秒読みの段階に突入したブッシュ政権のイラク侵略戦争に対して、全米各地でベトナム戦争終了以来最大の反戦デモが行われている。最新の世論調査は、戦争への支持が低下しており、ベトナム戦争や湾岸戦争開始当時よりすでに低くなっていることを示している。アメリカの反戦派は、戦争が発動される前に止めるために、さらに強力な大衆的行動を組織するために全力をあげている。
ジョージ・W・ブッシュと彼の顧問たちは、イラク侵略に対して広範な支持が寄せられていると考えているが、十月二十六日のワシントンDC、サンフランシスコ、その他多くの都市でのデモは、全く逆のことを彼らに示した。米地上軍がイラクに送り込まれておらず、徴兵がなされておらず、戦争で犠牲になったアメリカ人がおらず、サダム・フセインが告発された多くの犯罪で有罪であるという事実にもかかわらず、アメリカ人たちは街頭にうって出たのである。その数は、ワシントン警察でさえベトナム戦争終了以来最大のものだったと認めている。
ワシントンDCでの二十万人、サンフランシスコでの七万五千人に加えて、シアトルで八千人、デンバーで五〜六千人、シカゴとテキサス州オースティンでほぼ同数、ジョージア州アトランタで五千人、メイン州オーガスタで三千人、バーモント州モンペリエで千五百人、ニューヨーク州キングストンで千五百人(著名なフォークシンガーで同地に住むピート・シーガーも参加)、アリゾナ州ツーソンでも千五百人がデモに参加したと報じられている。一週間前(十月十九日)にはユタ州ソルトレークシティー、ミネソタ州ダラスでそれぞれ約三百人がデモした。毎日、全国から地域の行動についての追加的報告や次の行動計画が寄せられている。
十月二十六日は他の国でもデモが行われた。われわれはローマ、ベルリン(そしてドイツ全土)、コペンハーゲン、東京、メキシコシティーなどでのデモについて聞いている。
ワシントンDCでのデモは、実際に行われたよりも多数が参加したかもしれなかった。ニューヨークからのバスが遅れ、容疑者が一週間前に逮捕されていたにもかかわらず、スナイパーの連続襲撃の恐怖が多くの人びとに参加を思い止まらせたからである。にもかかわらずこの行動は巨大な成功であり、この点で平和連合組織ANSWER(Act
Now to Stop War and End Racism)は賞賛に値する。
ワシントンDCのデモと集会は、イラクにおける戦争の脅威に対する多様な反対運動を代表していた。参加者のうちの有色民族の比率は、以前の反戦デモよりも高かった。組織者は全国のイスラム教グループに参加を呼びかけ、多くの人びとが参加した。それもまた反戦運動にとって積極的な前進であった。
同様に労働者の参加も以前より多かった。集会の発言者の一人である「ニューヨーク市戦争に反対する労働者」(NYCLAW)のマイケル・レットウィンは、ブッシュのイラク侵略計画に反対する決議を可決した労働組合の印象的なリストを読み上げた。もう一人の労働者の発言者は、経営者団体の太平洋海事協会によって西海岸でロックアウトされ、タフト・ハートレー法を発動されてきた国際港湾倉庫労組(ILWU)第10支部役員のクラレンス・トーマスだった。
同様に、集会の発言者は反戦運動の広がりと強さを反映していた。平和を求める退役軍人の代表が何人か発言した。その中には、朝鮮戦争、ベトナム戦争、一九九〇〜九一年の湾岸戦争の退役軍人がいた。一九八〇年代に韓国に駐留していた女性退役兵士は、米軍が傍にいる中で韓国軍によって行われた市民の虐殺という恐ろしい話を語った。
発言した政治家と元政治家には、ジェシー・ジャクソン師、シンシア・マッキニー下院議員(民主党、ジョージア州)、アル・シャープトン師、ラムゼー・クラーク元司法長官がいた。彼らはすべて、前日にミネソタ州アイアンレンジでの飛行機事故で死亡したミネソタ州選出上院議員のポール・ウエルストーンを追悼した。
発言者のほぼすべてが、すでに戦争のために使われた何十億ドルもの費用やこれからさらに使われるだろう何十億ドルもの戦費と、とりわけアメリカ経済が不況におちいっている時に、アメリカで人びとのためには使われることのない金額とを対比して語った。バーモント州の実業家で、ベン・アンド・ジェリーアイスクリーム社の創設者であるベン・コーエンは、軍事に乱費されるカネのたった半分で、公立学校の学級定員数を減らし、健康保険を持たないアメリカの子どもたちすべてにそれを提供し、地球上のすべての飢えた子どもたちを養い、エイズに苦しむ世界中のすべての人びとに薬を提供できる、と説明した。彼は、横断幕サイズの棒グラフを広げて、人間の必要のために支出される費用と、戦争のために支出される費用を対比して見せた。戦争のための支出を示す棒を示すためには、別のリボンを広げなければならなかった。グラフには収まりきれなかったからである!
一九九一年一月十九日と二十六日にブッシュ父の戦争に反対するデモが成功裏に行われた。それは、当時ブッシュ父がバグダードにまで進撃するのではなく、イラク軍をクウェートから追い出すことで満足する決定を行う上で一定の役割を果たした。しかし、アメリカの人びと――労働者階級も――の湾岸戦争への支持は高かった。現在の世論との対比で見たとき、それはより目ざましいものだとはいえない。
二〇〇一年九月十一日の世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃の後の愛国的感情の高まりにもかかわらず、サダム・フセインの権力を取り除くための軍事行動に賛成する人びとは、世論調査の回答者のうち過半数をほんの少し上回るだけである。多数は、広範な諸国家の連合、国連による正当化、議会の承認を条件に上げている。ABCによれば、アメリカがサダムの排除を「単独で」行うことに賛成しているのは、質問された人びとのうち四分の一をわずかに上回るにすぎない。
その上、質問する側は、偏った結論を導き出すような言葉づかいで質問していることを理解すべきである。たとえば彼らは次のように質問する。「あなたはサダム・フセインが大量破壊兵器を使用するのを阻止するためにイラクで軍事行動をとることに賛成しますか」。こうした偏見に満ちた言葉づかいをしても、ブッシュがアメリカの人びとに対して、イラクへの戦争の必要性を確信させていないことは明らかである。
われわれをさらに勇気づけるのは、世論調査が戦争支持率の低下を示していることである。例を挙げよう。二〇〇二年十月七日、CBSとニューヨークタイムズの世論調査は、アメリカが速やかに戦争を行うべきか、それとも国連の武器査察官にもっと多くの時間を与えるべきかと質問した(偏見に満ちた言葉づかいの一例)。ただちに戦争をというのは三〇%で、国連査察官にもっと多くの時間を与えるべきとの回答が六三%に上った。
その二週間前には、ただちに戦争をという回答が三六%で、査察のためにもっと時間をかけよという答は五七%だった。アメリカはただちに行動すべきか、同盟国を待つべきかという質問には、二九%がいま行動することに同意したのに対し、六五%の人びとはアメリカは同盟の構築を待つべきだと答えた。「単独行動」への支持は、二週間前に比べて二ポイント下がった。
ブッシュ・ジュニアの対イラク戦争への最初の段階での支持率は、ベトナム戦争や、ブッシュ父の湾岸戦争への支持率よりもかなり低い。ベトナム戦争では、最初の全国的デモが行われた時には、すでにまる一年戦争が行われており、戦争に抗議するために十万人以上の人びとが街頭に登場するには三年かかった。そして歴史が記録するように、ベトナム人民自身の英雄的抵抗と結びついたこの運動は、史上最も強力な帝国の進路を阻止し、アメリカに最初の軍事的敗北をもたらしたのである。こうした歳月を絶えることなく仲間うちの宗教的友愛団体で過ごしたジョージ・W・ブッシュが、民衆的反戦運動の重要性を理解せず、あるいはそれが彼の外交政策に何をなしうるかを理解しないのは、ありうることだ。もし彼が現在の路線を続けるならば、彼は実に厳しい教訓を学ぶことになるだろう。
(02年11月2日)
(米「レイバースタンダード」のホームページより http://www.labourstandard.org
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