負けた。野圏が勝つのが当然のように見える2012年の2つの選挙で、いずれも敗れた。野圏の支持者が受けた衝撃は大きい。どんなにご飯を食べても残る不可解な空腹感の中で、彼らは静かにスプーンを手から離しご飯を残し立ちあがる。祭りの日のキャンプファイアの薪のように燃えていた政治的熱気は、12月20日からは見えない。2010年と11年の選挙の勝利を覚えている野党の支持者たちは2012年に何事が起きたのかを考える。〈ハンギョレ21〉は、この5年間の野圏の勝利と敗北を振り返ってみることにした。個別選挙運動の「うまくいった、だめだった」という政治工学よりも「どこで間違ったのか」を推量してみようとした。波の動きではなく潮流の、その流れを求めたかった。進歩メディアもまた敗北のその一部だったのだから、その作業は燃え残った薪を麻酔もしていない素手でかき混ぜるような苦しみだった。ただ触り、いじくった。薪の灰の山の下に火種が残っているのかを確認するために。(「ハンギョレ21」編集部)
勝ってこそ当たり前だったのは1972年大統領選挙での米国の民主党も同じだった。2012年の大韓民国を見ているような既視感がするほどだ。1960年代は進歩と大衆運動の時代だった。第2次世界大戦は終わったものの冷戦が始まった。自由や進歩を主張すればパルゲンイ(アカ)として非難された。
1968年からさまざまな民権運動が繰り広げられた。まず黒人の民権運動。進歩メディアとしての扱いを受けている〈ニューヨーク・タイムス〉が初めて黒人の記者を採用したのが1945年だ。黒人たちは1965年に至ってやっと投票権を獲得した。至る所に人種差別が残っていた。ベトナム戦争反対運動と女性運動、初めて選挙権の年齢が18歳へと引き下げられ、若い有権者が変数と考えられた。ベトナム戦争反対を明確に掲げた民主党内の進歩派ジョージ・マクガバンが党内競選で勝利し大選(大統領選)の候補に選ばれた。歌手ジョン・レノンら多くの進歩的著名人たちも民主党を支持した。マクガバンは大敗し、保守・共和党リチャード・ニクソンが再選に成功した。ニクソンは以降、「帝王的大統領」として批判された。米国民主党や市民社会は予想もできなかった選挙の惨敗でショックに陥った。進歩的政治のエネルギーも急激に鳴りをひそめた。
「市民らの進歩的エネルギー→野圏の大選での敗北」は正確に2008〜12年の韓国で展開されたことだ。個別の選挙キャンペーンではなく、主要な社会的事件や、選挙をいささか高い山から観察すれば明らかになる。観察は2007年の灰の山から始まるのが正しいのだろう。
2002年の大選で1201万4277人がノ・ムヒョン元大統領に票を与えた。もっと左側にいるクォン・ヨンギル民主労働党候補は95万7148票を得た。5年後、参与政府は政権の再創出に失敗した。進歩は魅力を失った。2007年の大選では688万6802人だけが進歩改革候補に票を投じた。ハンナラ党イ・ミョンバク候補は1149万2389票を得た。無所属イ・フェチャン候補に投票した355万9963人までを考慮すれば、圧倒的な保守の帰還だった。2008年の総選(総選挙)でも89議席(汎進歩改革)対184議席(保守)で惨敗した。自民党が数十年間、長期執権していた日本のように「保守政治の固着化」が生じているのではないのか、という憂慮が提起された。
「依然として敗北が理解できず」
政治学者、政党人、政治部記者たちが予測できない所から、憂慮に反対する事件が相次いだ。政治的エネルギーの噴出と呼ぶに値する。2008年5月から数カ月間、米国産牛肉輸入反対のキャンドル・デモが続けられた。民主党はもちろん進歩政党さえ市民らの自発的政治のエネルギーに介入できなかった。政治的エネルギーが噴出する事件が、さらにある。2009年5月、ノ・ムヒョン前大統領が逝去した。全国で500万人を超える市民が追悼した。2011年秋から12年夏までは「アン・チョルス現象」が繰り広げられた。政治新人のアン・チョルス・アンレプ代表が有力な大選候補としての支持を受けた。
野圏は政治的エネルギーのおかげを被った。2010年6・2地方選挙と11年のソウル市長補欠選挙で勝利した。野党は左手に「無償給食などの福祉」というビジョンと右手に「野圏の単一化」という戦術を掲げて勝利した。だが、ここまでだった。まさに勝たなければならない12年の総選と大選において、いずれも敗北した。
なぜ負けたのだろうか。現在の韓国の進歩改革勢力のように、1972年の米国民主党も答えを見つけられなかった。マクガバン自身も大敗した理由を説明できなかった。大戦の敗北直後のインタビューでルポ作家ハンター・トムスンが「得票の差が、なぜそれほどに大きかったのか考えてみたことはあるのか」と問うと、マクガバンは「依然として敗北が理解できずにいる」と答えた。当代のいかなる政治学者やメディアも説明できなかった。共和党ニクソンが進歩的な福祉政策を画期的に受け入れた点、反戦がイシューの状況にあって共和党があいまいながらベトナム戦の終息を掲げた点、進歩の時代に沈黙していた保守の反撃、マクガバンに敗北した民主党内の他の政治人の背信などが根拠として論じられた。もちろんニクソンは当選直後、ベトナム戦を終息させるどころか北爆を強化した。
韓国の野圏は、なぜ2012年に没落したのだろうか。進歩的エネルギーが進歩改革的政党の勝利へと結びつけられなかったという結果は明白だ。民主統合党の党内競選での既得権の論難、統合進歩党の事態、アン・チョルス前候補の単一化の破裂音など一連の事件も明らかに目に付く。エネルギーと制度政党システム間の回路のどこが切れたのだろうか。
議論はあってもビジョンなし
一応、2012年の総選・大選のいずれもが野圏が勝利するのが自然だったという意見が多い。俗に言う「畑」が良かった、ということだ。パク・サンフン・フマニタス代表は〈ハンギョレ21〉との通話で「大選前、政権が代わることが必要だという有権者の世論調査が、政権が代わらなくともよいという意見よりも多かった」「野圏が勝利するのが自然だった。野圏が分裂したわけでもなく事実上、完璧に単一化できた。これ(大選の敗北)は構造や条件の問題というよりは、選挙に勝利して然るべきだった野圏がダメで負けた」のだと語った。コ・ウォン・ソウル科学技術大学教授の診断も同様だ。「2010年の地方選挙を前後して、無償教育など進歩的課題やキャンドル集会で表出された大衆的エネルギーが、選挙の中に入ってくると選挙の地平が変わることになった。4・11総選の直前まではそのエネルギーが活発に作動していたようだが、総選の過程で消えた。総選もそうだが、大選も政治勢力(野党)の戦略的失敗が大だ」。
制度政党がエネルギーを利用しようとしたばかりで、ビジョンを提起できなかった点も共通して指摘する。シン・ジノク中央大社会学科教授は「民生経済の対策を全面に刻印させなければならないのに、ムン・ジェイン、アン・チョルス候補が互いに争っている間に、『民生が政治の革新だ』と叫んで踏み込んだのは、ほかならぬパク・クネ候補だった」と指摘した。
パク・サンフン代表は敗北の理由として?赤い色をシンボル・カラーとして採択するなど、セヌリ党が自らなし得る最大値の革新をしたこと?野党は議論ばかりがあっただけでディテール(細目)のない点?民主党党内競選の後遺症が治癒されず党が動かなかった点?4・11総選の際のキム・ヨンミン妄言や大選の際の統合進歩党代表の極端な言行によって保守票の結集を招いた点?ムン・ジェイン候補がアン・チョルス現象に代表された中道層をキチンと吸収できなかった点などを挙げた。
「畑が変わった」との反論もある。チェ・テウク翰林大教授は12月20日付の新聞〈ハンギョレ〉での対談で「政治の地平が変わったようだ。低出産、高齢化時代だ。50〜60代が増え、20〜30代が少ない。拡大解釈すれば、保守が増えているという意味だ。ひとりで単独過半数を獲得できるだとか執権できるという幻想はうち壊さなければならない」と主張した。パク・サンフン代表やコ・ウォン教授とは異なった前提の上に立っている。
野圏がどうなるのかについては意見が同じで、野圏が何をするのかについては見解が異なる。民主党、進歩政党、市民社会、アン・チョルス支持勢力などが換骨奪胎(ここでは俗に言う「焼き直し」の意ではなく、熟語本来の意味を指す)しなければならないという原論的指摘が出てくる。コ・ウォン教授は「民主党、アン・チョルス陣営、進歩政党、政党外の進歩的市民社会のすべてを併せても(野圏の)政治的力量は依然として弱いようだ。その問題を解決するためのイノベーション(刷新)が必要だ」と語った。
「刷新した」という信頼が必要
敗北後は、いつも路線論争が随伴する。今回もそうなるだろう。党の路線を中道へとねげ曲げようとする見解だとか、選挙戦術レベルで中道層を説得すべきだという主張だとか、「中道」「リベラル」「自由主義」などの単語が、ひとしきり野圏のトピックスとなるようだ。日本式「自民党1・5党制」(自民党が圧倒的多数を占め、野党が意味ある影響力を行使できなかった政治地平)に対する憂慮が再び出てくる。
パク・ミョンニム延世大教授は12月21日付〈ハンギョレ〉の対談で「韓国民主主義の場を変えない限り(野圏の大選敗北が)繰り返されるだろう。保守が圧倒している状況にあってパク・クネ大統領当選人の執権が1・5政党制に進むことは阻まなければならない」と主張した。
同様の脈絡でアン・ビョンジン慶熙サイバー大教授は「新しいリベラル(自由主義勢力)」の登場を強調した。「アン・チョルス現象が新たな形態のリベラルたちが出現するということを見せつけた。既存進歩の固定観念から柔軟な北核観、経済観を持った諸グループが部分的に形成された。けれども今は韓国政治の移行期なので民主党の人々が21世紀にふさわしい新たなリベラル勢力へと生まれ変わることができなかった。極めて深刻な総体的危機だと見なければならない」。
コ・ウォン教授は「(野圏が)進歩や改革が包括できない勢力や大衆の反感や拒否感の情緒を大選で解消できなかった」としながらも「だが4・11総選以降もそうだったように、『中道へと進むべきだ』という主張をする人もいるだろうが、そう解釈してはダメで自己革新の問題を解決して、人々に『本当に(野圏)は革新したんだなあ』というシグナルを与えるのが重要だ」と語った。
勝たなければならなかったのは米国民主党も同じだった。もう1つ別のことがある。マクガバンはニクソンに対して選挙人団を基準とすれば520対17で大敗した。ムン・ジェイン候補とパク・クネ候補の得票率の差は3・6%(約108万票)だ。
パク・サンフン代表は「より心配なのは、進歩側の人々が今回の選挙を勝つだろうと考えて、負けた事実を受け入れることのできる心理状態ではないようだという点だ。この何が問題かと言えば、選挙結果を解釈する過程で敗北意識がより大きくなりはしないか、それが心配だ。(現実は)保守優位の体制ではなく、保守が多数ではないのに(敗北主義が)進歩的有権者たちを余りにも不活性化状態にしてしまわないか、それが心配だ」と語った。
コ・ウォン教授も「進歩改革勢力が省察・刷新し整備すれば、米国進歩勢力が2004年の敗北後、2008年に政権交代したように(野圏が)良い結果をいつでも作り出すことができる。保守陣営の政治的未来が進歩に比べてより明るいわけではない」として「韓国型1・5党体制」の可能性をぐさりと批判した。
勝てると信じての「敗北」
すべての理論はグレーであり、ひたすら生きていることだけが慰めとなる。知識人たちの解釈は、いまだなお野圏の有権者たちには慰めとはなれないようだ。宴の後の火の消えたキャンプ・ファイアの薪の周りを行きつ戻りつする人のように、ムン・ジェイン候補に投票した有権者たちは、うなだれながらもさまよう。薪の下のぬくもりが残っているかは、時間が教えてくれるだろう。(「ハンギョレ21」第942号、12年12月31日付、コ・ナム記者)
〈最近の5年間〉
2007年 大選、進歩改革688万6802票(大統合民主新党チョン・ドンヨン候補617万4681票、民主労働党クォン・ヨンギル候補71万2121票)で保守1505万2352票(ハンナラ党イ・ミョンバク候補1149万2389票、無所属イ・フェチャン候補355万9963票)に敗北。
08年 4月総選、進歩改革89席(統合民主党81席、民主労働党5席、創造韓国党3席)で保守184席(ハンナラ党153席、自由先進党18席、親パク連帯13席)に敗北。
08年 5月から数カ月間、自由貿易協定(FTA)牛肉交渉に関連し、キャンドル集会が展開される。
09年5月 ノ・ムヒョン前大統領逝去。
同10月 全国5カ所の再・補欠選挙、民主党(3席)がハンナラ党(2席)に勝利。
10年 地方選挙を前に民主党、民主労働党が野圏単一化論議。
同6月 地方選挙、民主党7つの市・道知事当選などでハンナラ党(6市・道知事)に勝利。
11年8月 ハンナラ党オ・セフン・ソウル市長の無償給食反対の住民投票が最終投票率25・7%で住民投票成立要件の33・3%を超えられず無効。オ・セフン市長辞職。進歩改革勢力勝利。
同9月 アン・チョルス・アンレプ代表がパク・ウォンスン氏に市長候補譲歩。
同10月 ソウル市長補欠選挙を前にパク・ウォンスン無所属候補が民主党と競選の末に野圏単一候補として確定。
同10月 パク・ウォンスン野圏統一候補215万8476票を得てハンナラ党ナ・ギョンウォン候補(186万7880票)に勝利。
同12月 民主労働党、進歩新党、国民参与党勢力が連合して統合進歩党創党。
12年1月 ハン・ミョンスク前総理、民主統合党代表に就任。
同3月 民主党、既得権公選の論難、イ・ジョンヒ統合進歩党代表の冠岳乙競選の不正露見し候補職辞退とイ・サンギュ候補への単一化。キム・ヨンミン妄言論難。
同4月 総選、進歩改革140席(民主党127席、統合進歩党13席)でセヌリ党154席に敗れた。
同5月 統合進歩党中央委で党権派がチョ・ジュノ共同代表らに暴力を振るい、党権派の競選不正が露見。いわゆる「統進党の事態」。
同7月 〈アン・チョルスの考え〉出版など、「アン・チョルス現象」が注目をあびる。
同8月 セヌリ党競選でパク・クネ候補確定。
同9月 民主党競選でムン・ジェイン候補確定、アン・チョルス前アンレプ代表が大選出馬宣言。
同11月 ムン、アン単一化協議決裂、アン候補「辞退、単一化」宣言。
同12月 各野党野、圏の市民団体、学界および専門家ら「国民連帯」結成レ、ムン、ジェイン候補を国民候補として確定。
同12月19日 ムン・ジェイン候補1469万2632票を得るもパク・クネ候補(1577万3128票)で敗北。
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