1.15「イスラエルの平和運動は今」
少数派でも変化を作り出せる
安易な楽観・悲観論は運動に禁物 |
エルサレムを両
国共通の首都に
一月一五日、東京・御茶ノ水の明治大学リバティタワーで「イスラエルの平和運動は今――アダム・ケラー講演会」が開催された。アダム・ケラーさんは一九五五年生まれのイスラエルのジャーナリストで、平和活動家。一九九三年に創設された平和団体「グーシュ・シャローム」のスポークスパーソンで、同団体の機関紙「ジ・アザー・イスラエル(別のイスラエル)」の編集長。パレスチナにおける第一次インティファーダのさなかの一九八八年には、イスラエル軍の戦車や軍用車に反戦スローガンを書き、三カ月間投獄されたという経験も持っている。
「グーシュ・シャローム」は、イスラエルによる占領の終結=一九六七年占領地からの完全撤退、イスラエルと並ぶ独立パレスチナ国家の設立、イスラエル人入植者の退去、入植地は帰還するパレスチナ難民のために利用、エルサレムは両国共通の首都とし、西エルサレムはイスラエルの首都、東エルサレムはパレスチナの首都とする、パレスチナ難民の固有の人権としての帰還権を原則的承認、歴史的事実の評価のための「真実和解委員会」の設立、水資源の共同管理と公正な分配、この地域からの大量破壊兵器の一掃、などの基本的立場を明らかにしている。
オスロ合意の
行き詰まり
集会実行委員会から奈良本英佑さん(パレスチナ現代史研究、アル・ジスル―日本とパレスチナを結ぶ)が、集会の趣旨を説明した。
「昨年一一月にイスラエルはガザを爆撃し一七〇人を殺害したが、停戦後、国連総会では圧倒的多数でパレスチナが『オブザーバー国家』としての地位を認められるという大きな前進が勝ち取られた。しかしイスラエルのネタニヤフ政権は、その報復として新たな入植地拡大を進めている。一月二二日はイスラエルの国会(クネセト)の選挙があり、この重要な時期にケラーさんからイスラエルの平和運動について学ぶことには大きな意味がある」。
続いてアダム・ケラーさんの講演に移った。
「私は中学生の頃から平和運動に取り組んできた。今は髪の毛もなくなるほどの年齢になったが、イスラエルで平和運動をするためには短距離競走ではなくマラソンレースを行う気構えが必要だ。状況が悪い時でも悲観的にならず、良くなっても楽観的にならないことが必要。平和運動家にとってはつねに同じ場所に立ち続けることが求められている」とケラーさんは切りだした。
「重要なことはイスラエル、パレスチナという二つの民族が共に強いアイデンティティーを持ち続けていることであり、またオスマン・トルコの時代から一〇〇年以上にわたって両民族の闘いが続いているのを知ることだ。そしてもう一つ重要なことは、エルサレムが二つの国の共通の首都になるのをイスラエルの中で話題にすること」。
「イスラエルでは、エルサレムが『永遠の分かつことのできない首都』であるという合意が存在している。これは東エルサレムのパレスチナ人を犠牲にすることを意味する。私たちは一九九〇年代に東エルサレムのパレスチナ人とともに、『両民族にとってのエルサレム』という運動を行い、一〇〇〇人以上の署名を集めて五回にわたり新聞に掲載した。回を重ねるたびに新しい名前が加わった。エルサレムを分けるという主張は、今では頭ごなしに拒絶される意見ではなくなっている。このように少数者の側からの対抗的主張で多数の見解を統制することは、変化を引き起こす上で重要なのだ」。
「徴兵拒否運動、あるいは占領地やレバノンでの兵役拒否運動について。この運動では当局に『私は自分の国を守る。しかし他民族の土地を奪うために兵役に就いたのではない』という請願文を送りつけ、現にレバノンや西岸地区では約一〇〇〇人の兵士が刑務所送りとなった。私は、一八歳の時に徴兵を拒否して半年刑務所に入り、一九八八年に西岸地区でのイスラエル軍の作戦に予備役として動員されたが、その時一七〇台の戦車・軍用車に『占領者となるべきではない』と落書きして、三カ月の刑に服すことになった」。
「われわれに何ができたのか、何ができなかったのか。それはなぜか。一九九三年、オスロ合意が成立した時には、もう勝ったも同然だという気分が広がった。しかしなぜオスロ合意はうまくいかなかったのか。ラビン首相の暗殺が決定的な転機だった。その時の平和集会には一〇万人が参加し、ラビンがバルコニーからあいさつすることになった。もしもあの時ラビンが暗殺されていなかったら、一九九九年にはパレスチナ国家が成立し、両民族が平和に生きることができていただろう」。
「しかしラビンを理想化することへの批判が平和活動家の中でも生まれた。オスロ合意以後、イスラエルでもパレスチナでも状況は悪化し続けている。平和を実現するためには国際的な市民団体からの圧力が必要だ」。
このように語ったケラーさんは、西岸のパレスチナ人が自分の土地に植えたオリーブの実を収穫するのをユダヤ人入植者が暴力的に阻止して、その土地を自分のものにすることに抗議して、ともに収穫する運動を行っていることも報告した。
「一国家案」と
「二国家案」
フロアからの質問に答えてケラーさんは、パレスチナ問題の解決方針に関して「イスラエル国家」と「パレスチナ国家」という二国家案と「民族共生国家」という一国家案の論争に関して「私は一国家案に原則的に反対するわけではない。しかし新しい世代のイスラエル人はアッバース(パレスチナ自治政府大統領)が隣国の大統領になることは受け入れるだろうが、自国の大統領としては受け入れないだろう」と語り、「一国家案」はきわめて困難であるという見解を述べた。
また西岸にパレスチナ国家が建設された場合、イスラエルの入植者の多くは残らないだろうが、パレスチナの法に従い、友好を求めて残る人もいるかもしれない、と語った。
さらに「真実和解委員会」という「グーシュ・シャローム」の主張について、それが南アフリカのアパルトヘイト体制清算にあたって取られた措置を参考にしたものであり、「報復・処罰ではなく、何が行われたかを明らかにして、和解を実現しようとするものだ」と説明した。
集会では来日中のカナダ・モントリオール大学の歴史学者、ヤコブ・ラブキンさんもコメントした。彼には『トーラーの名において』などの邦訳書もあり、同書は一九世紀末に生まれたシオニズムの政治運動がユダヤ教の教えとは根本的に反するものだという主張で大きな反響をよんだ。
ラブキンさんは、「私はカナダでアダムさんの話したことをやりたいと思って活動してきた」と語り、アメリカの若いユダヤ人の三分の一は「ユダヤ人国家」という主張に「何、それ」という違和感を表明していると説明した。またシオニスト国家イスラエルに対するBDS(ボイコット、投資引き上げ、制裁)キャンペーンの有効性について述べた。そして「小さな運動が変化を作り出すことができる」と訴えた。 (K)
1.12「イスラエルはなぜ占領を続けるのか?」
共存の道を考えるべき
両側からの草の根運動が重要
【大阪】昨年一一月のガザ攻撃に対して、イスラエルやアメリカ領事館に抗議行動を展開してきた「パレスチナの平和を考える会」「ATTAC関西」「関西共同行動」「日本基督教団大阪教区社会委員会」「ストップ!ソーダストリーム」キャンペーン共催による講演会が、一月一二日ドーンセンターで開催された。
今回のテーマは「イスラエルはなぜ占領を続けるのか?―内側から見る『和平』の行方―」で、講師は1995年に来阪したことがあるアダム・ケラーさん(イスラエルの平和団体グーシュ・シャロームの創設メンバー。グーシュ・シャロームは、イスラエルとパレスチナの二国家平和共存による解決を訴えてきた。一九九〇年代より入植地製品のボイコット運動を主導し、現在は、2011年に成立した「反ボイコット法」の廃止を求める法廷闘争を行っている―資料より)。
一〇〇〇人以上が
これまで兵役拒否
アダム・ケラーさんはまず自己紹介をして、「私は様々な政治グループや団体に参加してきたが、それらは(自分の基準は別にして)イスラエルでは政治軸の左に位置している、と見られている」と語った。
続いて、グーシュ・シャロームの運動について。
「私たちの国では二つの『国民』―イスラエル人とパレスチナ人が存在しており、長い間(建国前から)ずっと闘争してきた。共に八三歳で記憶力の良い両親でもそうだが、それらの戦争の歴史を知っている人は少ない」「はっきりしているのは一つの国に二つの民族(国民)が生活しており、どちらとも出て行くことはできないので、共存の道を考えるしかないということだ。私たちの提案はそれ程ラディカルなものではない。それは停戦協定(一九六七年)を境界線とし、この地域に二つの国家をつくるというものだ」。
「私の属するグーシュ・シャローム(『平和ブロック』)は1994年に創設された。『女性平和連合』『壁に反対するアナーキスト』そして少数の宗教団体など様々なグループとも協力し合って、デモなどの活動をしている。私たちは政権を取って政策を実施していく、という幻想は持っていない。私たちが希望するのは、いつかメインストリームの政治家の中でパレスチナの人々と平和的に共存することが自分たちの利益にもなると考える人が力を持ち、政治に進出し政策を実施していくことだ(以前は、イスラエルの中でPLOについて語ることさえ出来なかった)」。
「かつてラビンという首相がいたが、七〇年代の一期目の時に『我々がPLOと相対するのは戦場でだけだ』と言っていた。彼がこの頃にアラファト議長と話をしていたらすぐに暗殺されていただろう。そのラビンは、一九九五年テルアビブ(私はその時、現場の近くにいた)で暗殺された。もし私たちが暗殺を防ぐことが出来ていたなら、その後の事態は変わっていただろう。彼は平和へのイニシアティブを取る道を進んだだろう」。
「私たちはイスラエルの中で、イスラエルのパレスチナ占領に反対してデモや集会を開いてきた。入植者や軍隊は、オリーブの収穫時にパレスチナ農民に襲いかかって、テロリストだからと言って殺してしまう。そして、農民は土地を放棄したのだからと言って占領してしまう。このようなことをずっと繰返してきた。私たちは、そのような時に彼らの所に行って、連帯し行動してきた。これは、パレスチナ農民のオリーブを収穫する権利だけでなく土地所有の権利を守るための支援でもある。また、そのようなやり方に対しては、イスラエル人の中だけでなく、国際的にも抵抗が起こっている」。
「私たちの運動のもう一つはエルサレム問題だ。エルサレムは、イスラエル人にとってもパレスチナ人にとっても一つである。東エルサレムはパレスチナ人の首都(西エルサレムはイスラエル人の首都)であるという私たちの主張は支持されているわけではないが、議論は出来る。さらにもう一つは、兵役を拒否した(平和を求める)兵士たちへの支援だ。彼らは入植地や侵略戦争に駆り出されることを拒否した。レバノン戦争(一九八二年)の時ある兵士たちが『私たちはイスラエルを守るために宣誓したのであって、他国を侵略するために宣誓したのではない』と言って署名運動をしたことがあった。これまで一〇〇〇人以上の兵士たちが兵役を拒否しているが、私自身も三回拒否し投獄されたことがある」。
「イスラエルでは、ボイコットは一般的には認められている。しかし、政府は私たちが行ってきた入植地製品ボイコットは認めないという法律(反ボイコット法)を一昨年制定した。私たちは、それが差別的であり言論の自由を奪うものであるとして、現在廃止を求めて最高裁に訴えている」。
平和のために
国際的圧力を
さらに、現在の一般的な状況について。
「残念ながら、パレスチナ人側もイスラエル人側も、和平は可能だという希望をなくしているようだ。パレスチナの暫定自治を認めたオスロ合意(一九九三年)の時には希望があった。ラビンが(殺されなかったら)和平のプロセスを完了させ、おそらくパレスチナ国家ができて、私たちも平和に暮らせていただろう。もちろん異論があるのは知っている。だが、(オスロ合意以降)パレスチナ人からすれば入植地が拡大され続け、だから相手の側は平和を望んでいないと捉える。一方、イスラエル人もテロが酷くなっており、だから相手の側は平和を望んでいないと捉える。一般的な人々の反応(世論調査を見ても)は、仮定では平和を支持するが、現実的ではない夢を見るのは止めようというものだ。イスラエルではもうすぐ総選挙があるが、日本での今回の結果と同じようにあまり希望はない」(昨年のガザ攻撃では、イスラエルの国民の多くがそれを支持した)。
そこで、このような状況を打破するためには「イスラエルでの両側からの草の根平和運動と、国際的な圧力が必要だ。そのような力を持つ国とは、まず和平プロセスを進めていく力があるアメリカ(ネタニヤフはオバマの再選を恐れた)、そしてヨーロッパやロシア・中国・日本だ。
日本について言えば、?ヨルダン川西岸地区での開発援助?(昨年)パレスチナ<オブザーバー国家>に賛成?市民運動の活動、があり役割は大きい。
私は次のような楽観的な展望を持っている。平和を求めるパレスチナ・イスラエル人と連携しながら、様々な人々・国々が協力し合ってイスラエル政府に圧力をかけることで、その結果和平に合意せざるを得ない状況をつくることができる」。
講演が終わると様々な質問が出され、アダム・ケラーさんはいずれにも丁寧に答えていた。その後、「ストップ!ソーダストリーム」キャンペーンからアピールがあった。なお、三月一七日にはファトヒ・クデイラートさん(NGOヨルダン渓谷連帯委員会の創設メンバー)を招いての講演会が予定されている。 (努)
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