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    かけはし2013.年1月1日号

騒々しい「陰謀劇」の裏に本当の危機が潜む


中国共産党第18回代表大会

民主的統制なき利権党の解体は
形式的団結の装いでは防げない

 「起て!飢えて迫害されている奴隷たちよ、起て!苦難にあえぐ全世界の人々よ」(注:中国語のインターナショナルの歌詞)

 一一月一四日正午を少し回った人民大会堂では、その日に選出された二〇五人の中央委員をふくむ二三〇七人の大会閉幕式参加者が全員起立するなか、五年に一度の党大会のフィナーレを飾る「インターナショナル」の荘厳な調べが鳴り響いた。
 胡錦濤総書記は「中国共産党第一八回大会は勝利のうちに閉幕する」と宣言し、二三〇〇余の代表たちは誇らしげに大会を後にした。
 翌一五日に開催された中国共産党第一八期中央委員会第一回全体会議で胡錦濤にかわり総書記に選出された習近平は、記者会見で胸を張ってこう述べた。「わが人民は生活を心から愛し、より良い教育、より安定した仕事、より満足のいく収入、より頼れる社会保障、より高水準の医療衛生サービス、より快適な居住環境、より美しい環境を待ち望み、子どもたちがより良く成長し、より良い仕事とより良い生活を得られることを待ち望んでいる。素晴らしい生活への人民の憧れが、われわれの奮闘目標である」。
 

その夜ある町で起きていたこと


 その日の夜、党大会が開かれていた北京から二〇〇〇キロ以上も離れた内陸の貧困地区である貴州省の地方都市、畢節市で路上生活をしていた九歳から一三歳の子どもら五人が、街中に設置された約一・五メートル四方の大型ゴミ箱の中で暖を取るために焚いた炭火による一酸化炭素中毒で亡くなった。その夜は小雨がそぼ降る寒い夜だったという。
 亡くなった子どもらは兄弟従兄弟で、畢節市からさらに山道を車で三時間かかる擦槍岩村の村役場から、さらに徒歩で一時間の干溝苗寨の貧農の家庭に育ち、両親は離婚したり広東省深?等に出稼ぎに出たりしており、子どもたちの世話は目の不自由な年老いた祖母らにまかされていた。
 実は、大会の一カ月前、一〇月六日と七日の二日にわたり、温家宝国務院総理がこの畢節市を訪問し、大会閉幕後の一二月一日には、胡錦濤が畢節市をはじめ、かつては貧困で有名だった近隣の村を訪問している。畢節市は貴州省でも最貧困地区の一つで、一九八八年六月に当時貴州省の党委員会書記をつとめていた胡錦濤がこの地区を「貧困開発・生態建設」試験地区に指定してきた。「胡温新政」と呼ばれた胡錦濤・温家宝指導体制による貧困削減・調和社会の実践モデルケースとして一八回大会の前後に相次いで指導者が視察をした典型的な政治宣伝である。
 視察先の村で胡錦濤は、現在では一人当たりの純収入が五三〇〇元を超えている等の報告を受け、村の党員活動室では閉幕したばかりの党大会報告を村民に宣伝する様を視察し、村民党員から「畢節市が試験地区に指定されたことで村民は幸せになりました」と報告を受けた。
 しかし、亡くなった子どもたちが飛び出した山村は、この地域でも最も貧しい村といわれ一人当たりの年収は一五〇〇元にも満たず、子どもたちの親の多くが出稼ぎに出ているなど、貧困状況はいまだ厳しい状況にあり、亡くなった五人のうち三人が一人っ子政策の網の目を逃れた未登録の子どもであり、四人が学校を中途退学していた。
 五人の子どもらは昨年末、山村の親元を抜け出して畢節市の路上で生活しているところを民生局に「保護」され、施設に送られていたが、トイレに行く時間なども決められているなどひどい管理体制が嫌で、施設の窓の鍵をこじ開けて脱出し、路上生活に舞い戻って、助け合って生きていた。亡くなった一二歳の男の子、陶衝は「大きくなったら出稼ぎに出られるし、また勉強もしたい」と語っていたという。

格差はますます拡大している

 一八回大会の初日に行われた一七期中央委員会活動報告で、胡錦濤総書記は「都市・農村および地域間の発展の格差と人びとの所得分配面の格差は依然としてかなり大きい」と述べつつも、二〇二〇年までには「GDPと都市・農村住民一人当たりの所得・収入が二〇一〇年に比べて倍増する目標を達成する」と述べている。また「教育における公平の促進に大いに取り組み、教育面のリソースを合理的に配置した上、農村や辺境地区、貧困地区、民族地区に重点的に傾斜させ、すべての子どもが役に立つ人材になるように努める」とも語った。
 だが、格差は「依然として」ではなく、ますます拡大している。社会における所得分配の公平さを測る指数であるジニ係数は、係数〇なら全員が同じ所得、係数1なら一人が全所得を独占し、係数〇・五なら上位二五%の人が全所得の七五%を占めている状態となる。中国では、一九七八年には〇・三一七だったが、二〇〇〇年には警戒ラインの〇・四を超え、〇・四六五に達した二〇〇四年を最後に、国家統計局は係数の発表をやめてしまった。その後は、研究所や学者らが独自に集計発表しており、二〇〇六年には〇・四九六を超えた。そして二〇一〇年には中国の家庭収入におけるジニ係数が〇・六一に達し、世界平均の〇・四四を大幅に上回ったという結果が報告されている。
 都市部の家庭収入のジニ係数は〇・五六なのに対し、農村部では〇・六〇となっていることから、土地売買や出稼ぎの有無などが理由として考えられる。また、地域別にみると西部〇・五五、中部〇・五七、東部〇・五九となっていることから、市場経済が進行している地域において格差が激しいことがわかる。年金の支給の有無なども大きく影響しているという。中国家計金融調査によると二〇一〇年には四五%の家庭で退職後に年金を受け取っていない。
 胡錦濤指導部の一〇年の間に進められた国有企業改革によって、ごく一部の大型国有企業においては従来の「ゆりかごから墓場まで」の社会保障を維持したが、多くの中小国有企業や集団所有制企業などは民営化されるか大型国有企業の傘下に吸収される過程で、享受していたさまざまな社会保障や雇用保障を廃止し、労働者たちは雇用と社会保障の面で不安定な状況に置かれることになったことが格差の拡大に拍車をかけている。「格差は依然としてかなり大きい」という状況を作り出し、拡大し続けているのは他でもない中国共産党の政策そのものに理由があるのである。

「中国の特色ある社会主義制度」

 胡錦濤は大会後に視察した貴州省の山村で党員たちに「われわれが中国の特色ある社会主義の道を動揺することなく突き進み、科学的発展を堅持しさえすれば、畢節市の生活はさらに素晴しいものとなるでしょう!」と述べた。
 今回の大会では、この「科学的発展観」が、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、ケ小平理論、「三つの代表」重要思想とともに、党の指導的思想として党規約に併記された。「科学的発展観」とは「人間本位の堅持」「持続可能な開発の全面的な調和」を基本とするものとして、胡錦濤が総書記に就任した翌年の二〇〇三年に提唱されたものである。二〇〇七年一一月の一七回大会で党規約に書き加えられ、今大会で指導的思想の一つに格上げされた。
 もう一つ、今回の大会報告で注目されたのは、従来の「中国の特色ある社会主義の道」「中国の特色ある社会主義の理論体系」に加え、「中国の特色ある社会主義制度」という表現が登場し、それが党規約に加えられたことだろう。大会報告では「中国の特色ある社会主義の道とは実現の方法であり、中国の特色ある社会主義の理論体系とは行動指南であり、中国の特色ある社会主義制度とは根本的保障であり、中国の特色ある社会主義の偉大な実践への三者の統一が、党による人民の指導において社会主義建設の長期実践で形成されたもっとも鮮明な特色である」とされ、党規約でも「中国の特色ある社会主義制度が確立した」と記載されたことである。社会主義が「制度」として確立されたというのだ。
 報告は一方で「わが国がいまもなお、そしてこれからも長期にわたり社会主義の初級段階にあるという基本的な国情は変わっておらず、人民の日ましに増大する物質的・文化面の必要とたち遅れた社会的生産の矛盾ということの主要な社会矛盾は変わっておらず、また世界最大の発展途上国としてのわが国の国際的地位もかわっていない」ともしている。
 世界経済に占める中国のGDPの割合は二〇〇一年には四・九%であったが、二〇一一年には一〇・〇%に上昇し、日本を追い抜き米国に次ぐ経済大国になった。
 言うまでもないが、マルクス主義のいう社会主義社会とは階級なき社会、つまり国家の死滅した社会であり、そこへ至る過渡期においては、プロレタリアートの独裁という国家が存在し続け、その初期においては、資本主義諸国と労働生産性をめぐる熾烈な闘争に勝利しつつ、革命を世界に広げる闘争の展開が予想される。つまり、たとえ初級であろうとも「社会主義」の社会と、「たち遅れた社会的生産」や「発展途上国」という表現は矛盾するし、それが「制度」として確立するという表現自体が奇妙なことである。
 現実の中国社会は「社会主義」にはほど遠い社会である。総人口の四分の一の富裕層が総所得の四分の三を占めるのに対し、世界銀行の貧困ライン以下で暮らす人は一億人を超えている。所得の多い層と少ない層の消費を比べると、中国では所得の上から二〇%の人たちの消費が、下から二〇%の人々の一〇倍近く、アメリカの七倍を上回っている。ついに「制度」にまで至った「中国の特色ある社会主義」だが、その国家は死滅するどころかますます膨張し、資本の搾取とともに労働者人民に重くのしかかっているのだ。

スムーズな非民主的指導部選出


 大会最終日の一一月一四日、二〇〇二年から一〇年二期続いてきた胡錦濤総書記、温家宝首相らの指導体制にかわり、習近平らを中心とする新指導部(二〇五人の中央委員と、中央委員に欠員が出た際に繰り上げ補充される中央委員候補一七一人)が選出された。
 翌日一一月一五日に開催された第一八期中共中央委員会第一回全体会議で、二〇五人の中央委員から二五人の中央政治局委員が選出され、そのなかから習近平(中央書記処第一書記、国家副主席:選出時の主な役職、以下同)、李克強(国務院副総理)、張徳江(国務院副総理、重慶市党委員会書記)、兪正声(上海市党委員会書記)、劉雲山(政治局委員、中央書記処書記、党中央宣伝部長)、王岐山(国務院副総理)、張高麗(天津市党委員会書記)の七人が中央政治局常務委員に選出され、習近平がトップである中央委員会総書記に選出された。習近平と李克強以外の五人の常務委員は年齢制限によって五年後の一九回大会で引退が予想されている。
 習近平は人民解放軍の最高指導機関である党中央軍事委員会の主席も胡錦濤から継承し、新体制への移行は比較的スムーズに行われたといえるだろう。国家主席および国務院総理などの国家機構の役職の引き継ぎは来年春に開催予定の第一二回全国人民代表大会で、国家主席は胡錦濤から習近平へ、国務院総理は温家宝から李克強へと引き継がれる。
 新指導部の人事を巡っては、党内派閥闘争という観点から、ブルジョア新聞だけでなく一部の左翼党派の機関紙までもが党内闘争一辺倒の分析に終始している。これらの分析で一般的に認識されているのは、胡錦濤ら共産主義青年団系の「団派」は今回の人事で江沢民を中心とする「江派」(または「上海閥」)や高級官僚の子弟らの「太子党」らに敗北を喫した、というものだろう。
 今年三月に二五人の中央委員の一人で次期指導部入りを画策していた「太子党」の鬼っ子でもあった薄煕来の失脚が決定的となったことで、派閥闘争をめぐる報道は一層ヒートアップし、今後もこのような分析が続くだろう。しかしこういった分析は、日本の労働者人民が中国労働者人民と連帯するために何ら役に立つものではなく、逆に宮廷陰謀劇の騒々しい傍観者的役割でよしとする風潮を日本の労働者人民に植え付けるものだといえる。今回の大会で胡錦濤が党内の役職すべてを、少なくとも五年前から内定していた後継者の習近平に引き継いだことは、一〇年前の江沢民指導部から胡錦濤指導部への移行時にくらべて、党の指導部体制の移行がよりシステム化されたことを示しているが、ここでわれわれが認識すべき事柄は、ますます非民主的で陰謀に満ちた形でしか指導部を選出することができなくなっている事実であり、「民主」も「集中」もない党運営のあり方であり、党と労働者人民との乖離・敵対関係であり、それがどのような客観的構造に基づいたものなのか、ということだろう。

団結呼号からにじみ出る危機感

 比較的スムーズな指導体制の移行は、さまざまな利害関係や社会的対立に起因する高級官僚たちの紛争の減少を意味するものではない。まさにその逆である。下部党員による民主的な指導部選出方法が確立されつつあるのではなく、改革開放政策によるグローバル資本主義との合流による利権の膨張化、国有企業の巨大グループ化や私有化にともなう利権・腐敗の深化、軍事大国化にともなう軍事関連産業における利権構造の拡大、「中華民族の復興」に象徴される大国化で自信をつける党外務・文化官僚など、各々の官僚ネットワークの利権が、党官僚機構のトップダウン人事によって大きく左右されるという仕組みは、よりいっそう強化されている。党官僚機構による人事のトップダウンは、官僚機構の利権ネットワークの隅々にまで貫徹されるし、逆にいえば、下部官僚機構の利権構造の集大成が七人の政治局常務委員をトップとする二五人の政治局委員、二〇五人の中央委員会であるといえるだろう。
 しかし、膨張し分散化する利権構造に立脚した党指導部の選出や運営は、民主的な議論や分派闘争を通じたものにはならないし、「偉大的導師、偉大的領袖、偉大的統帥、偉大的舵手」と称えられ官僚の上に君臨した毛沢東や「政治運動をするべきではない」と叱咤したケ小平のような絶対指導者が支配した時代における権謀術数よりもいっそう混迷を深めるだろう。
 胡錦濤は大会報告の最後で以下のように党中央を中心とした全党の団結を叫んでいる。「いかなる者も党組織の上に君臨してはならない。断固として党中央の権威を擁護し、思想、政治、行動面で党中央と高度の一致を保ち、党の理論と路線・方針・政策を断固貫徹し、中央の政令がスムーズに実施されることを保証しなければならず、『上に政策あれば、下に対策あり』という姿勢は許されず、法律があるのに実施しない、禁止されてもやめないという事態は許されない」。これは長老政治への自制宣言ともとれるが、同時に集団指導体制という「団結」のみが党全体の分裂をおしとどめることができる、という党指導部の危機感の表れでもある。
 このような危機感は、大会で新指導部の候補者リストなどを確定する強力な権限をもつ議長団に、江沢民を筆頭として、一九八九年六月の天安門事件以降現在も存命の新旧の中央政治局常務委員が全員名前を連ねていることからも、長時間の大会報告を聞き終えた後に一人では立ち上がれないほど老衰した身をおしてまで大会雛段の議長団席に君臨した江沢民の存在の意味を理解することができるし、薄煕来など他の指導部を出し抜いて権力や利権を拡大しようとしたり、中央指導部の方針に合致しない政策を推進しようとする高級官僚に対する「粛清」を理解することができるのである。
 「実際には『団派』も『太子党』も『上海閥』も、一国社会主義からグローバル資本主義への過渡として全面的に展開された改革開放のさらなる深化がもたらした社会的矛盾と民衆の抵抗の拡大を、党・軍・警察機構をはじめとする強大な暴力装置を通じて抑圧することに同じ利害を持つ『一つの派閥』である」(「かけはし」二〇一二年四月二日号)という分析と評価を変更する理由はいまだみあたらないとはいえ、中南海の権謀術数に敗れたグループのなかから新指導部の「清廉」や「親民」の政治宣伝のためのスケープゴート的粛清が行われるだろう。実際に、四川省のナンバー三である省党委員会副書記で今大会で中央委員候補にも選出された李春城をはじめ複数の地方幹部らの汚職等の処分など、党大会終了後すぐに展開されている。
 この「一つの派閥」が今後も永遠に維持される保証はない。それが、膨張しすぎた暴力装置としての官僚機構みずからの重みで分解するのか、一層のグローバル資本主義化による官僚的利害関係の衝突によるのか、激しい階級闘争を内包した深刻な社会的衝突の衝撃で分解するのかは今のところ予測はつかないにしても、である。

大国有部門が派遣労働者を濫用


 一八回大会の初日、日経新聞は次のような解説記事を掲載した。「中国では政府の規則に守られた国有企業の存在感が高まり、民営企業の経営を圧迫する『国進民退』が鮮明になりつつある。……江沢民総書記(当時)のもと、一九九八年に就任した朱容基首相(同)は、大量の失業者発生をいとわず国有企業のリストラに取り組んだ。非効率な国有企業を縮小し、民間企業の発展を後押しして経済を活性化する『国退民進』の推進だ。逆に胡錦濤総書記時代は社会の安定を重視して『和諧(わかい=調和のとれた)社会』を標榜したため、『国進民退』が際立った。」(日経新聞二〇一二年一一月八日朝刊)
 この日経の記事自体は、ブルジョアメディアの面目躍如といった内容だが、「社会の安定を重視して『和諧社会』を標榜した」にもかかわらず、現在の中国が「和諧社会」とは程遠い社会であることは言うまでもない。そもそも二〇〇二年から始まった胡錦濤指導部体制が「和諧社会」を標榜しなければならなかったのは、国有企業の整理・再編という階級闘争の硝煙が漂うさなかに誕生したからでもある。
 今年三月に開かれた全人代、全国協商会議の席で国有重点大型企業監事会のトップはこう報告している。「一九九八年時点で中央直轄国有企業に籍のある職員は三〇〇〇万人だったが、国有企業改革の進展にともないその職員総数は一〇〇〇万人にまで激減した。だが実際には国有企業で大量の派遣労働者を使い始めたという背景がある」。
 二〇一一年に中華全国総工会が全人代に提出した報告書によると、中国全土の派遣労働者はすでに六〇〇〇万人、全労働者の二〇%に達している。中国経済の中心である上海市ではその割合は二〇〇八年の時点で三九・七%にまで達している。賃金だけをみても派遣労働者は正規雇用よりも二〇〜五〇%も賃金が低い。とりわけ中国経済の中心地である広東省では「格差」がはげしい。
 広東省にある中央直轄国有企業の平均年収は二一万九九一七元、同年の広東省の都市部の労働者の平均賃金は四万五一五二元、民間企業だけをみれば二万七四六八元である。一見、国有企業で働く労働者の賃金はずば抜けて高いように見えるが、実は中央直轄国有企業では多数の派遣労働者が働いており、この統計には含まれていないという。
 たとえば先の日経新聞の記事で上海証券取引所の時価総額トップと紹介されている中国石油天然ガスグループの場合、平均年収は一四万六九六〇元となっているが、それはこの年の給与総支給額九一億七六二〇万元を五五万二八一〇人の在職職員と七万一五九〇人の退職者の合計六二万四四〇〇人で割った金額である。そこには三二万三六〇五人の派遣労働者を含む臨時的、季節的労働者はふくまれていない。同社製品の末端消費を担う北京のガソリンスタンドで働く派遣労働者の月収は一五〇〇〜二〇〇〇元程度であり、どれだけ多く見積もったとしても年収は二万元余り程度でしかない。日経新聞などブルジョアメディアは、この格差には触れない。
 無原則に拡大する派遣労働を規制するために、今年六月末、中国では労働契約法の改正案が公表され、パブリックコメントが受け付けられた。主要には同法六六条の「労務派遣は、一般的に臨時的、補助的あるいは代替的な部門において実施する」をより厳密に「労務派遣は、臨時的、補助的あるいは代替的な部門においてのみ実施する」に改めるなど、蔓延する派遣労働を規制する方向であった。締め切りの八月五日までにのべ一三万一九一二人、五五万七二四三件のコメントが寄せられ、八月下旬の全人代第二八回会議で審議されたのち年内にも改正されると思われたが、企業団体、とりわけ国有企業などからの反対意見によって、一〇月下旬の全人代第二九回会議ではこの改正案は棚上げされたままになった。法改正に抵抗した国有企業のなかでも、石油、化学工業、電信、金融などの独占的国有部門が、とりわけ派遣労働者の濫用が甚だしいといわれている。一部には全職員の三分の二が派遣労働者という部門もあるという。

企業内部の所得格差も急拡大


 胡錦濤総書記は、今回の中央委員会報告で「経済の持続的で健全な発展を実現し、経済成長パターンの転換で重大な進展を遂げ、国内総生産(GDP)および都市部と農村部の住民一人当たり平均収入を二〇一〇年比で倍増させる」と宣言した。
 二〇〇〇年には一九八〇年のGDPの二倍を目指すとした目標は一九九五年に前倒しで達成され、二〇〇二年の第一六回大会において二〇二〇年には二〇一〇年のGDPの二倍を目指すという目標が掲げられている。第一二次五カ年計画(二〇一一―二〇一五年)では、経済成長の目標を七%とし、都市部・農村部住民の平均収入の成長目標を七%まで引き上げることが明確に示されていることから、計算上は倍増目標の達成は不可能ではない。
 今回の大会ではそこに「平均収入の倍増」が加わった。一〇月末に人事社会保障部の労働賃金研究所が発表した「二〇一一年中国賃金賞与発展報告」が日本のメディアでも話題になっている。ある国有保険会社の総経理の年収が六六一六万元(約八億五〇〇〇万円)で、ブルーカラー労働者の平均年収の二七五一倍、農民工の平均年収の四五五三倍にも達しているなどが指摘されたからだ。
 しかし、二〇八社の国有企業において一九七九年には一・一八倍だった上級管理職と一般労働者の収入格差が一八倍にまで拡大しているという話題には余り触れられない。九〇年代後半から進められた国有企業の民営化でリストラされた数千万の労働者を同じ国有企業が派遣労働など不安定雇用で再雇用したり、国家的な企業再編の過程で国有企業グループの傘下に吸収された集団所有制企業などの経営不振の事業体で賃金および社会保障がきわめて劣悪な状態に置かれ続けてきたことなど、帝国主義諸国の企業再編で用いられる労働者切り捨ての方法を中国は国家政策として貫徹した結果として格差が拡大したという事実は、ブルジョアメディアの好む「格差」の物語には合わなかったようである。

国際主義の主領域はどこか

 ブルジョアメディアが好むもう一つの物語は中国が「海洋権益を断固守り、海洋強国づくりに取り組む」と宣言した、というものである。それに呼応するかのように自民党総裁選や総選挙でも右翼ポピュリストらによる「日本の国土領海を守れ」「国防軍の創設」「尖閣に公務員配置」などという放言がメディアを通じて垂れ流されている。
 しかし全文およそ二万九〇〇〇字余りにおよぶ大会報告のなかで、尖閣を巡る争いに関連するであろう海洋権益についての記述は、上記の「海洋資源の開発能力を高め、海洋経済を発展させ、海洋生態環境を保護し、国の海洋権益を断固守り、海洋強国づくりに取り組む」と述べた箇所のみである。しかもこれは「エコ文明建設の強力な推進」という項目で述べられているのであり、この項目も中国語原文では一三五〇文字あるが、当該箇所の原文はわずか四五文字に過ぎない。
 「国防と軍隊の現代化を加速する」と題する項目もあるが、そこでも「中国は防衛的国防政策を実行し、国防建設を強化する目的は、国家の主権、安全保障、領土保全を維持し、国の平和的発展を保障することにある。中国の軍隊は終始世界の平和を守るための確固とした力である」と一般論を述べるにとどまっている。
 もちろん大会報告で触れられていないからといって中国政府の立場表明がないわけではない。南京虐殺のきっかけとなった日本軍の南京入城の日(一九三七年一二月一三日)には、中国国家海洋局の中国海洋環境監視観測船隊所属の船舶四隻と航空機一機が、日本政府の主張する領海と領空に進入し、「日本に向けて我が国政府の立場を伝え、日本の船舶が中国の領海から即時退去するよう通告した」(中国国家海洋局)など、日本側の強硬姿勢に対応しながら自国の権益を主張する姿勢が当面強まることが予想される。中国機による「領空侵犯」は一九五八年以来初めてであり(これまではF15戦闘機の緊急発進などで未然に防いでいた)、日本政府は今回の事態を受けて、航空自衛隊那覇基地に早期警戒機を展開するなど、オスプレイ配備、辺野古基地建設と一体となった日米軍事同盟の強化をもくろんでいる。
 東アジアを巡る国際的パワーゲームが、反ファシズムの階級協調体制である「カイロ・ポツダム会談体制」から、東西冷戦の勃発によってソ連邦・中華人民共和国などを排除した「サンフランシスコ講和条約体制」へと移行するなかで、アメリカ帝国主義の「太平洋における要石」と位置づけられた沖縄の一部に組み込まれていたこの孤島を巡る主権の問題は、沖縄人民の置かれている境遇に対しては依然としてレーニンの民族自決権・プロレタリア国際主義の立場から考えることが重要であるが、総選挙の結果、一層の厳しさを増すであろう日中間の関係を考えるうえでは、孤島を巡ってではなく、中国国内で闘われている階級闘争とのプロレタリア国際主義を通じたつながりを考える必要があるだろう。

労働者の新しい闘争の現局面


 日本のブルジョアマスコミが好むもう一つの物語は、上昇を続ける中国の人件費や高まる労働者の権利意識に関する「中国リスク」についてである。近年では二〇一〇年六月の広東省仏山のホンダ工場の労働者たちが賃上げや待遇改善、そして御用労組化していた企業労組の役員改選などの要求を掲げてストライキに突入し、中華全国総工会の妨害を押し切って世論を味方につけ、要求を貫徹したことなどが記憶に新しい。
 賃上げや経済発展著しい広東省は、今回の大会で七人の政治局常務委員入りするかどうかに注目が集まっていた汪洋が二〇〇七年から省党委員会書記のトップを務めている。同氏は「改革派」の若手リーダーの一人と言われ、今回の大会では常務委員入りは逃したものの、二五人の政治局委員に引き続き選出されている。
 二〇〇八年のリーマンショックをうけて広東省をはじめ全国各地で賃上げが凍結された。政府による財政出動などが一時的に功を奏して二〇〇九年からは景気が回復するも、資本は労働契約法の悪用や賃上げ凍結を継続しつづけ実質賃金は伸び悩んでいたことなどが、ホンダのストライキにつながった。また中国政府の方針としても、沿海部では、労働集約産業や低賃金による競争力から、産業の高度化やハイエンド産業の育成などの構造転換を指向することから、当該地域における労働条件の一定の引き上げは必然であった。経済成長を続け、「世界の工場」から「世界の市場」へと変容を続ける中国社会において賃金をはじめとする労働条件だけが長年にわたって抑え続けられるという幻想は、いうまでもなく労働者自身の闘争によって打ち破られていった。
 二〇一〇年の仏山ホンダに続き、同じ広東省の深?では、二〇一二年三月末からパナソニックの現地子会社である欧姆電子有限公司の労働者が賃上げや労組役員の改選など一二項目の要求を掲げストライキに突入した。一週間弱のストライキの結果、若干の賃上げ等を勝ち取りストライキは解除された。
 注目されたのは労組役員の改選という要求を受けて、地元の総工会が全面的に協力して役員選挙を組織化し、選挙の過程はメディアに公開され、テレビや新聞など地元メディアが先を争ってこの役員選挙の模様を報道した。地元総工会は今後同市で予定されている一六〇余りの企業内労組の役員改選において、労働者による民主的選挙を実施することを約束した。欧姆電子有限公司の組合役員選挙では現職の労組委員長が落選し、新執行部が誕生したことで注目度はさらに高まった。これは市場重視の「改革派」汪洋による「広東モデル」ともてはやされた。
 しかしその後の経過は決して楽観できるものではない。新たに選出された執行部は不慣れな組合事務のほとんどを上部組織の総工会に依存しなければならず、またストライキで活躍した労働者は人事異動で別な部署に飛ばされるなどの事態が続いた。「これは報復人事ではないか」との疑問に対し上部組織の深?市総工会は「人事異動は企業の発展に必要なことであり、組合が首を突っ込むことではない」との態度を示し、組合を支えてきた職場の労働者の希望は失望に変わった。
 同じ頃、一方的な賃金体系の変更に抗議して昨年一〇月にストライキで闘った時計メーカーのシチズンの中国最大の工場のひとつ、深?冠星精密工場の労働者も欧姆電子有限公司での労組役員改選の報道を見て、自分たちも同じように労組役員選挙を通じて資本との交渉を有利に進めようと地元の総工会に相談した。しかし総工会からの回答は「工場はまもなく移転を予定している。労働者の入れ替わりも予想されるので、役員の直接選挙を実施するには時期が悪い」というものであった。相談した労働者は「工場移転の話があるなら役員選挙を実施して早急に会社側と交渉すべきではないか」と当然にも疑問を呈したが、総工会の方針は企業の経営方針に逆らわないということが大前提であった。これが「広東モデル」の真実である。
 「広東モデル」にはもう一つの真実がある。広東省には、過酷な搾取や多発する労災に対して、労働者やそれを支援する専門家などが労働NGOをつくって、労働者を支援する動きが地道に続けられてきた。そのような労働NGO十数団体が今年の春から警察、税務署、消防をはじめとする地元行政機関からの妨害に直面し、活動の危機にある。中国国内の弁護士や大学教員や記者などが連名で汪洋など広東省の指導部に対して労働NGOを社会的パートナーとして認めるよう公開書簡を送ったが、依然として労働NGOの活動は不安定なままである。広東省に隣接する香港からも労働組合やNGOなどが同様の要請書を送ったが具体的な改善は見られない。労働NGOの活動が経済発展を阻害するとみなされているからである。これが「広東モデル」のもう一つの真実である。
 多くの日本資本が進出する中国では、これまで労働争議や労災補償など、日本の労働運動の役割を発揮することが可能なケースがいくつもあったが、継続したフォローがなされてこなかった。資本の搾取は軽々と国境を越える一方で、平和を求める民衆や搾取に抗う労働者の連帯は依然として国境に阻まれてきた。そして今、経済発展最優先の「広東モデル」に加えて、労使協調の「日本型労務管理モデル」が本格的に導入されようとしていることに、日本の労働運動は敏感になるべきだろう。
 無人の孤島の主権争いを煽りたてる領土ナショナリズムに対抗し、中国の労働者人民との真の団結を実現するプロレタリア国際主義は、日本資本とその協力者によって日々搾取される中国の若いプロレタリアートの反乱と抵抗にこれまで以上に具体的に連帯することによってその一歩が踏み出されるだろう。

現代の奴隷による決起のために


 一八回大会の報告は「すべての子どもが役に立つ人材になるように努める」と豪語した。資本主義グローバリゼーションが席巻する中国社会の子どもたちは、この社会の将来の主人公となる労働者階級としてではなく、資本の法則に沿った経済発展のために搾取される賃奴隷として、「役に立つ人材になる」ことを強制される。亡くなった五人の子どもたちは、救急車や霊きゅう車ではなく、遺体ごとゴミ箱に入れられたまま事故現場から運ばれていった。「大きくなったら出稼ぎに出られるし、また勉強もしたい」と将来の淡い夢を語った陶衝は、搾取対象としての「人材」=賃奴隷になることすらかなわず、その短い一二年の生涯の最期を「ゴミ」として扱われたのである。
 この現代の奴隷たちによる「起て!飢えて迫害されている奴隷たちよ、起て!苦難にあえぐ全世界の人々よ」の歌声と資本主義的私有の最後を告げる鐘の音が東アジア全域にこだまするその日を実現するために、厳しさを増す東アジアの国際情勢に抗して国際主義を掲げ続けよう。
 二〇一二年一二月一七日
 (早野 一)



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