障がい者・高齢者の避難
――その課題と解決策を考える
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【いわき】三月一七日に、「震災・放射能汚染後をどう生きるのか 第3回ふくしまフォーラム」が、福島県いわき市のいわき総合保健福祉センターで開催され、九〇人が参加した。
昨年六月三〇日、七月一日に第1回ふくしまフォーラムが開催され、一〇月二一日に第2回、そして今回と、ほぼ三か月に一回という極めて早いテンポで同フォーラムは開催されてきた。震災・津波と原発事故という複合的被害に見舞われたということと、事態が日々刻々と変化してきているため、「市民が復興の方向を議論する」という同フォーラムの目的上、このようなテンポの開催になってきているのだろう。
ドキュメンタリー
「逃げ遅れる人々」
今回のテーマは「災害弱者と呼ばれる障がい者・高齢者の避難 その課題と解決策を考える」である。フォーラムの主催者あいさつで、実行委員会代表の長谷川秀雄さんは、「3・11から二年目の月であることに加え、近い将来における東海・東南海巨大地震の発生が確実視されることから、東日本大震災の避難の教訓化と全国への発信が必要と考えた」とその理由を語った。
フォーラムは、まずドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障がい者」の上映から始まった。この映画は、主に福島県内の障がい者と支援者へのインタビューで構成されており、津波で亡くなった方の状況や避難所での障がい者の困難な生活などが、生々しく語られた。
ある身体障がい者は、避難所の体育館の中が避難者で埋め尽くされ、車イスでトイレに行くこともままならず、水分摂取を抑えて我慢し続けたこと、眠るときは、車イスに座ったままの状態を二週間続けたことなどを涙ながらに語った。
発達障がいの子供をもつ南相馬市のシングルマザーは、「この子を連れて避難所へ行ったら、多動で奇声を発したりという障がいの特性ゆえに、避難者とトラブルになるだろう」と考え、避難できなかったと語った。今でも、子供たちに無用な被曝をさせているのではないか、という思いが強く、自分の決断が正しかったのか自問自答の日々だという。
視覚障がいの夫婦は、自宅ならどこに何があるか感覚で覚えていて、援助がなくてもある程度自立生活はできるが、避難所はまったく別世界。いったんトイレに行ったら、元の場所に戻ってくることは不可能だ。寝ている人の足を踏んだりしないか心配で、とても避難する気になれなかったと語る。また救援物資の配給を取りに行くことができず困難な日々であったそうだ。
障がい者団体のリーダーは、自分たちが一歩一歩つくってきた生活が根底から破壊され、転々と避難させられている現状に対する怒りと「無力感」を、流れ落ちる涙とともに語った。
出演した障がい当事者の語る事実は、原発事故がもたらした惨状を鋭く告発し、観る者の感性を揺るがす。
揺れるケース
ワーカーたち
続いて支援者側から二人の報告がなされた。介護老人施設小名浜ときわ苑の村岡寛さんは、震災後の断水と物流の停止による、利用者、職員、家族一九〇人による千葉県鴨川市への二〇日に及んだ避難について報告した。
原発事故後に職員の避難が相次ぎ、このままでは一二〇人の入所中の高齢者の命は守れないと考え、法人の総力を挙げ避難受け入れ先の確保に走ったそうだ。その結果鴨川市の医療法人が受け入れてくれることになり、いわき市から「避難中も介護サービスを提供していることを認める」との確約を得て三月二一日にバス六台と随行車三台で避難に出発したとのこと。
利用者と職員が丸ごと一緒に避難したことのメリットとしては、ケアが継続できたことが大きい。しかし一方放射能汚染下で、自分の家族と離れて利用者と行動を共にすることが、職員と家族の関係にヒビを生んだケースもあったと述べた。また職場を離れ家族と避難した職員と利用者と行動を共にした職員の関係も難しい問題だとも。
当日配られた職員の手記にも、その点の苦悩が漂っていた。
一方スタッフもガソリン不足による通勤困難や、原発事故後のさまざまな家庭事情から自主避難をしなくてはならない人が現れ、通常の業務体制を維持することが困難となっていった。私自身も施設に泊まり込むようになった。妻や幼いこども二人と離れるのは脱腸の思いだった。しかし「ガソリンが手に入らないから、二時間かけて歩いて通勤してきた」あるいは「一緒に避難しよう」という家族の誘いを断り、涙を流しながら施設に残り、業務にあたることを選択した若いスタッフの姿に励まされ「自分もここでやるべきことをやろう」と決意ができた。
迷いながらも、それぞれが辛い決断を強いられた。医療・介護の現場では誰一人例外なく経験したことだ。
避難しないのでは
ない、できない!
南相馬のNPO法人さぽーとセンターぴあの代表理事である青田由幸さんからは、原発事故後の緊急避難で、七万人の人口が一万人まで減少した時の切迫した状況が報告された。
南相馬市は常磐線の相馬以北が津波で流失し、南相馬以南が原発事故で運行停止となった。主要な道路である国道6号線も同様に通行できなくなり、陸の孤島化した。
残った一万人は、避難しないのではなく、出来ない障がい者・要介護の高齢者などのいわゆる「要援護者」たちであった。映画でも語られたように、障がいが重く避難できないということプラス避難所での生活が極めて困難なためということが背景にあった。その結果日常生活に援助が必要な人々が取り残されてしまったのである。病院や薬局が次々に閉鎖され、介護サービスも軒並み閉まっていった。薬が切れる、人工透析を受けられない、トイレに行くこともできないという生存が脅かされる事態が原発事故でもたらされたのである。
青田さんたちは、この取り残された人たちに支援を届けようと、南相馬市に「要援護者リストを渡してくれ、そうすれば私たちが一軒一軒安否確認に訪問し、救援物資を届けるから」とかけあった。このときに問題になったのが「個人情報」の壁だ。いったんは跳ね返された青田さんは、南相馬市の個人情報保護条例に「人の生命または身体の保護の目的のため緊急かつやむを得ないと認められるときは、保有個人情報の目的外利用や外部提供を行うことが認められる」との文面を見つけ再度掛け合い、福祉部長の「首をかけた決断」で、約一〇〇〇人の要援護者リストの提供を受けた。 青田さんはそれをもとにJDF(日本障がい者フォーラム)の協力のもと、全国からボランティアを集め、戸別訪問活動を展開。要援護者の生活がひっ迫していることを把握し、全国に支援を要請した。そして集まった救援物資をそれらの家庭に配布してまわった。青田さんたちの活動は朝日新聞に連載中の「プロメテウスの罠」でも報道された。
南相馬市は人口が四万五〇〇〇人までに戻ってきたが、若い世代を中心に避難中の市民は多く、看護師・ヘルパー不足が深刻化している。青田さんのレジメの最後にはこう書かれている。
「避難している人、残っている人のこころは壊れ始めている。原発災害の話はタブー ふくしまの過去、現在、未来はなくなってしまった ふくしまの復興はまだ始まっていない!」。
災害を想定し
ながら生きる
最後に同志社大学社会学部教授の立木茂雄さん(福祉防災学)による「災害時要援護者避難の課題」と題する講演が行われた。
発言をまとめると次のD点になる。
@岩手・宮城・福島の高齢津波被害者には県間・性別間の差があった。
宮城県の高齢者入所施設は沿岸部の景観の良い沿岸部に建っており、その結果宮城県の高齢者の入所施設津波被害者は他二県の倍近かった。岩手・福島は内陸部に建っていたため高齢者の入所施設津波被害者数は比較的少なかったのではないか。
三県とも男性の犠牲者のほうが多い。年齢が上がるほど、女性では施設入所の割合が高くなるため、津波の犠牲者が少なかったと思われる。
A障がい者の犠牲者は健常者の二倍といわれているが本当か。
岩手と福島ではそれは当てはまらない。宮城のみ障がい者の犠牲者は一・六倍となっている。これは、岩手・福島が相変わらず障がい者福祉が入所施設型であるため、沿岸部で地域自立生活を送る障がい者が少ないことによる。一方宮城は、浅野知事時代に施設解体を進め、地域で生活する障がい者が増えてきたことによって、沿岸部の障がい者の犠牲者が多かったのではないか。問題は、「地域で生きる」の中に災害時の障がい者の避難が想定されてこなかったことだ。
B要援護者と一緒に避難する地域ネットワークが命を救った例。
宮城県石巻市八幡町では、災害時に要援護者のもとに駆けつける地域支援者の体制ができていた。その結果、要援護者の登録があった一七件中一五件が避難できて命が助かった。今後はこのような地域支援者の体制つくりが全国的に急務だ。
C福祉避難所をあらかじめ確保しておく。
仙台市は社会福祉法人などが運営する施設に、緊急時に障がい者の福祉避難所となるよう協定を結んでおいた。そのために避難した障がい者の受け入れが進んだが、要員の確保が難しかったことと、通常のサービス(ディサービスなど)を休止したため、利用者が他に移ってしまい、福祉避難所を終了したときの通常業務の再開が困難であったことの問題があった。
D要援護者リストの公開は、平時にその手順を決めておく。
各市町村では、条例で緊急時やむを得ないときはリストの公開をうたっているが、その手順や「どこに手渡すか」などを決めておかないと、大災害で行政が混乱しているときには、それが起動しないおそれがある。
被災地で障がい者などの支援に携わる身としては、どの話も重く辛い話ばかりだ。
一方「震災・原発事故の風化」が指摘されている。被災三県以外では、「自分たちにも起こりうる事態」と、とらえたくない空気が支配的なのだろう。
「大災害や原発事故が今後もありうる」と考えながら生きることは、生命維持に不安感を抱かず平穏に時を送りたいという人間の心理のありかたに反することかもしれない。
しかし、首都直下型地震や東海・東南海巨大地震が、今後三〇年間に起こる確率はかなり高いといわれており、全国各地に散らばる原発が福島第一原発と同じような事故を引き起こす可能性もある。事実から学び教訓化していく作業は急務だ。ふくしまフォーラムは七月に第4回目を開催する予定であるそうだ。 (今村栄治)
3.4反安保実が防衛省に抗議
岩国からのオスプレイ
低空飛行訓練やめろ
三月四日、辺野古への基地建設を許さない実行委員会は、定例となっている毎月第一月曜日の防衛省前抗議行動を午後六時半から行った。この日は辺野古実の行動に続いて、反安保実行委員会が呼びかけた、岩国からのオスプレイ低空飛行訓練に対する抗議・申し入れ行動も行われた。
辺野古実の防衛省前行動では、辺野古基地建設に伴う環境影響評価調査書(アセスメント)の違法性を問う訴訟で、那覇地裁が二月二〇日に門前払い判決を出したことが厳しく批判された。しかし政府が三月にも行うとされている辺野古沖公有水面埋め立て申請については、許認可権を持っているのは沖縄県知事であり、仲井真知事に対して決して許可を出させない運動を強めていくことが大事だということが強調された。
次に、この間先島地域の竹富町に滞在していた仲間から、「領土」防衛とからめて現地で下地島空港などへの自衛隊配備が強行されようとしている動きが報告された。また義家弘介文部科学政務官が竹富町を訪れ、東京書籍の歴史教科書採択を撤回し、「つくる会」系育鵬社版教科書に代えるよう圧力をかけていることも語られた。
この日の防衛省前行動には、一三春闘行動日の一環として全労協全国一般東京労組の仲間三〇人も参加した。東京労組の大森委員長は労働組合として沖縄の反基地闘争に連帯する決意を語り、大きな拍手で迎えられた。さらに三月六日からの岩国基地を使った低空飛行訓練に反対するメッセージが「住民投票の成果を生かす岩国市民の会」から寄せられた。
全国の運動体も
申し入れ書提出
申し入れ書が防衛省の係官に渡された後、反安保実行委員会が呼びかけた、三月六日からの岩国基地を使ったオスプレイ低空飛行訓練への抗議申し入れが引き続き行われた。
オスプレイの配備・低空飛行訓練に反対する申し入れ書は反安保実行委員会、ピースリンク広島・呉・岩国、関西共同行動、不戦へのネットワーク(愛知)、富士を撃つな実行委員会+NO・AWACSの会浜松から、合わせて五通提出された。 (K)
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