震災・原発事故から3年目――福島の現状
労働者・市民の自立した取り組み
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1 大震災・原発爆発・放射能汚染から1年9カ月
事故は収束
していない
二〇一一年一二月一六日の野田首相による福島原発事故「収束宣言」から一年が経った。しかし、今なお毎時一千万ベクレル、一日で二億四千万ベクレルの放射能が放出されている(一〇月二二日原子力振興財団発表)。南東北から北関東にかけて強い地震が頻発する中で屋根のないプールに燃料棒が放置されている四号機への懸念の声は強い。ロボットで測った一号機の汚染水は一〇シーベルト/hだ。その汚染水を溜めているタンクはすでに数千基に及び、第一原発敷地に収まりきれないベースで増設されている。出所は同じ放射能に汚染された汚泥の焼却灰は各自治体の週末処理場にコンテナで山積みされている。こちらも増えるばかりだ。事故は進行形であり、汚染の影響はとどまるところを知らない。
戻らない避難
区域の人びと
避難区域の再編がたびたび行われ、帰還キャンペーンも繰り広げられきたが多くの住民は戻ってはいない。双葉郡の八市町村と南相馬市、田村市都路町、飯舘村、川俣町山木屋地区など一二市町村の約一二〇〇平方kmがほぼ無人地帯となったままだ。そして、この秋、これらの地域一帯が黄金色の稲穂ではなく、黄色の花をつけたセイタカワダチソウによって覆われた。
県内への避難者は一〇万人、県外は六万人。転校した子どもたちは一万二〇〇〇人、内一万二〇〇〇人が県外だ。県外避難者が漸減しているのは生活が立ち行かなくなっての不本意な選択の結果だといわれている。県内避難者のうち三万人余が仮設住宅暮らしのまま二度目の冬を迎える。寒さや雪に耐えかねて、会津地方からいわき市に移動する住民も増えている。帰還の見通しが立たたないことが日々明らかになる中であたらしい土地での生活再建を望む人々の割合が増えていることが各種アンケートに示されている。
子どもたちは全
国 都道府県に
避難した子どもたちは(保護者も)、原発震災以来、最初の避難―避難所―転校―仮設(間借り)住宅―転地―仮設または間借りまたは新居―転校と、文字通り流浪の旅路、生活と学びの場を転々と変えることを余儀なくされてきた。そしていま、北は北海道から沖縄まで四七都道府県全部に散在している。福島県内で間借り開校している双葉郡各町村立の小中学校に通っている子ども数は、原発震災前の一割強に過ぎない。「帰村宣言」を行って四月に川内村現地で再開した川内小学校、同中学校に通う子どもたちはそれぞれ十数人で教職員数とほぼ同じだ。この一〇月には天皇夫妻を訪問させるなど、帰村促進の動きが強化されているが、村民の多数は応じていない。放射線量が比較的低く、かつ除染がなされたのは役場や学校がある中心部のみであり、広大な山林は汚染されたままであるのだから、危険な原発から二〇キロの地域に子どもたちを戻さないと考えるのは当然のことだ。この状態と住民意識は、南相馬市の南部の旧小高町にも共通するものがある。
(左図参照)
切り干し大根に
放射能汚染が
一〇月二九日、郡山市北部にある福島県農業総合センターで「第二回農業分野における放射性物質試験研究成果説明会」が開かれ、「切り干し大根の放射性物質による二次汚染とその原因」が発表された。切り干し大根から検出された放射性セシウム濃度は、乾燥機による乾燥ではND、乾燥小屋の地表一m〜二mで一s当たり一六五ベクレルから九〇ベクレル、松の樹幹二二〇ベクレルであったのに対し、乾燥小屋の地表で八九二ベクレル、鉄筋ビル軒下壁際の地表で三四二一ベクレルであった。現在の日本における食品の規制値は一〇〇クレル、学校給食は一〇ベクレルであるからこれがいかに高い値かわかる。ここの地表一mの空間線量は〇・五〜〇・六sv/h、松の樹幹は一・八sv/h。空間線量との相関関係はなく、放射性物質を含んだ塵が舞い、干し場にある切り干し大根に付着したことによるものであることが明らかにされた。この事実は、放射性物質が地表にあり、風が吹けば塵と一緒に舞い上がり空間に漂っていることを意味している。それを吸い込むことで、また付着した食べ物を取り込めば内部被曝することになる。内部被曝は外部被曝に比して影響は桁違いに大きい。福島県の中通地方の大半は、放射線管理区域となる値の放射性物質が降り注いだままである。そこに住む一〇〇万余の人々は内部被曝を避ける生活が求められているのだが、実際にはその逆の道をたどらされている。
屋外活動で
子どもに被曝
二本松市は一一月二三日に市民放射線被ばく量調査報告を行った。小中学生の年間被曝量は全体の平均値では、昨年に比べ、小学生で〇・〇七〇_sv、中学生で〇・〇六_svとわずかに減少(一・四七_sv?一・四〇_sv)が確認された。ただ、今年調査した小中学四二一〇人のうち三一九〇人(七六%)で一_svを超え、一九六九人(四五・三%)で線量の増加がみられた。同市のアドバイザーを務める木村真三さんは、「昨年は制限された体育の授業や部活動などの野外活動が今年になって増えたため」と分析する。放射能大丈夫キャンペーンの横行、行政による規制緩和策が、子どもたちに被曝を追加していることをこの統計は如実に示している。
「復興」「復旧」を
急ぐ行政・政財界
「福島第二原発を動かし安く電力を供給して企業支える」と朝日新聞の「耕論」(二〇一二年三月一二日)で提案した瀬谷福島県商工会議連合会長・東邦銀行頭取の主張は、地元経済界の姿勢を端的に示している。公共事業の減少で三・一一前は青息吐息であった土木・建築業者は津波・震災からの復旧事業、国と自治体合わせて五〇〇〇億円の除染事業、「仮りの町」建設事業、その他で息を吹き返し、一部ではバブルの様相を呈している。原発の危機的状況の持続や放射能汚染の健康影響はどこ吹く風と、復旧・復興を急いでいるのが財界・行政当局の姿である。そこに、自民党政治家などがうまく立ち回り、口利きを行い、支持基盤をじわじわと再確立しつつある。
こうした動きに裏打ちを与えているのが、山下俊一福島医大副学長ら県民健康管理アドバイザー、各自治体の原子力災害対策アドバイザーとなっている学者たちだ。彼らはあらゆる場所で「放射能の健康影響は小さい」「大丈夫」キャンペーンを繰り返し、問題なのは、各自が抱いている「不安感によるストレスの影響」だといってはばからない。この基本的姿勢を持って、各地域・事業体・教職員への研修や、子どもたちへの「放射線教育」「が行われているのである。一二月一五日〜一七日の郡山市でのIAEA(国際原子力機関)の国際閣僚会議開催と県内への事務所設置もこの流れの中で行われていることだ。
追随する
教育行政
二〇一二年四月から三〇キロメートル圏内での学校が再開された。前述したように実際はそこで学ぶ子どもたちは少数である。が、原発爆発直後から放射線量の測定もせずに旧来の秩序維持で動いてきた県教委にとっては兎にも角にも元に戻すことが重要なのだ。
放射線からの防護のために一年間は学校での屋外活動を規制してきた中通りやいわき市でも各地教委は、屋外活動三時間ルールの解除、屋外プール活動の実施に踏み込んだ。福島市では小学生「交通安全鼓笛パレード」が、郡山市では「新体力テスト」が実施された。この夏、新聞やテレビは「二年ぶりプールで子どもたちの歓声」「福島から元気発信」と報じた。「復興の道具」・「絵になるシンボル」として子ども達は利用され、二本松市報告のように被ばくが追加されていく状況が権力機構とメディアによって作られているのだ。
労働組合は
産業防衛組織
いまほど、労働組合が社会的信用を失っているときはない。未曾有の原発震災が起き数十万人が逃げ惑っているというのに、連合福島は二〇一一年一〇月の大会「脱原発・廃炉を運動方針とはしない」方針を決めた。連合加盟の労働組合で原発や放射能を話題にすることはほとんどない。あるとすれば、「事故機以外の原発は安全」「放射能の影響は小さい」と言うときか「復興への予算要求」を出すときのみである。連合の地区メーデーに平和フォーラムの地域組織が「脱原発」のチラシを撒こうとしたら断られるということもあった。
二〇一二年六月、県内市町村議会の多くから「大飯原発再稼動反対決議」が上がったが、福島市といわき市では否決された。いずれも電力総連出身議員のいる議会である。企業利害を具現化する労働組合・議員として面目躍如の活躍だったのであろう。
このように電力をはじめとする大企業労組と連合は原発をめぐる攻防の中で資本の労働者支配補助装置、産業防衛組織、国策容認推進組織としての性格をいっそう露わにした。水俣での過ちがさらに大きな規模で繰り返されていると言えよう。
市民運動の勃
興と労働運動
一方、「放射能から子どもたちを守る福島ネットワーク」「原発いらない福島の女たち」「安全・安心アクション」「ママアクション」「フクシマアクションプロジェクト」などたくさんの新たな運動が沸き起こった。東電に賠償を求める農漁民・住民の運動もいくつも出来た。こうした市民・住民の動きと自治労や教組などの平和フォーラム、全労連・全労協単組・全港湾や旧地区労組織のコラボレーションによって「原発はいらない! 三・一一福島県民大集会」は一万六〇〇〇人を集め成功した。九・一九や七・一六の大規模な「さようなら原発中央集会」にも、かつてない数の県民が結集した。
しかし、動員の中身を見ると、地域の市民運動からの参加や、かつての総評労働運動・社共運動の中にいた退職組合員が多くを占め、職場の労働者の割合は小さい。そこには労働運動の大きな後退と労資一体勢力の跋扈の中で、新たな世代への運動の継承が進んでいないことや地域の市民運動との日常的な結合が部分的なものにとどまっていることを示している。この状態の克服は一朝一夕に出来るものではないだろう。国会周辺での行動の高揚に情況の転換を期待するばかりではなく、原発震災被災者・避難住民と結びつき、放射能汚染から防護された中での生活の再建に資する運動・地域運動の形成に向かってたゆまぬ努力が必要だ。
「放射能汚染後をどう生きるのか」を主題として開始された「ふくしまフォーラム」のとりくみや「被曝労働を考えるネットワーク」の運動、「原子力ムラ」の刑事責任を問う「福島原発告訴団」の闘い、「被災者・子ども支援法」の具現化の運動、「放射線マップ」作成による住民・子どもたちの安全、職場での放射線防護活動などへ、労働組合が積極的に関与していく必要がある。
様々な諸市民
運動と選挙
三・一一以降これまでの間に、市町村議会選挙と県議会選挙が行われた。脱原発を掲げる政治勢力のうち社民党は市町村議会選挙で得票数を大幅に減らし、県議会では前回の三議席から一議席のみと後退した。共産党は県議選で三議席を五議席に増やした。「市民派」は、郡山市で一増の三議席、いわき市(二〇一二年)で一議席確保したが、福島市選挙区の県議選では当選にはほど遠い得票に終わった。
街頭行動への結集の高まりやネット世論の盛り上がりは作り出されたし、諸課題の要求実現交渉のための国会議員、自治体議員へのロビー活動も取り組まれてきたが、政策決定の場に自らの代表を送り出そうとする動き、そこに参加する動きはほんの一部にとどまった。そう大きくはない違いを強調し自分の活動場所にとどまり選挙運動を眺めるだけの傾向もあった。原発と放射能から子どもたちを守る運動、原発推進勢力を糾弾する運動、脱原発運動の盛り上がりは一部を除いて選挙とは結びつかず、脱原発を掲げる政党・候補を押し上げるにはいたらなかったと言うわなければならない。
2 私たちの課題は何か?
放射線情報の
収集と発信
福島県民のみならず東日本一帯の住民は、放射能汚染情報隠蔽の下で被曝を余儀なくされ、「情報」が命綱であることが身をもって思い知らされた。見えず、臭わず、味なし、音なし、触覚なしの放射線は測定して存在を確認する以外にない。原発事故と放射能汚染の闘いは、自らが測定―情報の収集・交流―発信が土台となりその上に諸運動という構造物が建つという関係で作られてきた。私たちはこの一年九ヶ月繰り返してきたこの基本作業を、運動の交流で広がったネットワーク等を活用しながら発展させていく必要がある。
今、どんな闘い
が必要なのか
第一は、避難区域住民の生活再建の取り組みを当事者とともに進めていくこと。新しい生活を始めるに足る損害賠償・財物賠償の実現に向かってあらゆる手段を行使していくことが求められている。そして新たなコミュニティー・居住地作りに知見と知恵を結集していくことが必要だ。
第二に、過酷な運命に翻弄され続けている住民の人権保障、子どもたちが安全な場所で安心して遊び学ぶ権利を確立していくことである。「避難の権利」を保障し、自主的避難者も留まっている人も両方が生活支援を受けられるようにする必要がある。その意味でも、福島県が新規県外避難希望者には住宅支援申し込みを受け付けないとする不当な措置を撤回させる闘いを強化していくことが求められる。避難支援を行政が窓口となって行うところまで持っていかなければならない。
第三は、子どもたちの追加被曝・内部被曝を防止する施策を確立し実施すること。給食食材・食品基準の厳格化等で非汚染食品の供給を恒常化していくことである。甲状腺検査などをどこでも無料で行えるようにする医療支援体制の確立、身体・メンタル両面のヘルス支援・免疫力強化支援、子どもたちの保養事業の恒常化、制度化、学校長期休業時の保養事業を民間のみならず公的事業としていくことが必要だ。
第四は、教育活動の規制を継続させることだ。学校周辺と居住地、公園、故障、河川、山林、農地にはホットスポットが散在している。コンクリート焼きのベンチ・デッキには放射能が固着してしまっている。放射性物質が舞っている屋外活動は可能な限り控えること、教室にはエアコンを整備し、屋外に出たならマスク着用を習慣化することなども重要なことだ。そのためにも、空間線量、土壌表面汚染の計測により汚染度を浮き彫りにするとりくみを継続し、強化し、広めていくことが必要である。
「より良く生き
るための学び」
事故前の文科省の放射線教育は副読本の題名が小学校=「わくわく原子力ランド」、中学校=「チャレンジ!原子力ワールド」であったことに示されるように全く原子力を推進し、安全神話を普及することを目的とするものであった。事故後の文科省「新副読本」も、原発事故に関する記述はほぼゼロで、放射線は身近にあり役立っていることを強調し、健康への影響を過小評価する内容である。しかも電力会社役員等が理事を勤める「日本原子力文化振興財団」に作成を委託したという代物であるのに、福島県教委は、これに沿った内容のパンフレットを作り配布した。原発一〇基の廃炉を決議した県議会はこの副読本の見直しを求める意見書を採択している。このような新副読本は廃棄されなければならない。
いま必要なのは、原発爆発・放射能汚染地に意味のない「放射線教育」ではなく、子どもたちが「より良く生きるための学び」としての放射線教育であるとして、福島県教組「放射線教育対策委員会」は、以下の教育内容を柱とする独自の放射線教育を提案している。
@放射能・放射線の性質を理解し、その危険性と環境破壊を知るための取り組み
A被ばくを少なくし、健康と命を守るための取り組み
B制約された人権を回復し、差別を克服するための取り組み
C「原子力=核」利用の現状を知り、「原子力=核」利用に依存する社会構造を見つめ直す取り組み
そしてパンフレット「放射能の危険と人権」及び職場討議資料「生きるための学び」を発行、具体的実践促進の取り組みを開始するとともに、全国にも呼びかけている。
健康破壊する
収束・除染労働
いま、原発事故処理・収束作業で働いている労働者は一日三〇〇〇人と言われている。そして、除染作業に携わる労働者が加わっている。重層的下請け構造の中で被曝労働は闇の中に隠されてきたが、いまなお実態は変わっていない。線量計を鉛のカバーで覆い、積算値を低く偽装する工作や除染作業でも危険手当である特殊勤務手当てが途中でそっくり抜かれていると言う犯罪行為も明らかにされてきた。
原発爆発一週間後に3号機原子炉タービン建屋地下での緊急作業などで二〇ミリシーベルトを被ばくした労働者が東電及び関電工を労働基準監督署に告発した闘い、全国一般全国協に結集して団体交渉を実施することで賃金手当を獲得した除染労働者の闘い、そして「被曝労働を考えるネットワーク」による相談・支援活動が開始された。これらを前進させ、下請け労働者の健康破壊の防止、労働安全衛生の確立、労働条件の抜本的改善に寄与していくことが求められている。
子ども・被災者
支援法の豊富化
「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が二〇一二年六月に成立した。この法律を具現化する施策の実施が緊急の課題として求められている。支援対象地域・「被曝者健康手帳」交付・定期的健康診断、医療の無償化、避難、保養への経済的支援制度、精神的損害への賠償に加え、生活支援、財物賠償の公正な実現など有効な施策の実施である。衆議院の解散によって、国会議員の動きは中断されたが、当事者と市民と法律家などで作る「市民会議」の継続と運動拡大によって、政府及び自治体の施策確立と実施を引き寄せて言わなければならない。
脱原発への道へ
新しい挑戦を
放射能からいのちと生活・子どもたちを守る運動・脱原発の運動は、伝統的な組織運動やチェルノブイリ以来継続されてきた市民運動に新しい自主的な動きが合流し大きく発展してきた。そしてそれらは文部科学省の二〇_sv基準の撤回を迫る運動、首相官邸と国会前の「巨万の人波」、代々木一七万人集会、福島原発告訴団への一三二四人の県民・第二次全国一三二六二人の参加として示されてきた。しかし、一方、各地方自治体首長選挙や議会選挙での自民党・原発推進勢力が連続して勝利(脱原発候補は連敗)してきたし、衆議院選挙では、原発維持・国軍創設を謳う安倍自民党の圧勝と言う厳しい結果となった。
これはどうしてなのか?このような結果となる客観的要因は? 原発や消費税に反対する世論と選挙のこれほどまでの乖離をどう分析すればよいのか? 原発は次々と再稼動されるのか? このまま改憲へと突き進んでしまうのだろうか?と、日本での脱原発運動の高揚の中にいた人の多くが失望感とともに危惧していることだろう。
振り子が大きく右に振れた中で、脱原発への道を確かなものとし憲法改悪を阻止するには、直面する諸課題に取り組みながら二〇一三年夏の参議員選挙をはじめとする諸選挙にとりくみ、勝利を獲得することが不可欠である。そしてそれは、自公や維新と対抗する統一戦線、労働戦線、共通の政策目標を掲げる政治勢力形成への挑戦である。私たちは、そのために積極的役割を果たさなければならないだろう。
(二〇一二年一二月一六日 世田 達)
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