かけはし重要記事

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                         かけはし2002.12.16号より

現代に引き継がれる田中正造の闘いに思いをはせ

「公害の原点、谷中村を訪ね、交流する旅」に参加して

 十一月十日、地球的規模の実験村が主催する、「公害の原点、谷中村を訪ね、交流する旅」に、三里塚現地から実験村代表柳川秀夫さん、東峰の石井恒司さんを迎え、二十人ほどの参加で行ってきました。
 午後一時、東武日光線の藤岡駅に集合し、車で渡良瀬遊水池土手まで移動し、「谷中村の遺跡を守る会」の針谷さんの案内で、旧谷中村の見学を行いました。
 まず合同慰霊碑を見学しました。ここは、一九六一年旧谷中村民の要請で、遊水池内に点在する墓石や石仏二百六十八基を集め、中央に慰霊碑を建て、その周囲に安置してあります。しかし、四方にあるコンクリートの壁に墓石や石仏、あるいは庚申塚などが塗り込められてしまっているため、石の前面しか見ることができず、側面や裏面にある文字は、読むことができません。この慰霊碑を作ったであろう行政の無神経さを感じました。
 この石の中には、十九夜塔というものがいくつかあり、針谷さんに聞いてみました。
 「田中正造は、谷中村に博打打ちが多いことを指摘していました。それは、農業の他に、魚が豊富に捕れるという経済的裏付けがあり、男たちは博打を打つ余裕があったのです。十九夜塔は、そんな男たちを後目に、秋の十九夜に女性だけで集まって踊ったり歌ったり、おしゃべりをしたりという風習があったそうです。この塔は、そんな女性たちが、菅笠作りの内職などからヘソクリをして、共同で建てたものです」。
 いよいよ、旧谷中村見学です。土手に立つと、広大な葦の原が見渡す限り続き、遠くには筑波山が見えます。渡良瀬遊水池は、三十三平方キロ・実に東京ドーム七百個分という広大な土地です。土手から村役場跡まで向かうわけですが、この日は、渡良瀬遊水池マラソンが行われ、遊水池内は通行止め、歩いて見学になりました。
 とても良く晴れ、気持ちの良い日でした。その上通行止めだったので、車はまったく通りません。普段の日曜日は、憩いの場となっており、ドライブがてら立ち寄る人で、駐車場は満杯になるそうです。針谷さんが続けます。
 「ご存じの通りこの谷中村は、足尾銅山からの排水や排煙により、足尾地域の森が枯れ、保水能力が低下し、洪水とともに流れてくる重金属を含む鉱毒による被害を、東京に流れ着く前に(江戸川や中川は、利根川水系である)村丸ごと遊水池にして堰き止めてしまおうという明治政府の政策の犠牲になりました。なぜ、これだけの鉱毒被害を出しながら、工場の操業を中止しなかったのか。江戸時代にも多少の鉱毒被害はあっただろうが(十六世紀に発見、幕府直属の銅山だった)、被害が甚大になったのは、やはり明治政府の富国強兵政策と、日清・日露戦争のためでしょう」。
 三十分ほど歩き、車道から葦の小道に分け入っていくと谷中村史跡に入ります。
 途中葦の原の中に、水辺がチラチラのぞくのですが、お世辞にもきれいとは言えません。場所によっては、臭うほどです。それでも野鳥やトンボ、野草の宝庫であり、絶滅危惧種も多数生息しています。
 「渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会」事務局長・猿山さんは、「これまで、この渡良瀬遊水池には、@ゴルフ場の増設A国際空港建設B総合レジャー施設C第二貯水池建設と、すべて私たちの運動でつぶしてきました。現在5番目の課題として、ラムサール条約指定(水鳥の生息地保護を目的とした国際条約)を求めていくとともに、この野外博物館としていく『渡良瀬エコミュージアムプラン』実現の取り組みを行っています」とのことでした。
 渡良瀬見学の後は、建物の建築、栽培からうどん作りまで徹底してやるお店「あき津亭」で、美味しい手打ちうどんを食べ、一服した後、報告が行われました。渡良瀬未来プロジェクトの千野さんから、谷中で堆肥を作り、それを足尾に送る、そして足尾のドングリを谷中など下流で育て、また足尾に戻すという運動の紹介をしました。
 森林学者の藤原信さんは、公団による三里塚東峰神社立木破壊の問題で、入会権が法律的にも環境保全的にも現代に生きているという指摘をしました。東峰在住の樋ヶ守男さんは、東峰神社裁判について報告。公団は浅沼輝男さんから土地とそれに付随する立木を買ったわけだが、しかし神社の性格上、土地は東峰部落が実態的に所有しており、立木は土地に付随するものであり、勝手に切ることは許されないと、政府公団を糾弾しました。
 田中正造大学の坂原辰男さんは、田中正造が生きていたら現代をどう考えるかを出発点として、栃木周辺での活動を紹介。土地収用法第一号に対して民衆とともに闘った田中正造のすごさを受け継ぎたいとあいさつしました。渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会代表世話人の高松健比古さんは、遊水池は国有地であり、この反開発の運動は、ダムと違って国がやろうとすれば何でもできてしまう大変困難な運動だったことを踏まえ、エコミュージアムプランを中心として、百年の歴史を根底から変えていく運動にしたいと語りました。
 私たちは、田中正造と谷中村、あるいは秩父事件といった、民衆自ら立ち上がった闘いをもう一度見直すべきではないでしょうか。恥ずかしながら、私は田中正造の運動が、現代も渡良瀬遊水池を守る運動に引き継がれていることを知りませんでした。ましてや、正造の思想が、三里塚闘争に通じていることに思いを馳せることができませんでした。
 現代日本における大衆運動の復権は、田中正造から、インターナショナルへの飛躍といっても過言ではないでしょう。  (沢中 仙)

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