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    かけはし2012.年12月3日号

新自由主義的枠組みを超える真の平和を追求する政治運動を


フィリピン

バンサモロ革命戦線
の自決のための闘い

歴史的パースペクティブと今日の現実(下)

紛争、敵対の基盤の除去を

民族的結集の核心はそこに

リチャード・S・ソリス


4 再定義された闘い


 イスラム的側面を強調することはMILF(モロ・イスラム解放戦線)の創設者ハシム・サマラト(彼はトリポリ協定当時、MNLF〔モロ民族解放戦線〕の外相として行動していた)が、非宗教的できわめて厳格な政教分離派であり、民族主義的側面を強調するヌル・ミスアリ(MNLF指導者)と反対派を差異化するためだった。こうした方針は、ただちにOIC(産油国協力会議)の個々の諸国、たとえばサウジアラビアの支援を引き付け、MILFはムスリム同胞団の公式メンバーとなった。なぜならMNLFはその時なお、OICによってモロ民族の唯一正統な代表と見なされていたからである。ムスリム同胞団のコネクションは実際に企画されたわけではなかった。しかしMILFの内部サークルの中では、ハシムは生前、イスラム同胞団の中で非常に重要な仕事をしていたという強い確信が存在していた。
 MILFはモロ民族、とりわけ一三のエスニック言語集団を一つの民族的意識とアイデンティティーに統一するために出発した。それはイスラム教と、スンニ派的伝統――その主要なパトロンであるサウジアラビアや、ムバラク後のエジプトの選挙で最近勝利したムスリム同胞団のような――を通じでであった。
 後の段階になってMILFは、バンサモロの民衆とは、ミンダナオ島ならびにパラワン島やスールー諸島など近接する諸島の征服時あるいは植民地化の時点での本来の住民、すなわち先住民とその子孫たち――混血か純血かを問わず――であると規定するようになった。それはバンサモロの基盤が、政治的目標達成に向けた民族的政治運動のプロセスの結果として、その意識が他と区別される民族とアイデンティティーを持つようになる歴史的・集団的経験にあるのではなく、皮相的で機会的な側面に据えられていることを暴露するものだ。この定義は、民族の一部になるかならないか、社会的・民族的解放のための闘いを支持するかしないか、という個人的・集団的受容・不受容を考慮さえしていない。
 さらに民族のこうした説明には、ムスリム商人とイスラム布教団がミンダナオに来る以前から、島に住んでいたのはアニミズムと多神教信仰を持っていた先住民族だった、という言及もあるべきだ。
 上述の説明は、信仰を他者に外部から押し付けることへの恐怖である「一民族一信仰」というスローガンによって強められる。実際のところMILFが指導するような民族解放のための闘争が、民族間矛盾や、闘争の時期においてもある特有の抑圧である民族的抑圧を解決すると考えるのは皮肉な話である。
 別個の歴史と祖先の地、したがって別個の望みを持つ別個の民族としての先住諸民族(IPs)の権利を、MILFが決して考慮も認識もしなかったことは注意に値する。彼らの定義は、鮮明に述べている。IPsはバンサモロの定義の一部であり、かれらの祖先の領域もまた上述したバンサモロの故地の不可分の一部である、と。
 フィリピン政府は、その交渉代表団を通じて、客観的現実から言ってそれが誤りであることを指摘しなかったし、このような枠組みの最も論理的な結果は別のレベルの紛争を招くことになることに踏まえて、こうした明白な無視を正す具体的な措置を取ろうともしなかったことは明白である。国民国家としての枠組みからすれば好ましいものであったために、政府は分割された諸民族を効率的に統治することができる。
 しかし最も重要なのは、自決という民主主義的権利のための真の闘争、そしてその方向性は、その名において闘争が始まり、その名においてのみ持続することができる民衆の、最も広範な参加によって決定される、ということなのだ。他の民主主義的勢力の尊重と支援は、今度はかれらの民主主義的権利と望みが尊重され、支援されることによってのみ現実のものとなる。他の民族を抑圧する民族は真に自由にはなりえないという真理は、バンサモロとルマド(先住民族)の具体的状況の中で試されるだろう。

5 和平交渉の失敗と教訓

 現在の推移の中で、フィリピン政府とMILFの間でなされる簡潔な和平協定によって達成できる政治的取り決めがどのようなものになるだろうかについて一瞥できる。相互に合意した原則において、一九七六年、一九八九年、一九九六年のMNLFと以前の政権との間での一連の和平協定の産物である現在のムスリム・ミンダナオ自治区(ARMM)の制度は、受け入れがたいものであり、したがって別のものに置き替えられるべきであると述べられている。政府とMNLFとの以前の交渉は失敗であると言いながら、こうしたプロジェクトの失敗の理由について言及されないのは、明らかに見え透いた言い方である。
 しかしそれは、ARMMと呼ばれる政治的実体が存在する憲法上の根拠を与えるために制定された法は、別のものに置き替えられるか修正されるべきだ、と言うに等しい。過去においてこうした法を施行した政府の立場の背後にあった枠組みと、現在、主人公は違っているにもかかわらず、別の取り決めを行う枠組みは以前と全く同じとは言えないにしても、である。
 政府はこうした失敗の能動的参加者だったことについて指摘するべきだ。現在政府は、プロジェクトが失敗した理由はMNLFの失敗にあると述べたがっているからである。政府とMILFとの討論が現に行われている中で進められている、政府とMNLFの間での一九九六年の和平協定とその実施に関する現在のいわゆる三者間検証は、失敗の理由の解明とその是正というよりは、OIC(イスラム協力機構)諸国を満足させようとするものだ。
 政府とMNLF間の和平構想の失敗の理由を客観的につきとめることの重要性は、現在の政府とMILFとの現在の和平プロセスにとって、大きな意味を持つだろう。たとえば政府は単一民族国家の枠組みに一貫して固執しており、これまでのところ政府は、現在の交渉も含めてあらゆる和平プロセスの中で、この枠組みを利用していることが容易に見てとれる。変化があるにしても、それは形式上の変化であって実質的な変化ではない。政府はあらゆる和平交渉の中で、その立場と枠組みを決して変えてはいない。その立場とは革命的グループの憲法への適応化と主流派政治への統合である。さまざまな民族解放運動への対処において「箱から外れた」解決策には至っていない。
 ここで一部の学者が「箱」を変えること、すなわち政府とMILFとの和平交渉の結果を含みこんで憲法を変えることで、協定の枠組みを本質的に変えることができると述べているのに注目することが、きわめて重要だ。しかしフィリピンのような多民族国家においては、つねに優位を占めるのは、少数民族の自決権の原則に反対する多数派民族の声である。
 したがって、同じ失敗を繰り返さないために政府―MNLFの和平交渉の教訓を学ぶことが差し迫った課題となっているのだ。

 

国際機関の関与は
慎重であるべき


 国際機関とそのメカニズムの役割に関するMNLFの経験の中で、国際機関の介入のレベルの仕方、性格は、とりわけMILFの場合は緩和されるべきである。上述した機関への依存はいかなる場合にも回避されるべきだ。会談のテンポと実質的内容は、そこに関与するMILFの能力に依存すべきである。国際機関が会談に関与する理由とその誠実さを判断するのはきわめて難しいことだが、それぞれの政府や国家の利害ぬきには参加しない、という一事だけは確かなことである。
 たとえばマレーシアはMNLFの時にも一貫して会談にかかわり、現在では三番目の当事者としてサバ(ボルネオ島北西部に位置するマレーシアの州)における自国の利益のために交渉に直接参加している。MILFがモロ民族の祖先の領域についての主張において、決してサバの問題に触れない明白な理由がここにある。すべての利害関係者はこうした国際機関の関与に関してはきわめて批判的であるべきだ。その枠組みがフィリピン政府の民族国家の枠組みと異なったものとはなりそうもないからであり、たとえばかれらはミンダナオの非常に豊かな資源を開発し、かれらの新自由主義的グローバル経済のために適切な市場を作り上げることを必要としているからである。
 その上、MILFが主導する民族解放の政治的成果に関与することになれば、彼ら自身がそれぞれの国において同様な被抑圧民族、エスニック集団による同様の圧力にさらされうるのだ。米国の役割もその地域的利害に関して、状況に結びつけた形で明らかにさせるべきだ。とりわけ、世界のこの地域における地政学的変化の中で、中国の影響の高まりと、それに対応した力関係の変動の脅威との関連で、それが明らかにされる必要がある。

抑圧された民族の
権利の尊重が重要


 新しい自治政治体の設立は、ARMM(ミンダナオ・ムスリム自治区)内の古い人間を交代させる、あるいは新しい構造を付加するという点においてのみ新しいのではなく、特別に定められた地域の住民に最も広範な政治的・社会的権限を付与する(エンパワーメント)メカニズムとインフラを構築するものであるべきだ。この政治的機構は包括的なものであるべきであり、MILFの機構を超えたものとなるだろうし、その枠組みは複数主義的なものであるべきだ。
 実際、MILFはこの変化した文脈の中で自らを再定義するべきであり、したがって、新しい政治体の中で異なった役割りを持つだろう。この新しい自治的政治体は、MILFの枠組みとメカニズムを超えて、旧地域的自治政府の中のすべての要素と構造から構成される。そのことは、MILFがその枠組みを広げ、新しい政治体の一部になることを意味するが、その固有の方針を維持し、あるいは新しい文脈と課題の中で広範な政治的編成を組み入れることをも意味する。
 ここではMNLFが最終的和平協定に調印し、共和国法(RA)9054に規定されたARMMの取り決めに入っていった時の具体的経験に注意を払う価値がある。MNLFは、自らの政治組織を維持するとともに新しい政治体――ARMMの一部となり、それを実際的に指導した。したがってヌル・ミスアリはMNLF議長としての地位を維持したまま、ARMM知事になった。事態は、それが双方とも失敗したことを示した。この二つのメカニズムと手段は、異なった枠組とさらに広範な有権者を持つ二つの異なった実体だからである。
 現存する先住民族の伝統的政治構造、すなわちスルタン制とティムアイ制度(長老政治)の新しい自治的政治体における役割と貢献を学ぶこともきわめて重要である。MNLFは政治的プロセスの中で、それを脇に追いやったのである。
 この上部構造の強化と打ち固めは、バンサモロでの独立した経済システムが発展していないため、きわめて重要である。グローバル化した資本主義経済の新自由主義的局面は、フィリピン全国を一つの経済的実体にし、グローバル市場の一部にしてしまった。グローバル資本主義は、支配的国家と被支配国家の支配階級の積極的な参加を受けて、この地域のモロ民族と非モロ民族双方の犠牲の上に、自らの利益を求めて団結した。この段階でMILFは、この地域のすべての民族を配慮しながら自らの経済的課題とプログラムを持つべきであり、そのプログラムは現在の新自由主義的グローバル資本主義経済の一部になってはならない。民衆の多数に有利な実質的改革が、すべての経済・財政政策に貫かれるべきである。さもなければ、この地域の広大な天然資源と富のグローバル資本の利益のための開放プロセスは、人的資源、天然資源双方の強烈な搾取に向かう情勢を作りだすだろう。
 この経済的枠組みは、きわめて差し迫ったものだ。「自治国家は主権国家と同等の権利を享受しない」ことが立証されているからである。こうした構造を評価することができなければ、MILFの新たな順応と「主流派政治」への統合がもたらされるだろうし、よりラディカルなグループと運動が、モロ民族の名において自決権のための闘争を受けつげ、継続するために登場するだろう。
 モロ民族の基幹的大衆の役割は、和平プロセスのすべての局面において決定的なものであるべきだ。自決権のための闘争は、政治的であるばかりではなく民主主義的であるべきだ。民族的アイデンティティーの意識は、MILFが代表するコミュニティー全体において明確な民主主義的大望を持った政治的運動に移し替えられるべきである。和平過程での民衆の積極的役割は、交渉当事者間の政治的解決の成功を持続させる保障になるだろう。以前の和平交渉にも関与していた民衆との定期的だが形式的・機械的な諮問では、民主主義的で持続的なものにはならない。参加プロセスと透明性は、あらゆる変革的和平プロセスにおいてともに決定的な側面となる。
 このプロセスは、モロ民衆、とりわけMILFの一般メンバーの政治的意識の高揚に関する活動の持続的な確立を明確にふくむことになるだろう。それは、先住民族のような他の抑圧された民族と民衆の歴史的・基本的な諸権利を尊重し、自決権という基本的な民主主義的権利の達成を真っ先に考慮するようにすべきである。モロ民族の自決権は、諸民族と民衆が、戦闘や虐殺や民族浄化を引き起こすことなしに全面的に混在しており、次にはそれが不可能に思われる地域で、具体的に適用されることが不可欠だからである。しかしこの歴史的現実の中で、真の革命家は、持続的な平和を作り上げ、追求していく可能性を求め、持続可能な解決策を見出すことを止めるべきではない。

NGOの問題点
を考慮すべきだ

 フィリピン政府とMILFとの和平プロセスの中で非常に重要な役割を果たした特徴の一つは、非政府組織(NGO)の役割である。こうした参加は、以前に行われた会談では見られなかったことだ。
 NGO、とりわけ地域に根差したNGOは、以前の会談の記憶の制度化、討論に参加したり、和平交渉の契約の最終的な調印を準備したMILF要員のスキルの向上といった和平プロセスの成功に積極的な貢献を果たすことができる。NGOは、必要なファンドを作り、交渉の技術的必要に応じた財政的要求に応え、関係するコミュニティーの発展の中での管理面でのスキルや機能を引き上げるという点で、支援することができる。
 他方、NGOはMILFを、その基幹的大衆、そしてモロ民族の基幹的大衆の経済的・政治的エンパワーメントのための日常的闘争から離れたところへと導く可能性がある。NGOは、コミュニティーでの民衆の政治的運動のニーズとは違ったやり方で、プロジェクトを処理しがちである。NGO(とりわけ国際的NGO)は、一般的にコミュニティーの実践的活動に根ざしておらず、したがって住民の貧困のレベルを低減させるといった貧しい人びとの現実のニーズを感じ取っていない。かれら(NGOの個々の人格)が、貧困に関するあらゆるレベルの会議(地域的、国際的な)に出席している場合でも、そうなのである。かれらは民衆の貧困と、かれらのためのプロジェクトをパッケージにして提案する専門家になり、実質的に民衆の生活にタッチしないまま、後になって美しい報告書を作ることができる。
 かれらはすでに和平プロセスをパッケージにする作業をスタートさせた。そして政治運動と民衆運動のダイナミズムは、巧みに軽く扱われ、和平協定調印への機械的目標しか持ち得なくなるのは確実である。あらゆるプロセスの制度化により、そのダイナミズムと活力は失われるだろう。しかし最も重要なことは、NGOは決して中立ではない、かれらは資金寄付者の利害を代表する、という事実を指摘すべきだということだ。かれらのパ―トナーである資金寄付者は通常、最先進国の団体であり、NGOを通じてコミュニティーに新自由主義的政策を適用する機関にファンドを提供するのだ。こうしたタイプのNGOは、下からグローバル資本の新自由主義的プログラムを実施するのである。この文脈の中で、和平プロセスのNGO化の危険は、真剣な考慮に値する。
 資本の新自由主義的グローバル化の現局面は、一つの国民、一つの市場を創出したが、経済システムの不均等性と後進性をも創出し、民族間の紛争を生みだした。それは経済的搾取、政治的周縁化、大衆の文化的疎外をいっそう強めることになった。それはわが国全体、とりわけミンダナオにおいて、支配する側、支配される側の双方の国民/民族の間に強まっている。状況の悪化は、MILFのようなすでに燃えさかっている民族解放運動の火にさらに油を注ぐものとなった。MILFと同様にミンダナオのルマド(先住民族)は、民族的に異なった発展という歴史的現実、かれら自身の先住民政治構造の今の現実に立脚して、民族自決のために闘ってきた。MILFはフィリピン政府との交渉の中で、自決のためのルマドの闘争を尊重するだけでなく、支持すべきである。かれらの民族主義は、ともに同じレベルと原則からもたらされている。
 ミンダナオにおける真の平和は、すべての抑圧され、周縁化された民族の民主主義的権利が尊重されず、民衆の最も広範な層の利益にそって社会的不平等が是正されなければ、決して達成できない。
 MNLF、MILF、BIFM(バンサモロ・イスラム自由運動)、あるいは先住民族との平和のために、平和がそれぞれに区分化されるべきではない。平和は全体的にアプローチすべきであり、その欠落を生みだす根拠が具体的に特定され、指摘されるべきである。

6 結論として

 バンサモロの自決のための闘争は、世界で最も長期にわたる民族解放闘争の一つである。それはスルタン制の下での先住民族の政治構造をもって始まり、民族的アイデンティティー意識のレベルが増大した産物である、民族主義的・革命的政治組織の形成にまで至った。政治運動は発展し、強力な宗教的紐帯は、運動のさまざまな段階での上昇・下降をともなう集団的闘争の支えとなってきた。
 民族としての民族意識の確立、政府が分断のために利用し、交渉のテーブルにおいて彼らを弱めてきたエスニック的特有性という点での明らかな弱点があった。
 国際連帯の役割は、解放運動にとってきわめて支援となるものだった。とりわけその状況と望み、かれらの民族的権利への政府による過剰な弾圧を国際的に知らせ、提起していく上で、国際連帯が重要だった。補給や物質的・政治的・財政的支援はモロ民族が闘争を持続させる上で支えとなったが、外部的要因への過度の依存はモロ解放運動をかれらに依存させることとなり、自己確立のための内部的必要性、すなわち外部からの圧力抜きに次の高次の段階に運動をさらに発展させるために、先行して内部的自己確立能力に依拠するという課題を基本的に無視させることとなった。
 過去の経験が示すように、上からもたらされがちの連帯、上にいる専門家の民族主義との連帯にはきわめて警戒が必要だ。下からの民族主義が、促進され、発展させられるべきである。それは真実のものであり持続可能だということが立証されているからだ。下にいる専門家による民族主義は、あらゆる抑圧と搾取からの社会的・民族的解放と自由のための政治的運動に参加している人びとと同じ状況、同じ願い、同じ闘いを抱いている。モロ民族の基幹的大衆、ルマド、そして支配民族の勤労大衆の間の連帯は、自決のための闘いを真の民主主義的・民族的解放をもたらす。あらゆる真の解放運動は、この枠組みを、民族解放を達成するだけではなく、われわれがともに闘おうと宣言する人びとの間での紛争、敵対の基盤を除去するための基本的義務として内部化すべきである。
 合意されるべき平和の概念は、他を排除するものではない。それは特定の地域における他の民族の民主主義的利害を含むものである。他の非モロ民族がモロ民族の自決権のための闘いを支持するようにするためだけではなく、かれらがともに闘うようにするためである。

諸民族の連帯的
関係こそ重要


 成功する和平プロセスが持続的かつ参加型であるためには、ルマドだけではなく支配的民族の支持をも勝ち取るべきだ。国民と民族双方の最大限に広範な民衆の民主主義的課題と民族主義は、「共通善」としても民衆の利益としても闘いとられるべきである。支配的なキリスト教徒植民者の組織された勤労大衆とルマドの支持の下で、全モロ民族の自決権のための闘いが、民族解放、民主主義的・社会的課題のための全闘争を一つの闘争に統合するよう保障するものとなるために、こうした諸民族の連帯的関係が築かれるべきである、これこそ和平プロセスの全段階において、強化・発展させられるべき下からの連帯である。こうした連帯は、自決権のための闘いが全国民/民族の平和に帰結するよう保障となる。しかし最も重要なのは、三民族(キリスト教徒、モロ、ルマド)の間の歴史的偏見、不信、敵対が、かれらへの搾取と抑圧に対する共通の闘いの共通の大義の中で、完全に消滅することはないにしても、最小限になることである。
 現在までに、政府がモロの革命的戦線に向けて用いている和平の枠組みが、主流政治への取りこみと憲法への適応であることは、きわめて明確になっている。それはつねにフィリピン憲法の枠内でのことである。この枠組みはMNLFとの最初の和平交渉以来、変わっていない。その時から今回まで、国民国家の展望を保持する政府は、MNLFやMILFが自らの政治的要求、すなわち停戦の概念、あるいは国家からの地域的分離の概念を取り下げることを求めてきた。それは自決権の原則へのまぎれもない軽蔑だった。分離の自由によってのみ民族間の自由で自発的な連合が可能になること、つまり分離した国家を持つ権利によっての民族間の団結、連合が保障されることを理解すべきである。離婚の権利があることで、真の自由な結婚があるのと同じだ。
 したがって、政府がモロと先住民族の自決権の問題について「箱の外」での解決という大胆さと果敢さを持たないかぎり、モロや他の革命的集団との和平交渉に永続的に縛りつけられることになる。なぜなら、問題の根源的原因が示され、具体的で持続可能な解決策が取られないかぎり、国家は分解し、ミンダナオはフィリピン国民国家の枠組みの外部の地域にあるグローバル資本とその代理人の直接支配下に置かれてしまうかもそれない。こうした平和は、交渉担当者の平和であるか、あるいは親分たちの平和であり、大多数の民衆が手にするのは「墓場の平和」である。
 そして最後に――と言ってもささいなことではないのだが――グローバル資本の歴史的、経済的、社会・政治的文脈――われわれはその中で持続的平和を構築しようと追求している――についての深い理解についてである。終わりのない利潤への貪欲のために民族と民衆を一つの市場として統一することを求めている支配的流れの特徴は、国家と民族内部での民族的矛盾と敵対を除去しているように見える。
 しかし他方、こうしたグローバルな文脈と、民衆の力の剥奪、国民国家の自国民に対する基本的役割の廃止のプロセスは、MILFのような民主主義的・政治的運動と組織に、グローバル資本の新自由主義的枠組みを超える真の平和を追求させているのである。
(おわり)


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