世界社会フォーラム・チュニスに参加して(上)
地域に根づき世界を変える模索
秋本陽子さん(ATTAC・Japan)、茂住衛さん(アフリカ日本協議会)に聞く
|
「もう一つの世界は可能だ」を合言葉に二〇〇一年に始まった世界社会フォーラム。今年は二年前の「アラブの春」の先駆となったチュニジアの首都チュニスで三月二六日から三〇日まで開催された。このフォーラムに参加した秋本陽子さん(ATTAC・Japan)と茂住衛さん(アフリカ日本協議会)に、話を聞いた。
平和的「革命」
の過程は続く
――さる三月二六日から三〇日までチュニジアの首都チュニスで世界社会フォーラム(WSF)が開催されました。前回、セネガルのダカールで開かれた二〇一一年の世界社会フォーラムは、前年の一二月からチュニジアで始まった「アラブの春」のただ中で開催されたわけですが、今回、世界社会フォーラムはチュニスで行われた意味も含めて、参加されたATTAC Japanの秋本陽子さんと、アフリカ日本協議会の茂住衛さんにお話を伺いたいと思います。
秋本 世界社会フォーラム(WSF)の今回のテーマは「ディグニティー(尊厳)」です。では「ディグニティー」とは何かを考えてみたいと思います。「尊厳フォーラム」と言ったら宗教団体か、上から目線のフォーラムのように聞こえます。アフリカ大陸で開かれましたが、チュニジアはアラブの世界ですから、アラブの世界での「ディグニティー」は何かについて考える必要があります。それは、日本語では「社会的公正」と読み替えることができると思います。たとえば分かりやすい形で言えば、アラブでは、女性の権利――もちろん女性の権利状況については、北アフリカ諸国でそれぞれ違いがありますが――が十分に認められているわけではなく、パレスチナ国家の存在も国際的に承認されているわけではありません。そういう意味で、個々の尊厳が何かについて考え、それを理解し、尊重するために、「ディグニティー」をテーマ設定し、言い換えれば「社会的公正」にフォーカスしたことは大きな意味があったと思います。
もう一つ、チュニジアで開催されることは、たとえば二〇〇九年にブラジルのベレンでWSFが行われた時、イメージがあったかというと、それは皆無でした。チュニジア開催は全く構想されていませんでした。ベレン後に、WSF国際評議会で、アフリカ開催が決定され、二〇一一年にセネガルのダカールでWSFが行われましたが、その二年間の過程で、北アフリカでやろうなどとは全然考えてもいませんでした。
ところが、急転直下の事態がチュニジアで発生しました。二〇一〇年の一一月頃から北アフリカで民主化運動が始まり、ついに二〇一一年一月一四日、二四年間続いたベン・アリ政権が崩壊しました。ATTACチュニジアの活動家や、今回のWSF実行委員会のメインアクターであるUGTT(チュニジア労働者連合)の組合員たちは、ベン・アリ軍事政権を倒した勢いでダカールにやってきて、そして過去に何回かマグレブ社会フォーラムやモロッコ社会フォーラムを開いてきたATTACモロッコなど北アフリカの活動家たちも、チュニジア革命に鼓舞されながら、ダカールにやってきました。WSFダカールの最終日に開かれた社会運動総会には、ATTACチュニジア代表のチャムキが大喝采を受けて登壇しました。スピーチ途中で、エジプトでムバラク政権が崩壊したとニュースが入ると、さらなる大喝采が起こりました。ここで、初めて、次はチュニジアという可能性が構想され始めたと思います。
したがって、WSFチュニジアが構想されたときから、WSF二〇一三のテーマは、アラブの「春」ではなく、実にリアリティのある実現可能性を秘めた「革命」でした。もちろんその革命とは、武力による暴力革命ではなく、二一世紀型と言えると思いますが、一般の市民が参加し、武器を使わない平和的な革命です。すなわち、民衆が結集することで平和的な革命により本当に「もうひとつの世界は可能だ」となったわけです。
パレスチナから
も多数の参加
茂住 チュニスでのWSF開催が、二〇一一年一月のベン・アリ政権を打倒した革命があったからこそ実現したということは明らかですね。二〇〇七年にはケニアのナイロビでWSFが開催されましたが。同年末の大統領選直後の暴動を扇動した罪によって、今年の大統領選によって大統領に就任したウフル・ケニヤッタがICC(国際刑事裁判所)に訴追されているという事態にも見て取れるように、ケニアでは政権の腐敗や政治的な暴力が深刻な問題になっています。それでもナイロビでWSFが開催できたということは、深刻な政治的な対立や暴力が存在し、政権がWSFに協力的ではない場合であっても、独裁政権や警察国家とは異なり、政権にとって「好ましくない」人々であっても入国を拒否しないのであれば、WSFを開催することができるということを示していると思います。逆に言うと革命前のベン・アリ政権時代であればWSFがチュニスで開催されることはなかったでしょう。さらに、アフリカでWSFを開催するにあたってポイントになることは、開催地が国際的な観光都市などであり、大量の外国人を受け入れるだけの宿泊施設などのキャパシティーがあるということでしょう。その点で、二〇〇六年にマリのバマコで一万人以上を集めてWSFが開催されたことには驚きましたね。
チュニジアは本当にヨーロッパに近い。イタリア領のシチリア島からは一〇〇キロメートルほどしか離れていません。ローマとカルタゴという古代世界以来のつながりもあり、チュニジアからシチリア島まではパイプラインが通っています。フランスやイタリアからはチュニスでのWSFに参加することは、他の国から参加することに比べるとかなり容易でしょう。一方で、チュニジアと陸続きのアルジェリアからの参加予定者の中には、アルジェリア政府によって出国を拒否された人も少なくなかったと聞きました。
今回のWSFの参加者の数は七万人とも四万人とも言われていますが、アフリカで開催されたこれまでのWSFと同様に、参加者の三分の二は地元の人々ではないかと思います。
チュニジアではアラビア語が公用語になっていますが、旧宗主国のフランス語も広範に使われています。ヨーロッパからはフランスの他にイタリアやスペインからの参加者が多かったようです。フランスにとってチュニジアは旧植民地ですが、同じ北アフリカの旧植民地であっても、アルジエリアとチュニジアでは植民地支配のあり方と独立の経緯に違いがあり、現在の両国の対フランス関係も違っています。
またチュニスには、かつてPLO(パレスチナ解放機構)の亡命本部がありました。その点でもチュニジアは、パレスチナの人びとにとってアラブ世界の中でも親近感を持ちやすい国ではないかと思います。パレスチナの人々はWSFに毎回参加していますが、今回のWSFでは、これまでにもましてパレスチナの存在感が大きかったと言えますね。
秋本 パレスチナからは、おそらく過去最大の人数でWSFに参加したと思います。彼ら彼女たちは、オープニングのデモでも目立っていました。
遭難した移住
労働者を追悼
――チュニジアからの参加者が全体の三分の二といったとき、その主体はどのような人々でしょうか。やっぱり労働組合ですか。
茂住 地元からの参加者の多くを組織したのは、やはり労働組合でしょうね。その一方で、イスラムの布教のためのパンフレットを配っている人もいて、その人たちも参加者のカードを付けていました。オルタ・グローバリゼーションの社会運動とは(おそらく)無関係にイスラムの布教に来た人もいるし、それから日本のアニメのファンで、日本人を見つけると写真を撮ってくれと言ってきた二〇歳前後と思われる人たちにも何人もいました。
チュニジア最大の労働組合組織であるUGTT(チュニジア労働者連合)は、もともと独立以降のブルギバ大統領の体制を支えていたという歴史があります。前大統領のベン・アリは、健康上の問題を理由に実質的にはクーデターによってブルギバを大統領の座から追放しましたが、体制の根本的なあり方としては、その後もさほど変わらなかったと言えるでしょう。その点では二〇一一年一月一四日以後にアンナハダ党(イスラム主義の現政権党)と対決して登場した革命派が、UGTTをどれほど信頼しているかは微妙ではないかとも思います。
それでもチュニジアの人びとにとっては、チュニスでWSFを開いたこと自体が自信にもなっているのでしょう。私の印象に強く残っているのは、北アフリカのマグレブ諸国から移住労働者として、ボートに乗ってヨーロッパに向かって地中海を渡る途中で行方不明になった何千人もの人々の名前を書き連ねた一〇メートル以上の幕が置かれていたことです。
今回のWSFには、行方不明になった人たちの家族や親類も参加していて、その人たちは行方不明になった自分の身内の消息を知らせてほしいと繰り返し訴えている。あまりこなれているとはいえないが、ともかく自分たちの思いと要望をストレートに訴える英文のチラシも配られていました。その人たちにとってWSFは外国人とりわけ渡航先のイタリアやフランスの人々に直接に訴える場になっている。こうした人たちにもWSFという場が開かれていたことの意義は大きいと言えるでしょう。
他方で、サハラ砂漠以南のアフリカからの参加者は、ほとんど目立ちませんでした。ジンバブエなどで活動しているAFRODAD(債務と開発に関するアフリカ・フォーラム/ネットワーク)はワークショップを開催しましたがが、それ以外のサハラ以南のアフリカからの参加団体や参加者はどこにいるのかよくわからなかった。二〇〇七年のナイロビでのWSFの時に「WSFに無料で参加させろ」という要求を掲げてWSFの会場の内外で抗議活動を行った人々のほとんどは、ケニアと南アフリカの活動家でしたが、今回は、ケニアや南アフリカからの参加者は、いくらかはいたのでしょうが、どこにいたのかという印象を受けましたね。
二〇一一年のダカールでのWSFの時には、セネガルだけでなく周辺の旧フランス植民地の国からも多くの参加者がいました。今回のWSFは、同じアフリカのフランスの旧植民地で開催され、ダカールでのWSFの組織化の中心を担ったENDA(第三世界環境・開発アクション)のパンフレットは見ましたが、西アフリカからの参加者はあまり多くなかったようです。北アフリカ・中東からは、それなりに多くの参加者がおり、リビアからの参加者もいたようですが、アルジェリアの出国拒否の例のように、チュニスまで来ることができなかった参加予定者もいたようです。
政治的には
微妙な関係
――いま中東といった場合、情勢の中心になっているのはシリアですよね。シリア問題の論議はあったのですか。
茂住 私が知っている限りでは、現在のシリアにおける人権侵害についてのセミナーなどは開催されたようですが、現在のシリアの内戦における一方の立場を支持するようなアクションは直接には見受けられませんでした。
今年に入って、アルジェリアでは日揮の事件があり、マリでのフランス軍の軍事介入がありましたが、NO VOX(持たざる者の国際連帯行動)が主催したインフォーマル・ワークについての分科会で発言したマリからの参加者も、これらの事件のことについてはまったくふれませんでした。当事者間での分断や混乱がもたらされるような問題については、簡単に単純化して自らの意見を言うことができないのではないかと、考えています。
一方で、アラビア語で「グローバル・レジスタンス」と表記して何人もの世界的に有名な人物(指導者)の顔写真を掲載した横断幕(私はアラビア語がまったく読めないので、英語で意味を聞いたのですが)には、チャベスやネルソン・マンデラ、ガンジー、さらには、アサドもカダフィもハマスの指導者のヤシンもビン・ラディン(とおぼしき人物)の写真も掲載されていました。この横断幕では、「反米」と評価された人物であれば、どのような政治的な立場であってもすべて「グローバル・レジスタンス」と評価されている。
このような横断幕が堂々と掲げられている場に、現在のシリアの反政府勢力の人たちが簡単に来ることができるとは考えにくいでしょう。実際には、シリアからの出国もチュニジアへの入国も困難だと思いますが、仮にシリアの反政府勢力の人たちが今回のWSFに参加できたとしても、WSFが暴力的な対立の場になってしまうことも考えられるのではないでしょうか。
またWSFの国際評議会(IC)などで、現在のシリア情勢に関して何らかの立場表明をしたということも、私は知りません。
秋本 先程もお話したように、次はチュニジアだと言われたのは二〇一一年のダカールのフォーラムの時でした。ただしそれは最終決定ではなくて可能性の追求でした。二〇一一年の八月にドイツのフライブルクでATTACの夏季セミナーがあり(本紙二〇一一年一〇月一七日号、秋本さんへのインタビュー参照)、そこにATTACチュニジアの人が来ていて、次はチュニスだと言っていましたが、それは正式のものではありませんでした。去年の前半も本当にチュニスでやるかは、微妙なところがありました。チュニス開催が正式に決まったのは、昨年七月にモロッコ・モナスティールで開かれた国際評議会です。チュニジアでの組織委員会の正式発足は、それ以降だったと思います。大慌てで作ったことと、アラビア語で議論しているので、英語圏の人たちには全く伝わらなかったために、プロセスが見えない、準備が進んでいるのかどうかが伝わらなかったのだろうと思います。
しかし、マグレブ/マシュレク社会フォーラムやアフリカ社会フォーラムなどの経験を基本としたことと、アフリカ評議会の強力なバックアップがありました。そこに民主化革命に参加したチュニジアのNGOやUGTT(労働者連合)など様々なグループが集まり、さらに、ベイルートに本部があるアラブNGOネットワーク(ANND)も参加しました。ANNDは、アラブ一〇カ国でネットワークを作っている組織で、WSF国際評議会のメンバーでもあります。ANNDには、イスラエルのグループも参加しています。WSFチュニスは、アラブのこうした人たちまたはグループが議論に参加することで、創り上げられていったと言えます。ですから、しっかりしたものというよりは、かなり足下がふらついた形で始まったのではないかと思います。政府との関係でも、どういう枠組みで作って行くのかという点で議論があったと思います。
そしてWSFチュニス開催のためのWSFの国際評議会は工夫しながら、北アフリカで何回か開催されました。チュニジアでICが開かれた時には、北アフリカから欧州に渡る船が難破したことで命を落としたアフリカ移民たちを偲ぶために、イタリアからの参加者は船でチュニスに行く、ということを象徴的にやりました。
――WSFの一カ月前にチュニジア人民戦線の指導者だったショクリ・ベライードが暗殺され、それに対する抗議行動があったりしたのですが、その辺の情勢の影響はどうだったのでしょうか。
秋本 暗殺されたベライードの写真を胸に付けてデモをしていた人があちこちにいて、彼が幅広く多くのチュニジア人から支持されていたようです。
チュニジアで多くの人が集まったデモの場所は内務省前の通りです。日本だと首相官邸前にあたります。日本の首相官邸というと外部から見えないように作られていますが、チュニスでは内務省前に有刺鉄線が張ってあるくらいで、日本と比べると、簡単に中に入れてしまうというぐらいの所にありました。そういう意味では日本ってひどいな、と思いました。
茂住 デモという点では、日本とはまったく違って、デモ隊が道路を占拠しても特に規制はされませんでした。
秋本 そういう意味では日本は最低だと思いますね。
私の印象では若者がすごく多かった。社会全体の人口構成が若い、ということもありますが。それから政権が開催を認めていたということもあって、町全体がフォーラムのことを分かっていて、本当に参加登録したのかどうかわからないけれどいろんな人が会場に来ているし、外国人が来るんだなという気分はありましたね。だからそこに行けばなんかあるだろうと思ってきた人が、かなりいたと思います。
参加者の登録人数が三万人とか五万人というよりも、本当に町の近くにあるので幅広い人がちょっと見に行こうかといいう感じで、様子見や冷やかしの人も含めればかなりいるだろうと思います。
組織的準備は
パーフェクト
――ちなみに会場はどういう所ですか。
秋本 大学のキャンパスです。
茂住 前回のダカールでのWSFの時もダカール大学が会場になり、授業を休講にして教室を使用できるようにしようと計画されていたようですが、実際には授業が続いており、教室はほとんど使えませんでした。大学構内の空いているスペースにテントを建てるなどしてようやく会場が確保できた。さらにプログラムも、ナイロビでのWSFの時と同様にいつ配布されるのかわからないという状態でしたね。
しかし今回のWSFでは、もののみごとにプログラムは初日に完成しているし、教室は全部使える。臨時の通訳ブースも小さな会場までそろっている。各セミナーでの使用言語(ほとんどはアラビア語のみかフランス語との併用)以外の言語への通訳を希望する人には携帯電話とイヤホンが渡され、FM電波にのせて流されている通訳者の声を携帯電話で受信するというシステムになっていました。実際には通訳者がいなかったケースも多かったのですが、通訳のためのシステムはとりあえず用意されていました。
さらにチュニスの市内は、数分おきに電車(トラム)が運行されており。郊外電車も整備されています。電車に乗れば市内の主要な場所には短時間で行けるようです。チュニスだけでなく、他の都市もインフラの整備が進んでおり、主要都市間には高速道路が整備されています。こうした光景だけを見るならば、チュニジアが途上国であるとは思えなくなってしまいましたね。また、今回は日本で事前にシムフリーの海外用の携帯電話を購入して、チュニスでシムカードだけを購入しようと考えていました。ところが、チュニスの空港でチュニジア・テレコムが、WSFの参加者に一定の通話料金込みのシムカードを無料で渡していて、かなり驚きましたね。
――そういう意味で、プログラムから会場から通訳ブースまで、みんなそろっているというのはWSFとしては稀に見る組織化の良さですね(笑)。
秋本 チュニス自体、町が小さいんですよ。会場まで行くのもタクシーで一〇分くらいだし、電車に乗ってもそんなにかからないし。WSFは二〇〇一年にブラジルのポルトアレグレで初めて開催されましたが、ポルトアレグレは都市の規模が大きすぎるし、電車も走っていない。その点では一番コンパクトな世界社会フォーラムだったかな。二〇〇四年にインドのムンバイでのWSFの時も会場は巨大でしたが、今回のWSFの会場になったエル=マナール大学はさほど広くなかったし、駅から近いし、動きやすかったですね。
茂住 エル=マナール大学のキャンパスは、東大の駒場キャンパスぐらいの広さで、トイレなどの施設もおおむねきれいでしたね。
秋本 茂住さんが宗教団体もいたと言いましたが、USAID(米合衆国国際開発庁)というアメリカの機関のブースがあり、国連関係のブースもありました。USAIDから今回のWSFの組織委員会が資金をもらったりしていたかどうかはわかりませんが。
茂住 先ほどのシムカードの無料配布とも関連しますが、ヨーロッパに近いという地理的な特徴を活かして、チュニスをUAE(アラブ首長国連邦)のドバイのように、北アフリカ全域の金融・情報センターの中心にしようという計画があったそうです。
その計画自体は挫折したが、チュニジアではIT産業がかなり発展していると聞きました。ヨーロッパのIT企業の工場があり、教育水準や大学進学率も高い。識字率も、途上国の中ではトップクラスの高さでしょう。IT産業を受け入れやすい基盤がある一方で、石油パイプラインは通っていますが、隣国のアルジェリアやリビアに比べると、石油や天然ガスなどの資源の埋蔵量は限られたものでしかない。こうした事情から、チュニジアでは十分に訓練された人的資源が豊富にあるとも聞きました。
秋本 チュニジアの南部では、シェールガスが発見されて注目されているようですね。 (つづく)
|