コロンビア
最新の和平の進展
ジャスティン・ポドル
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コロンビアは、南米大陸の中では今では例外的に、右派による支配が続いてきた国であり、米国によるこの地域に対する介入拠点となっている。この秋、この国の右派政権に対して長期にゲリラ戦を続けてきたFARCと政権との和平交渉が始まった。この交渉の行末によっては、南米にもう一つの革命的エネルギーが加わるかもしれない。以下ではこの交渉の背景、ならびにそこにはらまれた可能性について分析が加えられている。(「かけはし」編集部) 弱さを出発点と
した交渉に希望
コロンビア大統領、フアン・マヌエル・サントスは、FARC(コロンビア革命軍:訳者)との交渉に再度主導性を発揮した。話し合いはオスロで始まり、ハバナで継続されるだろう。コロンビア政府は、この交渉が続く間、FARC交渉団の二九人のメンバーに対する逮捕命令を棚上げした。しかし、彼らがもしキューバを離れようとすれば、逮捕されることになるとも警告した(注一)。
話し合いは五つの課題を扱うこととなるだろう。つまり、武装紛争の停止、農地改革、政治的反対派の運動に対する保障と市民参加、麻薬取引、そして紛争犠牲者の諸権利だ。
話し合いを始めるにあたっての政府の声明は、第一の課題、武装紛争の停止に優先性を置いた。FARCの声明は、和平には国家のある種の改革が含まれると示唆した。
いずれにしろ両党派は弱さを出発点として今交渉している――そしてこの点で、結果に関する楽観主義の理由がある――。
FARCは過去五年、非常に大きな軍事的打撃を受けてきた。彼らの同志たち、――ラウル・レイエス、ホルゲ・ブリセノ、アルフォンソ・カノ――は殺害され、その間にシモン・トリニダードのような他の指導者たちは捕らえられた。彼らはそれでも攻撃を開始する能力を持っている――実際彼らはそれを、交渉開始後に攻撃作戦を行い五人の兵士を殺害(注二)することで誇示した――が、その能力は大きく削がれている。
FARCはまた、その名前が誘拐と同義となっていること、作戦に付随する市民への被害、ゆすり行為、さらに社会運動の課題設定を支配しようとする試み、それらを基に、政治的威信が空前の低さまで近づいている。一九九九年に前回の対話が行われた時、政府は、サンビセンテ・デルカグアンにおける非武装地帯に同意した。しかし話し合いは頓挫し、FARCはその人気のない諸々の行動に固執した。彼らは軍事的に苦戦し、彼らの人気が後退し続けることを経験した。コロンビアの右翼は政治的に得点を稼ぎ、話し合いが壊れるとアルヴァロ・ウリベ・ヴェレツが大統領となった。
犯罪行為と一体
化した右翼政権
FARCに対処するウリベの戦略は、全面的に力を基礎としたものだった。事実上それは、FARCに対処する戦略と語るには不適切な名前だ。というのも、ウリベの対し方は、もっとはるかに全体的だったからだ――それが向かったのは、コロンビアの隣国(ベネズエラとエクアドル)に対してであり、非武装の社会運動であり、先住民、労働組合、さらに政治的反対派だった――。実際上は、テロリストあるいはテロリズム支援者であるとして、あらゆる者が告発され、次には大量の人々が、政府が後ろ盾となった民間武装部隊によって、暗殺名簿上に載せられた。
これがわれわれに政権の弱さを理解させるものだ。このウリベの下で政権は、次から次へと起こるスキャンダルに悩まされた。FARC(さらに非武装の社会運動)に対する鉄の拳以外は何の約束もないままウリベは二〇〇二年に、民間武装部隊との交渉を即座に始めた。これはコロンビアを知っている者にとっては奇妙なことだった。なぜならばこの民間武装部隊は、政府と結びついているということがそこら中に知れ渡っていたからだ。つまりこれらの「自衛」集団は、軍隊と警察並びに地主や麻薬取引業者と一体となって作戦し、運動の指導者を暗殺し、地主のためにその領域を浄化するための虐殺に関与し、社会的浄化やその他の犯罪を行っていた。民間武装部隊との交渉はまず、カメラ向けのいくつかの派手な武器引き渡しと、かの部隊の動員解除に行き着いた。そしてその後には、彼らの殺人的活動が途切れのない継続として続いた。
次のスキャンダルは、何人かのジャーナリストが「モンタヘス」――コロンビアの軍隊が、都市におけるテロキャンペーンに関してFARCに罪を着せる目的で、自動車爆弾を仕掛けていた――の証拠を発見した時に起きた。この「モンタヘス」の後には、軍がさらに歩を進めた「証拠でっち上げ」が続いた。すなわち、現実に無実の人々を殺害し、その傍らに武器を隠し、彼らが戦闘で死亡したと主張し、これを、FARCに対する戦場における成功の証拠として示したのだ。捜査官もまた、行方不明となっていた虐殺の犠牲者――またもや軍と民間武装部隊による――で一杯となった多数の集団埋葬地を見つけ出した。
ウリベ統治の最後の二、三年は、「パラポリティカ」で満たされた。その中で軍隊当局者は、ウリベに結びついていた政治家が、領域を支配し敵を排除するために、民間武装部隊との契約に署名していた、との証拠を大量に残した。民間武装部隊要員と軍事指導者の多くは、有罪を宣告されるや否や、米国の監獄に引き渡された。そこでは彼らは、彼らに命令を下した者たちの名を上げることはないのだ。
この地域で、ベネズエラ国境に対するウリベの民間武装部隊の侵入と脅威は、ラテンアメリカ中の怒り、並びにベネズエラによる経済制裁によって迎えられた。同様に、いかなる警告もないままのウリベによるエクアドル国内でのラウル・レイエス暗殺、そして政府との共同作戦は、かの国を孤立化した。米国議会は、この国の人権上の実績、特に労働組合活動家暗殺の故に、コロンビアとの将来の自由貿易協定を停止した。 高尚な動機はな
くても前向きだ
こうして、コロンビアの強力な右翼はFARCに立ち向かうという点で今もウリベを強力な人物と考えているとはいえ、ウリベの問題への取り組み方は軍事的に余分な付随物を支払い、諸矛盾と民間武装部隊に結びついた体制のスキャンダルはその政治的対価を受け、そしておそらく当分の間は、その自然の成り行きにしたがっている。新大統領、フアン・マヌエル・サントスはコロンビアエリートの異なった部分、おそらく先住民反対派と小農民からなる地方の田舎を浄化することよりも、鉱山操業の安全確保により利益をもつ部分を代表している。こうして和平が話し合われている。
進行中の今回の交渉に入るにあたっては、おそらく当事者双方とも高尚な動機はもっていない。しかし、それでも結果はコロンビア人にとって肯定的なものになる可能性があるだろう。戦争は確実に、多数の利益とはならなかった。その代わりにそれは実際上、わずかな者の手中に富と農地を集中させ、コロンビア地方部の発展を何十年も押し戻し、非武装の社会運動に対しては殺人の危険を伴う困難な環境を作り出した。
コロンビア人エコノミスト、ヘクトル・モンドラゴンの分析は、この戦争が農業部門とどのように絡み合っているかを示している。すなわち、輸入の増大、多国籍企業に対する技術的従属、制度的弱さ、農業に対する鉱業の優位性、農業内部ではバイオ燃料の優先、小農の追放、そして高い農地価格と農地の集中だ。モンドラゴンは、弱体な農地改革の努力をひっくり返しつつ、農地集中に関するジニ指数が、コロンビアでは常に高いとしても、それでも二〇〇九年には〇・八七五(たった一人に集中することを示す一に対して)という頂点に達したことを明らかにしている。先の農地改革は一九六〇年代に始まり、一九八四年には、ジニ指数を〇・八四にまでもってきていたのだ。コロンビアの農業部門は近年、縮小しつつあったわけではないが停滞してきた。そしてラテンアメリカの中ではもっとも弱い成長を示してきた。逆説的なことに、この弱い成長と地方の恐るべき安全欠如にもかかわらず、コロンビアは、ラテンアメリカの中でもっとも高価な地方の土地を抱える国の部類だ。
これらの特別な諸問題に対する最良の取り組みを可能とするものは、地方の小農民や先住民の運動による諸提案を手掛かりとすることだ。真の和平は実戦の単なる停止を超えているというFARCの主張は正しい。とはいえ、FARCと政府間の実戦停止は、他の種類の暴力停止を欠いていたとしても、正しい方向への巨大な一歩、市民的抵抗と社会運動が真の平和を追求することをはるかにもっと容易にすると思われる一歩となるだろう。
FARCが署名し動員解除を行うのであれば、その理由は、戦争が続く日毎に状況は民衆にとって悪化する、ということを彼らが理解しているからというものだろう。もしこれが現実となればそれは、農地改革に向けた新たな闘いのための、労働者の諸権利のための、人権のための、犠牲者の正義のための、そして全くあり得ることだが鉱山に反対する出発点となるだろう。そしてそれらの課題すべては、正当な持ち主、コロンビアの多様な運動によって取り上げられるだろう。もし実戦停止のためには正義が必要だということになれば、どちら側もそこに到達することはないだろう。実戦停止が達成可能となれば、正義のための闘争は前進することになるだろう。(一一月三日)
注一)BBCニュース、一〇月一八日、「コロンビアとFARCノルウェイ和平交渉を開始」
注二)BBCニュース、一〇月二〇日、「FARC話し合いの中ではじめての攻撃、五人を殺害」
▼筆者は、『ハイチの新しい独裁:クーデター、地震、そして国連の占領』の著者
(インターナショナル・ビューポイント」二〇一二年一一月号)
ポルトガル
最大規模のストが成功
高まる人々の共感
ルイス・ブランコ 本紙一〇月二二、二九日号ではポルトガルの大デモ(九月一五日)を伝えたが、当地では以後も反緊縮の決起が続いている。以下は一一月一二日のデモと一四日のゼネストの報告。スペイン情勢を含め注目を要する。(「かけはし」編集部)
一一月一二日、アンゲラ・メルケルのリスボン到着に合わせて、ポルトガルの闘争週間が始まった。リスボンでの二つのデモ――一つは労組連合のCGTPが組織し、もう一つは九月一五日の市民デモを実現した諸運動が組織した――には、緊縮計画並びにこの国を不況の中に沈めている債務の独裁に抗議するために、いずれも何千という人々が結集した。
一四日のゼネストは最初にCGTPによって呼びかけられたが、UGT書記長は「役に立たない」ということがすぐに分かった。彼は、政府と経営者との間での社会契約に応じていたのだ。しかしながら、いくつかのUGT傘下の労組がその後ストライキを支援することを決定し、かの書記長を具合の悪い立場に置いた。彼は一四日前夜報道に対し、それに反対ではあるが、結局ストライキに入ることになるだろうと説明しなければならなくなったのだ。それというのも、彼の出身組合が、参加を決定した労組の一つだったからだ。
参加人数がゼネストの成功を確証している。諸々の賃金削減は、さらなる一日分の賃金支払い喪失を選択することを難しくしていた。しかしそれにもかかわらず、以前のストライキを上回るもっと多くの人々が参加した。常のごとく運輸部門と公務部門は操業停止に強さを与える主要な部門だった。しかしこの日のハイライトは、私有部門における支持の水準だった。たとえば、リスナヴェ造船所では九六%が仕事を停止し、ボッシュの工場ではそれが九〇%、さらにシネスのEDP水力発電所は停止した。自動車産業の多くの工場で、さらにパルプと技術系の部門では、その部門の労働者の六〇%を十分に上回る労働者がストライキに参加した。
このストライキに加えて、国中で三九のデモが決行された。リスボンでは、労組活動家、学生、その他の社会運動活動家を含んで、何万もの人びとが参加した。このデモは議会正面で終了した。そしてそこでは、CGTPがその演壇をすっかり取り壊してから数時間後、覆面で顔を覆った数十人の若者たちが、ほんの数メートル先の警察の楯に対して一時間以上石を投げ続けた。警察はそれを止めようとはしなかった。若者たちはデモの残りの部分からは完全に孤立していた。ところが、CGTPの指導者たちが記者会見に応じストライキの総括的評価を伝えようとしていたその直前、抗議に立ち上がった数千人の人々を暴力的かつ無差別に排除するよう、大臣が警察に命令を下した。そして混乱と何十人という負傷者をつくりだした。弁護士への連絡や電話連絡すら止められて何時間も勾留された人々と共に、リスボンでは一〇〇人以上が街頭で手当たり次第に逮捕された。ほとんどの人は、勾留執行部門、勾留場所、勾留理由が空白のままにされた身分証明書に署名することを条件に、真夜中頃釈放された。
予期されたように、このストライキの日の終わりは、暴力のイメージで支配されることとなった。しかしそのイメージも、極めて苛酷な危機の時代における労働者の常識を超える決起を打ち消すことができていない。私有部門における重大な支持という証拠に見るように、このストライキの理由とタイミングは、民衆の大きな部分からの共感を得た。そしてそれは過去とは違うものだった。ストライキはまさに、政府が、その支持者自身を含んで誰一人信用するもののない予算案を通過させる準備をしていたことに対して呼びかけられた。それは、就業している者と退職した者に対する残酷な増税を含む予算だ。それはまた、退職金の量と期間をさらに削減することによる、給付支払い、失業手当、また貧困層や高齢層に対する援助金といったものを限定することになる予算なのだ。
この決起は、二二日の学生による抗議、先の予算案が投票にかけられる二七日の労働者による抗議として継続するだろう。トロイカとメルケルに縛り付けられた政府、そしてメモランダムと反対派両方に二股をかけている社会党を前に、代わりとなる提案を押し出しているのは、労働組合と左翼の政治勢力だ。その提案とは、トロイカのメモランダムと絶縁し、債務について再交渉し、雇用と経済を支えることに財源を集中し、債務に乗せられた悪辣な利子の支払いを行わないための提案だ。そして今回の予算案でのその支払いは、支出総額の中で、教育支出を上回る部分を占めるのだ。(一一月二〇日)
▼筆者は左翼ブロックメンバーであると共に、革命的社会主義政治協会(第四インターナショナルポルトガル支部、左翼ブロック創立三組織の一つである前PSR)メンバー、左翼ブロックニュースポータルの「エスクエルダネット」の編集と発行に責任を負っている。
(インターナショナル・ビューポイント」二〇一二年一一月号)
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