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    かけはし2013.年3月25日号

労働者階級の政治的独立今こそ


メキシコ

新大統領就任後の全国情勢

PRIの囲いこわす好機

ヘクトル・マルケス

 新自由主義的グローバリゼーションによる構造改革の最初の実験場にされたラテンアメリカは今ほぼ全域的に、その攻撃に対する民衆反乱の地となり、それはメディアに時折り登場する。その中でメキシコは依然新自由主義に忠実な右派支配の下にあり、民衆の動きがメディアで伝えられることも少ない。しかしこの地は、一九九四年に新自由主義への反撃を最初に開始したチアパス蜂起の地であり、民衆は数々の戦闘をくぐり抜けながら力を蓄えてきた。そしてそれは今、新たな左翼再編への動きを作り出している。以下はその動きを伝えている。(「かけはし」編集部)

正統性欠く政
権が暴力行使

 一二月一日深夜、軍事化された大統領宮殿と市中心部で、フェリペ・カルデロンとエンリケ・ペナ・ニエト(EPN)間の権力移行式典が始まった。この民主的な見せかけは、詐欺で実現され正統性を欠いた新政権の特質をあらわにした。
 夜明け、過激派のいくつかのグループと警官隊の最初の衝突が、新大統領が宣誓を行うことが予定されていた議事堂周辺のサン・ラザロで始まった。「衝突」は確かにもっとも適切な言葉ではない。なぜならばこの時点で警察は、まさに抑制的に打撃力を行使していたからだ。この場所に「私は一三二」運動(注一)の最初の学生部隊が到着したのは、午前七時頃だった。そして、過激派グループが引き上げつつあった中で、催涙ガスとゴム弾を使って強力に報復をするよう警官に命令が下され、多くのデモ参加者に負傷者を出し、そのうちの二人は深刻な状態となっている。明らかに十分準備されたシナリオにしたがって、連邦政府と首都の「進歩的な」政府の責任の下で、こうすることで首都当局は体制に対する忠誠を明らかにしたのだが、抑圧機関が平和的なデモ参加者の上にやって来た。何枚もの写真が次のことを示している。つまり、過激派グループメンバーに似た服装の人々が、抗議参加者を近づけないようにしていた防御境界内部の警官隊の中で、とがめを受けることなく自由に動き回っていたこと、明らかに挑発者の役割を果たした潜入分子の存在を映し出している、ということだ。
 逮捕された人々は、朝の衝突からは相当に遅れて、また場所もはるかに離れてとらえられた。彼らの中には、平和的なデモの参加者があり、さらに、市中心部での仕事に向かおうとし、印象的な警察の地引き網に引っかかった多くの通りすがりの人たちもいた。それを明かす写真もまた何枚もある。新政権のメッセージはそれゆえ極めて鮮明だった。つまり、逮捕されたのはあなたでもあり得た……そうであれば家にいた方がよい、と。
 彼らの何人かは、証拠がないために釈放された。一方一四人は、政治的性格の、「公共の安寧の攪乱」という告発を前にすることとなる裁判を保留する保釈として、釈放された。抗議に立ち上がった人々に対する、私刑に走る暴徒のような政治―メディアの攻撃的キャンペーンにもかかわらず、政治的投獄者の釈放、並びに警察によって行われた過剰警備に責任のある者たちの告発を求める運動が直ちに始められ、いくつかの場合にはデモとなり、拘留者全員の釈放が獲得された。

政権不承認運動
の退潮は一時的


 大規模とは言えないが、EPN選出の強要を拒否するデモはこの国の多くの都市で起きた。選挙前の時期に巻き起こった大運動は、制度的革命党(PRI)(注二)の権力への復帰を阻止することを目標とし、またそれが七月一日の選挙後には不正選挙とEPN選出の強要に反対する運動へと転じたものだったが、それ故に、一時的なものであることが十分に考えられる相対的な退潮局面に入ることとなった。
 その歴史の中でメキシコは、大規模な抑圧と大運動の粉砕といったエピソードを経験してきた。その後には退潮の長い時期が続いた。これは、一九五〇年代の鉄道労働者の運動、また一九六八年の学生運動に見られた例だ。そして後者は流血の中に沈められた。
 今回それに似たことはまったく起きていない。体制は今日、その権威主義的特性と決して放棄したことがない抑圧傾向にもかかわらず、民衆的運動を前にしている。そしてこの運動は、断片化しているとはいえ、数知れない戦闘をくぐり抜け、近年を通じて大きな力を蓄積してきた。
 「強要された選出に反対する大会」の弱まりは主に、それと共に活動すること、並びに選挙不正反対の一貫した闘いの先頭に立つことに対する、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(AMLO)(注三)の拒絶に起因している。それ故、この戦闘の指揮を執る重々しい責任を引き受けることが、「私は一三二」運動の肩にかかることになった。一方AMLOには、彼の立候補が巻き起こした巨大な市民的かつ民衆的な運動を制度的な迷宮へと引き込んだという、またこうして予測されていた体制との強さの試し合いを妨げたという、重い責任がある。

労働者政党創出
への新たな挑戦


 PRDは、フェリペ・カルデロン(注四)の不正選出を認めることによって、二〇〇六年に最初にAMLOを裏切った後、第二回目として時間をおかずそれを繰り返し、PRI並びにPANとの間で「メキシコのための協約」に署名することで、今回ものごとを論理的結論へと押し進めた。こうしてPRDは、新自由主義的、権威主義的、そして抑圧的なメキシコ寡頭制の課題へのまったくあけすけな合流によって、その進化を完成させた。AMLOの立候補を望まなかった制度圏左翼の重要な部分は、「民族復興運動(MORENA)」が生み出した勢いのゆえに、その立候補を不承不承受け容れなければならなかった。とはいえ可能な時はいつも、それを妨げようと試みた。
 一連の地方と州の大会を受け、MORENAの全国大会が一一月遅くメキシコシティーで開催された。民主主義の観点からは問題がないとは言えなかったこの大会は、諮問過程の後、連邦選挙機構(IFE)から法的認知を獲得する過程を始めるという決定を行った。将来の党の幹部何人かはAMLOの親類であり、彼らは、「尊敬できる」人々だとの口実で、新会員として加えられ選出という形は取られなかった。留意されるべきことは、全国大会が論争なしに開催されたこと、唯一の発言はAMLOによるものだった、ということだ。その多階級的構成要素、並びに鋭く対立する利害を調停しようとする企図を起源として、それゆえMORENAは、新PRDという特徴を全面的にはらんでいる。
 政治的再編というこの重要な過程を背景に、選挙当局からの法的認知獲得への挑戦という、「民衆と労働者の政治組織(OPT)」全国執行委員会(CEN)によって一二月半ばに行われた決定〔OPT、諸政党の危機に対するプロレタリア的オルタナティブ〕は、また特別な重要性をもっている。その起源を「メキシコ電力労組(SEM)」の闘争にもち、今は他の社会的諸勢力を包含しているOPTは、資本主義体制との断絶に向かう古典的な綱領を備えた、未来の労働者の政党(産業労働者だけではなく、幅広い意味において)となる可能性をもつものの背骨を代表している。それゆえOPTは、この費用がかかり困難な戦闘に乗り出し、メキシコの法制度が課す厳しくかつ強度に反民主的な諸条件を満たすことに挑んでいる。
 この戦闘は、AMLOの選挙運動に参加し、彼の撤退と将来のMORENA党が採択した融和的な路線に失望させられた住民層が、労働者階級のもっとも先を行く部分の闘争に根をもつ党への合流を選択する可能性があるその時に当たって、疑いなく重要だ。社会主義的で革命的な左翼は、この戦闘のもつ重要性を全面的に理解しなければならない。そしてそこに完全に関わらなければならない。なぜならばそれは、労働者階級の一部分が社会―自由主義的左翼から離脱し、PRIの囲いに捕らわれた羊の群れから抜け出し、最終的にはその政治的独立を獲得することを見る、そのような好機を表しているからだ。

注一)「私は一三二」は、一三二人の学生が作成しユーチューブにアップされたビデオ映像から生まれた主導性を基に二〇一二年五月に形成された学生運動。
注二)PRIは、一九二九年から二〇〇一年までずっと権力の座を占めた。
注三)中道左派の民主革命党(PRD)の候補者。
注四)自由主義右翼の民族行動党(PAN)の候補者。
▼筆者はスイスの社会主義誌『ソリダリテス』のメキシコ通信員。
 


ポルトガル

大群衆が再び街頭を埋める

人民に権力を!

 ルイス・ブランコ
 

 欧州支配層が強要する緊縮路線に不退転の対決を挑んでいるポルトガルの民衆は、昨年の九月一五日に引き続いてこの三月二日、前回を上回る規模で大デモを成功させた。闘いは明確に、政権打倒に絞られつつある。以下はそのデモに対する現地からの報告。(「かけはし」編集部)

 デモ「トロイカをねじ上げろ!人民に権力を!」は、三月二日、ポルトガルの数十の都市で一五〇万人を結集した。主な要求は、政府の退陣、そしてポルトガルを深刻な不況へと引き込んだ緊縮諸策の即時停止だ。
 市民グループ「トロイカをねじ上げろ!」が呼びかけた九月一五日の巨大なデモを今回数で上回る可能性がある、と考えた人はほんのわずかだった。実際その時には、一〇〇万人の民衆が街頭を埋め、政府を単一社会税修正案の撤回に追い込んだのだった。その修正案は、社会保障に対する労働者の拠出分を増大させながらも、経営者の拠出は減少させるものだった。今回政府は、違う形で行動し、社会福祉給付の削減――当初の意図は、四〇億ユーロ以上の削減――公表を次の週まで延期すると決めた。そのことで多くの人々が抗議に出かけないものと考えてのことだ。
 しかしこの計画は完全に失敗した。つまり、三月二日、より多くの人々が街頭に繰り出し、この国ではかつてない最大の大衆的デモを作り出したのだ。彼らのほとんどにとっては、実際に街頭に出、抗議を行ったのは初めてのことだった。そして大多数が政府の退陣を求めた。
 このデモは、ポルトガル革命賛歌である「グランドラ・ヴィラ・モレナ」の人々による大合唱で終わった。この唱和は先週、政府メンバーによる公開演説をさえぎるためにそれを唱和する民衆グループを伴って、国中で再び沸き立っていた。首相すらが、先月の議会演説中、グランドラされる(将来のポルトガル語辞書のための新表現)(訳注)ことになった。
 九月のデモとは異なり今や、スペインの「波」に鼓舞された、組織された層的存在が現れていた。「保健の波」は看護士と医師を結集し、教員と学生生徒からなる「教育の波」、退職労働者と年金生活者からなる「退職者の波」があった。そして最後のものは、彼らの年金に対する増税によってもっとも脅かされている社会集団の一つだ。
 この巨大な抗議は、リスボンにいるIMF、ECB(欧州中央銀行)、EUのスタッフによる、トロイカメモランダムに関する七回目の査定のど真ん中で起きた。そしてこの査定は、教育、保健、そして全体としての福祉国家に対するもっとも残酷な切り下げを準備していた。失業率は統制不能なままだ(全若者層のほぼ半数はまったく職をもっていない)。そして国を出る移民の対比可能な数は一九六〇年代後半の数だけだ。しかしその時とは、人々が戦争、悲惨、独裁から逃げ出した時なのだ。
 ポルトガル民衆の憤りは、トロイカの残酷な新自由主義綱領の諸結果、並びに債務の新たな独裁に苦しんでいるすべての欧州諸国に対する一つの範例だ。もちろんこの抗議は、新たな削減公表の後でも進むだろう。しかしこの決起の力はまた、ユーロ圏の周辺経済を破壊しつつある共通の敵に対決する抗議、という国際的課題設定に対しても衝動をもたらすだろう。
 (二〇一三年三月三日)

▼筆者は左翼ブロック並びに革命的社会主義政治協会(第四インターポルトガル支部の元PSR、左翼ブロック創立三組織の一つ)のメンバーであり、左翼ブロックニュースウェブサイト、エスクエルダ・ネットの発行・編集責任者。
訳注)ポルトガル語で、偉大な、を表すグランドラからの派生表現。文脈から、いわゆるほめ殺し的な野次り倒しを意味すると思われる。

 


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