「六ヶ所村の記録」鎌田慧著によせて (1)
原発の悪政を射ぬく労作 |
本稿は鎌田慧さんの著作「六ヶ所村の記録」――核燃料サイクル基地の素顔(岩波現代文庫〈上〉〈下〉)の紹介であるが、下北半島に原発関連施設が建設される過程が詳しく描写されている。時の権力と資本が地方自治体を巻き込み、いかに巧妙に農漁民を欺き続けてきたのか事実に即して明きからにしている。それは今日の全国の原発立地地域の問題を凝縮しているだけに留まらず、沖縄や三里塚にも通じる。(「かけはし」編集部)
もくじ
?お前だち(県職員)は、会社の味方だ、それともおれたちの味方なんだか、どっだべ(今号)
?寺下村長の正論 ゼニでふみつけ
?開拓ではなく 帝国主義の収奪
?最悪の終末処理半島
?自治、民主主義の破壊 人権侵害のあとには
?むすび
さきの戦争――第二次大戦で多くの人がだまされていた、という。
「“だまされていた”といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」(伊丹万作「エッセイ集」より)。昨年八月一四日朝日に載った記事である。
著名な映画監督のエッセイ、載った紙面の意味するところは、大方の読者に共感を得、脱原発と原発再稼働にゆれるたわいない世論に対する警世の一言であった。朝日という言論人の自戒でもあったろう。
そこでだまし、だまされるということは、個人の心がけや“知”うんぬんではない。社会をおおうイデオロギー、体制や仕掛けとしてつくられ、積みあげられるということ。今回の場合は原発の安全が科学的な検証に裏づけられることなく、やみくもに安全と思い込まされていたことである。
細川内閣の総理大臣特別補佐の経歴をもつ田中秀征氏は、そのあたりを大所高所から大変わかりやすく話している。
「三月一一日の大地震が発生してほぼ一時間後、大津波が福島第一原発を襲って一〜四号機の全電源が喪失した。
電源が失われれば原子炉を冷やすことができない。科学技術に疎い私でも危機の大きさが理解できた。
なぜ、津波が来るような場所に原発をつくったのか、なぜ万一の場合の備えを怠ったのか。
素朴な疑問とともに激しい怒りが湧いてきた。私が直ちにそう感じたように、今回の原発事故の原因は子供にもわかるほど単純明快だ。
関係者がこの災害を本気で避けようとすれば、容易に避けることができたのだから、紛れもなく“人災”である。
この事故を招いた東京電力の罪は非常に重いが、指導、監督してきたはずの行政の罪はそれをはるかに上回っている。
私はかねてから、日本の統治構造の致命的な欠陥は、多くの行政分野で、チェック機能が麻痺し、機能不全に陥っていることだと警告してきた」(『世界』、一一年七月)。
日本には本当の民主主義がない。問題の根源は偽装民主主義だ、と。
昨年はそれぞれの立場から事故調査報告書が出され、書店にバラ積みになっていた。政治に愛想がつきた一二月総選挙の結果とかさなって見えた。
政府の事故調査、検証委員会の柳田邦男氏が、米原子力規制委員会(NRC)の前委員長ヤツコ氏と意見の一致を確認した“住民の安全が最も重要”という視点。同委員会の吉岡斉氏は、「原子力事業者がよくもこれだけ何もやってこなかったなということです。間違ったことをしたというより、やるべきことをしなかった。不作為が最大の問題です」。二つは平凡なようで、最も的を射ている。
国の原子力安全規制が海外の知見を取り入れないでガラパゴス化し、あるいは“原子力むら”が再三再四やり玉にあがった。なぜそういう体制をつくってしまったのか、については殆んどふれずじまいである。
事故調にはそれぞれの専門家、有識者が動員され、分厚い報告書が出された。それらは鎌田慧「六ヶ所村の記録」を読んだ後では、なんとも青臭い。
なぜかと言えば、柳田、吉岡両氏が指摘しているように、住民の安全、生活、生命が最も大切、という視点が明らかでない。名もない住民、農、漁民、労働者、それに連なる人々を世の中の中心にすえていない。民主主義の原点を忘れたままである。
文庫版に書き下ろした鎌田氏の労作、それでもなおかつ書きたりないことがいっぱいあると記している。問題意識が一つの冊子におさまらず、文面からもあふれ出している様がよく分かる。読む側からすれば、どこを読んでも読みごたえがある。
全体を構成する手法の圧巻は、満蒙(中国東北部)開拓の死線をこえてきた開拓農民が、戦後ふたたび下北半島の開拓にたずさわる。戦前の満蒙、中国侵略と、鳥も通わないといわれた下北半島の開拓、村おこし、農・漁民が権力からどう扱われてきたか、その酷似がパノラマのように描かれ、浮かびあがる。
福島の原発事故は、日本列島にまるごとはりついた病巣に根ざしている、と気づかされる。
お前(め)だち(県職員)は、会社の味方だか、それともおれたちの味方なんだか、どっちだべ 戦後の民主化は国民の活力を解放した。農地改革と労働三権の承認、独占禁止法による経済の民主化がはかられた。自分たちの働き出したものが、戦前のように独占資本と地主に奪われるのではなく、それなりの分け前が得られる。
国土が狭く、資源がとぼしい上に、人口が多い。満州に移民、開拓、侵略しなければ貧困からぬけ出せない。それは独占資本、地主の搾取をかくし、国民をだます宣伝だったと気づかされた。「欲しがりません勝つまでは」、「稼ぐに追いつく貧乏なし」。この手のだまし文句を、一時は笑いとばせるようになった。
海外から次々に導入される技術革新とあいまって、高度成長期(一九五九〜一九七三年)経済の平均成長率は、実質一〇・五%、年毎の働き出し額GNPの三分の一強を生産の拡大、投資に回す強蓄積を生み出した。
アメリカに次ぐ世界第二の経済規模に達したとき、日本は水俣病をはじめ、公害がまん延、環境庁発足(一九七一年)、一ドル三〇八円に切り下げ、石油ショック、通貨変動相場制を導入する。
田中政権は列島改造論で高度成長の再現を目ざすが、すでに農業基本法(一九六一年)により、農政は大規模化で農民を六割切り捨てるだけの“ノー政”といわれた。過疎、過密が深刻になった。
「むつ湾小川原湖大規模工業開発調査報告書」(日本工業立地センター、一九六九年)。このパンフレットを片手に、衆議院の予算委員会で、公明党の小川新一郎議員が政府を追及したのは一九七一年二月。
「新全国総合開発計画」(一九六九年五月三〇日、閣議決定)以前に、くだんの報告書が財界の手に渡り、土地の買い占めがどんどん行われていた。
一九七〇年一〇月現在、「約三〇〇〇ヘクタールの登記がえがこの地点で行われている。ところがその買収者は不明であるという答弁がきている。国および県は用地の買収を行っておりません。……名前を言わないけれども、東京のM不動産とか、何とか不動産という大会社が行ってどんどん買いまくっている。……下北半島の荒れ地を坪四〇円で買っているじゃないですか」(「六ヶ所村の記録」(上)、二六頁)。
「むつ小川原開発株式会社」が設立総会を開いたのは、それから一カ月後である。発起人総代植村甲午郎経団連会長、藤原義重関経連会長、木川田一隆経済同友会会長(東電社長)、永野重雄日本商工会議所会頭をはじめとして財界団体のトップ五五人が名をつらねている。
四〇円で農民から買った土地が坪二〇〇〇円にも三〇〇〇円にもはね上がっている。土地の先行取得に関連しては江戸英雄不動産協会理事長(三井不動産社長)、渡辺武次郎三菱地所会長が入っており、原発関連では井上五郎中部経済連合会会長(動力炉、核燃料開発理事長)、若林疆東北電力社長が名をつらねる。
これからの五年間で三万ヘクタールの用地を買収。「壮大にして未曾有の官民一体の大会社は“土地ブローカー”の思惑買いに対処し、土地の先行取得をおこなうのを当面の目的として発足したものだが、取締役会にはいった江戸英雄の率いる三井不動産が、まっ先に“思惑買い”に走っていたのだから右手で安く買った土地を、左手に高く買わせるようなデタラメといえる」(同前、三〇頁)。
一九七一年三月二五日、むつ小川原開発株式会社設立。三月三一日、財団法人むつ小川原開発公社設立。
県機関の公社が、民間企業の委託を受けて用地買収を代行する。いわば官が民の下請となったダミーである。この買収部隊の本拠地が、旧フジ製糖の廃屋のなかにおかれることになった。国の保護、県の奨励によってビート栽培が青森県の太平洋岸に福音を与えるかのように喧伝され、一時ビートで製糖を行う拠点であった。政府の粗糖貿易自由化で、あえなく工場閉鎖に追い込まれ、労働組合が閉鎖に反対して一年以上も占拠した場所である。
七一年三月の年度末、開発公社に出向する職員の壮行式で竹内知事は、「青森県政の命運を決するむつ小川原開発の大事業の成否は、公社職員諸君の双肩にかかっている」(同前、七三頁)と檄を飛ばし、受ける出向者は、この開発の意義をよく理解し、かつての第八師団に負けない気概と勇気をもって当りたい、と応じている。陸軍第八師団は弘前市にあって、旧満州へ出兵した部隊である。出向者はむつ小川原開発を推進する先兵であった。
“農民はいわば匪賊だった”。著者の錘鉛はたしかである。
「計画されている巨大開発は鉄鋼(原子力製鉄)、石油精製、石油化学、アルミ精錬など、電力多消費型産業であるが、東通村に建設が予定される巨大原子力センターの狙いは、その需要を賄うと同時に、原子力開発の拠点とも想定される。
七〇年六月二五日、竹内知事は東京、東北両電力と東通村の原発建設用地の買収取得協定に調印した。東京電力の四七八万平方メートルを県が委託買収し、七一年一二月末までに引渡す、というものである。
こうして、民間大企業にとって、もっとも困難で汚ない仕事ともいえる用地買収を、県費と県職員と行政権力を使って県が実施することになった」(同前、八一頁)。
東通部落は原発地帯に呑みこまれ、全戸立ち退きを強いられている。一本一本の雑木を伐り倒し、引っこ抜き、開拓課の世話になって水を曳き、血のでるような苦闘の末にできた美田である。今は開拓課の顔見知りが土地の買収に来る。ムシロ小屋をつくって、南部鉄瓶にジャガ芋を入れて食った、と開拓を語る馬場さんは、なんでもカネで解決しようというやり方が気に食わない、と。辛い記述が続く。
いつまでも反対していると先に売ったひとの迷惑になる、おんなや子どもたちが留守を守っているときに、ちょっとミトメを貸してくれ、といって承諾書にハンをつかせたり……、残っていた一戸も落ちたばかりのとき、「そこの家へ行って、割烹着姿の主婦と立ち話をしていた。と、彼女は「うっと軒先の端のほうへ身を移して、うずくまった。“誰が悪いんだか知らねえけんど、こういうこと(原発)はこなければいいのに”泣きじゃくりながらいう。“男たちは出稼ぎにいけばいいけんど、女たちはこれからなにをするんだかさ”……子どもや孫のためにはたらいてきて、これでカマド壊(け)してしまう(破産する)べな。二反の土地でどうして百姓やれるガシテ。これからなにするったって、まだなんも決まってねえ。東北電力だの、東京電力だのばかり儲げるんだべ。莫迦臭(バクセ)い」(同前、九〇頁)。
開発の中心となった六ヶ所村は、面積一万二一〇〇ヘクタール、戸数一一七五戸、五三二三人と、全村のほぼ半数が立ち退きを迫られることになった。
二週間後「村議会の全員協議会では、二二人の全議員が県の住民対策案に反対を表明した。さらに、八月三〇日、村議会でひらかれた“むつ小川原開発六ヶ所村対策協議会”(会長・寺下村長)は、住民対策案に対する批判ばかりか“むつ小川原開発”そのものへの反対を、満場一致で決議した」(同前、一八五頁)。
九月上旬、同対策協議会が実施したアンケートでは、開発反対が七六・六%、地域経済がよくなるなど賛成が一二・七%、どちらともいえないが一〇・六%だった。 (つづく)
(くどう ひろし)
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