなければならない。われわれはマルクス主義的なアプローチにおいて、文化的な要素や反専制蜂起があるという事実への言及で、説明をよしとするつもりはない。それらの要素は確かにあるがしかしそれらは、この爆発がこのような形でまた歴史のこの時点でなぜ全般化したのか、という理由を説明はしない。
マルクス主義的なアプローチにおいて人は、爆発の実体的根っこ、つまり起きつつあることを支えている社会・経済的諸要素を調べる。これが私が行ったアプローチだ。そして私は、この地域には共通の荒涼とした社会・経済状況がある、ということを示した。そこには、数十年間も維持された世界記録的失業率が一体となっている。
ここにあるものは、特にドイツの経済政策に起因して欧州でわれわれが抱えている絡み合った危機ではない。これは長期間かかって進行してきた。そしてこれは今回の著作で私がやったように、アフリカ・アジア全体という他の地域と比較した場合であってさえ、この地域に特徴的な発展のいわば阻害物であることを証明している。そこで提起される疑問とは、この阻害物を成り立たせている根拠とは何か、だ。それらは資本主義一般に帰すことのできるものではない。つまりそうすることは、すべてを説明することで何も説明などしないのだ。この阻害に対する根拠は、資本主義の、生産様式の、世界のこの部分にある経済と政治の間にある関係の、特別な様式の中に見出されるはずだ。いずれにしろこれが、私が示そうとしたことだ。
チュニジア、エジプトの共通性
――あなたはこれらの社会を窒息させてきたものとして、金利生活者的で閉鎖的な利益配分の体制について語っているが。
それは、政治的に決められた、金利生活者的かつ世襲的国家の、ある種の身内で固めた資本主義の問題だ。そこでは取り分の多くが、資本主義の理念的モデルとしての、そこにあると想定されている「市場法則」にはしたがわず、むしろ政権とのなれ合いや結びつきにしたがっている。このすべてが、何十年かで着実に深刻化してきた阻害効果を生み出している。かなりの時間をかけて今やわれわれは、爆発の時が来ていることを感じることができるだろう。そして、それが可能であるところではどこでも、抑圧がそれを不可能にしていないところではどこでも、社会的沸騰がそれ自身を明らかにしていることを見ている。われわれは、特にあらゆることが始まった二カ国で、これまでに社会的諸闘争の高揚を見てきた。チュニジアとエジプトは、現在の爆発に先立つ何十年かに社会的諸闘争の、特に今回の爆発的潜在力を映し出した諸闘争の、明白な高まりを経験した国々だ。そしてその潜在力がその後実際に爆発した。若いブアジジ(焼身自殺したチュニジアの青年:訳者)が自ら捧げた自己犠牲は、この地域全体で非常にはっきりと高度に爆発的となっていた情勢を破裂させる火花となった。
――広く流布している考え方では、チュニジアとエジプトの革命は反動的なイスラム諸勢力によって絞め殺されてしまった、と主張されているが……。
それは、チュニジアの、次いでエジプトの選挙後に有力となった認識だ。そこでの結果は、原理主義的諸勢力の、宗教を商売の手元資金に変えた諸勢力の権力への到達となった。しかし私が信じるところでは、宗教的主張に誘い込まれるままに身を任せた者たちの多くは今日失望している。これは、原理主義運動から登場した新政権に対する抵抗の規模によって、さらにその継続によっても示されている。実際関係二カ国、つまりチュニジアとエジプトでは社会運動の高まりがある。加えて、リビアを忘れてはならず、そこでは、選挙は相対的にはるかに大衆的に行われ、原理主義者の敗北に終わった。
チュニジアとエジプトでは原理主義者の勝利があり、特にチュニジアではそれを今後の見通しの中にはっきり組み込む必要がある。しかし住民はものすごい早さで、これらの政府が状況を統御する能力をもっていないこと、基本問題である社会的危機に対するほんの始まりとなる解決策さえ提供できないことを実感しつつある。ひとびとは体制を打倒したがそれは、主張されているような、民主主義と自由を欲したからだけではない。運動は、チュニジアとエジプト双方で、鮮明な社会的要求、雇用や社会的公正や生活費の高騰といったものを伴って、社会的土台の上に動き始めたのだ。
その要求は非常にはっきりしていた。そして、原理主義者たちがまったく回答や対応策をもっていないのは、この側面についてなのだ。そしてその側面こそ、この地域における爆発の基本的駆動力だ。これらの者たちは、以前に存在した経済政策をまさに継続し、その社会・経済諸構造を生き長らえさせている。彼らはまさに、国際金融諸機構との同じ関係を継続している。彼らは、打倒された体制と同じような熱意をもってIMFがつける条件を呑んでいる。これがわれわれが今見ているものを生み出している。すなわちわれわれは、この地域の革命過程の第一段階を経た後で、すでに彼らの破綻の輪郭が浮上していることを見つつあるのだ。提起されている決定的問題はそれゆえ、オルタナティブのどのようなタイプが出現する可能性があるのか、ということだ。
変革に向けて幕開けたリビア
――リビアとシリアについては多くの人たちが、これらの蜂起は帝国主義によって接収された、そして混沌と絶望に行き着きつつあるにすぎない、と語っている。
まずリビアについて話してみよう。われわれはNATOの介入の後に、蜂起はその性格を変えた、という議論を数多く聞いた。さらにある人々は、カダフィは支持されるべきだったとの結論さえ引き出した。しかしながらリビア人の蜂起は、その始まりから地上でのいかなる国際部隊の介入をも拒絶することによって、その主権に対する鋭い自覚をはっきり示した。カダフィを倒したものはこの国の内戦、トリポリにおける反乱だった。NATOは確かに反乱の軍事的勝利に力を貸したが、しかし勝利したのは反乱に立ち上がった者たちだった。
もっとも奇怪な姿をあらわにした独裁制の、四〇年以上もの間存在してきたその名の通りの全体主義という種類の独裁の打倒が起きる場合、大衆的蜂起の打撃の下にそのような体制が砕け散る場合、ある種の無政府的で混沌とした状況は常に生まれる。すべての革命がそれを経験している。革命的蜂起の集中された指導部があるならば、あるいは規律ある革命軍によって体制が打倒されたのであれば、人は状況を統御できる。しかしこれは、リビアに当てはまる事例ではなかった。
進歩の観点から見てわれわれが望むようなものに対応する指導部の不在という中では、四〇年間も生き長らえてきたものを原因としたリビア社会の政治的未成熟という現在の諸条件の中にあるものは、それだけに一層より良いものだ。今日、この国には巨大な沸騰がある。そしてそこにメディアはまったく関心を示していない。何よりも武装した民兵が引き起こしている混沌とした状況――しかしこれ自体は、内戦の最初の局面で軍隊が崩壊した場合の多くの情勢において、特に一九七六年のレバノンで経験されてきた――は、その治安状況は、恐れられてきたと思われることと比べれば、目立って節度が保たれている。「もう一つのソマリアが生まれるだろう」などと言われ続けたが、それは実際にあるものとはまったく異なっている。
そこにあるものは、出現中の社会運動、途切れることのない政治的要求、武装集団反対を含む政治的抗議、表現手段の、新聞の本物の爆発、公開論争の爆発だ。女性運動や、エジプトにある一つと結びついて立ち上がった自立的労組連合すらある。バランスシートは本当に興味深い。これまで語ってきたことだが、ものごとがどのように進展するかを言うことは難しい。確実なことは、リビアには情勢の大きな幕開けが起きた、ということだ。
シリアに対する西側諸国
――それでシリアはどうか?
シリアに関する西側諸大国の姿勢は非常に異なるものだ。あなたは端的に、リビアに関するサルコジの偽善に満ちた姿勢と、シリアに関するオランドのうわべの姿勢すらないことを比べるべきだ。そしてこれは、彼らの政策間の原則的違いの問題ではない。賭けられている課題は同じものではなく、リスクやコストも同じではない。双方の場合で西側諸大国にあるものは、体制との合意に達したいとの願いだ。彼らはそれをリビアで、カダフィの息子たちと交渉しつつ、最後の日々にいたるまで追求しようとした。これこそが、シリアで二年間彼らが試み続けてきたことだ。
彼らが武器配布を拒絶している理由がこれだ。ここまでワシントンはどのような武器配布も拒否してきた。バシャール・アル・アサドは、その第一条件が彼自身の退陣となると思われる、そのような交渉による解決を頑なに拒否している。この彼の頑固さへの対応としてワシントンは近頃、彼らの地域における連携相手が武器を送ることに対し、明らかに青信号を送り始めている。
政権を全面的に支えているロシアとイランを前にした西側諸大国のこの姿勢が、アサド政権が二年間にわたる全期間虐殺を続けることを助けてきた。犠牲者については七万人といった数字が挙げられている。多くの人々はもっと多いと言っている。難民の数は度を超している。情勢は絶対的に恐るべきものだ。七万人が死んだとわれわれが言う場合ここには、負傷者の数ははるかに多いという意味がある。これは絶対的に悲劇的情勢であり、そこには西側諸大国の、彼ら自身の利益、彼ら自身の戦略的考慮が指令する犯罪的な共謀がある。
リビアの蜂起に関し、シリアの蜂起、さらにもっと多くのそうしたものに関して彼らにつきまとっているものは、その国の地政学的情勢を考慮するこの同じ疑惑なのだ。われわれが反帝国主義者でありたいと思う場合強く非難しなければならない対象は、帝国主義のこの犯罪的姿勢であり、ある人々がやっているような反乱ではない。
自立した左翼的極が必要
――そのとき長期的には、この過程に対してどのような希望があるのか?
現在の蜂起について私が行った分析の論理的な結論は、前向きな成果はただ一つ、労働者と民衆運動を基礎とし進歩的性格の綱領を備えた、社会的必要の充足に集中し、この用語に加えられてきた多数の諸要素を考慮に入れつつ発展の道に沿ってこの地域の諸国に取り組む、そのような指導部の出現だと思われる、ということだ。そこで求められる発展は、国家が中心的役割を果たし、世界中を支配している新自由主義の教条とは絶対的に対立するものだ。しかし状況は一国ごとに異なっている。
チュニジアはおそらく、UGTT(チュニジア労働総同盟)の役割と今日UGTTを率いているチュニジアの左翼の連合である、人民戦線とのその結合を考えた時、このタイプのオルタナティブがもっともありそうな、少なくとも潜在的可能性をもつ国だ。この結合は、この国で起きていることの中で支配的な力となる潜在力をもっている。左翼は労働者運動を政治的戦闘に関与させるために努力する必要がある。そしてその社会的綱領に関し、リベラルやもっと悪いことだが打倒された政権メンバーから構成された野党との間で、旗印を混ぜ合わせることなく、自立した左翼的極をはっきり確立する必要を理解しなければならない。そのような者たちを連携相手とすれば、新自由主義の政策と絶縁することなどできない。
同じ問題がエジプトでも提起される。そこでは、大統領選挙の一回目で三位につけたナセル主義派候補者のハビビ、並びに新しい労働運動である独立労組連合が率いる民衆潮流が代表となる、潜在的可能性がある。そして、民主的獲得物の防衛に向けたより幅広い連携と対立するものとなることのない、社会的分野で闘う左翼のオルタナティブの主張という、同じ問題が提起される。リベラル反政府派や前政権につながっている者たちはすべて、以前に存在した社会・経済政策に対するオルタナティブをまったくもっていないという点で、政権にある原理主義者と共通点を持っている。それらの者たちとは異なる社会的・経済的独自性を前進させることが重要だ。進歩的オルタナティブの出現がなければ、危機が反動的な逆行にいたる可能性という危険がある。
――欧州でわれわれは、これに関して責任を負っているのだろうか?
その通り。いかなる場合でも労働者運動、急進左翼は、またシステムに対するオルタナティブを防衛するものは、その地域の蜂起の中にいる対応する諸勢力との結びつきを打ち固めなければならない。これは、国際主義的、利他主義的義務であるだけではない。地中海の他岸で起き進行していることが社会的急進化へと進むことになればそれは、欧州左翼それ自身の最大の利益でもある。欧州を今揺るがしている危機とギリシャやスペインのような国々で進行中の急進化に対して、相互共同作用が作り出されることは今可能なのだ。
▼ジルベール・アシュカルはレバノンで育ったが、今は、ロンドン大学の東方アフリカ研究学部(SOAS)で政治科学の教鞭をとっている。彼のもっとも読まれている著作である『野蛮の衝突』は、二〇〇六年に増補第二版が出版された。他に、中東に関するノーム・チョムスキーとの対話本『危険な権力:中東と米外交政策』(第二版、二〇〇八年)、最新著作として『アラブとホロコースト:物語でつくられたアラブ・イスラエル戦争』(二〇一〇年)など。アラブの蜂起を分析している次作は、二〇一三年春に出版予定。
▼ジャック・バベルは、国際活動、特にアラブ地域における共同活動に責任を負っているNPAメンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一三年四月号)
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